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A's編
第三十二話 中
「ここは?」
光に包まれたせいで目をつむった僕が、瞼の向こう側に光を感じなくなり、ようやく目を開けられると判断して、ゆっくり瞼を開くとそこに広がっていたのは、一面の暗闇だった。
地面も空も前も後ろも右も左も、どういう原理かわからないが、僕は暗闇の―――いや、その言い方は正しくない。暗闇は、光が一切見えない空間を示す。ならば、自分の掌さえも、空間のはるか向こうに見える小さな瞬きが見えるこの空間を暗闇とは呼べない。
いうならば、この空間は―――夜。昼間の太陽の光を反射しながら柔らかい光を地上に届ける月のような光で空間を照らし、はるか向こうに見える瞬きが数十、数百と離れた星々の瞬きとするならば、まさしくこの空間は優しい、安寧へと誘う夜の空間であった。
「ようこそ、と言うべきか、少年」
不意にかかった声は後ろから。その声は、少し前まで聞いていた声だ。
「拉致にも近い強引な招待でしたけどね」
やれやれ、と苦笑して、肩をすくめながら僕は後ろを振り返る。僕の背後には予想した通りの人物が無表情で立っていた。
「それを行ったのは私であり、私ではないのだがな。もっとも、私が私だったとしても同じ行動をとっていなかったか、と問われれば、肯定も否定もできないだろうが」
真面目な顔で何とも理解しがたいことを言われた場合、どのような表情をすればいいのだろうか。彼女の意味の分からない言葉に混乱し、僕は小首をかしげることしかできなかった。
そんな仕草を見て、彼女も僕の状況を理解したのだろう、ふむ、とうなずくと再び口を開いて問いかけてきた。
「少年よ、君は状況を理解できているか?」
彼女―――闇の書の問いに僕は首を横に振った。
僕が記憶しているのは、何らかの理由で闇の書が暴走を開始して、なのはちゃんと戦っている最中なのに僕に襲いかかってきたことだけだ。あの時は急に眠くなったような気がする。
「ならば、説明しよう。現在、闇の書は、666頁の魔力の蒐集を完了し、全機能が解放された状態だ。それに伴い、防衛プログラムが暴走を開始している」
「暴走?」
どこかで聞いた言葉だ。いや、聞き覚えがあるのも間違いないだろう。なのはちゃんも言っていたではないか、「暴走している」と。防衛プログラムというのは初耳だが、闇の書の何らかの機能が暴走しているのは間違いないらしい。
「そうだ、闇の書が闇の書と呼ばれる所以。長き旅の中で改変された防衛プログラム。そのプログラムが過剰ともいえる反応で、外部への攻撃を始めている。このままでは、もう一刻もしないうちに闇の書は666頁の全魔力を開放し、破壊をまき散らしたのちに転生するだろう」
まるでガイドの案内のように淡々と抑揚のない口調で説明する闇の書。そして、最後に自嘲するように闇の書は一言だけ付け加えた。これまでのように、そして、これからも、な。と。
もしかしたら、この行動も闇の書の本意ではないのかもしれない。いや、かもしれない、という予測を立てるまでもない。この行動は闇の書の本意ではないないのだ。その証拠に彼女は口にした。
―――暴走、と。
何より、全機能が解放されたにもかかわらず、闇の書の意志の通りに動かない時点で、闇の書が何かしらの欠陥を抱えていることは明白だ。
「どうにかならないんですか?」
僕が口にした言葉は、一縷の望みをかけた問いかけだ。そもそも、どうにかなるようであれば、とっくにそうしているであろう。
そして、闇の書からの答えは、予想を違えることはなかった。無情にも僕からの問いに彼女は首を横に振ることで答えるのだった。
「本当にないんですか?」
僕はすがるように聞いた。
この空間が闇の書の中だとすると、外ではまだ闇の書の暴走を止めるためになのはちゃんが頑張っているはずなのだ。クロノさんたちは―――わからない。屋上のことも合わせて、時空管理局が何を考えて行動しているのかまったく予想がつかない。エイミィさんから事情を聴く前にこの現状に陥ってしまったから。
闇の書の話によるとこれまでも同じような最期を迎えているらしい。確かにクロノさんたちからは、魔力が暴走することは聞いていたが、主ごととは聞いていなかった。意図的に伏せられた? ならば、クロノさんたちは最初からはやてちゃんごと封印するつもりだった?
