乱世の確率事象改変
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優雅ならぬ戦端に
艶やかな金髪は己が優美さを描き映すように盛大に巻き込まれ、着飾った鎧は潤沢な力を表す。
傲慢に聞こえる高笑いも、他の者が行えば品の欠片も感じないが……彼女がすると中々どうしてそうは感じられない。
彼女の隠された本質が他人思いな優しい人だとは限られた人しか知らない。それほどに昔から行い、完成されてきた演技であった。
その彼女――――麗羽は今、天幕の中で一人の兵士と相対していた。
後ろに侍るは彼女の両腕。袁家の二枚看板である顔良と文醜。二人の表情は暗く、絶望に堕ち込んでいた。
「……も、もう一度言ってくださいます? よく聴こえませんでしたわ」
見るからにボロボロなその兵士の発した言葉に、麗羽は尋ね返した。携える微笑みを固まらせて、珍しく若干の焦りを映して。
「……俺らの軍師様が……死んだ」
敬語など無い。頭を垂れることさえしない。その兵士は立ったまま、椅子に座る麗羽を見下していた。
見つめる視線には怨嗟の色。お門違いとは分かっていても、その兵士は目の前の女を憎まずにいられない。
自分達の将が袁家に頼らずに曹操軍に頼り、味方はたった一人、黒麒麟のみ。
狙い済ました時機で自分達が賊徒等に狙われたのだ、誰かが手引きしたに決まっている。それを止められなかったのは……王たる麗羽の責任であろう。
「ふ……ふふ……ご冗談を。からかうのはおやめなさいな」
「冗談……だと……?」
「猪々子さん、この者をひっとらえなさい。敵の斥候に違いありません」
彼女が死んだと言われても信じられない。そんなわけないと受け入れず、麗羽は冷たい声で命じる。しかし……猪々子は動かなかった。
胸に来る虚脱感から、そして……その兵士が、夕の衣服の一部を持っていた為に。
「い、猪々子さん?」
動かない猪々子に対して、急ぎ振り向いて疑問を投げる。斗詩はその横で、カタカタと自分を抱き締めて震えていた。
周りに他の兵士が居る為に、その男は狼藉に出るつもりもなかった。元よりそんな程度では意味が無いのだ。
猪々子が動かないならと、麗羽は目だけで兵士達に合図を送る。男の齎した情報に焦りを見せつつも、二人の兵士は主の命令に従い、その男を無理矢理伏せさせて抑え付けた。
「……っ!
はっ……受け入れないならそれでいい。殺してくれても構わねぇ。あんたを俺が殺したいとか、そんなもん心の底からどうでもいいんだからよ」
無機質な声音は何を思ってか。凍るような視線が麗羽に突き刺さる。
「張コウ様からの伝言だ。今曹操軍に降伏するなら沢山助けてもいいが、戦うつもりなら……一兵卒に至るまで皆殺しも辞さない、だってよ」
ひっ、と斗詩が声を上げた。顔が青ざめ、震えはさらに大きくなっていく。
小さな悲鳴、じわりと湿った兵士達の掌、その二つを感じて男の口が引き裂かれる。
赤い舌を出して唇を一つ舐めた。まるで彼女のように。
「ははっ! あんたビビッてんのか!? そりゃ怖ぇよなぁ! あの人が殺しに来るんだからよ! あの紅揚羽が敵になったんだからよ!」
真っ先に殺されるのは自分だろう……郭図にバレる不備を起こしたのは斗詩なのだから、そう考えるは必然。
麗羽は放たれた汚い言葉に眉を顰めて、
「黙らせなさい」
即座に兵士に命じて男の口を抑えさせると、彼の嘲笑を浮かべる眼が細められる。
続けて麗羽が口を開こうとしたが……猪々子がゆっくりと近付いて行くのを見て、噤んだ。
