乱世の確率事象改変
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新たな絆は抑止の鎖
獰猛な猛獣のようにも、好物を前にした子供のようにも見える。
そわそわと身体を揺らし、待てを掛けられた子犬がするように首を傾げて、その美女は不足気な視線を秋斗に向けていた。
「なぁ、もうええやろ? 待つんなんかウチの性には合わへんって分かるやろぉ?」
艶っぽい声音が耳を打つ。
美しい女が独特の関西弁で懇願するその悩ましい声を聞けば、大抵の男であればコロリと落ちてしまうのではないかと、そんな感想が秋斗の頭に浮かぶ。
大人の女性ならではの起伏が目立つしなやかな身体を寝台の上に横たえて、そんな誘いを向けられたなら……据え膳を食わない、という選択肢を選ぶモノの方が少ないであろう。
しかし今の部屋の様子を見れば、欲望のままに襲い掛かる男など居はしない。
何故なら、彼女が求めているのは男では無く……
「ダメだ。ゆえゆえがつまみを持って来てくれるまで飲む事は許さん」
「徐晃のいけず! 一口飲むくらいええやんか!」
大量に用意された酒であったから。
寝台に寝そべって、ダダをこねる子供のように脚をバタバタさせて、紫藍の髪を揺らした霞。
「なぁ、ちょっとだけ先に飲んでもええやろー? なぁ、なぁ、ええやろー? なぁ――――痛っ!」
「私の寝台で暴れるな!」
「いちち……何も叩くことあらへんやんか……」
「ふん! 拳じゃなかっただけありがたく思え!」
尚も口を尖らせながら同じく懇願を繰り返す霞であったが、すっくと立ち上がった春蘭に頭を叩かれて、涙目で不足を露わにした。
大きくため息を吐いた秋斗は、目の前に座るもう一人に目を向ける。
「なぁ妙才、張遼はいつもこんなんなのか?」
「ふふ、まあ……こんな感じだ。
姉者も霞も喧嘩などするなよ? 酒を取り上げられてもいいのなら別だが……」
柔らかく上品な笑みを浮かべたのは秋蘭。春蘭と霞が口喧嘩を始め出す前に言い放った。
普段なら間違いなく、二人は――と言っても霞はからかっているだけなのだが――言い争いに発展してしまう為に。
「しかしな秋蘭。元はと言えばこいつが私の匂いがするー、とか言って寝台に寝そべったのが悪いんだぞ?」
「ウチ、春蘭の匂い結構好きなんやからしゃあないやん。くくっ、きっと華琳も好きなんちゃうかなぁ?」
「そ、それは偶に言って下さるが――――」
「へぇ! どんな感じで言われるんや?」
「そんなこと教えられるか!」
「ええやんかー、ウチと春蘭の仲やろ?」
「ダメなモノはダメだ!」
口喧嘩にはならず、しかし男の前でそのような会話を繰り広げるのは如何様なモノか。
繰り広げられる内容に行く先を考えて、秋蘭は苦い顔で額に手を当てため息を零した。秋斗も苦笑を一つ。
後に、断り続ける春蘭と、どうにか聞きだそうと絡み続ける霞に対し……二人は目を細めて冷たい視線を投げかけた。
「張遼、これだけの酒を前にしてゆえゆえに正座させられて待てを喰らうのと、大人しく席に着くのとどっちがいい?」
「姉者、あまりうるさくするなら勝利報酬になった華琳様の閨番には私が代わりに行っていいと言われているのだが?」
二人で同時に、それぞれに最も効果的な一言を零す。
耳に入り、二人の顔を見た途端、霞は秋斗の隣に、春蘭は秋蘭の隣へと座った。
「う、嘘だろう?」
「そ、そんなん月がするわけないやん、な?」
確認の為に聞き返しても二人はニコリと微笑むだけで何も言わなかった。
さーっと顔を蒼褪めさせて、息の合った動作で俯く霞と春蘭。
「せっかく私が勝ったのに……」
「正座て……膝枕する側は嫌や……」
その様子に微笑みながら……そっと、秋蘭は瞼を降ろした。
――徐晃とは中々に合わせやすい。姉者や霞の補佐を任せても大丈夫だろう。
黄巾の時にも幾度か会話をしていたのだが、一歩引いて回りを扱うそのやり方に、秋蘭は自分と似たようなモノを感じていた。
華琳の所での軍に於けるそういった役目を一手に担っていたのは秋蘭。華琳もその能力に大きな信頼を寄せている。
突っ走る癖が目立ち、放っておく事など出来ない姉を支えていた秋蘭と、この世界に溶け込む為に、常に誰かしらに合わせるべきだと判断している秋斗。
どちらも周りの状況把握に念頭を置いて居るので補佐役としての能力が磨かれていくのは当然といえば当然。
些細な違いがあるとすれば、秋蘭は諌める側として多大な機能を果たすが、秋斗は諌めるよりも違う方向に誘導して捻じ曲げる方が得意であるくらい。
ストッパーとしては秋蘭が、火付け役としては秋斗が適していると言えよう。
――私達四人が揃えば……華琳様のご助力をするには申し分ない。客分だとしても徐晃の参入はやはり大きい。
これからの自軍を想像して期待に胸が膨らむ。
