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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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第33話 決められた天秤

 
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。

これでフェザーン編はオシマイです。 

 

 宇宙歴七八七年七月~ フェザーン


 男という生き物には「格」がある。

 人格、風格、体格……いろいろあるが、結局は分野別の序列付けだ。誰は誰より●格が上である、そういう使い方が一般的だ。

 そして今、俺の隣に座る巨漢にしてフェザーン自治政府高等参事官アドリアン=ルビンスキー。

 並んでフェザーン人が評せば、一〇〇人が一〇〇人して俺よりルビンスキーの方が、格が上だと言うだろう。地位にしても、資産にしても、体つきにしても、そして人間としても。年齢は三二歳。俺より九歳年上のはずだ。だが身に纏う覇気は年齢以上の差を感じさせる。

「どうした。大尉。飲まないのか? 毒など入ってはいないぞ」
「この店の品物に毒が入っているとしたら、とうに死んでいます。高等参事官殿」
「おやおや、一〇ヶ月前のことを忘れたのかな。『ヴィクトール』」
 ルビンスキーの声は聞くだけで人の腹を振動させる。薄手のカットソーにサマージャケットの姿は、いつもより威圧感をまき散らしている。幸いボックスソファーの方に背を向けているので、気がついている者はいないようだが、トイレに立つため脇を抜けた中年の商人が顔をチラ見してギョッとしたので、この店から客がいなくなるのは時間の問題だ。

「高等参事官殿をお名前で呼ぶのはさすがに恐れ多いですから、それは勘弁していただきたいですね」
 ウィスキーで喉を灼いたお陰か、かろうじて俺の舌は心臓の鼓動と比例せずに済んだ。
「それにしてもこのような場末の酒場に足をお運びになるとは驚きです」
「運ぶとも。足を運ぶ手間より利益になるのならば」
 さも当然という口調。ルビンスキーは最初にグラスを掲げてからずっと、グラスの中の氷を見下ろしている。
「ここでは火曜日と金曜日、酒を飲むだけで同盟の話が聞けるらしい。しかも囁くのは歌の上手い赤茶色の美女と聞く。彼女がどういう伝手で同盟の情報を手に入れるかは知らないがな」

 俺を横にしてルビンスキーはそう呟く。ドミニクの情報源が俺と知ってこの店に来たのは言うまでもない。だからこそ奴に、正直に応えてやる必要はない。
「この店の酒は逸品揃いですよ」
「ほう。君は彼女が逸品ではない、と言うのかな。大したものだ」
 絶妙な返しに俺は奥歯で歯ぎしりすることしか出来ない。そしてどうやらボックスソファーにルビンスキーの来店は伝染したようで、こちらを伺うような視線と気配が次々と俺の背中に突き刺さる。ドミニクがその気配をすかさず感じ取って、自然な動きでステージへと上り歌い始めるが、来客の緊張感をほぐすには至っていない。

 そして三〇分もしないうちに店内は俺とルビンスキー、そしてドミニクとドミニクの叔父を残して空っぽになった。トイレに立つふりをして、ドミニクが俺に心配そうな視線を向けるが、俺は『近寄るな』と眉をしかめる事で合図すると、ボックスソファーの片付けに戻っていく。

「愛とか恋は幻想の代物だと、君は知っているか?」
 ルビンスキーの奇襲に、俺は首を意識的にゆっくりと回し、大きな顔を睨み付ける。ルビンスキーは俺の視線などまるで気にしない。ゆっくりとグラスを傾けてウィスキーを太い喉へと流し込んでいる。明らかに俺の返答を待つ態度だ。応えてやらねば、聞き耳を立てているドミニクもドミニクの叔父も失望するだろう。
「幻想という言葉は実に高等参事官らしいお言葉です。閣下は愛も恋も信じた事がないのですか?」
「信じるという言葉も幻想だな」
「……閣下は悲観主義者でいらっしゃるのですか?」
「君ほど楽観主義者でないことは確かだな」
 そう言うとルビンスキーは鼻で笑う
「仮に君の言う愛が現実にあるとして、君は彼女を幸せに出来るのかね?」

