| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

《sword art online》 ~クリスタルソウル~

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
< 前ページ 目次
 

プロローグ

 


 それは僕がかつて見た中で最も美しい少女だった。

 闇より尚暗い漆黒に染まった草原に、彼女は流星のように現れた。水晶の一片を思わせる綺麗な横顔。月明かりを纏った銀の髪。頼りない輪郭を包む真っ白な服に、一瞬見えたグレーの瞳が印象的な少女だ。

 少女は亜人型モンスター・コボルトの前に立ちはだかった。コボルトの狼そっくりな顔が憎々しげに歪み、注意がそちらへ逸れる。今まさに殺されようとしていた僕は、少女の出現により命を救われた形になった。

「私がやる」

 高く澄んだ声だ。僕は前後の状況も忘れて、呆けたように少女を見つめてしまう。鋭角的な形状のガントレットにレギンス。右手には鍛えらえれた一振りの剣。なにもかも暗闇に沈む中で、彼女は銀の輝きを四方にまき散らしていた。
 白い影が突進し、敵と切り結ぶ。火花が散った。
 怯んだコボルトは大きく後退し、僕への追撃を諦めざるを得なくなった。
 速い。
 一連の動作から、彼女がかなり戦闘慣れしたプレイヤーであることが分かった。
 しかし、コボルトは強敵だ。
 その強さは、これまでの獣や植物型のモンスターとは一線を画する。多彩な攻撃はAIの指令のもと適切に繰り出され、単純な戦闘に慣れたプレイヤーを圧倒する。加えて基本性能事態もかなり高い。本来ならもっと先のエリアに出現するモンスターだ。正直、二人がかりでも勝てる気がしなかった。

「ダメだよ・・・・・・早く逃げて」

 僕の口から、そんな言葉がこぼれた。僕は、この見知らぬ少女に死んで欲しくなかった。僕に勝算はない。しかし、多少の時間を稼ぐことは可能だった。どうせ、彼女がいなかったら今頃はなかった命だ。道連れを覚悟で挑めば、あるいは少女を離脱させることができるかもしれない。震える手で剣を握りしめた。

 だが、彼女は逃げなかった。
 まるでそうすることが当然、とばかりに敵と相対している。凛とした佇まいは揺らがない。
 守られるだけの僕は、唇を噛んだ。

 ぴん、と張り詰めた緊張感。
 それを壊したのはコボルトのカトラスだった。突進し、振り上げられた刃がぎらりと凶暴な光を放つ。素人目にも分かるクリティカルコース。下手をすれば一撃でHPが全損しかねない。

 HPの全損。それは唯一無二のオリジナルであり、バックアップのない僕らプレイヤーにとって最も恐るべき事柄だ。HPがなくなれば最後、システムによるデリートを逃れることができない。つまり死ぬ。僕は思わず、少女のアバターが消滅する様を幻視してしまった。

 だが、驚いたことに、少女は致死の攻撃を難なく受け流した。素早く剣をくるりと半回転させ、斬撃の軌道を弾いたのだ。無駄のない洗練された動きだ。

 たたらを踏んだコボルトの体が少女と肉薄する。これではお互いに剣を振れないが、少女はあくまで冷静だった。今度は鍔を垂直にしてコボルトの胸にあてがい、凄まじい膂力で突き飛ばす。少女より二回りは大きい体躯が宙を舞った。ゲーム内でいうノックバックというやつだ。僕は完全に度肝を突かれた。テクニック、パワー、スピード、どれをとっても自分とは次元が違う。

 吹き飛ばされたコボルトが再び少女に切りかかって行く。その顔に焦りが浮かんでいるように見えるのは気のせいではあるまい。先程より鋭さを増した斬撃が何度も降りおろされる。しかし、少女は顔色一つ変えず、それら全てを受け流した。まるで少女を取り囲むバリアがあるように、攻撃は服の端にかすりさえしない。逆に、鋭い反撃はコボルトのHPを徐々に削っていく。

「ガルァッ!」

 コボルトは少女から大きく距離を取った。このままでは勝てないと察したのか、間合いを大きく開けたままカトラスを肩に背負う格好で構える。万策尽きて受けに回ったわけではない。高熱で炙ったようなオレンジ色にカトラスが輝き出したのを見て、一瞬少女の肩が強張る。