秋蘭は華琳と同じくその能力を認めている。人との協調性は何よりも必要なモノである。
曹操軍の重鎮達には一癖も二癖もある者が多い為に、繋ぎ役、聞き役、相談役等を自分と同じくらい率なくこなせる人が欲しいと思っていた所。
秋斗は事務仕事にも精通している為に、その負担が減る事も含めて素直に嬉しかった。
――まあ、欲を言えばもう一人くらい私達と並ぶ程の武を持って華琳様を支える人材が欲しいのだが……凪達の成長に期待するか、次の戦で“あいつ”を――――
思考に潜っている最中に、部屋の扉が来客を示した。
短く乾いた音が二回。秋蘭は首を傾げたが、霞と春蘭、そして秋斗は合わせて声を上げた。
「入りぃや」
「開いているぞ」
「どうぞー」
きぃ……と小さな軋みを上げて開かれた扉。現れた月がペコリとお辞儀を一つ。その後ろでは……むすっとむくれている朔夜も倣って。
「お待たせ致しました。おつまみを、との事でしたので簡易なモノだけですが――」
「待っとったでー!」
ぴゃーっと駆けて、霞はすぐに台車の乗せてあるつまみを机に運んでいく。見る間に、三往復して。
これが神速の力か……と秋斗が冗談めかしていう声に、秋蘭は吹き出し、クスクスと笑った。
「あ……私が、秋兄様の所まで運びたかったのに……」
あっと言う間に仕事が奪われ、哀しそうに朔夜が零した。
霞の酒好きを知っている月は上品な微笑みを一つ。
「朔夜ちゃん。四人の時間を邪魔しちゃダメって言われたでしょう?」
柔らかく咎めた。
そのまま秋斗の膝の上に居座るつもりだった事を見抜かれて、また口を尖らせて不満をあらわにした朔夜は、秋斗に懇願の眼差しを向ける。
他の女と交流を深めているから嫉妬している、というのではない。
秋斗の話を聞きたかったのだ。まあ、酔った所も見てみたい、というのも少しあるようだが。
桂花が居ない為に仕事量は多く、風達と共にそれを消化している為に、最近の朔夜は秋斗とはあまり話す時間が無かった。秋斗も昼は警邏や事務仕事の手伝い、夜は店長の店や夜間巡回に行っているので余計に会えない。
その分、秋斗がどんなだったかを代わりに詠や月から教えて貰い、寝台で色々と煮詰めていた事を聞いてソレをしようと提案しても、それだけは出来ないと止められていた。雛里の場所を取るな、と暗に示されていたのも、彼女は理解している。
懇願の視線には寂しさと嫉妬が含まれている。
――早く、鳳雛が帰ってくるまでに沢山知っておかないと……追いつけません。
朔夜の嫉妬の対象は月でも無く、詠でも無く、曹操軍の他の誰かでも無く……雛里ただ一人。
彼の隣に並ぶ事が出来た存在が羨ましく、自分もそうなりたい。ずっとそれだけを願ってきたのだから……仕方のない事であった。居場所を奪いたい、とは違い、一刻も早く同列に追いつきたいのだ。
不満を見て取った秋斗は、すっと椅子から立ち上がって近付き――
「ふぇ? ぅあ……」
優しく、その頭を撫でた。
「ごめんな朔夜。近々時間を作るからその時にでもゆっくり話そうか」
「……うぅ、約束、です」
恥ずかしくてきゅむきゅむと小さな手を握りながら、朔夜はコクリと頷いた。
月がほんの少し眉を寄せたのを見て、秋斗は直ぐに手を離し、分かってるというように苦笑してまた自分の席に戻って行く。
その背を一寸見つめて、朔夜と月の二人はお辞儀をしてから扉を閉めた。
しん、と静まり返った室内の空気に、秋斗の心は少し沈む。
春蘭の視線が痛い。厳しく睨みつけるその瞳は、誰を想っての事か。霞が難しい顔をして悩んでいるが、何を感じての事か。
彼女達が優しいからこそ分かり易い。雛里の事があるから、朔夜との対応には多々問題があるのだ。
今の秋斗の事を気遣って何も言わないのは分かっているのだが、こういうときはやはり居辛い。
「そういえば三人とも扉を叩いた意味を知っていたのか」
すかさず、秋蘭が言葉を上げた。場の流れをずらしてくれた事に内心でほっと一息。秋斗はそのまま口を開くも――――
「ああ、あれはノックと言ってな――」
「来客を知らせるモノなのだぞ、秋蘭。こう、コンコン、と二回とか三回するのだがな、徐州で雛里に教えて貰ったこれは中々礼儀正しくていいと、華琳様も使い始めている」
続きを繋げ……否、奪い取って誇らしげに身振り手振りで説明する春蘭は子供のような満足げな顔であった。
春蘭に悪気はない。ただ、わざわざ雛里の名を出したのは……彼女なりに秋斗が思い出せるようにと考えての事もある。
なるほど、と頷いている秋蘭は、内容を頭に留めながらも春蘭のその愛らしい仕草に満足げである。
先程まで鋭い視線を向けていたというのに、となんとも言えない顔をした秋斗を見て、堪らず、霞が噴出した。
「くくっ、なんっちゅう顔しとんねんっ! あははっ!」
「……いや、さすがに不意打ちで話を取られたからさ」