一度疑うときりがない。ひとまず管理局側の意図は隅において、僕とはやてちゃんがここから脱出する方法を考えなければならない。
僕のすがるように表情に何かを感じたのか、闇の書は目を閉じ、やや逡巡した後にゆっくりと口を開いた。
「確かに、今回は少年がこの空間で意識を保っていたり、主の意識が覚醒していることもあり、今までとは異なる部分もある。そこを利用すれば、もしかすれば状況を改善できる可能性もあるかもしれない。だが、少年よ、今回に限っては、私は足掻くつもりはないのだ。このまま、闇の書は主とともに終焉を迎える」
「なぜですか!?」
闇の書の言葉を途中まで聞いて、僕は少しだけ歓喜していただけに最後の言葉に突き落とされたような感覚に襲われた。希望を見せられたのに、その希望を目の前で摘み取られたようだ。
「主がそれを望んでいるからだ」
「はやてちゃんが?」
なぜ? とは聞かない。なぜなら、僕には心当たりがあったからだ。あの時、あの屋上で聞かされたクロノさんの言葉。僕は蒐集の衝撃で動けなかったから何も否定はできなかった。
つまり、はやてちゃんが、クロノさんの言葉をそのまま信じたとすれば―――はやてちゃんは、一人が嫌だと泣いた彼女は、間違いなく世界に一人で取り残された少女だった。
そんな彼女が世界に戻ることを望むだろうか。一人が寂しくて泣いていた少女が。これからも一人になることをわかっていながら戻ることを望むだろうか。もしかしたら、彼女が強い人間で、これから先の未来を望むような少女であれば、問題はないだろうが、現状を鑑みるにその可能性は低いようだ。
ならば―――ならば、僕にはやらなければならないことがある。
僕は思考の海から意識を浮上させ、闇の書を真正面から見据えた。
「闇の書さん、お願いがあります。はやてちゃんに会わせてください」
「なぜ?」
「僕ははやてちゃんと話さなくてはいけないことがあるからです」
そう、僕ははやてちゃんと話さなくてならない。あの日―――はやてちゃんの家族がもう帰ってこない、少なくとも彼女がそう感じた夜、僕の背中で泣いた夜、僕は彼女と約束したのだ。僕ははやてちゃんと友達であり、彼女を決して一人にしない、と。
だから、彼女が一人だと。世界で独りぼっちになってしまった、と思っているのならば、僕は傍らに立たなければならない。彼女を一人にしないために。だから、僕は、はやてちゃんと話をする必要がある。話して再び伝える必要がある。
―――君は一人じゃない、と。
「………わかった。もともと、少年は主の夢のキャストとしても呼ばれるほど信頼を得ていた。主が否、と言わなければいいでしょう」
「ありがとうございます」
断られれば、会えないことはわかっている。しかし、それでも機会をくれたことには素直に頭を下げた。ここで彼女が頑なに断れば、僕にはなすすべがなく、はやてちゃんと話すことすらできないのだから。このまま世界が終わったとしたら、はやてちゃんと話せないのは、最後の大きな、大きな後悔となっていただろう。
まるで、どこかと通信するように目をつむった闇の書。その瞳が再び開かれたのは、ほんの数秒だったように思える。彼女の瞳が再び僕を見据えた後、その場に立っていたのは僕が闇の書と呼ぶ女性としばらくの間だが一緒に暮らしていた車椅子に乗ったショートカットの少女―――はやてちゃんの姿があった。
お互いに視線は合わせているが無言だ。何を言っていいのか、何を言うべきなのか、すぐに言葉が見つからない。伝えたいことはたくさんあるはずなのに。だが、ほどなくして一番最初に口にするべき言葉は決まった。伝えたいことはたくさんあるけれども、僕は彼女にこれを最初に伝えなければならない。
「はやてちゃん」
「―――なんや? ショウ君」
僕の言葉に答える人形のように感情を映さない瞳で僕を見て口を開くはやてちゃん。その口調からは一緒にいた間、感じられた温もりは一切なかった。ある種当然なのかもしれない。知らない、というのは免罪符にはならないだろう。だから、僕はこの言葉を口にしなければならない。
「ごめんね」
「――――」
僕の言葉にはやてちゃんは無言だった。ただ、僕を感情の映らない瞳で見つめてくるだけ。それでも、僕は言葉をつづけた。
