優しさをずっと
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第六章
第六章
「黙想」
「黙想」
武道の最後の締めであった。これで稽古を終える。それが終わってからお互いに礼をして解散になった。先生はそのまま自分の教室に帰った。けれど生徒達は。着替え室に集まって。そこで話をしていた。
「ねえ皆」
「うん」
深刻な顔を見合わせ話をしていた。着替え室には彼等の他には誰もいない。
「どう思うかな」
「先生のことだよね」
「そう、阿部先生」
もう彼等にとっては先生はあの先生になっているのだった。しかしそれははっきりとは自覚はしていない。おぼろげなままである。
「阿部先生は僕達の為に平生先生と試合するっていうけれど」
「どうなると思う?」
「勝てるわけないよ」
「そうだよ」
彼等はもうこのことは完全にわかっていた。
「絶対にね」
「あの人には勝てないよ」
「そうだよね」
リーダー格の一人がここで皆に対して言う。
「絶対に無理だよね、やっぱり」
「ボコボコにやられちゃうよ」
「あの人にはどうやっても勝てないよ」
「けれどそれなのにさ」
別の一人が口を開いてきた。
「先生。あんなこと言うんだろ」
「怪我じゃ済まないよね」
「勝てる筈ないのに」
「幾ら僕達の為にって。無茶だよ」
彼等にはこうとしか思えなかった。
「何があっても勝てないのに」
「僕達の為にって」
「それが優しさだっていうけれど」
「優しさ・・・・・・」
この言葉を誰かが口にしたところで。皆の中に何かが宿った。
「優しさなんだ」
「優しさが」
「そう、優しさだよ」
皆口々に言いだしてきた。
「優しさがあるから。だから」
「僕達の為にあの先生に」
他ならぬ先生の言葉を思い出し言い合う。
「向かうんだよ。何があってもって」
「あんな相手に」
「だったらさ」
連鎖反応のようにまた誰かが言う。
「僕達も優しくなろうよ」
「僕達も!?」
「そうだよ。僕達もね」
「優しくなるってどうやって!?」
「どうするの?」
「僕達も行くんだ」
彼が強く輝く目で皆に話していた。
「僕達もね。先生と一緒で」
「一緒って。まさか」
「ひょっとしてそれって」
「そう、そのまさかだよ」
「行こうよ」
別の一人が話に乗ってきた。
「僕達全員でさ」
「けれど。平生先生だよ」
気の弱い少年が青い顔をしていた。
「何するかわからないよ。それでもいいの?」
「何かしたって先生は僕達の為に行くじゃないか」
「そうだよ」
しかし皆はその彼に対して強い声で言うのだった。
「じゃあ僕達だってさ」
「行こうよ」
「行くんだ」
彼は皆の言葉を受けて自分の考えが変わっていくのを感じた。それと共に青くなっていた顔が少しずつだが変わっていきもする。それはわからなかったが。
「本当に」
「皆でね」
「だから大丈夫だよ」
「一人一人じゃさ。弱くても」
彼等はこのことは自覚していた。自分達が弱いことをだ。それははっきりと自覚していたのだ。しかしそれでも。今彼等は明るい顔をしていた。
「きっと。皆が集まればね」
「できるよ」
「じゃあ僕も」
その気の弱い少年が遂に頷いた。
「行くよ。やっぱり」
「そうだよ。一人じゃないから」
「皆でね」
「うん」
こうして皆の言葉に頷いて彼も行くことにした。そうしてその次の日。放課後体育館で先生は準備体操をしていた。周りには生徒達が集まっている。
「君達は何があっても大丈夫だからね」
「行くんですね」
「そうだよ」
剣道着すら着てはいない。ジャージの上に防具を着けているだけだ。しかしそれでも先生はやるつもりだった。やはり逃げるつもりはないのである。
「絶対にね」
「わかりました。それじゃあ」
「いいね」
「うん」
「んっ!?」
先生はここで生徒達がそれぞれの顔を見合わせて頷き合うのを見た。
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