「ふん、秋蘭には私という聡明な姉がいるのだから、お前が教えなくともよい」
沈黙。
先ほどとは違う、生温くどうしようもなく緩いその空間に、今度は春蘭が居辛くなってしまった。
三人が三人とも、言葉を発した春蘭を……信じられないモノを見る目で見ていた。
「な、なんだその目は……って秋蘭まで……」
隣を見て、本気で表情を哀しみに染めてがっくりと頭を垂れた春蘭。まあまあと肩を叩き宥める秋蘭。微笑ましげに見やる他二人。
いつまでもこうしていたいような空気である。しかし、これ以上待てるわけ無い人が一人。
「ほな、つまみも揃った事やし……飲もうや!」
ぱあっと顔を弾けさせ、すぐさま瓶の詮を開けたのはやはり霞であった。
なみなみと、他よりも大きな杯を満たしていく。
「だな。ほら元譲、今日の勝負はお前の勝ちなんだから気分良く飲め」
続いて秋斗が春蘭と秋蘭の杯に注いでいく。霞は秋斗の杯に。
「むぅ、しかしお前は華琳様の部下にならなかったじゃないか」
「そう言うな姉者。華琳様が客分と言ったのだ。何かお考えがあっての事だろう。なあ、徐晃?」
それは柔らかい探りの言葉。華琳に直接聞く事は出来ないが、秋斗から話しを聞くのならば問題は無いと示す。
秋斗が答えに迷い始める前に、霞が杯を掲げた。
「めんどい話は飲みながらでも出来るやろ? ほら、はよやろやぁ!」
早く早くと急かす様子に、秋斗も、秋蘭も、春蘭でさえも苦笑を噛み殺した。
子供ばかりだ、と秋蘭は一人内心で呟き、一応まとめ役が出来そうな秋斗に目を向けるも……何か企んでいる笑みで、チラと目線を違う方向へと逸らされる。その方を追えば……やる気十分と言った春蘭の引き締まった顔。
また目を合わせて、秋蘭は秋斗に片目を瞑って合図を一つ。嬉しそうに秋斗は頷き返した。
「では! 私の今日の勝利と、新し――――」
「新しく、楽しい出会いに、乾杯っ!」
春蘭は秋斗に途中で役目を奪われ呆然とし、秋蘭と霞が楽しげに笑って杯を合わせた。
こうして、史実の魏を代表する名を持つ四人による、初めての酒宴が始まった。
秋斗と春蘭の試合は春蘭の勝利に終わった。
しかし、秋斗が華琳に跪くはずが無く、もう一度と言いだそうとした所を華琳に止められた。
華琳が客分でいいと示したのだから、春蘭にそれを覆す事など出来ない。よって……華琳はこんな事を言っていた。
「これから三日に一度、徐晃に春蘭の仕事を手伝わせるわ。徐晃も、それでいいわね?」
跪く、までは行かずとも客分故に雑用はさせられる。春蘭の仕事も捗るだろう。雑多な扱いにも文句を言わない秋斗を見てある程度呑み込み、しぶしぶではあるが春蘭はそれ以上何も言わなかった。
もちろん、華琳の狙いは言葉通り以外にもある。
秋斗が春蘭の仕事を手伝うという事は秋蘭に回っていた事務仕事が減る。さらには、春蘭にも事務関連を教えろ、と暗に伝えてもいる。秋蘭でさえ手を焼く春蘭の事務仕事の拙さを秋斗が改善させられるか測るのも忘れなかった。
まず、秋斗は断るはずも無い。それが客分、食と住、そして金銭を貰っているのだから与えられる仕事はこなすのみ。
しかして驚く事に、華琳は秋斗達の親交が深まるようにと酒も贈った。隠された意図は多々あるだろうが、悪いモノでは無いのだからと、皆は喜んで受け取った。それによって開かれたのが今回の酒宴である。
余談として一つ、一応形式張っていた為に秋斗はその時敬語で応対したのだが、華琳が去った後、春蘭と秋蘭、そして霞に「気持ち悪い」の一言を耳にグサリと突き刺さされ、さらには呼び捨てで構わないと許されている。
やっと酒にありつけて上機嫌な霞は、杯を傾けてぐびりと大きく喉を鳴らした。
「いやぁー、美味い! やっぱ身体動かした後の酒は最っ高やな!」
「そりゃあんだけ試合とか訓練とかすればな。……っ……あー、生き返る」
仕事疲れでビールを飲んだ現代人のように、秋斗も一口飲み込んでにやけ切った笑みを零した。喉を通る酒は熱く、疲れ切った身体に沁み渡っていく。
華琳が仕事に戻った後、霞は秋斗とも春蘭とも試合をしていた。秋斗は勝てず、春蘭は霞と引き分け。その後は日が暮れるまで秋蘭を交えて四人での訓練等々。
その様子を思い出してか、秋蘭が小さく微笑んだ。
「あれだけ綺麗に連携が出来たのは嬉しい限りだ。戦場でも我ら四人で戦えたら……きっと上手く行くだろう」
「うーん、でも同じ場所に立つ事なんてあるのか? お前さん達は部隊の指揮もあるのに」
秋斗の疑問は正しく、戦場に於いて四人もの武将が一丸となって戦う事はまず無い。そこに化け物が居ない限りは。
ただ、秋蘭が言っているのは化け物武将相手では無く、別の意味として。
「普通はそうなのだが……次の戦では風がそういった策を立てている、と耳に挟んでな」
「バカな、あの風が? 部隊を持っていない徐晃はまだしも、指揮者が纏まるのは下策では無いか。敵は有能な将の少ない袁紹軍と言えど、兵数はそのまま力である事に変わりない」