「僕ははやてちゃんに一人じゃないなんてかっこいいこと言っておきながら、君から信頼を得ることができなかった」
だから、ごめん、ともう一度だけ続けた。もしかしたら、これは僕の考えすぎなのかもしれない。だけど、どうしても考えてしまうのだ。あの時、もしも、クロノさんの言葉ではなく、僕の言葉を信じていたら、彼女が一人ではないと確信していたら、その時は一体どうなっていただろうか、と。もしかしたら、こんな事態にはなっていなかったのではないのだろうか、と考えてしまう。
もっとも、現状で、たられば、を言っても仕方ないということもあるだろう。後悔が先に立つことはない。だから、謝るのだ。謝ったところで何かが変わるわけではないのだが、それでも、後悔と誠意を示すために。
僕が謝罪の言葉を口にしている間、はやてちゃんは無言だった。車いすの横に佇む彼女―――闇の書も。ただ、正面から僕を見つめてくる。やや居心地が悪かったが、それでも彼女から目をそらすことはできなかった。それが不誠実な気がして。
「そうやって―――また、私をだますんやね?」
「え?」
ようやく彼女の口から発せられた言葉は信じられないような言葉だった。
だが、それは考えるべきだった。僕は台本を渡されていないとはいえ、はやてちゃんから見ればクロノさん側で踊った役者なのだ。だからこそ、闇の書も言ったではないか。「信頼を得ていた」と。その文言は過去形。あれが、闇の書が見せていた夢だとするなら、主を楽しませるための夢だとするならば、僕が夢のキャストになりきる必要はどこにもない。僕は僕のまま夢に取り込まれるべきなのだ。
だが、そうではなかった。僕は夢の中でも役割を与えられた。「聖剣を抜いた勇者としての蔵元翔太」として。本当にはやてちゃんからの信頼が残っているなら、僕は僕として呼ばれるべきなのに。なのに、僕は鋳型にはめられた僕として取り込まれてしまった。つまり、僕は完全に彼女からの信頼を失っていたのだ。
「そんなことはしないよ。あんなことの後に僕が何を言っても信じられないかもしれないけど、僕も何も知らなかったんだ。はやてちゃんに知らせたことしか知れなかったよ。だから、この言葉もあの時の『君を一人しない』という言葉も嘘じゃない」
これは僕の本心だった。彼女には信じてもらえないかもしれないけど、僕はあのとき、はやてちゃんの一人の友人として、彼女を孤独にするつもりはなかったと胸を張って言える。だからこそ、彼女の信頼を得られないのが悲しい。
だが、嘘じゃない、と言った瞬間、彼女の瞳が、肩が揺れたような気がした。それは本当に些細なもの。気のせいかも、と思えるほど些細なものだった。彼女も動揺しているのだろうか。だとすれば、少しは希望の芽があるのかもしれない。なにより、もしも、彼女から、本当に信頼がなくなっているならば、彼女はここに出てくる必要もなかったのだ。
また、僕に別の役割を与えた蔵元翔太として別の夢の世界に送り込めばいいのだから。
だが、彼女はこうして僕の目の前に出てきている。それは、彼女の心の揺れを示しているのではないだろうか。だとすれば、僕ができることは言葉を交わして、彼女の信頼を得ることだけだ。
「信じられんわ……」
先ほどとは違って、どこか悲しみを帯びたつぶやきだった。
はたして、彼女は『信じられない』のか、『信じたくない』のか、あるいは、『信じた結果、また裏切られるのが怖い』のかは僕にはわからない。そういう考えに至る経緯は理解できても、彼女の本心はわからない。魔法は使えたとしても、心まで読むことはできないのだから。
このまま放っておけば人間不信になってもおかしくない彼女を助けたいとは思う。彼女とは約束したのだから。
『一人にはしない』と。
それは、彼女のそばに佇むことだけでは達成することはできない。そばにいるだけでは、それは単純に赤の他人が一人と一人でいるだけだ。それでは意味がない。彼女が一緒にいると感じられて、初めて僕は約束を果たすことができるのだ。
だが、残念ながら彼女の半ば人間不信になりかけている状況を覆す妙案などない。せいぜい、百と千の言葉を重ねて、共に行動して信頼を地道に得るぐらいしか考え付かない。どうするべきだろうか?