力無い歩みはいつもの彼女ではない。一歩一歩踏みしめるように進む様は、いつでも元気な彼女らしくなかった。
「姫、もう……いいよ」
震える声が場に響いた。今にも泣き出してしまいそうな声だった。
「お前らも離してやれ」
命じて自由にしてやった男の前、猪々子は片膝を付いて瞳を合わせる。
「明はさ、泣いてたか?」
「……ああ、あの人は泣いてた」
ぽつりと零れた問いかけに、答える男の顔が歪む。悲哀と、無力と、不甲斐無さに。
ぎゅうと拳が握られた。俯けた顔から、震える吐息が吐き出される。ギシリ、と歯を噛み鳴らした。
「大切な宝物を壊された子供みてぇに泣いて……泣いて、泣きじゃくって……心が壊れちまう寸前だったよ。黒麒麟が側に居たおかげで立ち直ったように見えたが……日常に戻ったら絶対に思い出して狂うかもしれねえんだ」
「……そうか」
泣いていた彼女の側には、黒が何も言わずに寄り添っていた。
励ましもせず、彼女が吐き出す言葉の全てを受け止めて、ただ隣に居ただけ。
一つ一つ思い出を確認して、心の中に生きている彼女を彼に教えて、明は幾分か楽になったように見えた。
それでも、と男は思う。明はもう、一番の救いは得られないのだ。
「……なんで救われねぇ? なぁ、なんでこの家はこんななんだ? 俺らは、あの二人は戦ったぞ? 袁家の為に戦ったんだ。なのによぉ……」
ぽた、ぽたと涙が落ちる。
聞いた話だ。二人の少女の足跡と願い。ただ誰かの為に抗う彼女達を救いたいとは、長く間近で見て来たから思えた事。
それが、自分達が戦った意味が無駄になった。彼女達の戦った意味が無駄になった。信じていたのに味方に裏切られた。その絶望から、もう哀しみを抑えられない。
「あんまりだろぉ……? どれだけ抗っても救われないなんて……そんなのって……あんまりじゃねぇかぁ……。
だからよぉ、ただ言われたままの……あんたら袁家の、道具としてなんて……このままあの人を使い潰させて……たまるかよ……」
もう彼女も、少しだけでも救われていいはずだ。自分達の将は、紅揚羽は虫篭に入れられるべきでは無い。
自分の為に、気まぐれに自由に空を飛んでくれたらいい……張コウ隊の望みは彼女を縛り付ける鎖が無くなることであった。
――本当のこと……なんですの……?
睨まれて、麗羽は漸く事実を受け止め始める。
猪々子と斗詩の言を跳ね除け、自軍の勝利を信じてきた。烏巣壊滅の報せは聞いたがそれすら敵の策だと信じなかった。明の裏切りなど信じていなかった。しかしこの兵士の物言いは真に迫り、表す感情は嘗ての仲間に向けられている……否、自分達を倒すべき敵として見ている。
だらりと、両腕を力無く下げた。いつものように片手の甲を頬に当てる事も、不敵に笑う事も出来ず、優美な姿は作れない。
――そんな……わたくしが……
夕が死んだ原因は何か。思考を巡らせていけば、思い至る。
――わたくしが動いたから……夕さんは殺されてしまった……
慄く唇から出る吐息は熱く、胸にこみ上げる感情は瞬く間に脳髄を埋め尽くす。
彼女は最後の軍議で涙を零した。聡い彼女が袁家のやり口に気付いていないはずが無い。なら……彼女は麗羽の為に、漸く踏み出せた一歩が絶望の始まりだと感じさせない為に何も言わなかったのだ。
麗羽が麗羽として胸を張れるように、決して否定を混ぜずに。明が自分の事を無理やり連れ出して麗羽達であろうと切り捨てると分かっていたから、助けを求めることすらせずに。
――これが、袁家。こんな家……存続させる事に……なんの意味がありますの……?
