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【短編集】現実だってファンタジー

作者:海戦型
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虫を叩いたら世界は救われるか検証してみた・霊の章

 
ある世界に住んでいた一人の戦士が放った全身全霊の一撃。
それは雷となって世界の壁を貫き、とある世界に飛来していた。



= 同刻 欲界第二八七七世界 『怪異の世界:悪霊類型』 =



――それは、唯の思い出作りに行なわれた青春の一ページに収まる筈だった。

中学卒業の思い出作りにと、友達の間で集まって行った小旅行。
穴場の観光地だとかいう小奇麗な田舎の村への旅。きっといい思い出になると皆の期待は膨らんだ。
風情のある宿を取って、素朴ながらも味わい深い食事に舌鼓をうって、小さな滝つぼで泳いで遊び……さびれてはいたが、人々の素朴な暮らしが好ましい、そんな村だった。そしてその日の夜に、悲劇は起きた。

「どうして……どうしてこんなことに……なっちゃったん、だろうね」

自分も含めて6人いた旅行メンバーの最後の一人、サクラの亡骸を指でそっと触り、誰に言うでもなくそう呟く。震える指先が冷え切ってしまった彼女のふっくらした頬を小さくなぞり、ああ、ほんとうにもう動かないのだと静かに悟った。
魂だけがすり抜けてしまったかのように動かなくなった彼女を見つけたことによって、同級生5人の安否全てがはっきりした。

ユウヤは滝つぼで溺死しているのが見つかった。直後、「あれ」に襲われた。
ミネハルは途中まで一緒だったけど、「あれ」に憑りつかれて自分の喉を掻き切った。
シズクはユウヤが死んだという事実を知ってから様子がおかしくなり、気が付いたら首を吊っていた。
タクロウは館の柱がひとりでに倒れ掛かって、圧殺された。
そして最後に見つけたのが彼女だった。

始まりは滝つぼで地元の子供から聞いた噂話だった。

――その昔、この村には生贄の儀式が存在していた。

かつて、この村には「ゐんがみ」という犬神の祟りが信じられてきたそうだ。その「ゐんがみ」を鎮めるために村から生娘を生贄に捧げていた、というありがちな言い伝えだ。
村の少女を一人、「ゐんがみ」を奉った神社で贄にする。その方法までは伝わっていなかったが、それは確かに100年前まではあったらしい。
だが「ゐんがみ」の儀式を司る一族は、神社諸共大戦の戦火に消えて消滅。それを期に村はその生贄の儀式を秘匿し、普通の村として立て直されたらしい。

そして、「ゐんがみ」が腹を空かせて人を弄びに訪れる100年という月日が――私たちが村に訪れたその翌日だったのは、運命のいたずらだとしか言いようがなかった。

そう、その日の夜に――「ゐんがみ」は神社跡地に建った旅館にいた私たちを手始めに祟ったのだ。
私たちを生贄の代わりとするために。

「ゐんがみ」はまずユウヤを祟った。祟られたユウヤは水を極度に恐れるようになり、泳ぎが得意なはずなのに滝壺に落とされたときにパニックになって溺れ死んだ。そして、死体から流れ出たユウヤの魂を利用して、滝つぼから流れる水路全てを祟り結界で覆ったのだ。

水路は旅館を囲うように流れていたため、私達はこの狭い空間に閉じ込められた。

私達を閉じ込めた「ゐんがみ」は、恐ろしい姿をしていた。腐り果てたような悪臭と巨体。血走った巨大な眼球をぎょろつかせ、言葉とも遠吠えとも知れないおぞましい音を喉から漏らして襲い掛かり、私は逃げるだけで精いっぱいだった。

その後も悪夢は続く。「ゐんがみ」は旅館の女将に憑りついて従業員を皆殺しにし、更には今まで自分が取り殺し、或いは生贄に捧げられた人間の魂を悪霊として旅館中に解き放った。私達は精神的にも肉体的にも追いつめられ、散り散りにされ、殺されていった。

殺されるのも、命を狙われるのも、逃げられないのもとても辛かった。
惨殺死体を見て嘔吐もしたし、腰が抜けて悪霊に殺されそうにも何度なったか分からない。
おまけに「ゐんがみ」の霊力の所為で旅館の一部が今は失われた過去の神社と融合し、滅茶苦茶になった空間が私を惑わせた。

