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愛は勝つ

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第五章


第五章

 この日も二人は学校の図書室で話をしていた。小説を見ながらあれこれと話をしている。
「あれ、三島由紀夫も読むんだ」
 尚志は隣の席にいる若菜の机に三島由紀夫の本があるのを見て声をあげた。作品は金閣寺であった。言わずと知れた彼の代表作であり美麗な文章で金閣寺を燃やした若者の葛藤と破滅に至るまでを書いている。
「ええ。これね」
「何かあったの?」
「お父さんに勧められたのよ。読んでみるといいって」
「お父さんって?」
「私のお父さんよ」
 若菜はにこりと笑ってそう返す。
「お父さんが三島由紀夫の本好きだから」
「そうなんだ」
「ええ。結構好きよ」
 そう言って金閣寺を彼に見せる。彼はそれを見てふと目を動かしてきた。
「文章もいいしね」
「そうだよね、三島はね」
 尚志もそれに頷く。
「文章が凄くいいんだよ。とても綺麗で」
「お父さんは惜しい人材だったって嘆いているわ」
「そう」
 三島は自殺している。市ヶ谷の自衛隊基地でクーデターを促す演説をしてそれが受け入れられず割腹自殺をしているのである。彼が死んだ日は憂国忌とされている。いささかアナクロになってしまっていたとはいえこの忌日の名前は彼に相応しいものと言える。
「もっといい作品が書けただろうにって」
「そうかもね」
 ただしそうではないかも知れないという場合もある。作家がいい作品を書けるかどうかというのは作家自身にもわからないものだからだ。
「最近他の作品も読んでるのよ」
「潮騒とか?」
「それも読んでるし豊穣の海とかも」
 どれも三島の代表作である。
「色々読んでみてるわ」
「矢吹さんのお父さんも本好きなんだ」
「それはちょっと違うの」
「違うんだ」
 その言葉には何が何か少しわからなかった。
「どういうことなの?」
「あのね」
 若菜はそれを受けて話をはじめた。
「本は学ぶもので。好きになるものじゃないって考えているのよ」
「またそれは随分と厳しいね」
「そうでしょう?凄い古風な人なのよ」
「そうみたいだね」
 彼女の言葉に頷く。それからまた述べた。
「そうなのよ。家でも亭主関白で」
「ううん」
 今時そんな人がいるのかとかえって興味を持った。そのことだけでもかなり驚きである。少なくとも尚志の両親に関して言えばそんなことはない。
「お母さんは尽くす妻って感じで」
「うちと全然違うね」
 実際にそのことを言葉に出してきた。
「うちお母さんが凄く偉いよ。お父さん弱くて」
「普通はそうよね」
 若菜もその言葉に応える。どうやら自分の家が今ではかなり珍しい家になってしまっていることを自覚しているようである。思えばそれは当然のことである。
「やっぱり」
「やっぱりっていうか何かね」
 尚志はそれに応えて述べる。
「人それぞれだし家だしね」
「別に変に思うことはないかしら」
「そう思うよ」
 いつもの穏やかな様子で述べた。その言い方も内容も尚志らしいものになっていた。
「僕はね」
「有り難う」
 若菜は尚志のその言葉を聞いて少し頬を緩ませてきた。
「そう言って貰えるとね。嬉しいわ」
「そうなんだ」
「ええ。何でもかんでもお父さんが第一だからね。結構大変で」
 これもまたかなり驚くべきものであった。本当に尚志の常識とは全く違っていて別世界にいるような気分になってきていた。
「困ってるの?」
「困ってるって言ってもどうしようもないし」
 余計に辛い言葉であった。
「それでも家族には暴力とかは振るわないのよ」
 当然と言えば当然であった。家族に暴力を振るうのは人間としてどうかだ。叱るのはいいが暴力を振るうのは頷くことができない。
「それはね」
「それはいいね」
「ええ。特に私末っ子だから」
 はじめて知ることがここで出て来た。
「余計に」
「いいお父さんなの?」
「そうね。無茶なことは言わないし」
 とりあえずは人間としてはまともであることもわかった。それを聞いてほっとした。
「いい人なんじゃないの?」
「けれどね」
 しかし若菜はここで困った顔を見せてきた。
「決まりとかは凄く厳しいの」
「決まり?」
「家訓なのよ」
 またしても今時珍しい言葉が出て来た。尚志はその単語を聞いて目を丸くさせたのであった。
「家訓って」
「あれっ、ないの?」
 若菜はこの言葉を聞いて自分も目を丸くさせた。二人共目を丸くさせたがそれぞれ違う理由によるものであった。けれど表情は同じ感じになっていた。
「ないよ」
 尚志は苦笑いと共に述べた。
「そういうのはね」
「そうなんだ。ないの」
「ううん、多分今ある家ってかなり少ないよ」
 尚志は考えながら若菜に述べる。
「ある家って実際にはじめて聞いたし」
「それって少し驚いたわ」
 若菜は目を丸くさせたままだった。本当に意外といった感じだった。
 尚志も同じだった。彼も驚いていたのだった。
「とにかくそれがあるから。私かなり」
「凄いね、何か本当にあるなんて思えないよ」
「私も驚いているわ。他の人の家ってないのね」
「とりあえず僕の家はね」
「ないのね。それでね」
 若菜はさらに言葉を続ける。じっと尚志を見ている。見ているその姿が尚志の目に映っている。尚志もまた若菜の目に自分の姿を見ていた。
 
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