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トワノクウ

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トワノクウ
  第十九夜 夢と知りせば覚めざらましを(一)

 
前書き
 少女 と 猫妖精 

 
 せっかく梵天の口から頼まれたのに、くうは夜になっても良策を思いつかなかった。

 くうは塔の露台に出て、欄干にもたれてはふうと息をついた(くうが借りた部屋は四階にある)。空はすっかり群青に染まり、満天の星が瞬いている。

(きれいだなあ――)

 夜気を肺いっぱいに吸い込む。昼間の暑さと打って変わって冷たくのどを刺激するが、いやな刺激ではない。スモッグ混じりの空気しか知らないくうには、森の空気は極上の香水に勝った。

(夏の昼と夜でこんなに空気が違うことも、おいしいことも、太陽の光の白さも、暑さも、ここに来るまで知らなかった。バーチャルの中でしか体感してこなかった。本当に私は物知らずだった)

 また落ち込む。くうは俯き――地上の光景に固まった。

 大きな獣らしきものが二足で立っている。その獣の後ろには粒のような小さな獣がたくさん。

(あ、妖、何であんなにたくさん……梵天さん?)

 塔から梵天が出てきた。縮尺的に、梵天が点だとすればその獣は丸で、獣の後ろに並ぶ者たちは鉛筆の先端を紙にちょんとつけた程度の大きさしかない。

 大きな獣が梵天にお辞儀したように見えるが、遠目で分からない。くうは欄干に腹を引っかけて身を乗り出した。

(何の集まりでしょうか。穏やかならない訪問だったりしたらどうすれば……ああでもそれならさすがに空五倍子さんもご一緒させるはずですし)

 ああでもない、こうでもないとオロオロ考えていたくうだったが、

(気になるなら直接本人に聞けばいいんです)

 との諦めじみた結論を出し、中に戻って階段から下に降りようとした。

 ――ここで地上まで飛んでいけばいいと余人が言うなら早計だ。潤に付いて戦場に行った時の翼はくうの意思と関わらず出現した。飛翔はくうがコントロールしたが、翼の出し方は実はまだ分かっていないのだ。

(面倒だけどしょうがな……!?)

 戻れない。乳房が欄干につっかえた。きっかけはたったそれだけ。
 濁流じみた危機感の到来と同時、腹を基点としたやじろべえのように、くうは欄干からずり落ちた。

「きゃ、あ、ぁああ、あぁ――――――!!」

 潰れた悲鳴に気づいた梵天や獣妖たちがこちらを仰いだ。

 このままでは頭から地面に叩きつけられる。――また、死ぬ。薫に、潤に、与えられたあの〝死〟をまた体感する。

(いや、いや、いや、いや! ――〝出て〟!)

 その瞬間、くうは圧倒的な意思力でもって、己の肉体に備わった飛行の機能に起動を命じた。

 ばさっ。

 背中から飛び出した純白の翼。骨を揺さぶる勢いで身体の上下が逆転した。衝撃で帽子が落ちていったのを、どこか遠い出来事のように見ていた。
 今度は飛翔のほうがくうの意思に関係なく行われた。翼は生への希求に従って羽ばたき、くうをゆったりと地上まで運んだ。

 降り立ったくうを迎えたのは梵天だった。梵天が、硬直したくうの手を取った瞬間、くうの肉体に重さが戻ってそのまま梵天の両腕に落ちる形になった。

「やれやれ。動き回る分、母親よりタチが悪い」

 梵天は、くうにも分かる形で、安堵を浮かべていた。

 くうは梵天に助け出された夜のように、彼の首に腕を回してしがみついた。

「怖、かった、です」

 素直に認める。死という恐怖ではない。己の肉体がいつからか大きく変貌していたと自覚した。そして、自分が篠ノ女空でない怪物になった気がした。その、恐怖。

「私、ほんとに妖になって、しまってたんですね」

 くうは込み上げたものを削いで言語化した。顔を押しつけて隠したのは、梵天に弱々しい娘だと思われたくなかったからだ。

 すると、梵天はくうを地面に下ろして。

「すぐに慣れる必要はない。要は自分が何者かを見失わなければいいだけだ」
「それは、身体がこんなでもくうは人間だと信じる、ってことですか?」

 朽葉が混じり者でありながら人間として生きようとするように?

「君が人か妖かは君自身が判断すればいい。考えることを放棄してしまえば、己の形さえ見失ってしまうよ」

 梵天の言葉は真理に聴こえた。人と妖という枠組みを外した判断は難航が予想されるだろうが、梵天が言うならやってみる意味は絶対に大きい。

「ありがとうございます。まずは混乱しないことからやってみます」

 この翼はなに? 翼を生やすこの身体はなに?
 そんなことを問うのではない。翼を持つ身体を持った自分は何か、なのだ。

 
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