そんな風に僕の思考がループに入りかけた時、不意に口を開いた人物がいた。
僕でもなく、はやてちゃんでもない。その隣に立っていた闇の書だった。
「―――主、そこの少年は嘘を口にしておりませんよ。本心のようです」
僕と話した時と同じように抑揚のない口調で、淡々と事実を告げるように闇の書は口にした。
え? と一番驚いたような表情をしていたのは、僕ではなく今まで感情を映さない瞳で僕を見ていたはやてちゃんだった。驚くといった表情が見られた意味は僕にはわからない。それは果たして闇の書が僕の心を代弁したことに対する驚きなのか、あるいは、僕の言葉が本心だったことに対する驚きなのか。どちらにしても、彼女は信じられないようなものを見るような表情で闇の書を見つめていた。
「ほ、ほんまか?」
どこか震える声で確認するはやてちゃん。
無理もない。一度、信じようとして裏切られて、そして、目の前で同じようなことを言っているのだ。そう簡単に信じろと言われても、信じられないというのが本音だろう。だが、そんな彼女を彼女を安心させるように闇の書は僕の前では決して見せなかった笑みを浮かべて彼女の主に応える。
「ええ、間違いありません。主から賜った祝福の風―――リインフォースの名にかけて、私の言葉が嘘、偽りでないことを保証いたします」
まるで母親のような、姉のような声で肯定されたはやてちゃん。僕には彼女がいう名前がどれほどの重みをもつのかわからないけれども、それが最大限の保証であることはうかがい知れた。そして、それをはやてちゃんも理解したのだろう。目を見開いて驚いたような表情をしていたが、やがて、顔をゆがめると目に大粒のしずくが浮かび上がってきた。
その表情を見て、僕と闇の書―――リインフォースと名乗った女性は慌てた。当たり前だ。ここで、何かしらの反応を見せることは容易に想像できたが、それが泣くという行為になるとは予想していなかったのだから。そして、慌てはじめたころにはすでに遅かった。瞳というダムはすでに決壊しており、瞳にたまっていた大粒の雫は、そのまま頬を伝って流れていた。いくつも、いくつも。しかも、ひっく、ひっく、と嗚咽を漏らしている。
さて、まことに残念ながら僕には女の子の涙を即座に止められるような魔法のようなものは持っていない。そして、それはリインフォースも同じだったようだ。僕たちはそろいもそろってうろたえるしかなく、彼女が泣いているという事態を呑み込めるようになって、ようやく彼女に近づくことができた。
「ど、どうしたの?」
突然、泣き出すという事態に動揺が収まっていなかった僕はやや上ずりながらもはやてちゃんに事情を尋ねる。だが、泣いている彼女がまともに答えてくれるはずもない。それでも、彼女が漏らす嗚咽の中でようやく聞き取れた単語は、「ごめんな」という謝罪の言葉だった。
だが、その言葉を聞いてもよく内容が理解できない。彼女が何に謝っているのか理解できないのだ。むしろ、謝るのは僕のほうだというのに。
「どうして、謝るの?」
「私……は、ショウ君……を信じ……られんかった」
嗚咽交じりの声で言うはやてちゃん。なるほど、と一応の理解はできた。でも―――
「謝らなくてもいいよ」
そう、彼女が謝る必要なんてない。
「確かにはやてちゃんは僕を疑ったかもしれないけど、それは状況が状況だからね」
今まで味方だと思っていた人に驚愕の真実を告げられて、そして、僕は残念ながらその人たちの味方だった。ましてや命を狙われていたのだから。人間不信になっておかしくはない。僕とはやてちゃんの間に特別な絆でもあれば話は別だろうが、残念ながら僕とはやてちゃんの間には友人以上の特別と言えるような絆はなかった。
その状況で疑わないなんてのは聖人でもなければ不可能だろう。
「だから、謝らなくてもいいよ」
「ショウくんは、許してくれるんか?」
ようやく涙が止まりかけていた彼女は車いすに座った状態で、やや上目遣いに尋ねてくる。泣きはらした跡が痛々しい。
僕は、彼女の言葉に首を縦に振ることで応えた。もともと、彼女が謝る必要なんてないのだから。許すも許さないもないのだ。だが、それで、彼女が納得しないというのであれば―――
「うん、僕が言うことじゃないかもしれないけど、大丈夫、僕ははやてちゃんを許すよ」
その言葉を投げかけるしかなかった。