みんな苦しんで死んだ。

ユウヤは好きだったはずの水を畏れながら死ななければいけなかった。水泳部で主将を務め、将来有望だと称賛されて誇らしげにしていたのに。嫌だ、助けて、という悲痛な叫びが耳にこびり付いて離れなかった。

ミネハルは「ゐんがみ」に憑りつかれて私を殺そうとし、一瞬だけ戻った自我を振り絞って自殺した。父が自殺したことを苦に、自殺など最低の行為だといつも言っていたのに。皮肉な選択を迫られた彼の胸中は計り知れない。

シズクはユウヤの事が大好きだった。だから、彼が死んだと聞いた時に傷ついてしまった心を「ゐんがみ」に利用され、操られて無理やり首を吊らされた。死後、微かに残った彼女の霊魂の残滓がそう教えてくれた。

タクロウは心の底から今という事態に恐怖していた。何故自分がこんな目に。こんな所にはいたくない。そう泣き叫んで、包丁を片手に半狂乱で私を襲ってきた。あの時は逃げるのに必死だったけど、今になって思えばあれも「ゐんがみ」に心を弄ばれていたんだろう。

サクラは、死に顔だけは綺麗だけれども実際にはパニックの末に一人だけ助かろうと「ゐんがみ」に下ろうとした。そしてそのまま「ゐんがみ」に魂だけを抜き取られてしまったのだ。一瞬だけでも助かると期待したまま死ねた彼女は、果たして幸せだったのだろうか。

残ったのは悪霊を操って私を殺そうとする、女将に憑りついた「ゐんがみ」だけ。

でも、この半ば異界化した世界で見つけた過去の書物を読み、私は断片的ながらこの事態を打開するための方法を探り続けた。そして様々な手がかりを発見した。

ひとつ――「ゐんがみ」は対を為すライバルである「狐憑き」が弱点である。
ふたつ――「ゐんがみ」の祟りを跳ね返すには、別の呪いを重ねて呪い返すしかない。
みっつ――異界化したこの空間の地下に、儀式のための陣が存在している。
そして、もうひとつ。
私、キクノの家系はどうやら「狐憑き」――狐の守護を受けた家系であるらしい。この家の家計図などを見るうちに、よその憑き物の家系図を発見して判明した事実だ。そこに至って私は納得した。
ずっと疑問に思ってはいたのだ。何故「ゐんがみ」は私に憑りつかず、私だけは直接的に殺そうとするのか。「ゐんがみ」は私の身に限っては剥き出しの殺意で殺そうとしてきた。それは、ユウヤのように憑りついて殺すことが出来なかったからなのだ。
――自身の天敵である「狐憑き」の加護が邪魔だったから。

だから、私はそれを逆手に取った。「ゐんがみ」が直接手を下せないという利点を最大限に活かし、とうとう地下の祭壇までたどり着いたのだ。全力疾走の疲労でぜいぜいと荒い吐息を漏らしながら、私は震える足に力を込めて前へ進んだ。
この祭壇に布かれた陣は「ゐんがみ」のためのものだが、召喚の儀の手順を変えれば別の存在も召喚できる。重要なのは手順だった。
屋敷の中で手に入れた霊石を祭壇に奉る。
お香を炊いて現世と霊界の空気を近づける。
そして、狐が好きな油揚げ――これが冷蔵庫にあったのは幸運としか言いようがない――を置いて、もてなしの準備を済ませる。
最後に、包丁で自分の指先を軽く切り、じわりと染み出た血液で御札に血印を押した。
狐の神性を引き寄せるために私の取りうるすべての準備が終わった。

私はもっと生きていたい。「ゐんがみ」などという訳のわからない存在に呪い殺されて知らない土地に骸を晒したくなどない。何より――死んでしまった皆の無念を晴らせるのならば、晴らしたい。

「おいでませ、おいでませ……稲荷明神様にお祈りたてまつる……」

呼び出すのは唯の狐の霊魂では駄目だ。「ゐんがみ」のような不浄なる荒々しい霊をも鎮める力がなければいけない。正の気を持ち、神通力などの力を人に与える天弧、もしくは空弧。稲荷明神の系譜に連なっているならばもう何でもいい。

「おいでませ、おいでませ……憑きたる(えにし)にどうかお答えください……!」

「ゐんがみ」は今、一時的に動きを封じている。何をしても通用しなかった「ゐんがみ」だが、何故か護身用のスタンガンだけは異様に怖がっていた。これだけは文献を読んでも答えが出なかったが、電気が怖いのだという仮定のもとにあいつを自家発電機近くまでおびき出して部屋に閉じ込めた。
それでも、長くは持たないだろう。発電機の燃料は下手をすればもう切れているかもしれない程に少なかった。