武将が一所に集うような策、と聞いて反論を唱えたのは春蘭。霞も同意だというように頷く。しかし、秋斗は鋭く思考を巡らせていた。
――十面埋伏で追い詰めた後なら出来るな。兵列突破の為に武将四人の連携での最速駆け抜けとか。風は程昱だし、思いついても不思議じゃないか。
生前に於いて、程昱と言う名で有名なのはその策。やはり何処かしら史実や演義に乗っ取った世界なのだと、秋斗は納得した。
ただ、思わぬ所から不意打ちが仕掛けられる。
「将が集まれる策、かぁ。雛里に聞いた十面埋伏陣やったら出来そうやなぁ。でも袁紹軍も使いよったらしいし……ソレとはちゃうんちゃうか?」
「うむ、秋蘭はまだ雛里と会ってないから知らんだろう。徐晃が……いや、黒麒麟と雛里が追い詰められた策がそれらしいぞ」
「……そうなのか。まだ正式な軍議もしていないし、風だけの案だったのだろう。ならば、その策は使わなさそうだな」
三人が会話を繰り広げて行く中、秋斗は固まっていた。
――なんで……“使われる側”の袁紹軍がそれを先に使ってるんだ。
有名処が女ばかりの世界である。何が起こっても不思議では無いと思っていたが、まさか策までこじれているとは思いもよらなかった。
秋斗はこの世界の危うさを知る。歴史通りにはいかない、自分の知識を信頼し過ぎれば食われるのだと。
これまでも自分が劉備軍に居た話は聞いている。早回しのように戦が繰り広げられているのも理解している。だが、軍師の思いつきまでねじ曲がるとなれば、警戒を強めないはずが無い。
黙々と、秋斗は思考を積み上げていく。曹操軍が勝てるようにはどうすればいいか、次の戦は何処であるのか、自分には何が出来るのか。
止まっている秋斗に対して、秋蘭が訝しげに眉を寄せた。
「……徐晃? どうした?」
はっと我に返った秋斗は、誤魔化す為に苦笑を零した。
「いや、黒麒麟と鳳統ちゃんが追い詰められたって聞いて、ちょっとな」
卑怯だとは思った。彼女達が気遣ってくれている事を利用してぼかしたのだから。
秋蘭は表情に蔭を落とし、霞は言葉に詰まった。
ただ……春蘭だけは違った。秋斗の逃げるような一言が気に入らなかった。
「……徐晃、今のお前に教えてやる。黒麒麟は……徐晃隊はなぁ、たった二千余りの部隊で二万近い軍勢の十面埋伏による包囲を抜けたのだ。詳細はさすがに聞いていないが、誰もが、死んでいた部隊の誰もが微笑んでいたんだ。それがどういう事か分かるか?」
真っ直ぐ、秋斗に事実を叩きつけた。
自分がどうして此処に立っていられるのか、何に生かされて来たのか。記憶にない事でも知っておけ、と。
すっと目を細め、秋斗は眉を顰めた。
分からないのが苦しい。どれだけの犠牲を払ったのか、どれだけの想いがあったのか、それを理解出来ないのがもどかしい。
情報として与えられても、その中身にどのようなモノがあったのか分からず、ただもやもやと蟠りが増えて行く。
そして……自分の間違いが何かを明確に理解している為に、黒麒麟に――――
グイ、と春蘭は杯の酒を飲み干し、歯を噛みしめて秋斗を睨みつけた。
「お前が記憶を失っているのは分かっているがな……そんな顔だけはするな。まるで……黒麒麟を否定するようなそんな顔だけは絶対にするな!」
春蘭は心底怒っていた。
兵士を扱う彼女は将。誰かの命を使って主の願いを叶えんとするモノ。特に春蘭は、華琳への忠義を何よりも重んじているが為に、徐晃隊の想いが痛い程に分かっていた。
だから彼女は秋斗が気に食わない。今の秋斗が過去の自分に否定の感情を向ける事が、何よりも一番苛立ちを生む。
誇り高い者達の死を……無駄死にと断じているように見えるから。
一触即発の様な空気に、霞はやれやれと大きなため息を一つ。
「まあ、そう噛みつかんとき。なぁ徐晃。話してくれへんか? なんであんたは華琳に仕えへんのや? 自分から華琳に押し通す事も出来るやろうに。黒麒麟に否定の感情向けるんやったら、それくらい説明せな春蘭の腹の虫は収まらんで」
「私からも頼む。華琳様の目指しているモノもその道筋も、理解しているから今も此処にいるのだろう?」
重ねて言われて、じっと杯の酒を見据えた。後に、一気に飲み干して、熱い息を零す。
同じように、三人も自身の杯を傾け、ただ秋斗の言葉を待った。
「曹操殿に……か」
ぽつりと呟いた秋斗は覇王に仕えなかった理由に思考を向けていた。今の自分ではなく、前の、であったが。
今の意識を持ってから、何度も、何度も秋斗は考えた。如何な理由があって“この世界の曹操”に従わなかったのか。
道筋を確かめ、思想を聞き、率いていた隊の想いを想像し、黒麒麟の全てを読み解こうとしてきた。
何故、曹操では無く劉備に仕えたのか。何故、劉備軍に所属し続けたのか。