僕の言葉を聞いて彼女は、理解するためだろうか、一瞬、表情を固めて、そのあとに安堵するようにはぁ、とため息を吐いた後、笑った。それは、緊張から解放されたような安堵の笑みだった。
「よかった、ショウくんが許してくれて」
「最初から許すも許さないもなかったんだけどね。ところで、僕は許してくれるのかな?」
少しだけ茶目っ気を含んだようなからかいの言葉に彼女も余裕が出てきたのか目を細めて笑った。
「もちろんや。でも、今度からはちゃんとしてもらわなあかんで?」
「わかってるよ」
彼女の信頼を得るために、僕は行動しなければならないだろう。約束したのだから。約束は果たすべきで、果たされるべきで、果たせるように努力するべきなのだから。
「最期までショウ君と一緒でよかったわ」
ぼそっ、と一言、はやてちゃんが口にしたようだったが、その声は小さすぎて僕のところまでは聞こえてこなかった。
「え? 何か言った?」
「ううん、何でもないで」
手を振って否定するはやてちゃん。何か言っていたことは間違いないのだが、それを僕に伝えない以上、特に意味がないものだったのだろう。はやてちゃんが口にしないのならば、それ以上追及する必要もないだろう、と判断して、僕は頭を切り替えることにした。
つまり、はやてちゃんと仲直りができた次のステップについて―――すなわち、ここからの脱出、あるいは状況の打破である。
さて、どうしようか? と考え始めた時、不意にはやてちゃんが口を開いた。
「なあ、ショウくん。次はどんな世界に行こうか?」
「え?」
それは僕が予想していなかった言葉だった。だから、僕も困惑してしまう。なぜなら、彼女が口にした言葉はこのまま、この場にとどまるという選択肢だったからだ。どういう意味だろうか? と助けを求めるようにリインフォースに視線を送ってみるが、彼女は痛ましいような表情をして主であるはやてちゃんを見つめるだけで特に口出しをするつもりはないようだった。
そんな僕の困惑するような表情に気付かないように、はやてちゃんは言葉を次々に紡ぐ。
「次はファンタジーっぽい世界やなくて、もっと現代風にしてみよか? 能力系の世界なんてどや?」
「はやてちゃん?」
僕の問いかけを無視してはやてちゃんは、言葉を紡ぐ。まるで、聞きたくないように。聞くことを無視しているようにも思える。その様子がおかしいはやてちゃんの態度を放っておくわけにもいかず、僕はもう一度、はやてちゃんに声をかけた。
「はやてちゃん」
「ん? なんや? ショウくん。もしかして、最強キャラにでもあこがれてるんか? あかんで、それは―――」
「はやてちゃん」
一回目の呼びかけは普通だったが、二回目の呼びかけは少しだけ強めに声をかけた。そうしなければ、彼女がこちらを向いてくれるとは思わなかったからである。事実、少しだけ強めに声をかけた時、はやてちゃんはようやく壊れたテープレコーダーのように言葉を紡いでいた口を閉じて、ばつの悪そうな顔をしていた。
「どうしてそんなこと言うの?」
僕たちがこれから話し合わなければならないのは、ここからどうやって脱出するか、あるいは、この状況を打破できる方法である。次の夢の世界を話し合うべきではない。それは、共通認識だとは思っていたが、どうやら違ったようだ。
僕は、彼女がこの状況の打破を望まないのは、あの時のクロノさんの言葉が引き金だと思っている。つまり、すべてに裏切られて、絶望したからだと。その中の一つの要因でも取り除けば希望を持ってくれると思っていたのだが………。そうではないのだろうか。
「ねえ、はやてちゃん、この状況を何とかしようよ」
僕は初めて彼女に提案してみた。
「い、いやや!」
だが、はやてちゃんから返ってきたのは、僕が望んだような賛同ではなく、拒絶だった。
彼女の中の何がそうさせるのかわからない。何か原因があるはずだった。僕が考えた以上の原因が。しかし、僕が一人で考えたところで答えはわからないだろう。彼女の気持ちは彼女しかわからないのだから。だから、僕は彼女の気持ちを知るためにさらに問いを重ねるしかなかった。
「どうして?」
僕の問いにはやてちゃんは、やや無言を重ねると、やがて言いづらそうな表情をして、その重たい口を開いた。
「だって………もう、嫌なんや。寂しいのも、一人になるのも、ただいまを言う相手がおらんのも、話す相手が誰もおらんのも、全部、全部嫌なんや! だから―――」
