| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

ああっ女神さまっ ~明日への翼~

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

明日への翼
  03 ……AFTER~ 天上界にて

 玉座に座る大天界長ティールが二人を見下ろしていた。
 螢一が身に着けているのは、白を基調として金糸銀糸を織り込んだ神衣である。照れくさそうに笑っていた。
 ベルダンディーは、女神服=天衣、女神の正装を身に纏って、まるで新妻のように彼に寄り添っていた。
「さてと、螢一君、君はまだ神属としての登録が済んでいない。まずはベルダンディーについて管理センターに向かってくれ」
「わかりました」
 螢一は静かに頭を下げた。
「では──話は以上だ。ベルダンディー、彼を頼むぞ」
「はいっ、ありがとうございますっ」
 ちょっと意外なほどの大きな声で、嬉しそうに返事をすると、丁寧に頭を下げてから螢一の手を取った。
「行きましょう!」
 手を引かれて謁見室を出て行く螢一。
 両開きの巨大な扉を抜けると、四車線道路と同じぐらいの幅の廊下がまっすぐに延びていた。左右の壁と天井を飾る彫刻がこの通路が何であるかを示している。二百メートルぐらい先は通路の形に光が溢れていてよくわからない。
 んふふっ。
 ベルダンディーは、嬉しくて仕方ないって感じで、螢一の腕に両腕を絡めていた。頬が桜色に染まっている。
 身体も心もフワフワと……大天界長との謁見室への通路は飛ぶことも走ることも許されていないので、さすがに飛ばなかったけれど……ともかく、幸せで嬉しくて楽しくて鼓動が踊り出していた。
 螢一が死んだ時本当に哀しかった。たとえようのない喪失感と無力感。いっそ封環を外して持てる力のすべてを使い、螢一を生き返らせようか。そこまで考え思い詰めた。
 だけど出来なかった。失われた命を現世に戻すのは女神としての最大の禁忌だから。
 生き返らせることは出来ても、自分は天上界に呼び戻され処罰を受けるだろう。女神の資格を剥奪され二度と地上界に降りることは許されない。
 二度と螢一に逢えなくなる。
 ならばこのまま世の理に従って彼を見送ろう。
 いつか──それがどれほど先になるのか、女神である彼女にもわからなかったけれど、またいつか螢一と同じ魂を持つ者に巡り逢える。
 彼とも約束をした。
 また会えるから……また会いたいから、きっと顔も名前も違うけど、今の記憶もないけれど、でも、魂だけは……同じだから、だから泣かないで。
 泣かない約束は果たせなかったけれど、でも、こんなに早く、こんなにも嬉しい形で再会できるなんて。
 もう二度と離さない、離れない。
 ずっと、ずっと一緒。
 ゆっくりと歩いていく二人は、まるで結婚式場のひな壇に向かう新郎新婦のようだった。
 螢一としてもまだ少なからず混乱していた。
 死を迎えて遠くなる意識。
 くもの糸のようなか細い意識の中で、ただひたすらにもう一度ベルダンディーに逢いたいと願った。
 大きくて優しい光が自分を包み込み、何かを抜け出るような感覚の後。意識が消失した。
 眼を覚ました時、そこは見知らぬ場所だった。
 部屋の中央に覚えのない衣服を着て立っていた。
 建築の様式に精通していればそれがどんな様式なのか説明できるのだろうが、あいにくと螢一は知識が乏しいのでよくわからなかった。洋風の簡素な部屋。しかしながら十分お金がかかっていて、簡素な作りにしたおかげで部屋に風格のようなものが感じられた。左手の壁には観音開きのどっしりとした木製の扉。背後の壁には一面にたくさんの天使が舞い踊る絵が直接描かれていた。右手は大きな窓で白いカーテンが流れ込んでくる風にゆっくりと動いている。まるで部屋が呼吸をしているようだ。
 正面の一段高くなったところに豪華な装飾をされた椅子が置かれていて、男性が一人座っていた。どこにでもいるけど、どこにもいない。そんな感じの風貌だ。
 神属になったばかりでも、彼が誰で、ここがどこであるのか瞬時に理解できた。
 慌てて床に膝を突いて頭を垂れた。
 理解はできたが、信じられなかった。
 いまだ人間としての常識、感覚にとらわれているようだ。
 ともあれ、二人は互いに思いもよらない形で再開を果たせたわけだ。
 互いがどんなに大切な存在か。
 大切な人がそばにいること。
 それがどんなに幸せでどんなに嬉しいことなのか。
 幸せなんて他に何にもなくてもそれで充分。
 二人はよく知っている。
 通路が切れると円形の巨大なホールに出た。
 直径は百メートルぐらいか。天上はドーム状になっていてかなり高い。
 中央に大きな池があり、中心に身長が三メートルぐらいある純白の天使の像があった。身体を天に向けて反らし、豊かな胸をはって五メートル以上もある両翼を誇らしげに広げていた。ホールの形に添って湾曲した形のベンチが、座ると天使の像を向くように設置されていた。周囲には植木がバランスよく配置されている。
 閑散としていて数名の神属が談笑をかわしていた。
 ベルダンディーは螢一の腕を離さないまま。