足掻いても足掻いても救われない。人形のようにいう事を聞いていればいいだけの、利用されるだけの関係性を常に強いられる。
麗羽は自分の血を呪った。そして、自分の無力さを呪った。
そこまで頭は悪くない。だから、この家が腐れてしまった漢と同じだと知っている。こんな事を繰り返すくらいなら……いっそ自分が壊してしまえばいい。そう思う。
胸にぽっかりと穴が開いていた。自責の刃が、麗羽を責め立てる。泣いてしまいたいのに泣けなかった。ぐちゃぐちゃに乱れた思考が、心の中をかき乱していく。
何も言えない麗羽を別に、猪々子は泣き崩れた男に話し掛けた。
「うん……分かった。あいつは、もうあたい達とは戦ってくれないんだな」
「文醜様よぉ……あんたが一番、あの人と仲良かった、だろ? もう、戦わないで、くれねぇか……?」
無理矢理一緒に居て、傍に行って、そうして明と仲良くなろうとしてきたその姿を、男は何度も見ていた。
ぐ、と唇を噛んで、猪々子は耳を傾ける。
「きっと、心の底では、あんたとは戦いたくねぇと、思うんだ。だから……頼むよ……これ以上、あの人を悲しませねぇでくれ」
戦をしている。例え友であろうと、どれだけ仲良くとも、殺し合いを始めてしまったら……敵として立ちふさがるなら殺さなければならない。
只々明の心を思う男は、麗羽や斗詩の事など関係なく、戦の利害よりも彼女の事を考えて言葉を綴った。
「……無理だ。あいつが姫と斗詩を殺そうとするなら、あたいはあいつとだって戦うし、止まんないってんなら……殺す。この命を賭けても」
不思議だった。
哀しさはあっても、自分が守りたいモノの敵になったのなら、明と戦うのも仕方ないと割り切れた。自分の命を賭けてでも、投げ捨ててでもこの二人を守りたい、と。
昔ならこうではなかったとだろうな……と猪々子は笑いそうになる。彼女の心は徐州のあの時、黒麒麟の身体最精鋭と戦った時から変化している。
この追い詰められたこの状況で、自分の命を度外視出来るようになったのだ。他の誰を切り捨ててでも彼女達の幸せを優先するようになった。
頭が冴え渡る。明とは違って自分の大切なモノはまだ生きているという事が、彼女を絶望の底から掬い上げた。
「……っ……あの人はなぁ! もう助からないからって田豊様に望まれてっ……自分の手で殺したんだぞ!? それでも戦うってか!?」
驚愕に目を見開いたのは三人共。
なんという事を……麗羽の口から無意識に零れた言葉は、男に睨みつけられて止まる。
しかし、猪々子は眉を顰めてから、答えを返していった。
「そうかよ。でも……あたいは戦う」
「なんで、だよ……」
「明にとって夕が大事だったように、あたいにとっても姫と斗詩が大事だからだ。殺させたくないんだ。確かに明だって友達だと思ってる。けど……それ以上に……この二人はあたいの大切な人なんだよ。
だから、お前の願いは聞けない……ごめんな」
嗚呼、と二人から嘆息が漏れでた。
一番仲良くなりたくて、ずっと明に関わってきた彼女が自分達の為に殺すと言う。その背中は、必ず守ると無言で伝えていた。
哀しくてしかたないのに、歓喜が浮かぶ。二律背反の感情の板挟みが、優しい二人を昏く苛んで行く。
茫然と、男は猪々子を見つめるだけしか出来ない。
何も言っても変わらない。自分達の掲げる将と同じなのだ。どんな事をしてでも二人を生かそうとする彼女は、男の言葉程度ではもう揺らがないと分かってしまった。
彼女が自分達と同じだと理解し、乾いた笑いを漏らして、男は涙を頬から伝わせた。
「……あの二人をもっと早くから、あんたの守る範囲に、入れてくれりゃあ、よっかったのによ……そうすりゃあの人は、きっと裏切らなかったぜ」
「……かもな」
「はは……」
打ちひしがれるまま、男は猪々子を憎めずに、頭を垂れて崩れ落ちる。
「なんで……こんななっちまったんだろうなぁ……」
天幕の中に呟かれたその一言が、彼女達三人の胸にキズを一筋付けた。
麗羽は自身の臆病さを呪い。
斗詩は自分の非力さを呪い。