単純明快な理由が頭に浮かび、それが答えだと直ぐに理解した。煮詰めれば煮詰める程に、それしか答えが見つからなかった。
初めに出会った王が劉備であったから……ただそれだけ。
例えば、華琳に初めに出会っていたなら、秋斗は間違いなくそのまま仕えた。月に初めに出会っていたなら、この世界の董卓である月を見捨てる事などするはずも無いだろう。
彼女達が必死になって誰かを救おうとしている姿を知ってしまえば、それを助けたくなるは秋斗にとって必至。後はズブズブと、これが自分の使命だと妄信して視野が狭まっていくのも、一度しかない機会では当然。
それだけが理由だったのだと、冷静に分析した結果、秋斗は判断した。
そしてそれが間違いであったとも、今の秋斗は気付いている。
何故、気付くことが出来たか……
今“此処”に“自分”が居るからだ。
――ただ一人の強大な王が大陸の頂点に立つ事を望んでいる今の俺が消えずに存在していて、そしてこの世界が壊れていないから。
世界を変える意思を持てば、この世界は壊れない……そう、あの腹黒少女は言った。好きに動け、とも言った。
つまり秋斗が持つべき世界改変の意思とは――――乱世を終わらせる事。そこに結論が行き着くは必然であろう。
ならば……もはやわざわざ劉備の元へ戻る必要は無い。少しでも長き治世を齎せる王の元へ行くだけ。
秋斗を知る誰もが勘違いしていた。否、そうなるように仕向けられていた。他ならぬ黒麒麟自体が勘違いしていたのだからそれも詮無きこと。
掲げる王は誰でも良いはずであったのだ。全ての王の目指す未来が……平穏な世である事だけは、間違い無いのだから。
誰しも先の事など分からない。誰でもソレに責任は持てない。出来るのは子や孫に繋げる事のみ。
黒麒麟は、自分の知識という劇薬を最大限に生かし繋げる為に、この時代の天才達が一人でも多く欲しいと願った。いつか来る外敵からそれらを守り通す為に、誇りと強さを併せ持つ有力な将を一人でも多く生き残らせて、力という最も単純な守る為の強さを持つ血統も残したいと願った。
幾多の歴史や道筋、そして現代の倫理観や数多の人が思い描いた物語と価値観を知っているから、歴史上有り得ない程に長く続く平穏を作ろうとした。
理の外から指示を受けた傀儡としてでは無く、自分だけの世界改変の意思がそれだった。
黒麒麟は劉備の元でソレをしようとしていただけ。対して、今の秋斗は誰を掲げるかを決められる。
今の秋斗は明確に、黒麒麟の思考を理解していた。特に華琳と出会ってからはより深く。
馬鹿げている、増長している、思い上がりも甚だしい……そうは思わなかった。
悠久の平穏など作れるかどうかも分からない……否、そんな“理想の世界”は作れないと自分は知っている。それでも目指して、作りたくなった。
現代とは違い、遥かに文明が劣る中でも精一杯に生きている人々の笑顔を見たから。
華琳の治める街でも貧しい区画は存在して、痩せ細った子供達がいたから。
テレビの中でしか知らない、苦しい世界がそこにあったから。
民は泣きながら言った。
『徐晃様、どうか……どうか戦乱の世を終わらせてください。息子を戦場に送りたく無いのです』
子供達は笑いながら言った。
『大きくなったら徐晃様みたいにたくさんの人の為に戦いたいんだ』
他者の願いを受けて、彼は人を殺す事無く、黒麒麟と同じようにこの世界を変えたいと願い始めていた。
孫の顔を見に来たぞ……と、祝福を上げられるように。
戦うなら大切な人を守る為だけにしろよ……と、きっぱりとそう言い切れるように。
だから彼は『間違っていない』黒麒麟を求めている。それが黒麒麟と共にあった“あの子”の為……彼女の涙から今の彼の想いは始まったから、黒麒麟と自分の想いを混ぜ合わせる。
ただ……そんな真実と本心を春蘭達に話せるかと言えば話せない。故に彼は状況を利用する事を決めた。
華琳の描いているモノは月から聞いて、一番効率がいいのは知っている。
あの日言葉を交わして、自身の知識を最大限に生かせるのは此処だ、とも感じた。
しかし絡み過ぎた数多の糸が、今の秋斗の全てを縛る。記憶が戻っていない事も含めて、である。
それらを話すだけで、後は相手の判断に委ねればいい。思考誘導のコツは、真実を含ませて相手に曲解させる事なのだから。
ふっと息を零し、秋斗はまた、酒を煽った。
「曹操殿が客分でいいと言ったからお前さん達からは聞けないわな。酒の席で喧嘩するのは嫌だし……止められても無いから言ってもいいか」
ゴクリと、三人は生唾を呑み込んだ。秋斗は春蘭を静かに見据える。
「劉備に仕えていた黒麒麟を否定している俺が、何故曹操殿に仕えないのか……なに、簡単な事だ。記憶が戻った時に俺が曹操殿を裏切る場合を考えて、だ」
「……なるほどなぁ」
「……それも、そうか」
「なんでそうなるんだ?」