「ここは神様の謁見を賜る時、待機するところなんです」
 謁見室への通路に対して正面にゲートがひとつ、中心にして左右に二つずつ、合計五つのゲートがあった。どのゲートの枠も金銀と白のリレーフで装飾されている。
 こっちですよ。
 導かれて左端のゲートの前に空を滑る。
 女神様に助けてもらっているのではなく、自分の力で浮かび飛んでいるのが理解できた。それがあまりにもあたり前のように出来ることに、螢一自身驚いていた。
 ゲートの枠の内側は水銀の海のようだ。
「ここから管理局に行けますっ」
 腕を引かれて身体を中に入れた。
 一瞬の浮遊感の後、どっとばかりの喧騒。
 明るいフロア。
 カウンターに座るオペレーターに向けて長蛇の列だ。
「神様ってこんなにいるんだね」
「地上界の人に「神様」と認識されているのはごく一部なんです、「神属」という大きなくくりのなかのごく一部を指しているに過ぎません」
 右の列の最後尾に着いた二人に声を掛けるものがあった。
 小柄な金髪の少女。
「お帰りなさいませ、ベルダンディー、……て、螢一さんじゃありませんか!」
「や、やあ」
「クロノ、久しぶりね」
 クロノは螢一の顔をまじまじと見ている。
「地上界から解脱(ソウルシャウト)して天上界に来た人がいるって聞いてはいましたけど、螢一さんだったんですか!」
 実際の話、解脱して天上界に昇って来るというのは、そんなに珍しくない。
 ただ、その解脱の基準というものが人間から見るとあまりにも曖昧で掴みにくいのだ。
 一生をかけて修行しても解脱できないものもいれば、稀代の犯罪者が解脱してしまうこともままある。生まれたばかりの赤子が解脱してしまうこともあれば、百の老人でも出来ないこともある。それは女神たちや大天界長の意思ではなく、もっと上の意思が働いているようだ。
「そうよこれからよろしくね」
 微笑みかけるベルダンディーに、クロノは胸の前で両手を組んで瞳をキラキラさせていた。
「じゃあ、じゃあ、これからずっと一緒にいられるんですねっ」
「そ、そうなるかな」
 頭を掻く螢一の背中をクロノはどやしつけた。
「なに照れてらっしゃるんですか!いまさらっ──こうしちゃいられないわ、みんなに知らせないと!」
 丁寧に頭を下げると、るんたったっ、と背中を向けた。
 ベルダンディーが呼び止める。
「免許の更新は済んだのですか?」
「ちょうどいま終ったところだったんです」
 それでは、と一礼をして何もない空中から箒を取り出して跨り、風を巻いて姿を消した。
 一級神と地上界の人間のことはずっと前から話が伝わっているようだ。
 列に並んでいる間もベルダンディーと螢一に声を掛けるものが少なからずあった。
 大抵は女神たちだったが、中には男性神の姿もあった。
 そうこうしているうちに待つことしばし。
 二人はカウンターの前にやってきた。
 細面のしなやかな猫を思わせるオペレーターの女性が座っていた。
「はい、地上界からの新規の方ですね。おめでとうございます。早速ですが両の手の平を登録用のプレートの上に乗せてくださいますか」
 螢一の目の前の空中に一枚の半透明のプレートが浮かびあがった。
 言われるままに両手を揃えてプレートの上に乗せた。
 プレートが鈍く輝き出した。
 待つこと十数秒。
「──はい、結構ですよ」
 オペレーターはにっこりと微笑んでいた。
 プレートから手を放すと、螢一の頬、目尻の下あたりに、丸い紋章が左右ひとつずつ浮かび上がった。
「わあ……凄いですね」
「えっ、何がですか」
「あなたの神属としての力のことですよ。解脱してきたばかりなのにもう二級神並みの力を持っています。こんな人、ちょっといないですよ。普通は三級神以下の見習いぐらいの力しかないものなのですが」
 あくまで測定した現在の力のことらしい。努力しだいでそれ以上の力を得ることも夢ではない──そうだ。しかしながら二級神から一級神への壁は、三級神から二級神のものの比ではない。もちろん、個人の資質も関係してくるし、いくら学んでも二級神どまりな者が殆どだ。多くの者が一級神を夢見て学んでいるが一級神になれるのはほんのごく少数だった。
「とはいえ、すぐに二級神の称号が得られるわけではありません。力の使い方や天上界の作法、過ごし方など、学んでいただくことはたくさんあります。ですのでまずは三級神からはじめていただきます。後見人はベルダンディー様でよろしいのですね」
 胸に手をあてて、一歩前に進み出た。。
「もちろんですっ!」
「では、認証のためにプレートにお手を」
 ベルダンディーは螢一と交替で空中のプレートに手を置いた。
 鈍く輝いた。
「一級神二種非限定女神ベルダンディー様、登録終了いたしました」
「ちょっ、ちょっと待って。後見人って?」
 今更ながら慌てたように口を挟む螢一を、オペレーターは少し首を傾げて不思議そうに見ていた。
「言葉のまんまですよ。これから一定期間の間、ベルダンディー様があなたの後見人となります。天上界であなたが何か不始末をしでかした場合、ベルダンディー様が責任の大半を負うことになります」
 ……て、聞いてないよっ!