それは………孤独を初めて知った少女の叫びだったのだろう。
「でも、僕がいるよ」
今度は、彼女との約束は守るつもりだ。彼女を一人にするようなつもりは決してない。その言葉が本当であることは先ほどリインフォースが保証してくれた。彼女は、それだけでは不満ということなのだろうか。
「わかっとる。でも………それは、友達としてやろ? ショウくんかて、この事件が解決したら、自分の家に戻るんやろ?」
「それは―――」
彼女が言うことは事実だ。今までは、護衛という名目で彼女の家にいたが、それも事件が解決すれば―――この状況を打破すれば、そういうわけにもいかなくなるだろう。つまり、僕は自分の家に戻ることになる。学校も日常にシフトしてしまえば、彼女に毎日会うということも不可能になるかもしれない。その分も電話やメールでカバーできるかもしれないが、それも限界があるだろう。
そもそも、僕ははやてちゃんが望んでいたものを本質的に理解していなかったのかもしれない。
寂しい、孤独―――だから、隣に誰かが欲しい、それが彼女の願いだと思っていた。それは、心の距離であり、そういう間柄の誰かがいればいいと思っていた。それがたとえ、友達だったとしても。だが、それは違った。彼女が本当に求めていたのは、もっと近いものだ。心も体も。それを一言でいうならば、彼女が求めていたものは―――『家族』だろう。
彼女は、家族を知らずに育ち、家族を知って―――家族を失った。
一度知った楽しみを失った彼女は失うことに悲観的になっている。だから、こうしてもう一度、僕と縁を結んだとしても、いつまた失うかもしれない恐怖に押しつぶされそうになっている。いや、それはもしかしたら、僕との絆が得られたからなおのことかもしれない。失うかもしれないなら、最高の思い出のまま―――というやつである。
僕との絆が嘘だったとしても、本当だったとしても結末は変わらなかったということだろうか?
いや、それは違うだろう。前者だとすれば、はやてちゃんは何も信じられなくなっているだろう。だが、今は絆があることを信じられた。つまり、まだ希望があることを知ることができたのだ。ならば、失うことばかりで絶望を見ている彼女に教えるべきだろう。
この世界は失うだけの絶望だけではなく、得られる希望も等しくあるのだということを。
「ねえ、はやてちゃん。君が言いたいことはわかったよ。でも、それでも、僕は君に一緒にこの状況を打破する方法を考えてほしいと思っている」
「でも……もう嫌なんや。あんな思いをするのは……ショウくんかて、みんなみたいにいなくなるかもしれんのやろ?」
はやてちゃんは、今、失うことに臆病になっている。僕のことにしてもそうだ。確かに、僕は彼女を一人にしないといった。だが、それでも不慮の事故や、子どもの身ではどうしようもないことで離ればなれになってしまいこともあるかもしれない。そのころには、彼女は僕以外の友人も作っており、なにより、彼女との縁を切るつもりはなかったのだが。
「そう、かもしれないね。もしかしたら、僕もいつかはやてちゃんと離れてしまうこともあるかもしれない。でも、失うばかりじゃないでしょう?」
僕の言葉に重い表情をするはやてちゃん。だが、そんな表情を吹き飛ばすように僕はことさら明るい表情で笑いながら言う。その陰鬱な雰囲気を吹き飛ばすように。
「僕とはやてちゃんが図書館で出会って、そこから出会いを重ねたように、新しい絆だって結ぶことだってできるよ。それが失う絆よりも得る絆が多ければ、はやてちゃん、君は一人にはならないよ。そして、それらが積み重なっていけば、君が一番欲しかったものがきっと得られる」
「私が一番欲しかったもの?」
問いかけるように僕に言うはやてちゃん。
ああ、もしかしたら、寂しさが先に来て、失いたくないという感情に引きずられて、彼女は気付いていなかったのだろうか。彼女が思い焦がれ、望んでいたものに。彼女が一人は嫌だと泣きはらしたその先にある本当に望むものに。
「そうだよ、はやてちゃん。君がいくつもの絆を紡いで、それらと付き合って、そして君が一番欲しかったもの―――『家族』が得られるよ」
「家族……」
信じられないというように呆然とつぶやくはやてちゃん。もしかしたら、小学生である彼女は気付いていなかったのかもしれない。家族を作れるものだということに。小学生ならば無理はないか、とも思う。子どもの内は庇護される存在だ。庇護する側の家族の一員になれるとは思わないのだろう。
