トワノクウ
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トワノクウ
第十六夜 かけがえのあるもの(二)
前書き
少女 の 慟哭
梵天たちが戻ってすぐ、くうは先ほどの問いをくり返した。
「昔、人によって瀕死の傷を負った。その影響」
梵天は言葉こそ淡々としていたが、目はとても痛ましかった。
「この方も妖、ですよね?」
「君には俺が人間を手厚く匿う妖に見えるのかい?」
皮肉がくうの胸に突き刺さり、自身の浅慮を突きつけられたダメージにくうは声を出せなくなってしまった。
「梵、そう意地の悪いことばかり言うではない。見ろ、白鳳がしおれてしまっておるではないか」
「俺は分かりきった問は受け付けない。上手い聞き方をすれば答えてやるけど、そうでない限りはお前がしゃべれ」
「ものぐさも度が過ぎれば堕落につながるであるぞ」
間に入ってくれた空五倍子が、代わりにくうの問に答えてくれた。
「名は露草。同じ天座の仲間なのである。千年を生きた大樹の樹妖の枝から生まれた樹妖で、本来なら人間ごときに敗れる力量ではないのだが」
「え……人間にやられたんですか?」
「うむ。背後から舶来の武器で撃たれたのだ」
空五倍子の声には、背中から騙し撃ちにする人間の浅ましさや汚さへの軽蔑が込められていた。くうは、また痛くなった。
「だが、君であればこいつを起こせるかもしれない」
梵天が唐突に口を挟んだ。
「くうが……?」
「自分が普通の人間ではないのは、もう自覚しているだろう?」
びくっと肩が跳ねる。薫に殺されても潤に殺されても生きていた我が身を弱く抱く。
「妖が宿ることで君は力を持った。その力を有効活用してほしい」
――ああ、だから、こんなにも。
くうは気持ちが冷めていくのを感じていた。
梵天も打算なしにくうを救ったわけではないのだ。彼はこの露草を救うためにくうという手段を欲しただけのことだった。
篠ノ女空が顧みられないのは正しい在り方なのに、弱っていたくうにはその事実はひどい疲労感をもたらした。
露草の部屋を出て、梵天と空五倍子の背を見ながら廊下を歩く。
宿を提供してくれると言うので、くうはお言葉に甘えて一泊することにした。今寺に帰ったら朽葉や沙門に迷惑がかかる。
不意に、梵天がくうをふり返った。驚いて立ち止まったくうの前まで、梵天が歩いてきた。
「何も言わないんだね、君は」
「なにもって、だって、梵天さんの事情は分かりましたから」
「そっちじゃなくて、君の友人達がした仕打ちについて」
忘れていたのにどうして思い出させるのか。くうは俯いて奥歯を噛みしめた。
「てっきり打ちのめされてさめざめと泣くと思っていたのに、拍子抜けだよ」
「泣いたほうが梵天さん的には都合がよろしかったのでしょうか」
「あのね」
「平気です。くうはへっちゃらですよ」
くうはへらっと笑った顔を上げ、帽子を握り締めた。
「だって、くうはカラッポで、つまんない子で、何にも持ってなくて、だから」
最初から彼らとて、ちっともくうのものではなかった。
ぽと。涙が一粒落ちた。くうは急いで帽子を引っ張って目元を隠した。
涙は見せられない。弱さをさらけ出して甘えれば、梵天はきっとくうを見限る。露草のため以外の価値など今のくうにはないのだから、私情などという余分をさらけ出してはいけない。
「だから、潤君と薫ちゃんがこんなくうをキライでも、へっちゃらなんです」
嫌われてもしかたのない人間がいるとしたら、それは今のくうだ。他の誰でもないくう自身が、篠ノ女空をきらい。泣けば目の前の彼が慰めて、君は悪くない、と言ってくれると期待しているから、きらい。
煮え切らず、立ち去りもできず喉が痛むまで嗚咽を堪えていると、梵天の手が、帽子を握っていたくうの手を外させた。
「君の母親に言わせると、女に優しくできない男は生きる価値がないんだそうだ」
確かに母の口癖だ。母はその教えを、父や家庭教師のように心許した男に対して口にした。
母の口癖を知っているくらい、梵天は本当に母と親しかったのだ。
「少なくとも、ここで君を放置すれば、俺は確実に萌黄の怒りを買うだろうからね」
彼は遠回しに、この場で想いを吐露することを許してくれていた。
「ほんとは、平気なんかじゃ、ない」
声が震える。
「薫ちゃんに憎まれるのも、潤君に見捨てられたも、ほんとはいや」
手が震える。
「くうは、くうのままなのに。何にも変わってなんかないのに」
――心が、震える。
「薫ちゃんも潤君も、くうが妖かもってだけで」
撲殺するまで打ち据えた薫。捨て駒扱いを仕組んだ潤。
友達だと思っていた。だが、それはくうの思い込みに過ぎなかった。彼らの中の優先順位は、あるかないかも定かならない友情よりも妖退治だったのだ。
「くうを傷つけるの、迷ってもくれなかった」
篠ノ女空という人間は薫と潤にとって迷う理由にすらなれない、軽い存在だったと思い知らされた。
「篠ノ女空は、二人にとってその程度でしかなかった……!」
くうは薫と潤が妖だったとしても好きだ。だが薫も潤も、くうが妖なら殺せるほどにしか好きでいてくれなかった。
痛い。痛い。胸が痛い。心が痛い。
「あ、う、うああああっ!」
我慢も切れて本格的に泣き出したくうを、梵天は危惧したように見捨てるでなく、黙って抱き寄せた。
帽子が落ちる。梵天の温かさに、くうは初めて自分がこごえていたのだと知った。
「潤く……っおる、ちゃん……!」
傷つけないで。お願いだから、好きだから、好きな人に酷い言葉を、仕打ちをもらいたくないの――その想いの丈を叫びに変える。
尽きない涙は、見えない血潮に似ていた。
Continue…
後書き
露草に対する処置に思う所がない方はいらっしゃらないでしょう。今から土下座します。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…
でも一部眠り姫露草に喜んでくださる腐女子がいないかなーなんて…ごめんなさい調子乗りました石投げないでください。
おそらく今回が初期に一番書きたかったシーンかもしれません。本当に初期に書いたのでどんな気持ちだったか忘れましたが。
なんといいますかね。現代社会なら「その程度」の友達づきあいでいいんですよ。命を懸けて劇的になんて必要ないのが日本ですから。だから決して「その程度の友情」しか築いてこなかった主人公たちは悪くないんですよ。ただ、そう、相対的に環境の変化でそれが「悪いこと」になってしまっただけなんです。
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