猪々子は……不知で過ごしてきた過去を戒める。
しかして、薄緑色の髪を揺らす彼女だけは、いつも通り前向きに未来を見据えていた。
――なぁ、明……やっとお前の気持ちが分かったよ。あたいはあんまり頭良くないからさ……剣と剣を合わせて、ちょっくら話しようぜ。
ただ大切な人を守る為に。そうして彼女の心は……黒の部隊と同じように真っ直ぐ狂い始めた。
†
吹き荒ぶ風は轟々と音を立て、棚引く牙門旗は堂々と揺れ動く。
官渡と陽武の中間、広く開けたこの場所で相対するは蒼紺と金色。
片や、糧食の壊滅と分けた部隊の敗北によって士気が低く、されどもまだ数としては勝っている袁紹軍。
片や、白馬での勝利、延津での引き分け、官渡での三度防衛、辛い所はあったモノの、烏巣への強襲成功と立て続けに良い結果を治めて士気高く、未だ数で負けていようと勢いに乗る曹操軍。
ただし、曹操軍は見るからに数が少ない。全軍を結集した数とは、誰も思えない程に。
絶影と名付けられた名馬に跨り、二つの螺旋が揺れ動く。冷たい風が心地よかった。
気分がいい。背中を推す配下の気概の高さも、乱世の悲哀と歓喜を綯い交ぜにしたこの空気と自分の心も。全てが華琳の胸を高鳴らせていた。
王佐の哀しみは彼女の力となった。勝利を得ずして、どうしてその想いに応えられよう、と。
――私の前に立つ者は相対するに相応しいか、否か。願わくば抗う強さ持て。虚飾と傲慢の崩れた……孤独にして臆病な王、袁本初。
たった一頭で進む先には……豪著に金髪を幾重にも巻いた敵で、嘗て机を並べた友。
策はあれど直ぐに戦は始めない。最終局面を飾るのは語らいからにしよう、と華琳は決めていた。
「久しぶり、とでも挨拶しておこうかしら、麗羽」
凛、と耳に良く通る声が渡される。さも日常会話の如く。
近付けばよく見える表情に、華琳は僅かに目を細めた。
化粧で隠しても分かる赤く腫らした瞼が、麗羽の哀しみを物語っている。それでも、麗羽は不敵に笑っていた。軍を率いる袁家の当主たらんと示す為に。
――その姿に称賛を。腑抜けていたなら直ぐに引き返そうと思ったけれど……少しだけ話をしましょうか。
内心で褒めて、じっと見やる。ふ……と漏れた吐息はどちらも同時。
「お久しぶりですわ、華琳さん。よく此処までよく戦った、と褒めて差し上げましょう」
物言いは上から目線で、格下のモノを扱うように。ずっと麗羽はそうして、王の仮面をかぶり続けてきた。
虚飾と傲慢に彩られる袁家の主。自分は本当は弱くて臆病な女だとは、誰にも見せて来なかった。
しかし……王佐の喪失と臣下の裏切りは、彼女にとって大きすぎる衝撃で……自分の家にはもう、誇りなど感じない。
後悔と自責に泣き腫らした夜を越えて、せめて彼女の望んだ勝利をと願い、恭順を是としない。それが麗羽なりの、夕への手向け。
聡く見抜いた華琳は小さな苦笑を漏らした。
「ふふ、そうね。私の臣下達は良く戦ってくれた」
「自分は何もしていない、と言いたげですわね。……珍しいこと。あなたが自分から誰かに任せるなんて……そんなに黒麒麟がお気に召しているとは思いませんでしたわ」
「アレが居ようが居まいがあなたは負けたわよ。己が王佐に、大切なモノを切り捨てさせられなかったのだから、ね」
瞬間、麗羽の見せていた不敵な笑みが抜け落ちる。
華琳は獰猛な光を目に宿してより一層笑みを深めた。
「休ませようとしたんでしょう? 心を気遣ってやったんでしょう? 救いたいと願ったんでしょう?」
「な、何を……」
「勝利の為にと部下が献策した策を信じるのは確かに正しい。けれど……部下の心を思いやる余り私情を優先させるのは間違い。あなたはそれが分からなかった、と言いたいのよ」
華琳が麗羽の立場であったなら、夕にこの戦の行く末を見届けろと言うだろう。油断も慢心もせず、勝利の為に今は耐えよ、共に戦え、と。
「あなたは最後の最後で自分の欲に縋りつかなかった。田豊は“袁本初”では無く“麗羽”の忠臣であろうとした。その差異は小さく思えるけれど……大きいのではなくて?」
「……っ」
