Shangri-La...
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第一部 学園都市篇
第2章 幻想御手事件
20.July・Night:『The Jabberwock』
久方ぶりの暇な午後、何をしようかと人でごった返す街路を歩く。商店、喫茶店、ブティック、露店商。あらゆる職種が其処に在る。群がる人波は、まるで甘味に集う蟻の如く。
その中を、無目的に歩く。別段、用事が在った訳ではない。嚆矢は、胡乱な蜂蜜色の瞳をぼんやりと辺りに彷徨わせながら、殉教者の如く歩き続ける。
「暇だねぇ」
そんな事を呟きながら、無駄に人目を引く亜麻色の髪を掻き毟り、欠伸混じりに煙草を取り出した。暇潰しの道具を。
この無為の世界の中で、紫煙と酒の酩酊だけが、色付く虹なのだと叫ぶように。
――止めろ、嚆矢。今のお前は、『対馬』だ。その筈だ。
本能がそう、警告を鳴らす。思い出したのは、煙を燻らせた己に向けられた――黒子の、冷やかな眼差し。
辛うじて、理性が働く。別に、本能と理性は背反しない。煙草を諦め、懐に仕舞う。今は、その時ではないと。時間なら、この後に『無限に在る』と。
「さて、と。そろそろ、頃合いだな」
焦燥に導かれるまま、掌を伸ばす。右腕、何の変哲も無い、その、開手の右腕。昔は、望む全てを。それこそ、他人の命すらも掻き掴んだ悪性の右腕。最近は、随分と綺麗になってきたが。
誰か、預かり知らぬ存在の――――そんな、願いに沿うように。嚆矢は苦笑いを浮かべながら、
「『仕事』の仕込みと、洒落混むか」
今日、夕方に会う予定となっている――――暗部組織の構成員との、繋ぎの為に。
仕事とはいえ、頭が痛くなる。元来、煩わしい事は嫌いな性質だ。
――名前は、昔の『通り名』を使えばいいとして……能力だな。無能力者を気取る? 能力者の集団で? 無いな、けど……『確率使い』を名乗ったら一発でバレるしなぁ……。
頭を悩ませる。それは、喫緊に差し迫っている。確かに分かりにくい能力だが、それだけに目立つ能力だ。
だから、割り切るしかない。全ては、『仕事』だ。選り好みなどしていられない。
「あ~あ、ホント、最近ツいてねぇなぁ……」
頭の後ろで手を組ながら、悪態を吐く。女の子と後輩からの評判はがた落ち、仕事はやりたくもない内容。辟易する。もういっそ、学園都市なんかとはおさらばしてやろうか、等と。出来もしない、やりもしない事を思って。
「――――――――」
すれ違った、黒髪の少女。それに、目を奪われた。
何が特別だった訳でもない、何の変哲も無い、強いて言うなら巫女装束なくらいか。表情に乏しい、人形じみた、普通なら気にも留めないような――極々、『普通な』少女だ。
「っ――――!」
そんな少女の後ろ姿を、追う。何に惹かれたのかも、良くは分からない。だと言うのに、焦燥にも似た感覚が身を焦がす。その、身に纏う雰囲気とでも言うべきものに、惹き付けられている。
それは――誘蛾燈に引き寄せられて自ら焼け死ぬ、愚かな蟲のように。抑え難く、堪え難い。愛を歌う為の、致死の罠。
「――――?!」
角を曲がった背中を追い、息を急ききって人並みを掻き分ける。
何事かと、周囲の人間達が目を向ける。一切、どうでも良い事だ。種族など、雑草としか感じ取れない――種族には。
「おっと」
「ッ――あ、すみません」
そこで、人とぶつかった痛みに我に返る。眼前には、赤いセミロングの髪に左目の下にバーコードのような刺青をした、黒いローブの大男。
焔の如き蜂蜜色の黄金瞳に、理性が戻る。身を焦がす衝動も、こうなれば容易い。『武の頂』と例えられる弐天巌流の合気道部を率いた彼、『制御できない装備など無意味』として精神修練に最も重きを置く校風に裏打ちされた、強靭な精神力を遺憾なく発揮し――――まるで、十年前に戻ったかのような己を抑え込んで。
「何を急いでいるかは分からないが、気を付けたまえよ。肩が触れた、それだけで暴力に走る輩もいないことはない」