 あれはプレイヤーと亜人のみに許された独自の攻撃手段、ソードスキルだ。このゲームには魔法という絶対的な攻撃手段が存在しない。代わりに、無限に等しい数の剣技を習得することができる。武器によって使える種類が異なったり、それぞれが変わった性質を持ち合わせているが、どのソードスキルにも一貫して言えることがある。それは、通常攻撃より遥かに強力であることだ。

 カトラスに集中したエネルギーが臨界点を向かえる。発動までゼロコンマ数秒もない。僕は思わず叫んでいた。

「危ないっ!」

 瞬間、爆発的な勢いでコボルトが飛び出した。数メートルの間合いが一瞬で埋まる。オレンジ色の軌跡を描くカトラスの先端が空気を焦がしつつ、少女を狙って切り払われた。

 が、そこにあったのは白い影のみで、肝心の少女は忽然と姿を消していた。

 またしても攻撃を外した敵が、憤怒の形相で上空を見る。そこでようやく僕にも気がついた。少女は消えたのではなく、目にも止まらぬ速さで上空に逃れたのだ。ソードスキルを完璧に見極めなければできない芸当だ。しかもただ飛んだだけでなく、少女はまるで羽でも生えているかのように空中で一回転し、剣を逆手に構えていた。おそらく、あれもソードスキルのモーションだ。

 案の定、刀身を包み込むように深紅の光が迸る。コボルトのソードスキルが爆発だとするなら、彼女のそれは流れる水のように静かだった。しかし、繰り出される技のスピードは敵の比ではない。

 剣を振り抜いた気配すら感じさせず、空気の破裂する音と、深紅の軌道が宙に刻まれる。

 パンッ!

 あっさりとコボルトの首が切り飛ばされた。そいつはきっと、死を自覚する暇もなかったに違いない。生き別れになった首と胴体は、落下の途中で不自然に停止し、ガラスの砕けるような爆音と共に砕け散った。これが死だ。プレイヤーもモンスターも、HPがなくなれば等しくポリゴン片となって消滅する。この世界から、永久に。

 少女が来てくれなければ、ああなっていたのは間違いなく自分だ。情けなくも僕は安堵し、その場で腰を抜かすのを必死でこらえているような有様だった。

 軽やかに大地へと降り立った少女は、そんな僕を不思議そうに眺めている。正面きって相対してみると、僕は改めてその端正な顔立ちに圧倒されてしまった。クラスで一番可愛いとか、ありきたりな表現ではとても形容することができない。神様というやつが実際にいて、全知全能の力を全て人に注ぎ込んだら、きっと彼女のような仕上がりになるのだろう。それほどまでに、浮世離れした美貌だった。

「ありがとう、ございます。その、助けてくれて」

 かすれた声が出た。
 あまりにも現実味がなくて、本当にプレイヤーなのかと思った。実はここはもう死後の世界で、彼女の正体は僕を迎えに来てくれた女神、あるいは死神である。そんな空想が頭をちらっと過った。

「うん、無事で良かった」

 しかし所詮は空想に過ぎず、少女はごく普通に僕と会話した。背中に翼が生えているわけでも、大鎌を持っているわけでもない。視界に割り込んでくるアイコンも彼女がプレイヤーであることを示している。

 彼女は無傷で戦闘に勝ったくせに、ちょっと思いつめたような表情をしていた。無理もない。いきなりこんなデスゲームに巻き込まれたのだ。プレイヤーの多くは憔悴しきっている。僕自身、きっとひどい顔をしているはずだから。

「強いんですね。びっくりしました」

 僕は賞賛を込めて言った。
 あれだけのプレイヤースキルを持っているなら、迷宮区でも問題なく戦える。もしかしたら攻略組のプレイヤーなのかもしれない。
 攻略組とは、文字通り未開のエリアを攻略していくプレイヤー達の総称だ。常に死亡率の高い最前線で戦う攻略組は、自然と高レベルの精鋭達で構成される。彼女が攻略組だとするならば、あの強さにも合点がいく。残る疑問はなぜ、こんな低レベルのエリアに彼女のようなプレイヤーが現れたか、だ。