「どうか……どうか、お答えください!私の親友たちを、何の関係もなかった友達の命を奪っていった「ゐんがみ」を祓う力を……お貸しください!!」

結界が神気の淡い輝きを放ち、札を起点に四方の陣を囲んでいく。
同時に、祭壇まで続いていた階段から聞き覚えのある唸り声が響いた。恐ろしく、生気を根こそぎ削るようなぞっとする悪寒が背中をなぜる。
――あいつが、来た。

はやく、はやく――心ばかりが焦り、自分の掌を固く握りしめる。
神気はあるのだ。もう祈りは神界へと届いている筈だ。

ひたり、ひたり、と音を立て、腐臭と獣の体臭を混ぜ込んだむせるような悪臭がゆっくり降りてくる。周辺の温度が数度下がったような錯覚。どんどん近づいてくる。恐怖と焦燥が心臓の鼓動をバクバクと加速させ、冷たい脂汗が溢れ出る。

「お願い申し上げます!来てください……来てぇぇぇぇーーーーッ!!!」


おぞましき神が踏み込んできたのと、神性が舞い降りたのはほぼ同時だった。

バチバチィッ!!と弾けるような電光が奔り、押し寄せる負の気を跳ね返す膨大な正の気の奔流が全てを押し返した。力強く、眩しく、暖かく――

『やあやあ、遠からぬ者は音にも聞け!近くば寄って目に物を見よ!!我こそは大和の国に名を轟かす武と雷の益荒男――タケミカヅチなりぃぃぃッ!!!』

「………………あれ?」

現れたのは狐じゃなく――本当に全然狐ではなく、筋骨隆々で巨大な剣を握った、雷のように荒削りな大男だった。

「た、タケミカヅチ………?な、何で!?稲荷明神と全然関係ないのに!?」
『ふぅ、現世に現るるは幾星霜ぶりかな……娘!お前は実に運が良い!さきほど突然神界にげに美しき雷が飛来してな!込められた莫大なる力と男気を吸収した我は今、至極!絶好調!!なのだ!!!』

ずずいとこちらに顔を近づけるタケミカヅチ。暑苦しい、というか暑い。顔が濃すぎて余計に引く。あまりにハイテンションかつエネルギッシュなその姿にキクノは思わず身を引く。そして、その日本神話随一の武神の言葉を咀嚼して、ある事実に気付く。

「………あ、貴方の方から割り込んできたんですかぁッ!?いや、心強いですけど!!すごく心強くはありますけどッ!!」

――そう、カシアスが天帝を貫いたあの雷は次元の壁を突き破って、なんと神界に住まう剣と雷の神「タケミカヅチ」の乾燥地帯の山並みに燃えやすい心に火をつけ、更には燃料も注いでしまったのだ。
それにしてもタケミカヅチのテンションが高い。なんか想像してたのと大分違うんですけど、とキクノは自分の反撃計画に間違いがあったような気がしてきた。

『で?確か「ゐんがみ」とやらを祓いたいのであったな?お前の所望通りに消し炭一つ残さず葬り去ってやろうではないか!後ろにいる下級悪霊だな!?……ほうほうなるほど!元は狗神の眷属だったものが、信仰を得られずに妖化してしまったようだな!』
『ば、馬鹿な……何故だ!?何故よりにもよってタケミカヅチが出てくる!?おのれ、稲荷明神の使いならばまだ勝負になったものを……!!』
『はっはっはぁ!!そういえばお前達狗神の系譜はそろいもそろって雷が嫌いであったなぁ!!確かに犬の鋭敏なる耳に我が猛き轟きは辛いやも知れんがなぁ!?』

「ゐんがみ」の動揺した姿に、タケミカヅチは不敵な笑みを浮かべて凄んだ。
――どうやら、狗神に名を連ねる存在は代々雷、転じて電気が嫌いらしい。確かに雷の音は犬をパニックにさせると聞いたことがある。狗神にとってタケミカヅチは最悪の相手だと言えるだろう。
つまりこれは――形勢逆転?

