信じる心
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第三章
第三章
「人間はここまでできるんだな」
これでだった。
これを思い為すことは。といってもまだ思いつかない。
しかしだった。何かが変わった。
変わったのは彼の心だった。それは確かに変わった。
「確かに裏切られた」
他ならぬ自分のことを口にする。
「けれど。俺はそれでも」
それでもだった。同時に牧師のことも思う。
思うと余計にだった。自分がちっぽけに思えるのだった。
少し裏切られた位で誰も信じられなくなった自分が。急にそう思えるのだった。
思うとそれが次第に強くなっていく。強くなったそれが心を占めるのに左程時間はかからなかった。彼は考えが変わるのを感じていた。
感じ、それに包まれていく。それから。彼は変わった。
「何かさ」
また職場の面々が話をする。彼のことを。
「あの人変わったよね」
「そうだね」
彼を見て話をするのだった。
「よく話すようになったし」
「仕事手伝うようになったし」
社交的になったのだ。それだけではなかった。
明るくなり他人のフォローもするようになったのだ。大きな違いだった。
まるで別人の様に動くのだった。これまでは自分の仕事だけをしていた彼が今では進んで他人の為に動き働く。本当に別人の様だった。
「何かあったのかな」
「さあ」
次に考えるのはそれだった。
「そこはわからないな」
「けれど。きっかけはあったんだろう」
それは感じる。予想だった。
「それが何かはわからないがな」
「けれど。いいきっかけだったんだろうな」
「いいきっかけか」
「ああ」
こう話がされた。
「そうじゃなきゃあそこまで変わらないさ」
「あんなに明るくな」
「ひょっとして」
ここで職場のOLの一人が声をあげた。
「ひょっとして?」
「あれですよ、あれ」
陽気に声をあげる。それが少女っぽさを見せていた。
「何か宗教に触れたとか」
「宗教ねえ」
「それで変わったんじゃないですか?」
彼女の予想はこうだった。それを今述べるのだった。
「ひょっとして」
「どうかな」
「そうなのかしら」
しかし他の皆はそれを聞いても首を傾げる。確証が得られないからだ。
「そうかもしれないけれど」
「どうなのかな」
「違いますかね」
そのOLは皆から否定されたと思って落ち込んだ顔になる。表情豊かに。
「はっきりとはわからないさ。けれど」
「けれど?」
「これはいいことだよ」
結論はこうであった。皆それには頷くのだった。
「あんなに明るくなったんだからね。あそこまで暗かったのに」
「それは確かにね」
「そうですよね」
皆その言葉には納得した。しかも素直に。
「本当に何があったかはわからないけれどね」
「何かが溶けたみたいだね」
誰かがこう表現した。
「氷みたいに」
「氷ですか」
「そう、氷だよ」
氷だった。強張っていた心がこう表現されたのである。言い得て妙であった。
「閉じた心はね。けれどそれが溶けたら」
「心が動くのか」
「そういうことさ。じゃあ今夜は」
ここで話がまとまりいい方向に流れるのだった。彼にとっても彼等にとっても。
「飲みに行くか。皆でな」
「あの人も誘ってですね」
「勿論。皆で飲むとしよう」
「ですね。お酒は皆で飲むのが一番美味しいですから」
「そうしよう」
「ええ」
こうして彼も誘われ皆で飲んだ。もうあの氷の様な心は溶けており温かいものになってきていた。それから彼は明るくなった。しかし誰も知らなかった。その明るくなった彼がいつも一冊の本を持っていたということに。それは一冊の本だった。彼の心を温かくしたあの牧師の本だった。
信じる心 完
2008・3・7
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