 それは言われるまでもなく、俺がドミニクと『そういう』関係になってからずっと考えていたこと。だがルビンスキーは容赦しない。
「まず彼女の幸せというものを考えてみよう。彼女には両親がない。心優しい叔父さんはいるが、年老いて将来が心配だ。とりあえず来月にはデビューも決まった。歌手としての一歩を踏み出せる。踏み出すことは出来るだろう。さて、売れるかな?」
 俺が顔色を変えなかったのを誉めてほしいと、今ほど思ったことはない。ルビンスキーがこの店に訪れた時からおおよそ予想していたとはいえ、この男の声で聞かされると改めて胃が縮んでいく。
「……フェザーンの遣り口は十分承知の上ですよ」
「君が彼女を連れて同盟に帰ったとしよう。フェザーンの美しく聡明な女性をボロディン家は歓迎するだろう。だが統合作戦本部はどう思うかな? 果たしてグレゴリー=ボロディン少将を中将に昇進して良いものだろうか」
「子供の罪が親に伝染するほど、同盟の法体制が揺らいでいると思っておいでなら、勘違いも程々に」
「法が揺らいでいるとは考えてないさ。揺らいでいるのは常に人間の方なのだからな」
「……」

 それが真実であることは承知している。法は健全でも恣意的な運用はある。グレゴリー叔父がいくら有能で、誠実な軍人であろうと敵はいる。軍の出世レースは常に過酷だ。

 そしてドミニクは俺と一緒に同盟弁務官事務所のカメラに写っている。優秀な同僚がその内偵を進めているのは間違いない。この店の事ももう承知しているだろう。ただこの店に俺も顔を出していること、そして先の会戦で有効な情報を提供できたことで、この店とドミニクの存在は同盟に利するものとして考えている。ドミニクがフェザーンを捨てて同盟の人間となっても直接危害を加えられる恐れはほとんど無い。

 だがフェザーンで情報工作を担っていた人間が、同盟の軍人の家族となることを軍部や情報機関は深く警戒するだろう。しばらくは監視の目がつく。そしてグレゴリー叔父の競争相手にとって見れば、小さいながらもスキャンダルの種になる。花を咲かせるかは分からないが、可能性は充分すぎるほどに。

 そして連れて帰った俺はどうなるか。士官学校首席卒業。二年で大尉。速い出世であることは否定しない。だが原作通りなら帝国領への侵攻まではあと九年。それまでに戦略を左右できる地位にまで昇進できるか……まず無理だろう。そうなると同盟を救うには金髪の孺子を早々に殺すしか選択肢がない。

 いいや、すぐに連れて帰る必要はない。勿論『愛は不滅だ』とは言わない。置き去りにされたとドミニクが考え、心変わりする事もあるだろう。前世でも遠距離恋愛の成立が困難な事は承知の上だ。だが俺が昇進し、帝国領侵攻を阻止できれば……いつでもドミニクを同盟領に呼べる。俺が希望を僅かなりとも取り戻したタイミングだった。

「そうだ、これも君には言っておかなければならないな。昨夜のことだが、ボルテック対外交渉官がアグバヤニ大佐と会ったそうだ。君のことも話題に上ったそうだぞ」

 そう言いながら、何の話題かまでは言及しない。ボルテックに問えば、それは同盟弁務官事務所駐在武官の間で情報の齟齬が生じていることを公にするようなものだ。逆にアグバヤニ大佐に問えば、既に俺とドミニクの関係を知っているであろう大佐は俺に疑念を持ち、何らかの行動をとることだろう。泰然自若として無視する。それしかないが……やはり大佐は黙っていないだろう。

「守るものが多いというのも大変だな」

 それはルビンスキーの勝利宣言だった。俺が自らの身の程知らずと無謀さと愚かさを痛感し、背を丸めて両拳をカウンターテーブルに押しつけるのを見て、ルビンスキーは再び鼻で小さく笑うと席を立って店を出て行こうとする。
「ルビンスキー」
 俺は自分の腹の中から勝手にわき出る感情に身を任せた。
「今の俺には才能も実力も覇気もないが、時期を待つという事は知っている。あんたはいつか自分の身の丈以上の欲望に溺れるだろう。気をつけるんだな」