 大天界長のニュアンスだと慣れるまでの案内役ぐらいに考えていたのだけれど。
 かなりあせって口をぽかんと開けっ放しの螢一。
「なにか、不都合なことでも?」
「いや……あのね」
「一級神が後見人なんてほんとに珍しいことなんですよ、それにもう登録してしまったので、変更は出来ません」
 傍らでベルダンディーが微笑んでいる。
 大丈夫ですよ。
 信頼と自信に満ちた瞳で。
 ……まあ、やるしかないか。
 螢一は大きく息を吸い込むと腹の底に力を入れた。
 そう、やるしかないだろ。
「さてと最後になりましたが、名前の登録になります」
「名前?」
「はい、神属としての名前です。真名ですね」
「森里螢一じゃだめなの?」
「だめなことはありません。強制ではありませんし、ただの慣習みたいなものですから罰則もありません。ですが、ほとんどの方が新しい名前を登録されますね。新しく生まれ変わったという意味も含めて──もともと一柱の神が複数の名前で呼ばれるのはさして珍しいことではありませんから。真名は公式の行事などで使われる大切なものです。慎重に決めてください」
 ごく親しい間柄では、以前の名前で呼び合う、何てことも珍しくありませんし。
「……と、いわれてもなあ」
 まさか、天上界に来て自分で自分の名前を決めることになるとは思いもよらなかった。
 このあたりは慣れっこになっているらしい。間髪をいれず。
「わかりました。明日の日没までに管理局へ連絡くださいますか」
「わかったよ、ありがとう」
 礼を告げてカウンターを離れると、再びベルダンディーが腕を絡めてきた。
「では行きましょうか」
「行くって……どこに?」
「私たちの家にです」
 わたしたちのいえ?
 浮き上がると戸外への通路を急ぐ。
 巡った通路はそのまま戸外へ通じていた。
 群青の空と真っ白い雲。明るい日差し。初夏のような気候だ。
 一面が緑の絨毯を敷き詰めたような大地に、白い建物が点在している。遥かに大きな都市のようなものが見える。あれがユグドラシルと大天界長の居城を内包する街。「ユグドラシル」だ。ちょっとややこしいが、世界の中心である街は、それを支えるシステムの名前を冠していた。
 今後、街の名前には鍵括弧をつけて「ユグドラシル」としよう。
 足元には今出てきた管理局の建物が見える。
 あまりの高さに眼が眩みそうになった。落ちる心配など皆無なのに。
 まだまだ、人間としての部分を残しているようだ。
「あれが管理局?」
「ええ、正確にはそのひとつですね。天上界全体にネットワークが張られていて、データーはすべてユグドラシルに集められます。つまり、システム全体(ネットワーク)が「管理局」なんですよ」
 ベルダンディーは先にたって空を滑っていく。
 どうやら、目的の場所は「ユグドラシル」とは反対側にあるらしい。
 螢一に気を使ってペースを落としているが、それでもかなり早い。
「どこまで行くの?」
「もうすぐですよ」
 螢一の感覚ではかなり飛んでいる。
 眼下の大地は切れて、青い海が広がっていた。
 遥か前方に島が見えてきた。
 ほとんど起伏がなく平坦で大きな島だ。全体が森に包まれて中央に巨大な建築物が建っていた。
 それを「家」と表現したら、日本のごく一般家庭はなんになるのだろう。
「あれが……家?」
「スクルドや姉さんも一緒ですよ」
 大雑把に表現するなら、四つの建物、館に分かれている。中央の館を丸く均等に取り囲んで三つ館が立てられていた。ひとつの館が東京ドームぐらいの大きさと広さを有している。どれも同じぐらいの大きさだが、細かい装飾や色使いなど、それぞれ個性があって違っていた。
 中央を取り囲む三つの館がそれぞれの──私室──で中央の建物が居間にあたるらしい。
 なんとも、スケールが違うというべきか。
 手近の館の前に飛んでいくと、玄関にあたる大きな門の前で、ウルドとスクルド、クロノが待ち構えていた。
 ウルドもスクルドも共に女神服=天衣ではなく、ウルドは胸と肩の大きく空いた紫のロングドレス、スクルドが白とピンクのワンピースを身に着けていた。
 元気いっぱいに手を振るのはスクルドだ。
「きたきたっ、おねーさまっ、螢一!」
 ウルドはちょっと不機嫌な感じで、腕を組み斜に構えていた。
「おっそいっ、まったく何をやってるのよっ!」
「ごめんなさいねっ」
 二人が地面に着地する。
 姉に謝罪しながらもベルダンディーの頬はゆるみっぱなしだ。
 クロノがまぜっかえす。
「少しでも長く二人でいたかったんですよね」
「これからいくらでもいられるのに……それで、お腹の子供のことはもう話したの?」
「お腹のっ」「こどもっ」
 スクルドとクロノの声が重なった。
 頬を染めながら、「もちろんですよ」と答えるベルダンディーの後で、螢一は照れくさそうに頬を掻いていた。
 あいた口が塞がらないって感じのクロノはともかく、スクルドの反応が見ものだった。
 わたあたと手足を振り回した挙句、ぺたんとその場に座り込んで数十秒──石化している。
