つぶやき

鳩麦
 
さようならとこんにちは
どうもです。鳩麦です

つい昨日、二十歳という人生のある意味での大台に乗り、私も法律上の成人を果たしました。

とはいっても、精神的な面では今までと何ら変わりがなく、突然大人の自覚が出てくるわけでもないため、こればかりはこの先、ゆっくりと人生経験を積み重ねることで、少しずつ養っていきたいなと思っております。

さて、現代の日本人の生命が、多めに見積もって約80年持つとすると、僕の人生はこれで四分の一が終わったことになります。この先に今までの更に三倍の道のりが有るのかと思えば、少しは余裕が有るように感じなくもないですが、もしかしたら二倍かもしれませんし、あるいは実はもう倍無いのかもしれません。
それに関連して今SAOを書きながら、思ったことが、一つ。

僕は、死に臆病な人間です。
実を言うと小学校の頃、ひい婆さんが死んでからという物、僕はこの11年間、ずっと死を恐れたまま生きてきました。
夜、布団に包まった時、その体制から、寝たきりになる自分と、消えていく自分を想像して、足元に其処の無い穴が空くような恐怖にさらされた事が、何度となく有ります。

そんな死を恐れる自分が今キーボードをたたく先で、大暴れしている少女が居ます。
彼女は生まれながらにその短命を宣告され、余りにも理不尽に、僕と同等の年数すら生きることなく、その生を終える存在です。
それでも、彼女の生は、私にはとても輝いて見える。
きっと、死を恐れていないわけではないはずなのに、受け入れられているわけでもないはずだと、私は思うのに、余りにも輝かしく、彼女は一文一文の中で生きている。

彼女の生きたその一文一文を、私は何度となく読み返しました。けれどいまだに分からない事が有る。

彼女にとって、死とはなんなのでしょう?
抗うべき恐怖?戦うべき敵?受け入れるべき結末?普遍的な運命?
その確定された終わりに対して、彼女は何を思い、何故其処まで輝きながら生きることが出来るのでしょう?

その勇気が私は欲しい。
その力を、私は知りたい。
架空の存在だからとか、物語の登場人物だからとかそういうことではなく、彼女という一つの存在の生への、普遍的な疑問の答えを、私は見つけたい。

今僕は、キーボードをたたくたびに、その事をふと思っています。

死への恐怖が、どうやったら克服できるのか。
その答えが、どうしても知りたい。

答えが出ないまま、私は二十歳になりました。

……さようなら、十歳だった私。
……こんにちは、二十歳になった(死へ向かう)私。

 
鬼畜師
 
つぶやきへの独り言です
どうも、鬼畜師です。
成人おめでとうございます。
私の経験上ですが、二十歳になっていきなり変わるわけでもありません。
気付かない変化を何年もかけてゆっくりと変わり、ふとした時にいつの間にかここまできたのか、という気付きの繰り返しかと振り返って考えます。
まあ、そこまでの人生経験をしたわけではありませんが(笑)

「死」に対するつぶやきが非常に興味深かったので、独り言になりますが返信したいと思い書かせていただきます。
鳩麦さんと同じく、私も死に対して考えると眠れなかった日が何日もあります。
私の勉強した分野にも「死」に対する倫理的な部分もあり、その事を考えると正解、何で言葉が軽々しく聞こえてしまいます。
それでも敢えて、私個人の結論から言わせて頂くと
1,死の恐怖に対する克服は、「死ぬ」ことの意味を理解している人に限り、その命の期限が目に見えるまで死の恐怖に対する克服方法がわかる可能性が0から1%になることはない
2,命が本当に輝いて見える時は、その人が周りに対してメッセージを残す行動を行う姿を見たとき
です。

1に対する根拠は残念ながら持ち合わせていません。まだ私自身も分かった気でいるだけですし、立場によって考え方が変わる場合もあり得ると考えているからです。
敢えて言うと、別に恐くてもいいでしょう?怖いままで逃げたっていい、諦めてもいい、抵抗してもいい、何故なら誰に対しても平等にやってくるから。「死」に対して臆病じゃない人間は聖人君子レベルで世界的にもそう多くはいないでしょう。正直、うまくまとまりません(笑)
私の場合は、どうせ死ぬなら、死ぬ前に私が生きてきた証を残したいと考えます。そのために2の行動に繋がるのでしょうが...

2に対しての理由は、鳩麦さんが書く一人の少女は何かを伝えようとしているのではないでしょうか?例えば、私は此処にいたことを忘れないで、といったメッセージを周りに、必死に発信しているのでは?(私はその文を読んでいないので、あくまでも推測になりますが)
私が見たドキュメントで、18の娘が病気の末期症状で延命措置を拒否し、余命を伸ばして生きていて欲しいと願っている両親に対して、残した言葉があります。

「死ぬんじゃないよ、私は、生き抜くんだよ」

息が詰まる感覚でした。誰かさんの言葉を借りるなら、世界は何時だってこんなはずじゃないことばかりだと感じる瞬間でした。この言葉の受けとり方は様々ではあるとは思いますが、こんな風に何かを残す所を目撃したとき、命は輝いて見えるのではないでしょうか。

これはあくまでも模索中である現在の私の考えです。変わる可能性も勿論あります。
ですので鳩麦さん自身の持論は、これからの人生から感じ、考えることから見つけて下さい。
最後に、独り言ですので色々ずれてたらすみません(笑)
では、長文失礼しました。