訝しげに見つめるのは春蘭だけ。他の二人は納得がいったというように、うんうんと頷いていた。
「元譲、例えばだ。お前さんが記憶を失って劉備の所に居たとしよう」
「なに!? 記憶を失っても私は華琳様の元へ行くぞ!?」
「だから例えばだって! 黙って聞け!」
弾けるように食って掛かった春蘭に対して、秋斗は目の前に人差し指をピタリと立てた。口を尖らせて睨み、春蘭は先を促す。
チラと秋蘭を見やり、
――なんかこの説明じゃダメな気がする。
意を込めて目くばせをすると、ふるふると首を振っていた。
頭を抱えたくなったが、秋斗は簡略化した説明をしようと切り替える。
「……あー、分かった。じゃあさ、お前さんは何があっても戻ろうとするんだろ? 黒麒麟もそうかもしれないって事だ」
「黒麒麟に戻ったお前が劉備に忠義を示すと、そう言うのか?」
「かもしれないってだけだよ」
全ては不確定の話でしかない。だが、さすがに秋斗は名が売れすぎた。
集まる兵は其処に黒麒麟を見る。その黒麒麟がブレてしまっては、軍そのモノを脅かす毒となりかねない。
記憶を失う前の秋斗の狙いはそこであったのだ。曹操軍内部で兵士を掌握し、大局の場面で混乱を齎す……黒麒麟を従えたい覇王にしか効果の無い最悪の一手。
未来の知識を持っている自分が考えていた事など、手に取るように分かったからこそ、今の秋斗はそれを止める為に周りを使う。
自分が敵とは、なんとも笑える……と自嘲の笑みが零れた。
難しい顔で沈黙した春蘭。その何も言わない様子に、分かってくれたか、と秋斗はほっと息を付く。霞はもう、何も聞かずに喉を潤していた。
ただ、秋蘭だけが、姉がこの後に何を言うか分かっていたようで、ふっ、と小さな息を漏らした。
「むぅ……お前が昔に戻って裏切ろうとしても、私が叩き伏せてやればいいだけではないか。仕えても仕えなくともそれは変わらんのだから、やはり華琳様に仕えるべきだろう?」
瞬間、霞が吹き出す。そのまま、器官に酒が入ったのか、霞は身体を曲げて咳き込んでいた。
やれやれと苦笑を零す秋蘭と、呆れのため息を漏らした秋斗。
波状効果で広がる影響では無く、秋斗が此処に居さえすれば問題は無いだろうと考えている春蘭。それを読み取って、秋斗はこれ以上説明する事を諦めた。
「クク、まあ、曹操殿の考えだからさ、我慢してくれ。問題が無くなったら部隊も持たせてくれるだろうし、正式に仕えろと言って来るはずだ。元譲は曹操殿を信じているんだろう?」
「当たり前だ。華琳様が私を信じてくださっているように、私も華琳様を信じている」
厳めしい顔で返事をする春蘭を見てから、やっと落ち着いた霞を確認し、微笑んで酒を飲んでいる秋蘭を最後に見た。
秋斗も酒をまた一口飲んでほうと息をつく。忠義の欠片も持てない自分の本心が読まれずに上手く丸め込めたと、内心で安堵しながら。
「その時に俺の答えをちゃんと見せるよ。それとさ、徐晃隊や黒麒麟が掲げていた想いを否定してるんじゃないのだけは分かってくれ。その証に、俺は此処にいる」
「……分かった。まあ、もし華琳様のお誘いを断っても私が叩き伏せて従わせるから問題は無いな」
「……お、おう」
もうそれでいいよ……とがっくり肩を落とす秋斗に、くつくつと霞と秋蘭は笑いを零した。
そのまま春蘭は難しい表情で何かを考え始めた。
じっと杯を見やり、うんうんと唸り始める。霞も、秋蘭もそれに気付いて首を捻った。
「どしたん?」
霞が聞くも無言。何処か気恥ずかしそうに秋斗と……窓の外に視線を流しただけで、春蘭は何も言わなかった。
ほほう、と声を出し、秋蘭は口の端を吊り上げた。
「姉者……此処は夜天の間では無いぞ?」
びくり、と肩を跳ねさせた。目を真ん丸にして、春蘭はわたわたと手を振り始める。
「違うっ! 私は別に……アレが羨ましいのでは……無くて、だな……」
消え入る声音。もじもじと頬を染めて、恥ずかしそうに人差し指同士をくっつける春蘭。
秋蘭は何を意味しているのか分かっていてからかっているが、霞も秋斗も分からない。
「娘娘に伝わる逸話、霞なら聞いた事があるのではないか?」
はっと驚き、霞も春蘭の悩みに気付く。
娘娘に通っていれば、必ず耳に入る話である。
乱世の始まりに、名が知れ渡る三人が夜天に何を願ったのか。心絆された友が願いあった……今はもう、叶わなくなった願い。
詰まる所、そういったやり取りに春蘭は憧れていたのだ。仕えないので出来ない、記憶が無いので出来ないの無い無いづくしで不満が出て、どうすればいいか悩んでいただけである。
なんだそんなことか、と霞が微笑ましげに言葉を紡いでいる横で……グッと、秋斗は拳を握っていた。
――夜天の……願い、か
ズキ、と胸が痛んだ。
店長から話を聞いた時には無かったのに、この緩い空気の中で、ソレを知らない者達から聞いている事で……あの子の泣き顔を思い出した時のように、胸が痛む。