「あらやだ、おこちゃまのスクルドには刺激が強かったかしら」
「うっさいっ!」
 立ちあがると螢一に詰め寄った。
「いっ、いつのまにっ、どこでっ!」
「ははは……意外と立ち直り早いんだね」
 スクルドは愛想笑いをする螢一の胸倉を掴んで。
「ごまかされないわよっ、きっちり、話してもらいますからねっ」
「わかった、わかったから、手を放してくれよ、こうなったら逃げも隠れもしないからさ」
 渋々と手を放すスクルドだが。
 クロノが割って入った。
「ともかく、ここではなんですし、中に入りませんか」
 中央の館を取り囲む三つの館はそれぞれ「過去」「現在」「未来」の名前がついていた。
 「現在」の館の中。
 もちろんのこと、ベルダンディーの館だった。
 外の光をふんだんに取り入れている五十畳はある室内。豪華な調度品も眼を引いたけれど、多くの観葉植物と室内を流れる川、流れ落ちる滝など、普通ではなかなか見られないものまであった。
 卵形の足のない空中に浮かぶ椅子に身体を預けている一同。
「──まあ、ざっとこんなところかな」
「そこまで話さなくても……」
 スクルドの顔が赤らんでいるのは、話の中に多少なりとも露骨な表現が混じっていたからだ。
 上目遣いに螢一を睨んでいた。
「聞かせて欲しいって言ったのはスクルドだよ」
 意地悪な眼でスクルドを見ている。
「あんた、解脱してちょっと性格変わったんじゃないの」
「そうかな、自分じゃ気がつかないけど」
 ベルダンディーの頬もスクルドに負けずに桜色だ。
「螢一さんは、ずっと螢一さんですよ」
 なにもかわっていない、そう告げている。
 クロノがトレイに人数分のコーヒーを載せて室内に入ってきた。
 話題になったメイド服に着替えていた。これはこれで気に入ってしまったらしい。
「螢一さんは三級神ですよね、ベルダンディー様の下で研修されるんですか?」
 任意でだけど、一級神は三級神以下の神属を手元において教え導くことがある。「研修生」ってわけだ。大抵は二級神になるまでだが、一人が何人までとか特に規定もなかった。報酬なども決まっていないけれど、「研修生」は教えを請う一級神の身の回りの世話をするのが通例となっている。
 当然のことながら、名のある一級神には申し込みが殺到する。これの調整も「管理局」が間に入っておこなっていた。
 人によっては学校のように一度に大人数を抱え込むものも存在していたが、ベルダンディーはマンツーマンを基本としていた。
 いわゆる、現在のクロノの立場がまさにそれであった。
 随分前から申請を出していたのだが、地上界に常駐になってしまったため、宙に浮いていたのだ。
 「ワルキューレ候補生」の彼女が、ベルダンディーの元で指導を受けているのは、奇異に感じるだろう。はじめは「リンド」に申し込みをしたのだが、リンドはクロノをみるなりベルダンディーからの指導を進めたのだった。
 なかなかに戦闘属性の女神とは奥が深いものがありそうだ。
 ついでに書いて置くと、ベルダンディーが螢一と契約を結んだ時は、ちょうど「研修生」を二級神として送り出した直後だったらしい。
 螢一は、照れているのか人差し指で頬を引っ掻いている。
「ははは……そうなるかな」
「研修だなんて、私達、子供も出来てるのに……そんな」
 今まで黙って話を聞いていたウルドだが。
「それが一番の近道だわね……「管理局」にはあたしから話を通しておくわ。見たところ螢一は二級神ぐらいの力はありそうだし、とっとと昇格しなさいな。全部それからだわ」
「全部って?」
「結婚式とかいろいろあるでしょ、出来るならお腹の目立たないうちにしたいわよね」
「けっ、結婚式!」
「なによっ、考えてなかったの?」
 ベルダンディーは睨み付けるウルドをなだめるように。
「姉さん、螢一さんは天上界に来たばかりですから、そんなに早く話を進めても」
「うーん……まあ、ともかく二級神に昇格(あが)ることね」
 別に取得している免許の差が婚姻に影響することも、悪く言うものもいないのだが、やはり、見る者が見れば実力がわかってしまう。問題なのは、持っている肩書きではなく、力に応じた免許を持っていないってことだ。一級神の相手としてそれはかなりまずい。
 飲み干したコーヒーカップを皿に戻して、ベルダンディーに視線を送った。
「神様は螢一のことをなんだって?」
「ユグドラシルのハード面での管理にと」
 その場にいたベルダンディーと螢一以外の者が一瞬、硬直した。
 ややあって、スクルド。
「要職じゃない、随分買われたわね」
「え、そうなの?」
「あたり前でしょっ、ユグドラシルは世界の根源を支える重要なシステムなのよ。そのハードを管理をするってことは、世界の管理をするのと同じことなのよっ」
 ウルドやペイオースなどシステム管理神とハードを管理するハード管理神達がいてこそユグドラシルが稼動しているのだ。
 なるほどねえ……。
 ニンマリと笑っているウルド。
 楽しそうにベルダンディーを見ていた。