「あ、は、はい……すみませんでした」
恐らくは年上だろうその男に向かい、謝罪する。確かに今のは、自分が悪い。『女の尻を追っかけていて前方不注意』など、九州男児を標榜する義父に知れたら拳骨ものである。
「分かって貰えればそれでいいよ。ところで――――」
そこで、男は口を開く。実に、実に困ったように。そのポケットから――煙草を取り出して。
「実は、そろそろニコチンとタールが切れそうでね……この近くに喫煙所、あるかい?」
「ああ、ええ、まあ……二分くらい掛かりますけど」
「助かるよ。まさか、都市全体が禁煙とは思わなくてね」
苦笑しながら――――煤の色と臭いの男は、嚆矢の蜂蜜色の瞳を見詰めた。
何となく、憎めない……まるで年齢は反対だが、弟のような。
「ああ、そうだ。僕は――――ステイル=マグヌス。君は?」
「対馬嚆矢です、マグヌスさん」
だから、つい。先ほどまでの気晴らしにと、この――――見ず知らずの男と一服しようかな、くらいの軽い気持ちで。
その歩調を、魔女狩りの燃え盛る焔のような男に合わせた――――。
………………
…………
……
喫煙所は、無人だった。つまり、嚆矢とステイルで貸切り状態。
身の丈二メートルの大男と、身長こそ及ばないものの靭やかに鍛えられた筋肉量は男を上回っている武闘派の少年。二人だけでも、何とも胃もたれしそうな密度である。
「どうぞ」
「ああ、すまない――なんだ、君もイケる口か?」
安い煙草を銜えたステイルに、百円ライターを差し向けた嚆矢。己も、煙草を銜えて。
「大変だろう、来て初めて、地上には喫煙者の安寧はないと思い知らされたからな」
「はは、違いない」
それに、ステイルはフッと、アンニュイな微笑を見せた。赤い、自身の髪と同じ色の焔を煙草の先に煌めかせ、紫煙を棚引かせる。随分と慣れた、その仕草。
同じく、嚆矢も紫煙を燻らせる。吐いた煙が、天井の吸気口に呑み込まれていく。
「「――――甘露だ」」
期せずして同じ台詞を吐き、共に虚空を見詰めたままで薄く笑い合う。同じ嗜好品を嗜む、これも共感覚性だろうか。
狭い、喫煙者の立場を表すかのような狭小な喫煙所内。手を伸ばせば顔面に拳を決める事も、それを拉いで叩き付ける事も造作の無い距離。即ち、互いの必殺の間合いで。
「それ、中々良いアクセサリーだ。何処で手に入れたんだ?」
「ん――ああ、『兎足』は母に。『銀箱』は……先生から貰ったんです」
「母に、先生か」
繁々と、嚆矢の首から下がる二つのアクセサリーを眺めたステイル。値踏みでもするかのように、二つを眺めた後。
「『幸運の護符』と『共有世界の神話体系』の魔道具……随分と手の込んだ話だが、想像通りならば然もありなん」
「え? 何ですか?」
「いや――――随分と、見込まれているようだと思ってね」
煙を吐き、小さく何かを呟き、またも気怠そうに微笑んだステイル。
その瞳には、何故か――――憐れみのような色が在って。
「さて、じゃあ本題に入ろうか。対馬嚆矢君。君は、仇為すか?」
「仇為す? それは、何に対して? あんたの――――十字教に対して、かい?」
ステイルの言葉に、半ば呆れたような嚆矢の声と――――蜂蜜色の黄金瞳が返る。
ステイルと同じく、無害を装う魔瞳が。
「隠しても分かるさ。義母さんの嫌いな英国訛り。一階をグランドフロアと呼んだ、アンタ」
「……ふ、なるほど。墓穴を掘ったか。しかし、君の母親は『アイルランド闘士』か何かかい?」
微笑に返るのは、微笑のみ。余りにも穏やかに酌み交わされた、余りにも緊迫した殺意。応酬などしない、暗殺者同士の確認作業だ。
「まさか。只の、良く居る英国嫌いの主婦さ」
「それは、それは。清教側の僕としては――」
焔の如き男が、笑いながら肩を叩く。軽く、軽く。殺意などなく、ただただ――――
「――『沈静』、『沈勢』、『鎮勢』」
軋むように重厚な、神刻文字を唱えた――――!
