【短編集】現実だってファンタジー
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虫を叩いたら世界は救われるか検証してみた・波の章
ぶぅぅぅぅん……と、右から左へ変な羽虫が通り過ぎる。
しばらくしてぶぅぅぅぅん……と、今度は左から右へ同じ羽虫が通り過ぎる。
この羽虫が何という生物なのか、名前は知らない。だがこいつらは春夏くらいに家のどこかで繁殖して、こうして意味もなく人の近くを飛び回る凄く迷惑な奴等だ。ハエ叩きで潰すと鱗粉みたいなものが付着していたのできっと蛾の仲間なんだろうと思う。
しかし、こいつらが周囲を飛んでいるとどうにも気が散ってしまう。こちとら受験生なのだ。参考書とにらめっこしている最中にこうも視界をふらつかれては集中できない。
イライラしたぼくは、ちょっと良くないかなぁと思いつつもその虫を叩き落とすことを決めた。殺生はよくないが、これもぼくの未来の為だ。
虫が目の前を通りかかったそのタイミングを目で測りながら追って――
「てやっ」
ばちん!と音を立てて両掌が衝突し、見事に虫を圧殺した――かに見えた。
だが、掌を改めて覗き込んだぼくは「あれ?」と首を傾げた。
その手にあいだに、潰したと思った虫の姿がなかったのである。慌てて周囲を見渡すが、どこにも飛んでいる姿は見当たらない。
「おかしいなぁ……?確かに捉えたと思ったんだけど、潰れてないや。外しちゃったのかなぁ」
――この時、受験生の両掌はある力を覚醒させていた。
それは、右の掌と左の掌を合わせる合掌の形を取った時に発生する能力――「三千世界」。
右手に宿る「仏の威光」と左手に宿る「人の意思」、概念と実態を重ねあわせたその両手の間には小宇宙が発生し、手と手の間に出現した僅か表面積約100㎠の小さな世界に挟まれた物をホワイトホールへと送り込む、仏の御業である。
しかもそれは当然として発生する物ではなく、両掌が強く衝突した瞬間に生まれる運動エネルギーをトリガーに発動し、手の平の面積で包みこめる大きさのものしかホワイトホールに送ることが出来ない。送り出された物質は時間と空間を越えて、あるべき場所へと送り出される。
因果律の定めた運命の場所へと、彼の羽虫は送り出されたのだ――シャンバラの礎となるために。
= 同刻 欲界第一〇九七世界 『剣と魔法の世界:魔法科学暴走類型』 =
その冒険者は、目の前の狂気に憑りつかれた魔導学者を止めようと必死に戦っていた。
このような状況に到った経緯を思い出し、彼は「我ながら大冒険をしたものだ」と呆れる。
オーセニ大陸最大の国力を誇る巨大国家、アーリアル王国第三階級地域で生まれた彼は、それまでずっと冒険者として対外的な冒険を続けていた。様々な出会いと別れ、心躍る冒険に背筋の凍る強敵など、様々なものと出会ってきた。
だが、彼が外国を渡り歩いて母国へと帰ってくると、母国は様変わりしていた。
急激に腐敗した王国騎士団。理不尽なまでの第二から第五階級への圧政と差別。挙句、海外で捉えた兵士や攫った女子供を奴隷のように扱う役人や憲兵団たち。
身分の差はあっても皆助け合い、密接にかかわりあって生きてきた美しい国家は、見るも無残な恐怖政治に塗り替えられていた。
彼はそこで王都から逃れた姫と出会い、彼女を守ろうとしてなし崩し的に王国の後継者争いに巻き込まれることになった。
途中で起こる嘗ての旧友との敵対。思わぬ再会と、別れ。そして王国兵が使用する命亡き兵士『骸装鬼兵』の謎。真実を求めながらも姫を助けてくれる人間を探し続けるうちに、少しずつ仲間は増え、そこに絆が芽生えていった。
そして明かされていく真実。
この国を動かす元老院、主要な役人、政治家、円卓将軍会議……その9割以上が、死者の肉体を強制的に禁呪で操られた傀儡へと変わっていたのだ。正者と死者の狭間、無限地獄を彷徨う中で精神を崩壊させられたそれらを操る存在が明らかになった時、彼らの冒険は終局へと向かっていった。
犯人は、王立研究アカデミーから禁呪で全てを操り、この国を滅ぼそうとしていたのだ。
その男――王族の血を引きながらも捨てられ、全てを恨んだその科学者は。
「くはははははははッ!!どうした冒険者たちよ!疲労の色がじわり濃くなっているぞ!?そのまま倒れてくれると我が崇高なる目的を楽に達成できると言うものなのだがなぁッ!!」
一体どのような人生を送れば、このような事態を引き起こすほどの憎しみを募らせることができるのか。王族の立場を追われ、第五階級まで落とされただけで、人間はこれほどに全てを恨めるものなのか。
