軽い男 堅い女
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第六章
第六章
見回した後で学校に向かう。今までならそろそろ声をかけてきる。だがそれはまだなかった。
「・・・・・・駄目だったのかな、早苗」
それを見てふとそう思った。思うと気分が暗くなった。
「やっぱり。私の我が侭通りにはいかないか」
俯いてしまった。そしてそのまま学校の校門へ歩いていく。そこまでもあの声はなかった。
校門に辿り着いた。やはり声はなかった。それを確かめて洋子はふう、と溜息をついて顔をあげた。結局こうなってしまったのは自分のせいだと思いながら。
「お早う、洋子君」
「えっ!?」
だがそこで声がした。見れば校門の方からだ。
「待ってたよ、お早う」
「稲富君」
洋子は友一の姿を認めて目を点にさせて驚いていた。
「いたの」
「ずっとここで待ってたんだよ」
「何で!?」
「だってここには絶対に来るから。そうじゃないの?」
「・・・・・・まあ確かにね」
言われてみればその通りである。学校に入るにはここをくぐるしかないのだから。少し考えれば誰にでもわかることではあった。わからなかったのは洋子自身が他のことを考え過ぎていたからであった。
「だから待っていたんだよ。驚いた?」
「別に」
何処か普段の調子を取り戻せてきていた。目を細くさせてそう返す。
「よく考えれば当たり前のことだし」
「そうだったかな」
「大体何であんたがここにいるのよ。どういうつもりなの?」
「そんなことわかってるじゃないか」
彼はにこやかに笑いながら洋子に近付いて来た。
「洋子君の側にいたいからに決まってるじゃないか」
「だからそれは前から言ってるでしょ」
きつい調子で言うが今までのように完全にきつくはなかった。
「私はお断りよ。どうして私にまとわりつくのよ」
「洋子君の側にいたいからさ」
「だから私は嫌なの」
「そう言わずに」
「先生」
たまりかねて校門の前に立っている生活指導の先生に声をかけた。見れば大柄だがあまり迫力はない。この先生は身体は大きいが心優しい先生として知られている。元々校則の厳しくない学校でありこの先生も決して厳しい先生ではなかった。だがそれでも洋子は言った。
「先生からも何とか言って下さい」
「そうは言ってもなあ」
だが先生はあまり乗り気ではなかった。
「稲富、不純異性交遊だけはいかんぞ」
「わかってますって」
彼はそれに答えながら洋子にまた近付く。
「僕達高校生ですから。まずは日記の交換から」
「何で日記の交換なのよ」
「お互いのことを知りたいじゃない。ほら」
「面倒臭い、馬鹿馬鹿しい」
そう言って拒絶しようとする。だがここでノートが前に出されてきた。
「僕は書いたからさ、今度は洋子君が」
「私は嫌なのよ」
「そう言わずに」
「嫌だって」
「一日だけ。一行でもいいから」
「・・・・・・まあそれ位なら」
ちらりと片目で友一を見ながらそれに応えた。
「いいわ。書いてあげるから感謝しなさい」
「本当!?」
友一は洋子にそう言われ飛び上がらんばかりに喜んだ。
「やっと洋子君が愛の告白を!やったあ!」
「おっ、稲富に遂に彼女が!?」
「御相手は川口か」
「な、なななななななななななな」
丁度そこに登校して来る同級生達に言われ洋子はその顔を真っ赤にさせて手を大きく振り回してそれを否定しようとする。
「私はそんなこと」
「交換日記してくれるなんて。夢みたいだ」
「だからそれは一日だけだって言ってるでしょ!」
「その一日が二日になり三日になりやがて・・・・・・」
「何かいい話だなあ」
「冗談じゃないわよ、どうしてそうなるのよ!」
「だって今交換日記するって言っただろ」
「それはこいつがあんまりしつこいから・・・・・・」
「けどやるんでしょ」
「仕方なくよ!何で皆そうやって私とこいつを・・・・・・」
「顔が真っ赤なのが何よりの証拠」
「あんたが言うな!」
顔を真っ赤にさせたまま友一を追って学校に入る。だが逃げる友一にも追う洋子にも本当に逃げたり追い掛けたりする様子はなかった。何処か楽しんでいた。
「うまくいったみたいね」
早苗はそんな二人を自分の教室から見ながら一人呟いていた。
「本当に。世話が焼けるんだから」
そう言って一人苦笑した。そしてあの時のことを思い出していた。
「あれ、洋子君は?」
その時友一は洋子を待って部室の側で待っていたのだ。そこに早苗だけが来たから残念そうな声を出したのだ。