 同じ神属として再開できたのも嬉しいだろうけど、好きな人が愛する人が神様に認められたのだ。妹の喜びは格別だろう。
 スクルドが続ける。
「……いまの管理主任は「ミース」よね。だったら、お姉様、真っ先に彼のところに行くべきだと思うけど」
「ええ、そうなんですけど、まずはスクルドや姉さんに螢一さんを逢わせたくて」
 ついでに、かの「ミース」殿は礼儀作法などが特に厳しいらしい。気軽に名前で呼び合う神属の間では非常に珍しいのだけれど。
 一通りレクチャーしておかないとってこともあったのだろう。
 螢一はベルダンディーと共に中央の館に移ると、彼女から立ち居振る舞いの講義を受けた。
「難しく考えることはありません。相手を敬う心が一番ですから」
 なかなか覚えがいいですね。
 螢一としては、ベルダンディーに恥を掻かせたくないので必死、みたいなことろがある。
 しばらくの時間をとって、休憩をしてから、転移術で管理神の「ミース」の館へ跳んだ。
 跳ぶ、といってもさすがに館の内部への直接の跳躍はエチケット違反らしく、館を見下ろせる空中に転移した。
「あれが……?」
「そうです」
 空中に浮かぶのは、三女神達の住居全体と同じくらいの規模の、まさに空中宮殿だった。
 螢一はその規模に唖然としている。
「神様ってみんなこんなに豪華な暮らしをしてるのか」
「人それぞれですよ。リンドなどは「他力本願寺」の母屋と同じぐらいの家に住んでます」
 荘厳で豪奢な門の前に立つと、待っていたかのように、門が開いてメイド服の少女が現れた。
 どうやら妙な流行が生まれてしまったらしい。
「いらっしゃいませ」
 黒髪の少女に導かれて通された場所は、部屋というよりも森の中だった。
 樹齢数百年にもなるであろう立ち木が並ぶ場所で、小さなテーブルを前に椅子に腰掛けて待つことしばし。
 正面の扉──といっても、五十メートルぐらいの距離があるのだが、開いて男性神が一人で室内に入ってきた。
「お待たせしました。一級管理限定神ミースです」
 ベルダンディーは椅子から立ち上がると、床に膝を突き胸に手をあて優雅に一礼をした。
 螢一は慌てて彼女に習って、床に膝を突き胸に手をあて頭を下げた。
「一級神二種非限定ベルダンディー、突然に失礼します。今日はあなたに紹介したい人があって連れてきました」
「三級神、森里螢一です」
「あなたが……そう、話は聞いてるよ」
 もう一度礼をして立ち上がった時、奇妙な親近感と既視感(デジャビュ)を感じた。
 どこかで、逢ったような……。
 美少年だ。ショートカットの銀髪に銀の瞳。整った顔立ちは少年というよりも中性的な印象を受けた。体格はスクルドと同じぐらいだ。華奢な肢体を膝丈まである白衣のような長衣に包んでいる。技術者というよりは科学者のような服装だった。
「よほどベルダンディーと縁が深いんだね」
 銀の瞳が見詰めている。
 さすがに重圧のようなものを感じていた。ベルダンディーとはタイプの違う強い「神格」を感じる。
 姿形で神属を評価してはいけないことの典型だろう。
 ──あ!
 やっとわかった。既視感の正体が。
 螢一は口をついて出そうになった言葉を慌てて飲み込んだ。
 一級管理神ミースは、髪の色と瞳の色を黒にすれば、彼のかつての上司であり先輩である、藤見千尋にそっくりだった。
「手を見せて」
「は、はい、こうですか」
 揃えて差し出された手をミースは穴の開くほど見ていた。
 やがて。
「面白い、実に興味深いな──ねぇ、ベルダンディー。この子、僕に預けてみない?」
「えっ、ええっ!」
 突然のミースの申し出に二人は言葉を失ってしまった。
「もちろんずっとじゃないよ。この子が二級神になるまで。つまり「研修生」だね」
 顔を見合わせる二人。
 顔合わせの挨拶みたいに思って来たのだけれど。まさかこんなことになるとは。
 冷静になって考えれば、マシンナーズにも認められ、大天界長にも認められた腕を持つ男だ。こんなことは充分想定できていたはずなのだが。
「力だけは二級神ぐらいのものを持ってそうだし、そんなに長い時間ではないと思うよ。螢一君の努力しだいだけどさ」
 どうすべきかと螢一は悩んでいるようだ。
 ベルダンディーに視線を送るとただ静かな眼で見詰め返してくるだけだった。
 螢一の意思に委ねたようだ。
「ね、どうする?」
 ミースの問いに螢一は深呼吸をひとつすると。
「俺は──」
 三姉妹、「ノルンの館」
 中央の館の中の一室でくつろいでいたウルドは、一人で戻ってきたベルダンディーに眼を丸くしていた。
 ベルダンディーは平然と、むしろにこやかに笑っていた。
「……それで、預けてちゃったの?」
「ええ。螢一さんの意思ですから」
 ウルドは呆れ果てて物も言えないって感じだ。
「これから二人で暮らせると思ってたんじゃないの?」
「会いたくなればいつでも会いにいけますし、私にはこの子がいますもの。それに……。螢一さんが仰って下さったんです……「傍にいない時はもっと傍にいる」からって」
 胸元に両手をあてて頬を染め俯いている。
