信じる心
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第一章
第一章
信じる心
何もかもがなくなった。何もかもを失った。
彼はこの時そう考えていた。果てしなく深い絶望の中にあった。
「何でなんだ」
一人夜道で呟く。夜道にいるのは彼だけで他には誰もいない。その誰もいない中で一人呟くのだった。
「何で俺が。どうして」
会社をリストラされた。しかもそれは自分に覚えのないミスを押し付けられてのことだ。あれよこれよという間に首を切られた。気付いた時にはそうなってしまっていたのだ。
友人の仕事を助けたのは覚えている。しかしそれのミスを押し付けられたのだ。その友人は彼を裏切ってミスを全部押し付けてしまったのだ。その結果として彼はリストラされてしまったのだ。
「俺が悪いのか?」
心の中で呟く。
「俺が。俺が何をした」
ただただ呟く。呟くその言葉は己の心にだけ響くのだった。
響きそれが滲み込む。滲み込んだそれが心を支配していく。そのことに抵抗もせず絶望の中に沈んでいく。わかっていることは一つだけだった。
「裏切られた」
そのことだった。
「俺は裏切られたんだ」
友人は彼を裏切ってそのミスを全て彼に押し付けたのだ。その結果として彼はリストラされてしまった。このことに心を沈めさせ絶望の中に沈んでいく。そうして。彼が考えることは。
「信じない」
これだった。
「誰も信じない」
そのことを呟き続ける。
「誰も信じるものか。絶対に」
また呟くのだった。
「何があっても。こんな目に遭うのなら」
何があってもと考えていた。これ以上傷つくのを恐れていた。既に歩いているのが苦しいまでの絶望の中にあった。目の前が真っ暗になり全てが足元から崩れ去っていくような。そんな深く果てし無い絶望の中にあった。それで遂にその考えに至ったのである。誰も信じないという考えに。
「誰も信じない。これからは」
それを深く心に誓った。彼が変わったのはこれからだった。
次の仕事はすぐに見つかった。システムエンジニアーである。彼は元々それを仕事としておりそれで生きている。だからその仕事を探して新しい職場に入ったのだ。
仕事自体は優秀だった。しかし彼は誰とも付き合おうともせず孤独を通した。話すこともなく寡黙、いや陰気な雰囲気の中にあった。最初は彼に声をかけていたその職場の人達も彼に声をかけることはなくなりその孤独はさらに深いものになった。その彼に対して職場の人達は話すのだった。
「変っていうかな」
「何かな」
明らかに変人を見る目で彼を見て話をしていた。
「喋らないし」
「誰とも付き合わないし」
彼のそうした態度が孤独を深める一方なのは言うまでもない。実際にそうなっていた。
「おかしな人だよ」
「仕事はできるのにな」
「ああ、その仕事もな」
彼の仕事についても話される。システムエンジニアーとしての仕事にも。
「絶対一人でやるよな」
「そうそう」
それについても同じだったのだ。仕事に関しても。
「どんな仕事でもな」
「しかもだよ」
それだけではなかった。仕事についても彼の考えが出ていたのだった。裏切られてしまってからの彼の考えが。ここにも出てしまっていたのだ。
「他の人の仕事、手伝わないよな」
「掃除もな」
掃除までもであった。実に徹底していた。
「自分のところだけやって」
「他は全然しないよな」
「あくまで自分だけだよな」
こう評されるのも当然であった。何しろ話すこともなく仕事もそんな有様だったからだ。とにかく他人というものを見ようともしなかったのだ。
「何があってもな」
「本当に変わった人だよ」
「意地悪でも何でもないんだけれどな」
幸い彼にはそうした性質はなかった。それよりも悪いと言えるかも知れないものだったが。
「それでもな。何か」
「付き合えない。そんな人だよな」
「ああ」
「全くだ」
これが職場での彼の評価だった。これは当然ながら彼の耳にも入っていた。しかし彼はそれを全く意には介さなかった。何hしろ。もう彼は信じなかったからだ。
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