トワノクウ
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トワノクウ
第十三夜 昔覚ゆる小犬と小鳥(一)
前書き
犬の回顧、少女の親
自慢ではないが私は頭がいいほうではない。だからお前にこの雨夜之月の真実を告白された時もほとんど理解できなかった。
分かったのは、我々が、お前達彼岸の人にとっては〝本物〟ではないこと、そして、このまま帝天を追放すれば我らももろともに消滅してしまうということだけだった。
どれだけ悲惨な運命を与えられようと、帝天がいなければ雨夜之月は存続できない。
お前は甘っちょろくて情けなかったが、芯の強さは人一倍だった。だからその後のなりゆきも自然だったんだな。
今までの帝天を廃したあとは、お前自身が帝天になる、と。
私は止めたな。自分でも驚くくらい叫んで、泣いて、縋った。
「ごめん……俺もほんとはずっと朽葉と一緒にいたかった……」
卑怯だ、と思った。そんなふうに言われたらそれ以上の駄々は言えなかった。
「こんなこと言うと怒られそうだけどさ――強く生きてね、朽葉。自分が俺達の世界にとってどんな存在だったとしても、朽葉は俺が初めて特別に思った女の子だ。そんなものに負けたりしないで」
――私は今もお前の言いつけを守っている。犬神憑きであろうが、彼岸にとって夢にも等しい存在であろうが、胸を張って生きている。お前が私にしてくれたように、たくさんの人に笑顔を見せて、たくさんの人に優しくしている。
だから今度はお前の番。
はやく私のもとへ帰ってきて――
くうは布団の上に座って着物を脱ぎ、朽葉に傷の具合を見てもらっていた。
「腫れが早く引いてよかった」
喜んでいいものか、くうには分からなかったが、朽葉のきれいな笑みを見ると同意するしかなかった。
――目が覚めたら朽葉がいて、ここは陰陽寮だと聞かされた。なぜかはまだ聞いていない。朽葉は、陰陽寮は妖憑きにも寛容だから、とくうに言い聞かせた。朽葉の言葉だったので信じたが、完全に安心はしていなかった。
「朽葉さんは、あのとき坂守神社にいらしたんですか?」
「ああ。合同任務の打ち合わせといったが、その場にいたから連れて行かれてしまってな。お前が拘禁されたと聞いて面会を求めたが叶えられずに……何もできなくてすまなかった」
くうの頬を撫でる朽葉に対して首を振る。朽葉がどう動こうが結末は変わらなかっただろう。くうはどちらにせよ薫に――
「朽葉さん。くうはどうして生きているのですか?」
空気が変わる。
――あの瞬間、くうには抗えない〝死〟が訪れた。自己を形成する輪郭から剥がされて終わりのない昏い海に引きずりこまれた。喪失感、乖離感。断線した意識を繋ぎ直す先はなかった。篠ノ女空は終わった。
篠ノ女空は死んだ。
だが、今こうして生きている。
「くうの体、どうなってしまったのですか?」
朽葉はしばらく自分の膝に目を落として、顔を上げた。
「――落ち着いて聞いてくれ」
「もう落ち着いてます。お願いします」
「そ、そうか」
朽葉は面食らったが、すぐに安心して相好を崩した。
「あのとき、お前は藤袴に負わされた怪我で心肺停止だった」
心臓が停まるまで殴るくらい薫はくうが憎かったのか。自分が死んだことよりそちらのほうがショックだった。
「なぜ蘇生できたか分かるか?」
「お医者さんのご尽力、とか」
先ほど診察に来た、にこにこした華奢な医者を思い出す。
「藍鼠なら何もしてないぞ。お前は自分で死の淵から蘇ったんだ。私達が駆けつけた時にはすでに、お前の傷はもう治り始めていた」
「妖憑きの傷は勝手に治るものなのですか?」
朽葉は首を振る。
「お前に憑いたものにもよるが、むしろこれは呪いではないかと緋褪様はおっしゃった」
くうは自分の腹を腕で思いきり押さえた。この腹の中に、くうを死なせまいとするものが胎動している。
「不死の呪い。緋褪様ご自身や、先々代の銀朱にかかっていたのと同じ、決して死ねない呪いではないか、と」
「死ねない、呪い……」
くうは薫に殺されたときを思い出す。
あれを体感してなお逃げることは許されないのならば、確かにそれは呪い以外にありえない。
俯いて考え込んでいたくうに、今度は朽葉から質問が来た。
「なあ、くう。ずっとお前に聞こう聞こうと思っていて、聞きそびれていたことがあるんだ」
「何ですか?」
「お前の縁者に篠ノ女紺という男がいないか?」
「お父さんをご存じなんですか」
そこで朽葉は目をぱちぱちと瞬く。
「………………父親?」
「はい。篠ノ女紺は私の父の名前です」
後書き
ついにカミングアウトされた主人公と篠ノ女の関係。タグに捏造子世代とかつけるべきですかねこれ。
朽葉と鴇の別れのシーン。もうこの時点で作者の中では両想い想定です。公式でも鴇が他の女性に気を移すと朽葉は機嫌悪くなったり鴇フルボッコにしたりしてますから(笑)
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