思い出せ! と頭に響かせた。されども何も、記憶に変化は無い。なんら欠片さえ手に入らない。
ズキリ、と次は頭が痛んだ。まるで思い出すのを拒むかのよう。否、思い出すなと、そう告げるように。
無意識の内に手を胸に当てている事には気付かず、何か思い出すやもしれないと、店長から聞いた情報をゆっくり反芻していた。
友だったと言う三人とはどれだけ仲が良かったのか。白馬の片腕とはどれだけくだらない言い争いを楽しげにしていたのか。人となり、口調、関係性……全てを情報としてしか、秋斗は知らない。
何処か他人事のような感覚。それでも聞いているだけで楽しかったのだろうと理解出来ていた。
そしてそれを、自ら切り捨てた事も……分かっていた。
もう一度、ズキと胸が痛んだ。
一言だけ、誰かが呟いた気がした。――を救い出せた……と、歓喜を乗せた細い声が。
「――――徐晃? どうした?」
「まさか、なんかしら思い出したんか!?」
そうであればどれほど良かったか。現実は痛む胸を押さえて、思考に潜っていたのがほとんど。最後の痛みから出てきたモノも、直ぐに消えてしまった。
思い出そうとしても出て来ない。もどかしさと焦燥で頭が変になりそうだった。
じっと自分を見つめる彼女達に、彼はふるふると首を振った。
「ちょっと考え事してただけだ。思い出せたらよかったんだが……どうやらまだらしい」
やれやれ、と自分に呆れのため息を零して杯を満たし……一気に飲み干した。
酒宴の場を乱してしまうのも忍びなく感じて、落胆を隠せない素直な三人に苦笑を一つ、熱い息と共に。
「ごめんな気ぃ遣わせて。まあなんだ、辛気臭い顔してないで飲もうか。酒宴はまだ始まったばかりだ。次は楽しい話、聞かせてくれよ」
トクトクとそれぞれの杯に酒を注いでいく。
せっかくの酒宴である。親交を深める為でもあるのだからと、秋斗は場の空気を自分から切り替えた。
それから、四人は他愛ない会話とやり取りを繰り返していく。
霞と酒飲み勝負をした秋蘭が途中で春蘭を撫で繰り回したり、酔っぱらって猫化した春蘭に秋斗が引っ掻かれたり。
そうして、四人の夜は更けて行った。
寝台ですやすやと眠るのは同僚二人。霞は横目で見やってくくっと喉を鳴らした。
「全然起きひんなぁ、この二人」
「クク……そうだなぁ」
華琳から与えられた酒に加えて、四人が個人的に引っ張り出してきたモノを十数本も開けている。まだ潰れていない方がおかしいと言えるのだが、霞はピンピンしていた。
対して、薄目を開けて、如何にも眠そうな様子の秋斗が言葉を紡ぐ。
――ま、ウチ相手には……よう持った方か。
二人が潰れてから既に数刻。自分に今まで着いて来た秋斗を胸の内で褒めて、霞は自身の杯を満たしていく。
「あんたもそろそろ寝に行きや。片付けはしといたるさかい」
「張遼は強いなぁ」
「まだまだ行けるでぇ? ウチ潰したかったら樽でも持ってきぃや」
そりゃ恐ろしい、と苦笑を一つしてゆっくりと立ち上がった……が、
「あー、言いたかった事が一つあるんだぁ」
のんびりと、秋斗はまた腰を下ろした。
グビ、と酒を飲みながら目をやると、秋斗の目は優しく綻んだ。
「お前さんと再会してから、ゆえゆえは何処か……楽になった、みたいだし笑顔も増えた。ありがと、なぁ」
眠いのか目を瞑ったまま、にへら、と笑う彼。霞が苦しげに眉根を寄せたのは、そのせいで見えていなかった。
どっこいせ、とおっさんくさい掛け声を一つ。秋斗は立ち上がり、ふらふらと扉へと歩いていく。
「なぁ、徐晃……」
声を背に受けて、ピタリと脚が止まる。取っ手に掛けた手もそのまま。
「……苦しい事あったら言いや。もうウチら、友達やから。それとな、あんたも霞って呼んでくれてかまへんで」
静かに、数瞬の間を置いて……小さく、楽しげな笑い声が上がる。
「じゃあ、秋斗……って呼んでくれ。そんでさ、『俺』がバカしそうになったら、元譲と妙才と一緒に、ぶちのめしてくれよ」
言われんでも、との声は鋭く、されども優しい響きを持っていた。
きぃ……と扉を開け、外に出た秋斗は部屋の中に目を向け、柔らかく微笑んだ。
「おやすみ、霞。また飲もうな」
「ん、おやすみ秋斗。次はもっと飲ませるから覚悟しときや」
にししと猫っぽい笑いを上げたのを見て、秋斗はそっと扉を閉めた。
寂しい静寂が部屋を包む。その静かさに耐えきれなくなったかのように、霞はグビリと酒を喉に通した。
熱い液体は何時でも変わらず身体を暖める。しかし……喧騒の中で飲んでいた先程までとは違い、ほんの少しだけ薄味に感じた。
ほう……と熱っぽい息を吐き、物憂げに宙に視線を彷徨わせた。
「……あんたを殺した奴と友達になりたいて、自分から思うてしもた。人生思うがままに楽しんで、楽しみ抜いてから死ぬのがウチ、そうさせてもらうわ。……文句あるんやったら死んでから聞いたるで、華雄」
