「冥王来訪」の感想


 
コメント
>王室や帝室の祭祀を変えるという事

もし満州国が本当に日本と同じで、天皇が神道の祭司のような国を統治していたとしたら、溥儀は1年の3分の1の期間、祭祀を司る責任を負わなければならなかったはずだ、時間があったかどうかは別として、彼はこれらのことをどうやって行うか知っていたのでしょうか?それとも、日本帝国が満州を植民地として支配していたため、宮内省は儀式の司会を手伝うために人を派遣しなければならなかったのか?忙しすぎるのでしょう。 
作者からの返信
作者からの返信
 
>宮内省は儀式の司会を手伝うために人を派遣しなければならなかったのか?忙しすぎるのでしょう。
 
 当時の宮内省には一応代拝をする役人やシステムはありました。
明治天皇は政務の為に重要儀式以外はほとんど代拝でしたし、ご病弱だった大正天皇の場合は治世の半分を摂政を務められていた昭和天皇が受け持っていました。
 昭和天皇が祭祀に力を入れるようになったのは敗戦以後です。
それまで公務の半分以上を占めていた軍事関連の行事がなくなったことが遠因の一つでしょう。
また敗戦に関して思うところがあり、祭祀に打ち込むようになったと拝察することもできます。
 今も正月の四方拝は天皇自身が行いますが、天皇陵への報告などは代拝で済ます場合もありますよ。
今上帝もたしか天皇陵への報告は代拝で済ませてます。
今も様々な国事行為や内奏などがありますから、祭祀だけをするというのは難しいんでしょうね。

 溥儀も満州国の初代皇帝ですから、もし日本式の祭礼が行われたのであれば、そういうノウハウを日本側から教わっているのではないでしょうか。