 こうすればいつでも逢えます。
 螢一さんもきっと同じです。
「だから嬉しくて……とても嬉しくて」
 ふうっ、と、ウルドの溜息。
 幸せいっぱい、幸せオーラに包まれた妹を見て、こめかみを押さえていた。
 なんだか馬鹿馬鹿しくなってきたらしい。
「傍にいるってことは、ただ身体を寄せ合って生きて行くって事じゃないか……あいつも言うようになったね」
 むしろベルダンディーが心配しているのは。
「でも、螢一さん、無理をしなければいいのですが」
 螢一は無理をはじめると倒れるまで無理してしまうところがあって、今回もベルダンディーの為にと重ねてしまうのではないだろうか。
「そのあたりは「ミース」に任せて大丈夫さ。で、あんた、女神の仕事は今後どうするの?」
 「ノルン」である彼女たちは「時の管理神」をやめることができないが、「人を救済する女神」としての仕事は別だった。人間(ひと)の幸福の波動を活動原にしている神属にとって、この仕事はとても重要なことで大切ことなのだ。一度「女神」の職についた者が辞職するってことは非常にまれではあるのだけど。
「生まれるまでは「休職扱い」にしていただこうと思ってます。それから先は螢一さんと相談して決めたいと」
「仕事来ないうちに「管理局」と「お助け女神事務所」に申請を出しておかないとね。ところであんたたち結婚式はどうするの」
「赤ちゃんを産んでから身体が安定するのを待って挙げようかと思います」
 もちろん、螢一さんと相談してからですけれど。
「慌てることなんてないか。それだけ時間があれば螢一のほうもなんとかなるだろうし」
 挙げるとしたらやっぱり「大聖堂」かしらね、一級神の結婚式だもの。
 「大聖堂」は主に一級神の拝命の儀式や天上界の公式行事に使われる、とても神聖で神属が心の拠り所、誇としている場所なのだ。
「スクルドはどうしたのですか」
「上のテラスに出て行ったわよ」
 最上階のテラス。
 大理石と象牙の手すりの向こうに蒼い空と青い海が広がっていた。
 ここの広さだけで地上界の(日本の)一般住宅の敷地ぐらいはあるのだからなんともはや。
 雲ひとつない空から降り注ぐ日差しは四季で例えるなら初夏に近いだろう。もっとも、天上界には四季がなく一年中こんな気候なのだけど。
「スクルド」
「あ……お姉さま」
 振り向いた笑顔はどこかぎこちなくて辛そうだ。
 テラスを渡る風は強く、二人の長い髪をふき流していた。
「風、出てきたわね。中に入るね」
「何か悩み事があるのではないのですか」
 屋敷の中に向かおうとする、スクルドの背中が止まった。
 振り向かずに。
「何もないわ悩み事なんて」
 あたしはいつも元気よ、と、振り向いてガッツポーズをして見せた。
「スクルド、女神が嘘はよくありませんよ」
「仙太郎は……ただの友達よ……それだけ」
 俯いて唇を噛んでいた。
 風に黒髪が流れている。
 ベルダンディーの手がそっとスクルドの肩に掛かった。
「……想いは捨て去るものではないわ。あなたには夢があるのでしょう」
 弾かれたようにスクルドは顔を上げた。
 諦めてしまえば総てそこでおしまい。何も生まれず何も変わらないままだ。
「お姉さま」
「なあに?」
「螢一が神属になっていなかったら、お姉さまはどうしてた?」
「女神の仕事を続けながら探していたわ。ずっとね。もちろん、顔も名前も違う、記憶もないでしょうね。でも、魂に刻んだ記憶だけは永遠ですから」
「でも……」
「そうね、それはきっと、螢一さんが神属になるよりもずっと難しいこと……だけど私は諦めないわ。たとえ百億の時が過ぎて千億の星が巡っても」
 スクルドは肩に掛かるベルダンディーの手を両手に取った。
 強い決意の瞳。
「あたしも頑張るっ」
 もう一度、大好きな人と逢うために。
 乙女の恋心は強いのよっ。
 背を向けて館の中に駆けていった。
 天上界の時間で四ヶ月が過ぎた。
 この間、ベルダンディーは週に一度は「ミースの館」に訪れて螢一との逢瀬を重ねた。時間としては短いものだったけれど、二人には時間の長さなどあまり意味を成さなかった。
 「ユグドラシル」の一角に「女神モール」と呼ばれる買い物街がある。
 本当に必要なら自分で作り出せてしまう神属にとって「買い物」とはリクレーションのひとつだ。神属だってストレスは溜まる。遊びやリクレーションは常に必要だ。
 あえて「女神モール」と名前が付いているのは、客層のほとんどが女神達だからだ。
 螢一は、二級神への昇格試験を明日に控えたある日、初めて「ミース」から休みを貰った。
 すぐにでも「ノルンの館」に跳んで行こうかと思ったのだが、師匠である「ミース」に耳打ちされて気を変えた。
 てなわけで三姉妹へのプレゼントを物色しつつ散策中なんだけど。
 周りの女神たちの視線が妙に痛いのは気のせいだろう。

 ね、「彼」よ。
 ああ、ベルダンディーの。
 そうそう、なんでもミースが付きっ切りで指導しているみたいよ。
 ほんとに?でも、彼は見込みのない者はどんどん切り捨てる主義なんじゃ?
