優しさをずっと
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第五章
第五章
「それをわかっていてのことですか!?」
「俺は突きが得意ですからね」
これが平生の返答だった。
「だからですよ」
「それが理由ですか」
「ええ、そうですよ」
悪びれた様子もない。
「それでですよ。大したことはないではありませんか」
「貴方という人は・・・・・・」
人と呼ぶのも憚れるのではないのかと内心では思った。しかしそれは押し殺した。だが平生はそんな先生の心情を見ることもなく粗野で下劣な笑みを浮かべてその場を後にするのだった。
「では明日ここで」
「体育館でですか」
「どちらが正しいのか皆に見てもらう為ですよ」
己が正しいと言うのだった。
「覚悟はしておくことですね」
「それは貴方だ」
去って行く平生の背に告げた。しかしその声は届いてはいない。平生はもう体育館を後にしていた。残ったのは先生と生徒達だけだった。生徒達は心配そうな顔で先生を見上げている。
「あの、先生」
「明日は」
「大丈夫だよ」
あえて優しい顔と声で彼等に言葉を返した。
「何があっても。君達は大丈夫だよ」
「けれど平生先生は」
「物凄く強いから」
「あの強さは本当の強さじゃない」
顔を正面に向けて断言した。
「本当の強さは心の強さなんだよ」
「心のですか」
「そうだよ」
やはり断言するのだった。
「心なんだよ。本当の強さは」
「それでも平生先生って」
「なあ」
生徒達は顔を見合わせて話す。不安に満ちた顔で。
「突きだってシャベル突きするし」
「シャベル突き?」
「スコップで掘るみたいに下から上に思いきり突き上げる突きです」
問うた先生に生徒の一人が答えた。
「これが凄く痛くて」
「跡が残るし」
「そんな技があるんだね」
「いえ、ないですよ」
「絶対に一本取られませんよ」
このことはすぐに否定する彼等だった。
「何でも。反則らしくて」
「けれどあの先生は使うんです」
「有り得ない」
唖然として呟くしかなかった。
「そんな技を生徒に対して使うなんて」
「他にも背負い投げしたりしますよ」
「剣道で背負い投げ!?」
またしても先生にとっては信じられない話だった。
「まさか。それは」
「いえ、本当ですよ」
「床の上でですけれど」
「床の上で背負い投げ」
やはりこれも信じられない話だった。唖然とする他なかった。
「そんなことまで」
「やっぱりおかしいですか」
「平生先生のやってることって」
「おかしいなんてものじゃない」
強張らせた顔で断言する先生だった。
「それはもう教育でも何でもないよ」
「じゃあ何なんですか?」
「あの先生のやってることって」
「虐待だよ」
こう言う他考えられなかった。
「それは虐待だよ。完全にね」
「そうなんですか。やっぱり」
「おかしいかなって僕達思っていたんですけれど」
おかしいとは思っていてもそれを行動に移すことは困難だ。まだ小学生なのだ。それでどうして実際の行動に移せることができようか。おかしいと思っただけでもかなりのものだ。
「じゃあやっぱり」
「先生が負けたら僕達、また」
「何度も言うよ」
今までにも増して強い決意を込めている先生の声だった。
「先生は負けないよ」
「負けないって先生・・・・・・」
「それでもあいつは」
「強さは腕力じゃないんだ」
これは先生の強い信念の言葉であった。
「剣道や柔道の段位でもないんだ。そんなものは強さの証明にはならないんだよ」
「じゃあその強さって」
「何なんですか?」
「また言うよ」
既にこのことは告げているというのである。
「それは」
「それは?」
「心だよ」
やはり答えはこれであった。
「心なんだよ。本当の強さはね」
「心ですか」
「そう、優しさなんだ」
これこそが彼の信念であった。決して揺るがない信念であるのだ。
「それはね。あの人には優しさがない」
「そうですか」
「君達は生徒だ」
教師と生徒、その関係である。
「そして人間なんだ。人間は優しさを忘れてはいけないんだ」
「優しさをですか」
「だから僕は負けない」
あくまで平生に立ち向かうというのである。
「何があっても。いいね」
「負けないんですか」
「平生先生にも」
「安心して見ていて」
微笑んで生徒達に顔を向けて告げた。
「明日はね」
「はい・・・・・・」
「わかりました」
「それじゃあ皆集まって」
生徒達がこくりと頷いたのを見て微笑んで集合をかけた。そして生徒達を正座させて自分も向かい合って正座するのであった。
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