「慣れてるの、それだけだよ」

 下界に舞い降りた戦女神は、しかし、なぜか僕の褒め言葉に顔を伏せた。
 意外な反応に僕はちょっと首をかしげる。強さ。それはゲームでは絶対のものであるはずだった。強さを求めて、僕たちは戦場を欠け、敵を倒し、経験値を奪い合う。それが生死を分けると痛いほど理解しているから。

 なのに強いはずの彼女は、浮かない顔で、困ったように俯いている
 訳が分からなかった。

「あの・・・・・・もしかして、攻略組の人ですか?」

「一応、ね。攻略自体はたまに手伝うって感じだけど」

「やっぱり! でも、なんでこんな所に?」

「近くでハーブを採ってたの。ここら辺にしかなくて・・・・・・ほら」

 彼女はメニューウインドウを出現させ、それをアイテムボックスから取り出して見せた。
 手の平の上にあったのは、本当にただのハーブだった。きれいな薄緑色をしている。思わず吸い込みたくなるような、清々しい香りだ。

「あ、いい香り」

「ね?」

「ハーブを調達するクエストがあるんですか?」

「これはただの嗜好品。お茶にして飲むの」

 彼女はさらりと言った。

 僕はちょっと、いや、かなり驚いた。プレイヤーが生きるか死ぬかで血眼になっている中、彼女はお茶のためにここへ訪れたと言う。強者の余裕というのか、マイペースというか。すくなくとも彼女は自分たちと違う価値観で生きてるようにしか思えなかった。
 でなければ、お茶なんか飲んでいる間に少しでも多くの経験値を得ようとする筈だ。

「意外ですね。そんな事するなんて」

「なんで?」

「そ、それは、強い人ってずっと戦っているものだと思ってたから・・・・・・」

「そう・・・・・・」

 沈黙が舞い降りる。

 彼女は何か考えているようだった。
 僕はただ立ち尽くしている。

 こういう時はどうするといいのか。もう何を話したらいいか分からない。いっそ天気の話でもしてみようか。『今日は星空が綺麗ですねぇ』といった感じに。

「強いわけじゃない」

 どこかへ飛びかけていた僕は、彼女の独白のような言葉で正気に戻った。

「本当は、戦いたくもないの。戦ったら戦った分だけ、終わりに近づいていくようで恐いから・・・・・・だから、こうやって忘れようとしているのかもね」

 僕ははっとさせられた。
 自嘲とも悲しみともつかない何かを滲ませた彼女は、攻略組の剣士などではなく、自分とさして年の変わらない少女だった。

 すっかり思い違いをしていた。彼女だって恐いのだ。

 僕と同じように何かに怯えながら、しかしそれでも勇敢に敵に立ち向かった。彼女の強さはきっと、そうやって手に入れたものなのだろう。
 なのに僕は足がすくんで、自ら挑んだ強敵に対し何もできなかった。挙句、無様に殺されかけ、助けにきた彼女まで危険にさらしたのだ。
 悔しくて、思わず両手を握りしめた。

「・・・・・・そうだよね。みんな恐いんだ」

「え?」

 僕の呟きに、少女はうつむいていた顔を上げる。グレーの瞳と正面から目があった。

「あの、僕はナオって言うんだ」

 考える前に、口が勝手に動いた。彼女は強い。それはステータスを超越したものだ。彼女といれば、こんな弱い自分にピリオドが打てるような気がした。会ったばかりだとか、攻略組だとか、女の子とだとか、そんな事はどうでもよくて、とにかくなんでもいいから僕の事を知ってもらいたい。そんな思いで一杯だった。

「ナオ?」

 僕の勢いにちょっと戸惑った様子の彼女は、そう繰り返した。

「うん、ナオ」

「・・・・・・ナオ、か」

 すると何を思ったのか、彼女の顔にゆっくりと微笑みが広がっていった。星の輝きが増したような気がして、不覚にも頬が熱くなる。

「いい名前ね」

「え?」

「私は、イヴ」

「は、はぁ」

 すっかりあがってしまった僕は、緊張のせいで変な受け答えをしてしまった。そんな僕は、さぞかし間の抜けた顔をしていたんだろう。彼女は可笑しそうに噴き出した。

「私の名前、イヴって言うの。よろしくナオ」

 それが彼女との出会いだった。












 
< 前ページ 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