機動戦士ガンダム0087/ティターンズロア
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第一部 刻の鼓動
第四章 エマ・シーン
第二節 期待 第五話 (通算第70話)
沈黙が場を支配した。
クワトロが乗らないと言ったに等しい発言は多くの者にとって意外であった。ただ、クルーの中には共和国とはいえ、ジオン軍人であるクワトロが《ガンダム》に搭乗することを好しとせぬ者もいないとは限らない。だが、クワトロが《アーガマ》随一のエースであることは疑いの余地がなかった。
「クワトロ大尉、それは……」
困るという言葉を飲み込んで、驚きと非難が綯い交ぜになった顔を向けながら、ヘンケンは言葉を失っていた。クワトロに《ガンダム》を預けたかったヘンケンにとって、メズーンが搭乗を断ってくれたのは渡りに舟だったからだ。現在の《アーガマ》には余分な機体などなく、予備機でさえない状態である。優秀なパイロットに高性能な機体を宛がいたいのが艦長として当然だ。稼働している《リックディアス》五機と《ジムII》二機が戦力の全てであれば。滷獲した機体が高性能とわかっている以上、動く内は戦力にしたいと思うのが、乗組員に対して責任を負う指揮官として最低限の努力でもあった。
「バスクとて虎の子の《ガンダム》を撃墜させることはありますまい」
「それはそうだが……」
「クワトロ大尉、バスクという男を軽く見ない方がいい。目的のためには手段を選ばぬ奴だからな……。だが、今回は、大尉の言う通りだろう」
ブレックスは綺麗に揃った美髯を撫ぜながらシャアの状況判断の的確さをたしなめつつ誉めた。こういう大局とは言わないが、純軍事的でない部分――政治や世論、敵の心理を含めて俯瞰できるセンスがヘンケンには足りない。こういう時に片腕として物足りなさを感じてしまう。だが、ヘンケンにはヘンケンの良さがあり、参謀や補佐官というような役回りが向かないタイプであると言うに過ぎない。行く行くはエゥーゴの艦隊を率いる司令官になってもらいたいと考えれば、優秀な参謀が必要か。《アーガマ》の艦長に任命したのはその布石である。
「先輩、本当にいいんですか?」
「そうだよ。俺だって乗りたいけど、先輩なら譲るって」
ブレックスとシャアのやり取りを向こうにして、カミーユとランバンはメズーンに小声で話し掛けていた。
カミーユにとってもランバンにとっても、メズーンが《ガンダム》を忌避したことは意外だったのだ。普通、パイロットであれば、喜ぶところだと考えていたからだ。それも、自分で奪取した機体であり、ティターンズの旗印機となれば、尚更である。しかるに、あろうことか外部の――それもジオン共和国軍のクワトロ大尉に委ねようとするのは承服し難かった。そこまで考えて、カミーユはクワトロを尊敬している筈の自分にそんな感情があったことに驚く。ランバンはそこまで深く考えている訳ではなさそうだった。
ランバンが《ガンダム》のパイロットに名乗りを挙げたことは、自分への対抗心であることは明白だったが。
「俺はお前みたいに天賦の才がある訳じゃないさ」
「そんな…」
自嘲めいた言葉に自信喪失している人間にとってカミーユがどれほど何を言おうとも、傷口に塩を塗ることにしかならない。
ランバンも名乗りを挙げたものの、自分の実力がカミーユに劣っていることは自覚している。カミーユは特別なのだ。群を抜く成績ではないのに、実機編隊訓練では撃墜されたことがないのは、何かあるとしか考えられなかった。
「《リックディアス》はいい機体ですよ」
ヘンケンを宥めるようにシャアはことさら付け加えた。そしてそれは、カミーユたち連邦軍のパイロットに聞かせなければならない。戦力の乏しい中では仲違いするのも馬鹿らしいことだ。それに自分の乗機として、それほど《ガンダム》を評価していないということもある。ツィマット社製のMSには馴染みがないものの、戦時中に進められた統合整備計画で規格統一されたインターフェースは、さすがにジオンの物であり、シャアには扱いやすかった。
「取り敢えず《ガンダム》にはカミーユに乗って貰おう」
そう、シャアが機動歩兵部隊の長として結論を言おうとしたその時、緊急警報が鳴り響いた。
――緊急警報、緊急警報。最大索敵圏に敵艦捕捉。第二種警戒体制。乗組員は所定の位置に付け。繰り返す。敵艦捕捉……
同時にインターホンが鳴った。慌てヘンケンが受話器を取る。
「どうした!」
発令がトーレスであるのに不自然はない。ヘンケンは、年が若くとも状況を積極的に理解しようとするトーレスが気に入っていた。しかも、《アーガマ》の艦橋要員としては最古参であり、副長にしてもいいぐらいだったが、所属が通信科であり、管制担当であるため副長に任じられずにいた。航宙長であるサエグサの方が任じやすいが、サエグサは初任幹部であり、無理がある。
そのトーレスが第二種警戒体制を敷いたのが不自然なのだ。敵艦を捕捉したのなら現状であれば第一種戦闘配備に移行すべきだ。その判断はトーレスならばできる。
――敵艦から入電『我、戦闘ノ意志ナシ。交渉ヲ望ム』です。どうしますか?
「敵艦は《アレキサンドリア》一隻か?」
横からブレックスが口を挟んだ。
状況は単艦の艦長が負うレベルの話ではなさそうに思えたからだ。シャアもヘンケンの傍らに寄っていた。今は《アーガマ》所属のMS隊を預かる身であるから、当然ではあった。
カミーユたちは一斉にガンルームを飛び出した。戦闘配置でないにせよ、ハンガー横の待機室にいた方が対応しやすいからだ。
ページ上へ戻る