「タケミカヅチさま……私の親友たちの無念を晴らすために、殺っちゃってください!!」
『心得たりィッ!!おぉぉぉぉぉ……雷ァァァァァァアアアアイッッ!!!』

タケミカヅチが剣を振るうと同時に、女将に憑りついた「ゐんがみ」へ極大の雷の柱が飛来した。
「ゐんがみ」がいかに人知を超えた力を持っていようと、タケミカヅチは純粋な武神である。土着信仰の神のなれの果てで恨み辛みを餌にこそこそ生き延びてきた「ゐんがみ」では逆立ちしても勝てる訳がない。

『何故だ!何故だぁ……ほんの数百年前まで、貴様ら人間は我を畏れていたではないか!貴様らは何ゆえにそこまで変化できる!?そこまでも強欲に、神を取捨選択する!!挙句、神の力で神を殺すなどと……』
「お前は神じゃない!人を襲うだけの悪神だ……人に降りかかる災厄でもない、ただの殺人愉快犯だ!そんな者を敬う人などいるものか!!――神なき世界には、新しい風が吹くんだ!!」
『貴様が狐憑きでなければ……!貴様がこの日にこのような場所に来なければ……!!貴様の所為で我は……グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!』

「ゐんがみ」は雷の柱の中に消え、その後には憑き物の落ちた女将だけが残されていた。



――数日後、キクノは「いつもの5人」と一緒に住んでいた町まで帰り着いていた。

「ん~……いやぁ、大変な旅行だったね!まさか旅館の近くに特大の雷が落っこちるなんて!おかげであの日の夜に何やってたか忘れちゃったよ!」
「まーいいじゃん?別に停電したわけじゃないし、雷も空気読んで逸れてくれたんだよ!」
「……実は俺も、あの日の夜の事覚えてないんだよなぁ」
「キミのそれぁ単純に記憶力がワリィんとちゃいますかね?」
「ンだとゴラァ!喧嘩か?喧嘩だな?買ってやるぜこのヤロォ!」
「あははは……まあまあ、いいじゃないのみんな助かったんだし!」

5人は自分が死んだ時の事を覚えていない。
あの後、私はタケミカヅチさまに皆が成仏できるように導いてくれないか頼んだ。すると、タケミカヅチは心外だとばかり気顔をしかめた。

『何を言う!これは我等八百万の神があの子悪党を見つけ出さなかったが故の惨劇ぞ!起こるべきでなかった惨劇によって命が失われるなどあってはならぬ!犠牲者はこのタケミカヅチが責任を以って救うに決まっておろう!!』

そう言ってタケミカヅチは、私の頭を撫でながらガハハと豪快に笑った。その掌は硬くて、巨大で、しかし暖かかった。旅館はタケミカヅチの放った光に包まれ――気が付けば翌日の朝になっていた。
何が起こったのかと周囲を見渡すと、そこには死んだはずの5人の親友たち。皆が言うには昨日の夜に旅館の真横にあった小屋――異界では、そこが祭壇の入り口だった――に雷が落ちた以外は何もなかったという。
あの日の夜に起きたことは、女将さんも含めてだれも覚えていなかった。

終わってしまってからふと思う。

私が見たあれは、すべて悪い夢だったのではないか?
旅館の何所を回っても、誰に何を聞いてもあの夜の事を覚えている人は一人たりともいなかった。ともすれば、果たしてあれが一夜の悪い夢ではないと断言できるだろうか?私の記憶を除けば、あの「ゐんがみ」の存在を立証する方法はないのだ。
あの時に出会ったタケミカヅチとて、雷が近所に落下した時の音と光が夢にイメージを与えたのかもしれない。

「しかし、結局犯人は誰だったんだろ?」
「え?何が?」
「あれ、キクノには話してなかったっけ?いやね、旅館の女将さんが『冷蔵庫から油揚げが消えた』って不思議そうに言ってたからさ。誰かがきっと深夜に盗んだんじゃないかってみんなで話してたの」
「業務用の油揚げ一袋だからな……女将の勘違いとは思えないよな」
「油揚げが……あっ」

――お供えに冷蔵庫から持って行った油揚げだ。

「……キクノ?何か心当たりが……」
「キミ、まさか犯人だったり……それとももしやつまみ食い!?」
「ち、違う!違うから!!そうじゃなくてえっと……き、きつねうどん食べたくなったなって!」

あの油揚げ、タケミカヅチさまが持って行ったのかな?
そう思うと、おかしくなって笑いが込み上げた。



油揚げはタケミカヅチが稲荷明神の土産に持ち帰った。それは確かだ。
だがその油揚げが全ての輪を繋げることとなったのを、キクノを知らない。
  
 

 
後書き
もうちょっとだけ続く! 
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