「私に家族………それってほんまに作れるんかな?」
「できるさ。はやてちゃんが、もう少し大人になって、本当に好きな人と出会えれば」
彼女が想像しているのは、どんな家族だろうか。彼女がどこまでの家族を記憶しているかわからないが、ヴォルケンリッターのような三人もいるような家族を彼女が理想とするなら、それは大家族だろう。しかし、彼女がどんな家族を想像していたとしても、僕ははっきりと断言することができる。
「君にはきっと素敵な家族ができるよ」
彼女は、知っている。失うことの怖さを。家族が一緒という当たり前のことが当たり前ではないことを。だからこそ、大切にすることができる。ようやく手に入れた家族という絆を。
そして、もう一つの条件である好きな男性に出会うということだが、こちらのほうはあまり心配していない。はやてちゃんは、贔屓目に見なくても美少女であることは保証できるし、性格が悪いわけではない。彼女の本質に触れられれば、明るい性格の女性であることはすぐにわかるから。僕の前世でも彼女のようなタイプは好ましいということは聞いたことがある。
それらを総合して考えたとしても、僕はやはり彼女が素敵な家族を作れることを保証できる。
「僕が―――君の友達である僕が保証するよ」
もっとも、僕の保証なんてあんまりあてにならないかもしれないけどね。
茶化すように笑ながら言う僕に、はやてちゃんも、くすっ、と笑った。それは、僕の言葉が可笑しかったのか、あるいは、彼女が想像する家族像が思い描けたことがうれしかったのか、僕にはわからない。だが、先ほどのような失うことに怯えるだけのはやてちゃんはそこにはいなかった。
「そうやな、ショウくんがそこまで保証してくれるんやったら、私も信じてみるわ」
「そう、よかった」
僕は、はやてちゃんの言葉に安堵した。やっぱり、女の子が暗い顔をしているのを見るのは精神衛生上、あまりいいものではない。やっぱり笑顔のほうが心安らぐというものである。だから、こうやってはやてちゃんが前のように笑ってくれるのは我がことのように嬉しかった。
「でも! ここまで言うんやから、もしも、私に素敵な家族ができんかったら責任は取ってもらうで!」
笑っていた顔が一瞬で真面目な顔つきになり、人差し指を立てながら言うはやてちゃん。
僕としては、あまり心配するようなことはないと思っているので、そのような事態にはならないと思っている。
「うん、大丈夫だよ。ちゃんと君に素敵な家族ができるようにフォローするから」
これでも友達の数は多いと自負している。前世の大学のときだって合コンの席埋めや企画をしたのは僕だ。はやてちゃんの隣に立ってもいいような男を紹介することぐらいはできるだろう。だが、それも後、数年は後のことだろう。今は友人ができるようにフォローしてあげるぐらいだろう。
だが、僕がきちんと答えたにも関わらず、はやてちゃんは少しだけ不満げな顔をしていた。
「そういうことやないんやけどな」
「そういうことって?」
ぼそっ、と呟いたつもりなのかもしれない。だが、今度は僕の耳にも聞こえた。だから、聞き返したのだが、彼女は慌ててまた両手を目の前で振って何もない、という事実をアピールしていた。
「な、なんでもないんや」
「……そう」
今度もクエッションマークが僕の頭の上を踊ったが、前回と同じ理由で追及することはなかった。
さて、これではやてちゃんの気持ちも前向きになった。あとは、この状況を打破できるような方針を考えるだけだ。
「主、お話は終わりましたでしょうか?」
「リインフォース」
そう考えていた時に、今まで話に入ってこなかったリインフォースが話に入ってきた。
「なあ、リインフォース。私はやっぱり、足掻くことにしたわ。この世界で家族を作るんや」
彼女の言葉はリインフォースに対する宣言だったのだろう。その言葉を聞いて、リインフォースは微笑んだ。まるで、母親が娘を見守るように。
「そうですか。それが主の願いであるのならば反対はいたしません」
「それで………ここから出る方法なんやけど……」
はやてちゃんが口にしてくれたが、そう、それが一番の問題だ。前にリインフォースが言ったように過去の持ち主とは状況が異なるのだろう。はやてちゃんが意識があることが違うと言っていた。ならば、そこを足掛かりにして何とかできないのだろうか?