麗羽は悲哀に震えた。正しく、心の奥底まで。
夕の命を追い詰めたのは間違いなく自分が助けたいと願ったからだ。優しい心を持たなければ、言いなりの傀儡のままであったなら、夕は死ななかった……かもしれない。
もしもの話だ。しかして麗羽は始めて自分から動いた事が重なって、後悔を覚えずにいられない。たった数日で割り切れるほど、強くも無かった。
心の弱みを見せたなら、華琳は容赦なく抉り抜く。
「その選択はきっと、人として正しいのでしょう。他者を思いやる心は美しい。己が身を犠牲にしてでも誰かの幸せを願う姿は儚くも綺麗で惹きつけられる。手助けをしたいと願う事は普通の事で、誰もが優しいと褒めるでしょう。
けれど、覇の道を進む王としては足りえない。どれほど部下に憎まれようとも、その者の身命のみならず、大切なモノを自分の勝利の為に捧げさせられなければ……私には届かないのよ、麗羽」
桂花と夕、二人の王佐をどう扱うかでこの戦は決まった。
麗羽は夕の心を優先し、戦を自分に任せてくれと思い遣った。
華琳は桂花の願いを選別し、戦を自分と共に終わらせようと気遣った。
二人の王佐はどちらも主の為を考えて策を出し、主は各々を信じ抜いた。
違いがあるとすれば非情になれるかどうかだけ。優しさを切り捨てて、先の世を作ろうと動いたかどうかだけであった。
何も言えない麗羽に、華琳は目を細めて笑みを消す。
また一つ、小さな吐息を漏らした。これなら仮面を被っていた、バカに見える麗羽の方が戦い甲斐があったのではないか、と言いたくなる。
――自分の欲を優先する偽りのあなたの方が勝ちに近付けたとは……皮肉なモノね。
もう言うべき事は何も無い。彼女の拠り所は壊された。作られた自信も、手に入れた勇気も、せめて勝利の為にと被った王の仮面も……麗羽は全て失った。
冷たく、アイスブルーの瞳が輝く。嘶く風が華琳の背から轟と吹いた。乗せられる覇気は甚大。王としての優劣は、この時既に付いていた。
華琳は鎌を一振り。彼女の頸を刈り取らんばかりに、大きく振り抜いた。
「もはや言葉は不要。袁本初……袁家当主ともあろうものが卑怯とは言うまい。我が軍の総力と全ての策を以って……これより袁紹軍を蹂躙させて貰う。
逃げるな、引くな、臆するな。せめて乱世に駆けた勇猛な王としての姿を見せ、勇ましく抗って見せよ」
敵を鼓舞する言は異常に過ぎる。されども華琳らしいと言えばらしい言い方であった。
――生に縋り付こうと逃げるか、それとも誇り持ちて抗うか……どちらにしろ……
「あなたに残された全てを、奪わせて貰いましょうか」
にやりと引き裂いた口で、最後に華琳として言葉を残す。
突撃の合図は無かった。馬を翻して颯爽と去って行く華琳の背を見もせずに、麗羽は手綱をぎゅうと握りしめる。
何も言い返せない。偽りの自分を演じる事もしたくなかった。
――夕さん……わたくしは……あなたに何も返せませんの……?
黒の少女はもう居ない。彼女がくれた勇気は、もう欠片も残っていない。
他者を憎む事が出来ず、自分を信じる事も出来ず、彼女の心の足場は崩れ去った。
例え両腕たる二人が励まそうと叱咤しようと……袁の自分を憎んだ彼女は、戦場に相応しい王ではなく、ただ一人の弱い人間でしかなかった。
魂が抜けたように力無い麗羽の代わりに猪々子と斗詩が兵を鼓舞し、陣形を配置して一刻、銅鑼の音が鳴る。笛の音が鳴る。雄叫びが遠くで幾重も聴こえた。
総力を以っての言葉通りに、官渡の戦いに赴いた全ての部隊が……袁家を殺さんと四方十面から現れる。まるで乱世に於いて周り全てが敵である事を表すかのように。
決戦を決めた時点で彼女達に逃げ場など残されていなかった。
そして先頭を切るのは……袁家を誰よりも怨んでいる、此処からは遠き大地、幽州の兵士達であった。
後書き
読んで頂きありがとうございます。
今回は分けました。
週一が間に合いそうにないので。
ではまた
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