「……なるほど。心しておこう」
 胡桃材の扉の前で足を止めて首だけ振り返ると、ルビンスキーはそれだけ言い放ってこんどこそ出て行った。

 扉がゆっくりと閉まり、鈴の音が収まってから、ドミニクは俺の処に駆け寄ってきた。背中越しでも泣いているのははっきり分かる。ルビンスキーの言葉の全てを聞いていたのだろう。言葉に出さなくても、彼女には次にどういう事態が待っているかは理解できている。今あるのは手持ちぶさたというより、ルビンスキーの脅迫を真っ向から受ける形になったドミニクの叔父の、逃げともいうべき食器を洗う音だけだった。

……それからの状況変化は、こちらが呆れるほどに素早いものだった。

 ルビンスキーと会った次の日には、アグバヤニ大佐から呼び出しを受けて、ドミニクとの関係を説明させられた。一通り事実を説明すると大佐は最初こそ頷いていたが、フェザーン自治政府から『好ましからざる行動』と指摘されたことを俺に告げた。
「その女性との関係が悪いとは言わん。君の倫理観に、私は口を出すつもりはない。ただ君がその女性を利用し、同盟に有為な情報を入手した功績はともかく、フェザーン当局はあまり快く思ってはいないようだ」
 いちいち大佐の言うことはもっともでもあり、同時に俺の神経を逆なでさせるものであり、自分の馬鹿さを痛感させるものでもあるので、俺は大佐に何も応えなかった。それが逆に大佐を困惑させたのか、しなくてもいい咳払いをしてから、大佐は書類を開いて俺に告げた。
「駐在弁務官からも君の行動を問題だと言ってきている……残念だが君には転属してもらうことになる。統合作戦本部人事部も事態を憂慮し、一週間後を目処に転属先を連絡するそうだ。それまでは駐在武官宿舎での謹慎を命じる」
「承知しました」
 他の駐在武官も似たようなことをやっているのに、自分だけ処分されるのはおかしいではないか、と抗議するまでもなくあっさりと俺が応えたもので、大佐はいぶかしげに俺を数秒見ていたが、結局追い払うような手振りで、俺に退出を命じた。

 宿舎での謹慎となれば当然ドミニクの店に行くことは出来ない。荷物と資料を整理し、朝昼晩と食堂で食事をし、ただ時間が過ぎるのを待つ。同僚もあえて遠巻きにして近寄ってこない。彼らとて俺と同じような傷を持っている。ただ相手はドミニクのような女性ではなく、もっと欲の皮の突っ張った男であり、『そういう』関係ではないというだけで。

 一週間後、再び大佐に呼び出されると、執務室で俺は辞令を受けた。同盟軍の徽章を頂点に印刷したピラピラの辞令書に記載されていた俺の次の赴任先は、マーロヴィア星域防衛司令部付幕僚。宇宙歴七八七年八月三〇日までに赴任せよとの指示だった。

 マーロヴィア星域はハイネセンから四五〇〇光年。フェザーンからは約六〇〇〇光年。自由惑星同盟きってのド辺境で、ハイネセンからでも余裕で一月以上の旅程になる。それを八月三〇日と断ってまで書いてあるということは、『ハイネセンに寄るな』と言っているに等しい。フェザーンからはポレヴィト・ランテマリオ・ガンダルヴァ・トリプラ・ライガールと少ない定期便を綱渡りしていくことになるだろう。しっかりとチケットが用意されているのは、フェザーン側の配慮かも知れない。

 そのチケットに従い軌道エレベーターで宇宙港まで上り、フェザーン船籍の旅客船に乗り込む前のこと。ふと壁一面に映された映像に目を奪われた。赤茶色の長い髪は繰り返されるフラッシュによって輝きを放ち、きめ細やかな肌はより美しく瑞々しく写されている。腕には大きなトロフィーを抱え、マイクを向けられ笑顔と泣き顔の中間というべき表現しにくい顔をしている。

「三度目の挑戦での頂点、ドミニクさん。今のお気持ちをお聞かせ下さい!」
 アナウンサーの質問に、画面の中のドミニクはなんと応えて良いか分からないといった表情を浮かべた後、「嬉しいです」と応えた。
「では、今のお気持ちをどなたに伝えたいですか?」
 その質問に俺の足は止まり、画面を見つめる。繰り返されるフラッシュの光に目を細めつつ、ドミニクの顔を見つめる。

「……今まで応援してくださった、多くの人達に感謝したいです。とっても」

 そして俺はその言葉を背に、辺境への搭乗口へと歩みを進めるのだった。

 
 

 
後書き
2014.11.01 更新 
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