だが、優秀なデバイスというのは主が求める答えを先に用意していたらしい。
「―――少年、外で戦っている女性は、あなたの仲間ですか?」
「え? あ、ああ、なのはちゃんのこと? うん、僕の友達だよ」
女性と言われて一瞬わからなかったが、そういえば、なのはちゃんは大人に変身できるのだった、と今更のように思い出して、あわてて頷いた。
僕の答えを聞いたリインフォースさんは、僕の答えを聞いて、目をつむって一瞬考えた後、改めて口を開いた。
「外の彼女に協力していただければ、この状況を何とかできるかもしれません」
「ほんまか!?」
それは僕にとってもはやてちゃんにとっても朗報だった。そして、先を知りたいであろうはやてちゃんの気持ちを酌んでか、問われるまでもなく先を続ける。
「ええ、外の彼女からの純魔力による攻撃で、私を動かしている防御プログラムを一時停止に追い込みます。その一瞬で、主のマスター権限で身体の権限を取り戻し、防御プログラムをパージ。あとは、パージし、顕現した防御プログラムを破壊してしまえばいいでしょう」
淡々と告げるリインフォース。だが、それは言うは易しというやつではないだろうか。僕としては遠目にしか見ていないから何とも言えないのだが、まず、外のリインフォースに攻撃を与えることが難しいように思える。それからの展開に関してはリインフォースとはやてちゃんに任せるしかないんだろうけど………。
「それしか手がないんやな?」
「時間などを考慮すれば」
「なら、やるしかないな」
ぽん、とまるで買い物をするようにはやてちゃんが気軽に言う。しかし、いくら気軽に見えようとも、それしか手がないのであれば、動くしかないのだ。例え綱渡りだったとしても、やらなければはやてちゃんの未来が掴めないというのであれば。
しかし、この作戦は………。
「ごめん、僕ができることはほとんどないけど………はやてちゃん、頼むよ」
そう、僕にできることは本当に応援だけになってしまうのだ。だが、それでもはやてちゃんは、まるで僕を元気づけるように笑いながら言う。
「そうやな、ショウくんは、私のかっこいい活躍を見とればええよ」
確かに、それだけのことをやれればかっこいいだろう。それを目の前で応援する。まさしく特等席ではないだろうか。
「うん、頑張って。僕には応援しかできないけどね」
「………申し訳ありません。少年には別の役割があります」
応援しようと決めたところで、言いづらそうにリインフォースが口を挟んでくる。せっかく覚悟を決めたのに、とは思うが、それでもやることがないよりもましである。
「えっと……なにかやるべきことがあるなら、そちらもありがたいのですが」
「少年を追って、闇に飛び込んできた少女がいます。彼女と一緒にこちらが制御を取り戻した瞬間に内側から脱出してください」
――――僕を追ってきた?
ふと、脳裏に浮かんだのは、こちらに来る直前に耳に残っている「お兄ちゃん!」という叫び声。つまり、僕を追ってきた少女というのは―――
「もしかして、アリシアちゃん?」
「名まではわかりませんが、この場にとどまれば、防御プログラムと一緒につぶされてしまいます」
たとえ、アリシアちゃんじゃなかったとしてもどうやら助けに行かなければならない状況らしい。もっとも、ここで漫然と応援しているよりもいいのかもしれないが。
「わかりました。その子の元へ向かいます」
「お願いします」
そう言うリインフォースさんは、掌を闇へと向けて、また別の闇を作り出した。おそらく、この向こう側にアリシアちゃんかもしれない少女がいるのだろう。僕は、リインフォースさんに顔を向け、コクリと一回うなずかれた後にこのゲートをくぐることにした。
「ショウくん!」
僕がゲートくぐる直前、横からはやてちゃんの声。なんだろう? と横を見てみれば、そこには先ほどの失うことに怯えていたような表情もどこへやら、満面の笑みを浮かべたはやてちゃんが、びっ、と親指を立てていた。
「また、外でやで!」
「うん、はやてちゃんも、頑張ってね!」
僕もはやてちゃんに倣うようにして、右手の親指を立てて彼女に返した。
はやてちゃんがうまくやるか、なんてのは考えない。彼女はきっとやってくれるだろうし、友人である僕は、彼女を一人にしないと約束した僕は彼女を信じる。
だから、僕は一切の不安を抱くことなく、目の前に開かれた闇のゲートへと足を踏み入れるのだった。
続く
後書き
あとがき
女性から男性への「責任をとってね」という言葉の重みは年齢で異なるのだろうか。
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