 なのよー、だから、今は三級神でも将来大化けするかもよ。
 よく見ると可愛い顔してるわね。
 よしなさいよ。あんたとベルダンディーとじゃぜんぜん勝負にならないわ。

 螢一がショーウインドウを飾るドレスを見ていると、後から声を掛けてくる者がいた。
「や、やあ。ペイオース」
「お久しぶりですわね、螢一さん──あっと」
 螢一の天上界での真名は フレイム(フレーム)炎=車体の骨格を構成する部品。つけている天使は「灼熱の狼/Burning of wolf」男性の天使で、赤髪、短髪、赤い衣装(ってか腰から下だけの赤い布上のもので螢一と繋がっている)翼の色も基本白だけど影になる部分や枠線が薄い赤である。
「いや、螢一でいいよ。真名で呼ばれてもいまひとつぴんと来ないからさ」
 可笑しそうにペイオースは口元に手をあてて笑っていた。
「確かに、「螢一さん」がしっくり来ますわね。今日はどうされたのですか」
「実はさ……」
「なるほどそれでこんな場所に」
「──とはいえ、なんにしたらいいのか。恥ずかしい話なんだけど、地上界にいた頃には贈り物なんてあまりしたことなかったからね」
 まったくこの人は、
 ペイオースの苦笑。
「「贈る」のはなにも物である必要はありませんわ。ベルダンディーだけではなく、螢一さんと接した女神はみんなあなたから大切なものを贈っていただきました」
 だから、そんなあなただからこそ、いまこうして天上界(ここ)にいるのかもしれませんわね。
「大切なのは「贈る想い」ですわ。ベルダンディーは螢一さんからの指輪をとても大切にしているのでしょう?それは「想い」が篭められているからですわ──とはいっても、あまりにも陳腐なものでは困りものですわね……あたくしでよろしければ相談に乗りますわよ」
「助かるよ」
「ところで螢一さん、明日は昇格試験ですわね」
「……ははっ、頑張るよ」
「これは本当は話してはいけないことなんですけど……明日の試験官はあたくしなんですの」
「ほんとに?ペイオースが?」
「一級神は嘘を申しません」
「だったね、お手柔らかに」
「ふさわしくないと思えば迷わず落としますわ」
 ふんぞり返って胸の前で腕を組むのに肩をすくめてみせた。
「だと思った」
 翌日、螢一の試験が行われ、無事に合格した。
 合格の報告と挨拶に「ミースの館」へ戻った。
「正直、驚いてるよ。僕のはじめの予想より一ヶ月も早かったからね」
「待っている人がいますから」
「──だったね。二級神になったのだから、本来なら僕の元を離れて独学で勉強を続けるか、それとも別の先生につくかするべきなんだろうけど……どうだい?このまま僕の元で学んでみないかい?」
「えっと、それはつまり「実習生」として受け入れてくれるんですか?」
「もちろん、ユグドラシルの仕事はこなさなきゃいけないし、なによりもベルダンディーと君の生活に支障のない範囲でだけどね」
 後になって聞いた話によるとこれはかなり「異例」なのだそうだ。
 本来なら「実習生」を取るのはよほど余裕のある一級神だけだ。
 ベルダンディーという特別な例を除いて。
 ましてや、ミースが「実習生」を取るのは稀である。
 ついてこれなければ容赦なく見放されてしまう。
 かくて「ノルンの現在の館」を住居としてユグドラシルに勤務し、非番の時にはミースに指導を受ける螢一の日々が続いた。

 「ノルンの現在の館」の中。
 目の前に大きな両開きの扉。
 オリハルコンとプラチナの合金の扉には、大きく翼を広げた天使のリレーフがあった。地上界なら名工の一作であろうが天上界ではありふれたものだ。
 螢一は所在なさげに扉の前をうろうろとしている。
 スクルドが扉の正面の壁にもたれていた。
「落ち着きなさいよ。あんたがやきもきしてもどうにかなるものじゃないわ」
「そうだけどさっ、ベルダンディーって初産だし」
「大丈夫よ、ウルドにお母様までついてらっしゃるんだから」
 苦笑するスクルドだった。
 螢一の溜息。
「溜息つくと幸せが逃げてっちゃうわよ」
 たしなめられて渋い顔をした。
 扉の向こうではベルダンディーが出産の時を迎えていた。
 螢一はスクルドの隣に背中を押し付けた。やがて義理の妹になるスクルドに。
「随分力をつけてるみたいだね」
「あはっ、そう見える?」
 だったら嬉しいな。
「まだ一級神には遠そうだけれどね」
「はっきり言うわね」
「スクルドには下手なお世辞よりもはっきり言ったほうがいいからね」
 スクルドはむしろ朗らかに笑い出した。