『クルシイ……クルシイ……シナセテ、クレェ……!!』
『ニクイ!!セイジャガ……クサラヌニクタイガニクイ!!』
『イヤダヨォ……カラダヲ、カラダヲチョウダイ……!』
骸装鬼兵――意志を持った死体。既にもう生身の人間には戻れないにも拘らず、脳の活動が停止していないばかりに記憶や人格を失えず、ただ術者に強制的に操られる。肉の檻に囚われたその兵士たちが、次々に襲いかかる。その中には女性や子供など、明らかに兵士ではないものまでも混じっていた。
耳を塞ぎたくなるような怨嗟の呪言と、助けを求める悲痛な声。冒険者たちに出来るのは、彼らをこれ以上苦しめないために脳を破壊するしかない。それは、人間の頭を潰し続けるという余りにも残酷な行動。この男さえ倒せれば骸装鬼兵を止められるのに、止めるために骸装鬼兵を壊さなければいけないジレンマが冒険者たちを苦しめた。
「くそ……!無関係な人間を一体何人禁呪にかけてきた!こんな……何の関係のない人ばかり、子供まで!何がそんなに憎いんだ!」
「全てが」
科学者は、己の復讐計画の要である「アンビショナル・リアライザー」という巨大な装置を愛おしそうに撫でながら、何の迷いもなく言い放った。
「私を捨てた両親が憎い。私に食事を作っていたのに助けなかったコックが憎い。執事が、庭師が、乳母が、使用人が、憲兵が憎い。私をけがらわしい手で触れ、けがらわしい食事を与えた第五階級の浮浪者が憎い。気安く話しかけてきた隣人が憎い。私に勉学を教えた教師が憎い。同期が……教授が……道往く下層階級者の全てがけがらわしく、醜い。我以外の全てが――思い通りにならない世界が憎い!!」
「なら……何故姫は生かして逃がした!血筋を継ぐ者を憐れんで敢えて逃がしたのではなかったのか!?」
「そんな低俗な作家が作った粗悪な三文芝居で我の心を推し量るなッ!!我がこれほどに苦しんでいるのに、そんなことも知らずにのうのうと生きながらえてきた下らない小娘に、殺す理由を欲しただけのことよ!ただ藁のように薙ぐのでは我が心は潤わない……全てを失い!穢れ堕落し!苦しんで苦しんで苦しみ抜いた果てに絶望する顔を晒し、我に懇願したときに初めて!!あの小娘に殺す価値が生まれる……!!そして名もなき冒険者よ、その絶望のトリガーはお前だッ!!」
既にアンビショナル・リアライザーは稼働しかけていた。地殻から大量に湧出する根源霊素エーテルを魔術で強制変換し、最高純度を誇るエーテライト結晶に生成し直すこのアンビショナル・リアライザーが発動すると、この装置は爆発的なエネルギーで禁呪を強制発動させる。
発動した禁呪の効果範囲はこの国家が全国に張り巡らせたインフラレート・パイプを媒介に首都より外の全てのインフラ設備を通してこの国に噴出し、禁呪は姿の見えない悪魔としてこの国の全ての人間の命へと死神の鎌を差し向ける。
禁呪が広範囲で発動すれば、発動範囲内にいたすべての人々が苦しみにもがきながら死に絶え、その骸は例外なく骸装鬼兵のような操り人形として死ねない牢獄に閉じ込められる。装置の発動範囲は――王国全てを包んでいた。
「くはははははは……!いいぞぉ、いいぞぉ!!この塵ひとつの不純物さえ許さないエーテライトが生み出す莫大な魔力が臨界に達した時、この国は我の国になる!!全てが我の思い通りになる永遠の理想郷へ!!魔力がある限り民も兵も老いることなく、他国への侵略を躊躇う事もなく!!我だけが至高の高みへ!究極の勝者へ!!世界の中心――神域へ至る!!!」
「何が神だ、何が究極の勝者だ!!馬鹿馬鹿し過ぎて笑えてくるぜ!てめぇは一生誰にも尊敬されることもなければ上に立つことも出来ねえよ!」
「凡俗め……!無知もここに極まれば喜劇だなぁ!尊敬などという言葉が出てきた時点で貴様は我が思想を一かけらも理解していない!」
「理解してもらうつもりもないくせにッ!!今の今まで本心を隠し続けて、他人の一人も受け入れず、認めることさえしようとしない!!王!?高み!?勝者!?挙句に神域!?一体どこのだれがそれを認めるって!?お前が操る骸装鬼兵で自作自演の一人劇場だろ!満足したいんなら頭の中でやるんだなッ!」
覇道と呼ぶのもおこがましい。目の前の男はただ自分が受け入れられないのが気に入らなくて暴れる駄々っ子そのものだ、と冒険者は思った。その癖をして他人を受け入れることをしない。きっと他者を一人でも受け入れられたら、あいつはこんな馬鹿な事をやらなかったろうに。
冒険者は、憐れむような目で研究者を侮蔑した。
