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冥王来訪の感想一覧
「冥王来訪」の感想
2024年 12月 17日 10時 20分
コメント
劉仲敬氏:「海牙那一條是說已經被俘的間諜必須經過審判然後定罪,不是說作戰部隊不能對正躲在平民肉盾後面開槍的便衣狙擊手還擊。
便衣狙擊手才是戰爭罪犯,正如1932年上海自由市的判決。
1907年海牙公約同樣禁止民兵和志願軍不裝軍裝或配戴區別於平民的軍事標誌就投入戰爭,正如禁止軍人一樣。便衣士兵必須為平民所受傷害負責,而不是他們穿軍裝還擊的敵人。
所以1932年和1937年的國軍才是戰犯,必須為南京平民所受傷害負責,正如巴勒斯坦和伊拉克恐怖份子的同樣行徑一樣。
拿破崙時期的西班牙游擊隊和普法戰爭時期的法國游擊隊經常因為便衣而被佔領軍當作刑事犯罪分子侮辱性處決,更不要說在交火時擊斃了,從未有人因此指控法國和普魯士政府虐殺平民。」
作者からの返信
2024年 12月 17日 21時 34分
便衣兵を乱用する戦術を用いたのは主に共産主義陣営が多かった気がします。
ソ連のスペツナズは大元となったチェーカーの特殊任務隊(ChON)設立当初から便衣兵を運用する戦術を行っていました。
彼等は、劉仲敬先生がおっしゃっていたスペイン内戦にも派遣されており、人民戦線側でゲリラ戦術を指導していたことは有名です。
スペイン内戦時、NKVDは臨時攪乱隊という部隊を編成しており、ゲリラ戦でスペイン内戦に介入してました。
NKVDではナウム・エイチンゴン(レオニード・エイチンゴンとも)がレオニード・アレクサンドロヴィチ・コトフ将軍の名で参戦していました。
エイチンゴンはトロツキー暗殺にも参加し、一説には張作霖爆殺に関与したともされております。
パーヴェル・スダプラートフの回顧録にも名が登場する大物スパいでした。
彼の副官としては、アレクサンドル・オルロフがいて、後に西側に逃亡し、スペイン内戦でのソ連の秘密工作の暴露をしましたが、キム・フィルビーの名前は教えなかったとされています。
あるいは彼の立場ではキム・フィルビーを知らなかったのかもしれません。
ほぼ同時期にGRU(赤軍総参謀部情報課)も、秘密の軍事顧問団を派遣しており、ヤン・ベルジン大佐が指揮を執りました。
ベルジンは、1938年にスターリンの不興を買い、粛清されますが、後に名誉回復されています。
ゾルゲの上司でした。
ソ連赤軍の参謀であったトゥハチェフスキーは、空挺や騎兵部隊という特殊部隊を用いた後方攪乱を1930年代に立案しています。
これは戦後のソ連や東欧でも踏襲され、東独の降下猟兵大隊やポーランドの特殊任務隊などはそう言った方針の元作られた部隊でした。
2024年 12月 17日 10時 20分