トワノクウ
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トワノクウ
第十五夜 雉は鳴かずとも撃たれる(三)
前書き
裏切り と 確執
ふわりと邪魅の近くまで行くと、ひどい血の臭いが鼻を突いた。この血臭だけで目を回して落下しそうだ。邪魅がそれだけ人を殺して返り血を浴びたのか、逆に邪魅がそれだけ人に傷つけられて出血したのか。
――くうには後者に思えた。
潤は追い込んだ、と言った。山狩りをして邪魅をおびき出すために、邪魅が無傷であったとは考えにくい。
「痛いの?」
邪魅の血走った目が毛むくじゃらの下からくうを睨んだ。
「そう、ですよね。いきなり住んでいた土地に土足で踏み込まれて、政治の都合で攻撃されて。そんな当たり前な、こと」
ゲームのシナリオに限らず、読み物ならどこにでもあるテーマだった。異種族間の争い、不和、共存不可。グランドフィナーレは一つもなかった。エンディングでちょっと希望が持てそうな終わり方をするだけ。主人公の周りでだけ手を取り合えるだけ。
――そして篠ノ女空は、あまつきの主人公ではない。
用意された綺麗なエンディングは、ここにはない。
何て――残酷な現実。
「ごめん、なさい……くうには何も……」
くうはふわりと邪魅の鼻面に身を寄せ――
「撃てーっ!!」
背後から聞こえた号令がなじんだ青年のものだと分かった一瞬の後、邪魅の近くギリギリにいたくうは、邪魅ともども鉄砲隊による一斉銃撃を全身に浴びた。逃げられるはずもなかった。
「きゃあああああああああああああ――――っっ!!!!」
激痛にか恐怖にか。くうは錯乱の悲鳴を上げた。
襤褸(ぼろ)のようになった羽根が地面に叩きつけられると、羽毛が散り、倒れ伏したくうに雪のように降り注いだ。生理的な涙で滲んだ視界の端、邪魅がどう、と倒れた。
血溜まりがくうを中心に広がり、その赤い水溜まりの上に落ちた羽毛から白さが失せていく。くうは目だけを動かした。鉄砲隊が割れて潤が正面に出てきている。輿から下りた銀朱が奥に見える。
潤はしばらく無様に倒れるくうを見下ろしてのち、情を向ける価値もないとでもいうように踵を返し、銀朱と巫女たちの元へ歩き出した。
「っ潤、君……」
喉の奥で絡む血を吐きながら呼んだ自分の声は、泣きたいくらい小さかった。
「……じゅんくん……じゅんくん……じゅん、く……」
一度足を止めた潤だが、すぐに歩き出してしまう。
(ああ、私は潤君に利用されたんだ)
不死の肉体は盾にするにはうってつけだ。妖を討つためならくうを使い捨てにしてもいいと、よく知った姿をした知らない青年は考えたのだろう。
(うそつき。最低。巻き込まないでってちゃんとお願いしたのに)
このまま死んでしまいたいのに、すでに傷の再生は始まっている。
「潤朱、天狗はまだ現れませんか?」
「俺が索敵できる範囲にはいません」
「――口惜しい」
もしかするとこの先何度もこんな目に遭わされるのかもしれない。銀朱が仇敵である梵天と決着をつけられるまで、篠ノ女空は生き餌にされるのかもしれない。エサはエサでも、解体される餌として。
だから、直後に響いた声はくうにとって救いだった。
「あのとき、俺の手を取っておけばこんな目に遭わずにすんだのにね」
くうは首を巡らせて天を仰いだ。
満月を背に空を飛んでいるのは空五倍子で、腕には薄く笑む梵天を抱えていた。坂守神社勢が鉄砲の銃口をいっせいに向けても歯牙にかける様子もない。
「ようやくお出ましか、天座の天狗」
銀朱の声だ。隠せない喜悦が滲んでいる。
「お前、いつからいた!」
「ついさっき。天座の主である俺が君ごときの目をごまかす方法を知らないとでも思ったか? ――侮るな、小童」
圧倒的な殺気が放たれ、潤はおろか、鉄砲隊の巫女たちもたじろいでいる。
一発でも撃てば皆殺しにする、妖の頂点に立つ男の殺界はそう告げていた。
空五倍子が地面に降り立つと、梵天は空五倍子の腕から下りてこちらに歩み寄ってきた。
くうを救いにきてくれた、月光をまとった麗人。この血なまぐさい場にあって、燦然とするほど彼は美しかった。
ああ、そんなに綺麗な人が、自分などのために膝をつくなんて。
「おいで、くう」
梵天が手を差し伸べる。今度のそれは舞踏ではなく、地獄へ垂らされた蜘蛛の糸。
くうは血の海から這い出て、梵天の手に必死に掴まった。
梵天はくうの手を引っ張って、くうを抱き上げる。自分などの血で彼を汚すのが申し訳なかったが、やっと得られた安全にくうは梵天の肩に腕を回してしがみついた。
「っ待て!」
踵を返そうとした梵天に、潤がピストルを向けた。
「篠ノ女を返せ、天狗」
「俺がうなずくとでも?」
「思わないさ。――銀朱様、御前を汚します」
よしなに、と銀朱はこちらから視線を外さず許可を下した。正確には、梵天一人から。
銀朱は梵天を強い憎悪でもって捉えていた。そういえば潤が、銀朱の不治の呪いは梵天がかけたものだと言った。こんなに美しい妖がそんなせせこましい真似をするとは思えなかった。
「撃てるのかい、俺を。見たとこ人型の妖を殺したことはなさそうだけど」
「っ! てめえの身体で試してやるよ!」
叫びながらも潤はすぐに引鉄を引かない。それが梵天の言うような恐れからか、それとも自分に配慮してか、測りかねた。
「空五倍子!」
梵天は背後に控えていた空五倍子の片腕にくうを抱かせると、自身も空五倍子のもう片方の腕に乗った。潤や銀朱たちが攻勢に転じる間も与えず、空五倍子は夜空へととび上がった。
眼下の光景が遠ざかり、人が点に見えるまでの高さに来た。
くうは朦朧とする意識の中、夜空を見上げる。
天には白い月。そこは人に支配されない聖域。
ああ、いいな、と。人の絶えた世界にくうは自然な憧れを向けた。
Continue…
後書き
撃たれるんです。鳴かなくても。
だって、妖だから。
個人的にはピークの回でしたのでここまででようやくやりきったという気分です。鴇以上に完膚なきまでに敵対構造にさらされてどうするか、というのが今作最大のテーマですから。
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