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第一章


第一章

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 松山構成は悩んでいた。もっと詳しく言えば日本の『今』を憂いていた。
「こんな状況じゃ駄目なんだ」
「久し振りに家に帰って最初に聞く言葉はそれか?」
 暗い顔でリビングのソファーに沈み込んで呟く彼に兄の英雄が言った。黒い髪を短く刈った青年だ。引き締まった逞しい長身にスポーツ選手を思わせる健康的な表情をしている。太い眉が彼をさらに男らしく見せている。
 そんな兄に対して構成は髪こそ染めず派手でもないが線の細い青年だった。どちらかというと文学青年といった出で立ちだ。英雄をジークフリートとしたら彼はウェルテル、それだけの差があった。
 そのウェルテルが今。ジークフリートに顔を向けて問うのだった。
「兄さんは自衛官じゃないか」
「何を今更」
 表情と同じ言葉を口に出す兄だった。
「わかっていることだろう?」
「ああ、まあね」
 兄のその言葉にはこくりと頷く。頷くその顔もまた細く女の子めいている。女装したら似合いそうな感じだ。
「防衛大学を卒業して陸上自衛隊に入って」
「そうだ」
 弟が自分の経歴を語ることに対して肯定して頷いた。
「それで今度はPKOで海外にだったね」
「ゴラン高原にな」
 それで行くことになっているのだ。
「さて、口髭でも生やすか」
「僕が言いたいのは兄さんの経歴じゃないんだ」
 構成は顔を顰めさせてまた言った。
「何でこう。日本の自衛隊は」
「俺に言っても仕方ないだろう」
 英雄の方も呆れた顔で弟に言葉を返した。
「俺はただの自衛官だぞ」
「幹部自衛官でも?」
 昔で言うと将校だ。それなりの地位がある。筈である。
「なってやっと二尉になったばかりだ。若手なんだぞ」
「青年将校じゃないか」
「一体何時の時代だ。今はどうということのない立場だ」
 そこが第二次世界大戦の頃とは違っていた。今ではただの職業の一つだ。時代がもう完全に変わっていたのだ。もっともこれは構成もわかっていることだった。
「制服組に発言権はないんだね」
「父さんにも言われただろう」
「うん」
 兄の今の言葉に頷く。二人の父である潤一郎は元自衛官の陸将であった。彼等の祖父は帝国陸軍で士官学校の教官であった。つまり二人は代々軍人の名門の家にいるのである。今ではどうということのない家だが。
「軍人はただ与えられた仕事をするだけ」
「自衛官な。わかってるとは思うが」
「わかってるよ」
 兄からの言葉の訂正を渋い顔で頷く。わかっていてもこう言いたかったのだ。
「それも全部」
「わかっていたら言う必要ないだろう?」
「大学生は言う必要がなくても言う権利があるんだよ」
 兄にまた言い返す。随分強引な言い方ではある。
「兵器は高いし」
「気にするな」
「法整備は全然だし」
「考えるな」
「政治家も官僚も皆やる気はないし」
「他に色々とやることがあるんだろう」
「全然駄目じゃないか」
 あらためてこう言うのだった。彼が憂いているのは日本の国防のことだったのだ。家が代々軍人なので興味を持って調べてみたら愕然となったというわけだ。実に笑えない。
「こんなのでずっとやってきたなんて。嘘みたいだ」
「俺は何も言わないぞ」
「わかってるよ」
 自衛官がそれを言っては駄目なので言わないことはわかっている。だからもうこれ以上言わなかった。
「全く。それで兄さん」
「今度は何だ?」
「出発何時?」
 それを兄に問うた。
「船で行くの?それとも飛行機?」
「船の方が金はかからないんだ」
 つまり船で行くということだ。
「海自さんの船でな。見送り頼むぞ」
「わかったよ。じゃあその時ね」
「それで父さんは?」
「まだ大学だよ」
「そうか」
 父は自衛官を定年退職してから大学の教授になった。といっても軍事を語るのではなく理学博士としてだ。自衛隊時代に元々そちらの分野出身で研修や論文で博士号も取った為大学教授に請われてなったのだ。勿論軍事を語ることはなく彼が元自衛官であるということを知っているのは大学の中でも僅かだ。
「何でも生徒の論文を見るのに忙しいってさ」
「わかった。じゃあいい」
「母さんはカラオケ行ったよ」
 母の貴美子の趣味である。時間があればそこに行くのだ。留守番はいつも構成の仕事だ。家でゲームをしたりパソコンをしたりするかこうして日本を憂いているか。どれかで時間を費やしているのである。
「そうか。平和なものだな」
「治安は悪くなったって言われるけれど平和は平和さ」
 面白くなさそうな顔で兄に答える。
「兄さん達のおかげでね」
「また随分ストレートな嫌味だな」
 だがそれでも表情を曇らせてはいない。慣れたような顔だった。
「だから俺に言っても何にもならないぞ」
「大学でもいつも言ってるさ」
 実際に行動にも移しているのである。
「日本の国防はこれでいいのかってね。しょっちゅう街頭演説みたいにやってるよ」
「それでその反応は?」
「全然」
 首を横に振って肩をすくめての言葉だった。
「誰も振り向かないし大学側も止めたりしないよ」
「表現の自由だな」
「大学側を当局とか言って批判するような話じゃないしね」
「というよりは誰も興味のない話だ」
 何気に率直に核心をつく英雄の言葉だった。
「駅前とか公園でも言ってみたか?」
「お巡りさんが一人来て許可を出していないのならさっさと止めなさいだったよ」
「それは御前が悪い」
 英雄は台所にあったサラミを包丁で切っていた。それを皿に乗せてついでにビールを持って来た。そのサラミとビールを数缶構成の前のテーブルの上に置いた。それから彼の向かい側に座って声をかけるのだった。
 
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