「まったく、螢一にはかなわないわね……そうよっ、あたしは立ち止まってなんかいられないんだからっ!」
 黒髪を掻きあげてぐいっとばかりに胸を張った。
 目の前の扉を通過して金色の光が溢れてきた。
 数瞬のタイムラグの後、産声。
 ウルドが、扉を控えめに開けて室内からで出てきた。
「おめでとう。可愛い女の子よ。さあ、素敵なママと可愛い娘に対面してあげて」
 促されて室内に入っていくと小さなベビーベッドの前に案内された。
 おくるみのなかの我が娘はどこもかしもまん丸で光り輝いているように見えた。
 この娘が俺とベルダンディーの子供。
 言い知れぬ感動に声もなかった。
 申し訳程度の頭髪は黒だ。つぶらな黒い瞳で螢一を見て笑いかけてくれた。
「だぁ……」
 伸ばした螢一の指を小さな手で掴んだ。まるで握手みたい。
 スクルドも覗き込んでいた。
「パパだってわかるんだね……スクルド姉さんですよぉ~」
 叔母さんだろ。
 突っ込もうとして螢一はやめた。それよりも。
 ベッドに横たわるベルダンディー。
 少し疲れているようだが、満ち足りた表情をしていた。
「螢一さん……」
「おつかれさま」
 螢一はベルダンディーの右手を両手で握った。
「無事に生まれてくれました……わたし、私、お母さんになれたんですね。螢一さんとの赤ちゃんを……わたし」
「そうだよ。赤ちゃんも元気だよ。だからいまはなにも考えないでゆっくり休んでね」
「はい……」
 ベルダンディーは静かに眼を閉じると深い眠りの中に落ちていった。
 時が流れていく。

 「大聖堂」での結婚式は荘厳で豪華なものだった。
 「大聖堂」そのものがモビルスーツサイズ、巨人サイズなのだ。クリスタルとダイヤモンドのグラス。燭台。ステンドグラスかと思われる窓はガラスではなく宝石だ。象牙、大理石、プラチナ、金、銀、オリハルコン。ありとあらゆる貴金属と宝石で飾られた調度。値段など想像もつかない絨毯。
 大勢の神属と天上界の評議会のメンバーと大天界長、その妻の女神──ベルダンディーとスクルドの実母だ──が見守る中、大魔界長ヒルドの姿もあった。
 ──誓いの口づけ。
 紋章へのそれを交わした後はあまりよく憶えていなかった。
 ただめぐるましく時間が過ぎていった。
 気がつくと、「現在の館」の一室で、二人、ソファに並んで腰掛けていた。傍らのベビーベッドでは二人の赤ちゃん、アイリンがすやすやと寝息をたてていた。
 螢一の肩にベルダンディーがそっと頭を乗せている。
 二人ともくつろいだ室内着姿だ。
「さすがに今日は疲れちゃったね」
「……ですね、でも……幸せです。今日、私の夢が叶いました」
 螢一の手に重なった手。
 強く、優しく力が入っていた。
「私はこれからずっと螢一さんの妻です」
 離さないでくださいね。あなた。
 もちろんさ。

 子育てとユグドラシルの勤務。
 螢一は、慌しい日々の中で、確実に実績を積み上げていった。
 彼の改善案の実行で、ユグドラシルの稼働率が三パーセント上昇し、バグ発生率が二パーセント下がった。
 これは大きな評価につながった。

 また時が流れて……

 「ノルンの未来の館」
 スクルドの長い黒髪と天衣が風に揺れる。
「じゃあ行って来るねっ」
 一級神を拝命して初めてのユグドラシルへの出勤日。
 ベルダンディーは、天へ浮き上がった妹に軽く手を振った。
「行ってらっしゃい」
 傍らには愛娘のアイリンがいる。
 歳の頃なら六歳ぐらいか。艶やかな黒髪を赤いリボンでツインテールに纏めていた。
「スクルド姉様大丈夫かしら」
「そうね、これからたくさんの困難が待っているかもしれないけれど、大丈夫よ。あの娘は私の妹ですもの」
 スクルドが長い間待ち望んでいた「時間」が訪れようとしていた。
 「お助け女神事務所」の自分の席で電話が掛かって来るのを待っている。
 長かった。
 仙太郎。
 やっと逢える。
 募る想いで胸が張り裂けそうだった。
 一秒、一秒が鉛のように重く、遅く感じられる。
 やがて目の前の電話のベルが鳴った。
 逸る心を押し殺して深呼吸。
 受話器に手を伸ばした。
「はい、こちら「お助け女神事務所」です。ご用件はそちらで伺います」


 ……AFTER~ 天上界にて  おしまい

NEXT→ RHAPSODY 
 

 
後書き
2016 1/19 今更ながらに書き足し
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