「――お前さぁ、トップに立つ器じゃねえよ。駄々をこねるだけならガキでも出来る。その先に一歩踏み出せなかったから、お前は捨てられたんじゃないのか?」
「き、貴様ぁ……!!貴様もそれを言うかぁぁぁぁッ!いいだろう、貴様から血祭りにあげてやるぅぅぅぁあああああああ!!」
エーテライトのエネルギーを自在に抽出できる科学者の狂気と、それをこの国から振り払おうとする冒険者の剣が真正面から衝突しようとしていた。
――そのエーテライト生成シリンダーの中に、運命の門が開く。
エーテルの数百倍の魔力伝導性を誇るエーテライトは、不純物が一欠片でも混ざると全ての素子が崩壊し、大気中に全て融け消える。それ程に脆く不安定な存在が生成されるシリンダーの中に――極小のホワイトホールが開いた。
そしてその中から現れたたった一匹の羽虫が、その男の覇道の全てを奪い去る。
変化は劇的。羽虫という不純物が混ざったことで、エーテライトは驚くほどにあっさりと素子崩壊を起こし、シリンダー内の結晶に罅が入る。そして、ぱりん、と小さな音を立てて弾けた。
「…………………………は?」
「え?」
二人が呆然と見つめる中で、その結晶は驚くほどにあっさりと崩れ去った。
急激な体積変化を起こしたエーテルは瞬く間にシリンダー内の密閉空間が耐えうる強度を越える勢いで膨張し、そして男が人生と心血の全てをつぎ込んた覇道と復讐のアンビショナル・リアライザーは、時空を揺るがすほどの大爆発を起こす。
薄く光るエーテル光の奔流に冒険者は包み込まれ――そこで冒険者の意識は一瞬途切れた。
やがて、床に倒れ伏していた冒険者は地面の感触に不快感を覚え、ゆっくりと体を起こした。
「あれ、俺……」
死を覚悟したにも拘らず、起き上がった時の冒険者の身体は怪我ひとつ追ってなかった。周囲を見回すと、骸装鬼兵が倒れ伏している。爆発によって禁呪の術式が崩壊し、全ての死者は肉の檻から解放されていた。
全ての悲劇の元凶である科学者は、装置の至近距離からの爆発に全身をズタズタに引き裂かれ、何が起こっているのか全く理解できないといった表情を浮かべながらこと切れた。
――最後まで、この男は何一つ理解することが無かったのか。
この男の罪は未来永劫許されることはないだろうが、冒険者は男を少しだけ憐れんだ。
不思議な事に、爆発の破壊力は冒険者とその仲間たちには一切影響を及ぼさず、彼らは諸手を挙げて「奇跡が起きた」「奴は自滅した」と自分たちの生存を喜んだ。
「いったい何が起きたんだろうな……こんなにぶっ壊れちゃ真相を探ることも出来ないぞ」
唯一人、この動乱の中心人物となり姫を守る為に何故か騎士にまで出世してしまった冒険者だけは納得しきれていなかった。科学者は狂気に満ちた男だったが、それ以上に優秀な術師にして科学者だった。彼の所為で起きた故障や事故だとは、冒険者には思えなかった。
だが、彼のそんな悩みも直ぐに消え去る。
彼の後ろから、聞き慣れた女性の声が聞こえてくる。
高慢ちきで我儘なくせに甘えることだけは一人前で、散々苦しみながらも前へ進み続けたその少女は、冒険者が助けた姫だった。彼女の瞳には大粒の涙が浮かんでおり、何度も何度も冒険者の名前を叫びながらこちらに走り寄ってくる。
一緒に怒り、一緒に泣き、時には折れそうになりながらも支えあった少女。
冒険者がこの世で唯一ひとりだけ愛を誓ったその姫の目が冒険者を捉え、姫は一直線にその胸に飛び込んできた。
タックルのようにぶつかった彼女は夢中で冒険者を抱きしめ、「二度と離さないから、二度と離れないで」と、今世紀一番の我儘を口にした。その言葉がどういうことかを察した冒険者は――
「――まぁ、いっか」
冒険者は、そのどこまでも甘えん坊なお姫様の華奢な体を抱擁で迎え入れた。
数か月後、アーリアル連合王国は直接民主制国家「アドヴェンティア」として生まれ変わる。
アドヴェンティアの治世に置かれたその国の首都にいるべきだった二人の男女――冒険者と姫は、そこにはいない。
何故ならば冒険者は冒険者であり続け、一カ所に腰を据えるには早すぎるから。
そしてその冒険者の隣には、姫を辞めた新たな冒険者が幸せそうに並んでいたという。
エーテライト結晶の崩壊に伴う大爆発は、世界に小さな穴を空けた。
三千も連なる様々な世界の一つで発生したその波動は、時空を揺るがし、別の世界へと波紋を広げた。
後書き
なので、次に続く!
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