「君には悪いけれど用はないんだ。御免ね」
「前は用があったのにね」
早苗はそんな彼の言葉を笑って送り返した。
「あの時のこと?」
「ええ」
彼女は頷いた。
「私に振られて次の日にはもう別の女の子に声をかけていたわね」
「まあね」
友一は悪びれずそれに頷いた。
「あの時はね。それでいいと思っていたんだ」
「あの時は?」
「ああ。今はね、違うけれど」
「違うの」
早苗はそれを聞いて少し考える顔をした。
「それは洋子のことね」
「うん」
「じゃあ洋子のことは本気だと思ってもいいのかしら」
「今までだって本気だったよ」
彼はそう言い返した。
「君のことだって。あの時は本気だったんだ」
「そうだったの」
「何かね、好きな人がいると。言わずにはいられないんだ、昔から」
「けれど振られたらそれでお終いなのね」
「今まではね。けれど洋子君に気付いた時は全く別だったんだ」
「別だったの」
「そうさ」
彼は答えた。
「何か。本当に一目見た時から振られてもいいと思ったんだ。何度でもアタックしてやるって」
「それで今まであの娘につきまとっていたのね」
「つきまとってるつもりはないよ」
真剣な顔で首を横に振った。
「ただ・・・・・・。好きなだけなんだ」
「本当に好きなのね?」
「うん」
そして頷いた。
「本当なの?」
「何度でも言うよ。好きなんだよ。好きだからいつも何時までも側にいたいんだ」
「そうなの」
「そうさ。洋子君がいれば他には何にもいらないんだ。彼女が振り向いてさえくれたら僕は他のものはいらない。彼女だけが欲しいんだ」
「彼女と付き合いたいのね」
「だから言ってるじゃないか。それも一生」
「一生ね」
「ああ。何があっても離れたくはないよ。彼女と一緒にいたいんだ」
「わかったわ」
早苗はそれまで聞いてようやく頷いた。
「今までみたいな軽い調子だったら容赦なくここでひっぱ叩いて二度と洋子に近寄らせないつもりだったけれど」
「そうだったの」
「ええ」
見ればその目は本気であった。嘘は一切なかった。
「けれど今の貴方を見て安心したわ。どうしても一緒になりたいのなら方法があるわ」
「それは一体」
「ずっと一緒にいたいのね」
「うん」
彼はまた頷いた。
「じゃあどんなことにも耐えられるわね」
「勿論」
「わかったわ。じゃあ私にいい考えがあるわ」
「それは一体」
「稲富君、洋子から離れなさい」
「えっ!?」
友一はそれを聞いて口を大きく開けさせた。
「今何て」
「聞こえなかったの?洋子から離れなさいって言ったのよ」
「けれどそれって」
「矛盾はしないわ。いい、暫くあの娘の側に出ないだけでいいのよ」
「暫くってどれ位?」
「私がいいって言うまでよ。それとも我慢できないっていうの?」
「それは・・・・・・」
そのスラリとした長身を俯けさせた。どうやら彼にとっては思いも寄らぬことであったらしい。
「ちょっと・・・・・・」
「ちょっと・・・・・・何かしら」
「他のでよくないかな。やっぱり僕は」
「じゃあ洋子は側にいて欲しくはないのね」
「それも困るよ。だからね、僕は洋子君と何時までも何処までもずっと一緒にいたいんだよ」
「じゃあいいじゃない。少しの間だけ我慢すれば」
「それはできないよ」
「これで絶対洋子が貴方のことを好きになっても駄目かしら」
「好きに!?」
それを聞いた友一の耳も目も動きもあらゆるものが止まった。心ですら止まってしまった。
「洋子君が僕のことを好きになってくれるの!?」
「ええ」
「本当に!?」
「本当のことよ。私が言うのだから間違いはないわ」
「嘘みたいだ、その言葉」
それを聞いただけでもう夢の中にいるような気持ちになった。洋子が自分のことを好きになってくれる。それを思うだけでもう頭の中がそのまま天国へ行ってしまいそうであった。
「本当に本当なんだね」
「信じられないっていうの!?」
「そりゃ。僕は確かに洋子君が好きだけれど」
「彼女は貴方のことが嫌いだものね」
「うん。残念だけれど」
ここで早苗はあえて洋子の細かい心の動きは言わなかった。その仕草や表情からおおよそのことは見当がついていたがそれも言わなかった。その方がいいと思ったからだ。
「それが何とかなるんだったら。僕は何でもするよ」
「それがその離れることなのよ」
「そうなの」
「どう?やってみる?」
「ううん」
暫く腕を組んで考え込んだ。だがやがてその固く閉じた口を開いた。
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