彼女の言葉に答えるモノは、もう居ない。
けれども……しょうがない奴だ、と女にしては男っぽい呆れ声が聴こえた気がして、緩く口の端を綻ばせた。
蝋燭の火がゆらゆらと揺れる部屋の中で、またグビリと、酒を嚥下する音だけが部屋に響いた。
蛇足 ~その女、猫につき~
悪い癖だ、と自分でも感じている。
酔うと気が大きくなる。そして何より、姉者の可愛さがたまらなくなる。
「なあ、妙才。元譲がヘヤノスミスに行っちまったんだがどうすりゃいい?」
また聞きなれない言葉を使った徐晃だったが、何となく意味は分かった。
霞との酒飲み勝負に負け、さすがに酔いが回ったのか頭がぼーっとする。
一応、はっきりと意識はある。だからそんな聞く相手を間違えたと言うような目で見るな。
ゆっくりと姉者の方へと目を向けると……拗ねた時のいつも通りに、膝を抱えて寝台の端でいじけていた。
私と霞が呑んでいる間に何があった。こんな……こんな可愛くいじけ始める姉者の様子を見逃していたなんてっ! 怨むぞ徐晃。
じとっと睨みつけると、徐晃は目を逸らして霞に話しかけようとした……が、既に霞は姉者をいじりに行っていた。
「しゅーんらーん、なにいじけてんのー?」
「フシャーッ!」
「おわっ! なんやぁ!?」
ただ、姉者の返答は威嚇。ああ、アレだ。姉者が酔った時になるアレだ。
霞だからまだ威嚇だけに済んでいるが……徐晃だと拙いな。
とりあえず、慣れている私が近づいてみよう。
「うぅ……しゅーりゃぁん」
そんな瞳を潤ませて私を見ないでくれ姉者。抱きしめたくなる。
「……ふへへ♪」
おっと、既に抱きしめていた。自分でも気づかない内に腕の中に収めてしまっていた。恐るべし姉者。まるで時が吹き飛ばされたようだ。
さらさらだ。この黒髪。手入れは怠っていないようで何よりだ。まあ、華琳様に褒めて頂きたくてだろう。
撫で続けていたらモノ欲しそうに私を見ているが……そうか、分かった。
「……♪ ゴロゴロ♪」
やはりだ。喉の裏を撫でて欲しかったのだな。
ああ、姉者は可愛いなぁ。ホント、可愛いなぁ。何時まで見ていても飽きない。
どうにか我慢して視線を外すと……霞と徐晃が何やらうずうずと落ち着かない様子だった。
そうか……姉者が可愛すぎて撫でたくなったのだな?
いいだろう。姉者の可愛さを理解したなら特別に許可してやる。私が抱きしめたままなら問題は無いだろう。
まずは霞……
「フーッ!」
「おおう……まるっきり猫やな」
どうどう。姉者、落ち着け。こいつは霞だ。こいつも猫のような奴だから問題は無いんだ。
ははっ、睨むな。事実だろう、霞? ほら、撫でて見ろ。
「……」
そうだ、いいぞ霞。もっとこう……優しい手つきで撫でてやれ。
頬を……そうだ。それでいい。
「……♪」
嬉しそうに目を細めて……なんて可愛いんだ姉者っ!
霞も姉者の可愛さを分かってくれたようだ。上機嫌に他の所も撫で始めたし。
だが……次が問題だな。徐晃、ちょっと近付くのは待ってくれ。あ、待てというのに。
「ガルルルルル」
ほら、威嚇の質が違いすぎる。そんな鋭い目をする姉者も大好きだ。
ん? おい、徐晃、何をしている。ダメだ。ダメなんだ。この時にさらに近付いたら……
「ガァーッ!」
「ぬわーっ!」
言わんこっちゃない。だから言ったろう?
幸い、私が抱きしめていたから腕がひっかき傷だらけになるだけで済んだが……本来は顔だぞ。
ははっ、震えずともよい。徐々に、徐々に慣れて行くモノだ。それが姉者だ。いつかは心を開いてくれるさ。
「しゅーりゃぁん! あいつなんかだいっきりゃいだぁ!」
そういえば何故そんなに拗ねているんだ姉者。私に話してみろ。
「だって、さっき――――」
うん、うん……なに? 華琳様に甘味を作って贈りたいからいいモノは無いかと聞いて、店長の店で出していないモノを一つ教えて貰ったが……手順が覚えられないのをバカにされた?
徐晃、酒を瓶ごと持ってちょっと来い。そう震えるな。ふふ、大丈夫だ。私は怒ってない。怒ってないぞ? 姉者が覚えられないのはいつもの事だからな。
おっと、すまんすまん。つい本音が……ああもう! 拗ねる姉者は可愛いなぁ!
「……持ってきたが……どうするんだ?」
ん? すまない。今の私は姉者を可愛がるので忙しい。霞とその酒でも飲んでいてくれ。
ふふ、さあ姉者。夜はまだまだ長い。ゆっくりと楽しもうではないか。
後書き
読んで頂きありがとうございます。
拠点っぽいパートです。
認めていても真名を交換するのはまだ、そんな夏候姉妹です。
霞さんは月ちゃんの事もあるので交換しました。
彼女達とはこんな関係から始まって行きます。
あと二、三回準備パートが続きます。
ではまた
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