「――――――――!??」
――刹那、崩れ落ちるように視界が下がった。文字通り、崩れ落ちた為に。『消沈』の意味を持つ、三大ルーンを刻まれた為に。
何もかも、面倒になる。呼吸をする事も、思考する事すらも。果ては――――生きる事すらも。
くず折れ、無様に横倒しになった視界の端。水晶体が像を結ぶ事すらも拒絶したそこで。
巨漢の魔術師は、紫煙を燻らせる。何時でも始末できると、余裕すら浮かべながら。
「――もう一度問おうか、在野の魔術師……君は、仇為すか?」
再度の、強制力すら感ぜられた呼び声。焔の魔術師の声に、嚆矢は――――
「――――決まってンだろォがよ、俺ェあ、俺の味方だ。今も、昔も……!」
『軍神』を幾度も刻みつつ恫喝じみて返した、その応え。場所が場所なら、補導済みだ。吐き気や自殺願望と。くしゃりと吸いかけの煙草を握り潰して、嚆矢は――――口を、口だけを開いた。
「憐れだな、魔術師。アンタの願いは、叶わない。永遠に――其処には到れない。誰か、アンタ以外の為の場所には。アンタだけは。いやはや、残念だッたな」
嘲笑うように蜂蜜色の漆黒を湛えた黄金瞳が歪む。組み敷かれたまま、目の前の道化を嘲笑って。
嗜虐に歪んだ瞳に、憤怒にまみれた――――
「――――ああ、全くだ。残念でならないよ、『■■■■■■』。僕らにただ、囁くだけの者」
焔の魔術師は、変わらずに紫煙を燻らせて。何か、酷く耳慣れない言葉を吐いた。
男の手に握られた煙草の火により、十字が切られる。身が引き裂かれる。何故かなどは二の次で良いと、死にかけた体が叫んでいる。ただ、ただ――
「――――」
その身を突き動かす、衝動。『死ねない』と。
浅ましくも、忘れ得ぬ感傷が――――全てを機械化されたこの都市では、センサーが感じ取る。
「――――チッ」
鳴り響いたのは、火災報知器。こんな場所にまで行き届いていたのかと、魔術師は眉を潜め――――少年の一撃を受けた。避けられず、受けざるを得なかったのだ。
「――――ッ!??」
肩口に、『何か』を。見る事も、叶わずに。その、『指先』から煙草が――――。
「……運の良い。僕は、僕の魔法名を明かさない相手は殺さない」
そう告げて、去っていく後ろ姿を見送るしかない。『殺す価値もない』と告げられて、それを僥倖だと感じられるのならば。
「…………」
最早、言葉はおろか、指一つすらも動かせない。それだけ、ステイル=マグヌスのルーンは強大にして抗えぬものであった。
当然だ、彼は――――嚆矢の知らない、幾つもの独自ルーンを知っているのだから。
「……なるほど。大したものだ、その程度で、此処まで」
まるで、礼賛するような――――ステイルの調子を。甘んじて、受け入れた。
「――――大した根性だよ、吸血魔術師」
その言葉を塩に、嚆矢は――――意識の手綱を手離す。
ステイルの、口端の……嘲りを、受けながら……。
………………
…………
……
――冷たく沈んだ意識。それは、昔……何処かで感じたもの。
瞼すら開けられない、魔術由来の倦怠感。肌に注ぐ消火用のスプリンクラーの水にも、そればかりは洗い流せはしない。
ただただ、体温のみを奪い去り。この身体を、更に固く強張らせていく。
――あの時とは、真逆。しかし、心を凍てつかせる作用は全く同じ。
あの、炎と揮発油の香りと――――腕の中で、冷えきる……。
「――――ステイル……マグヌス!」
動く事を拒絶する口で、視界から消えたその名を呼べば、沸き上がるように。『無意識の領域』から――――
『――――助けてやろうか?』
掛かった声は、まるで無数の蛆がのたくるような。不快感しか感じない、そんな――――声に擬装した雑音。
『代償は……その生命だがな』
――懲りねェ奴だなァ、テメェもよォ……『妖蛆の秘密《デ・ウェルミス・ミステリィス》』。
第一、それじゃ意味ねェだろ。助かりたいが為に命をドブに棄てる莫迦が居るか。
如何に極限の状況下と言えど、まさか暖を取る為にニトログリセリンに火を灯す者など居るまい。
魔導書との契約は、そう言った類いの物だと。師である男は言っていた。
『莫迦は貴様だ、嚆矢よ。何も今、吸い尽くすとは言っていない……奪い尽くす事は前提だが、我が魔術行使の代償として適宜奪うように妥協してやろう』
それを見抜いてか、今までとは正反対に。まさに、助け船の如く有り難い余裕をもって、まだ見ぬ妖蠅王は語り掛けてくる。
『どうする? あの男が、このままお前を見逃したままにしておくと思うか? 今頃、奴の結界で覆われたこの小部屋に他の魔術師が迫っているやも知れんぞ?』
確かに、その通りだ。殺さず、態々『無力化』した意味は……『捕獲』を除いてはあり得ないだろう。
そんな事は、嚆矢も分かっている。何故に捕獲されるのかは、未だ確証はないが。
『さぁ、我を呼べ。その忌まわしい輝く捩れ双角錐を閉じろ。そうすれば――――今すぐにこの囲いを破り、あの魔術師を我が蛆の腐乱死体に変えて見せようぞ』
そして、奪われた自尊心を擽る。あの魔術師を、打ち倒して見せると。『打ち倒させて見せる』と。
「は――――」
何とか、身体を起こす。死ぬ程の倦怠感、零下に下がったように感じる血液と筋肉を軋ませて。
「――――お断りだぜ、蛆虫野郎。大の男が御礼参りに、助っ人連れだァ? ンな情けねェ真似を、この俺が……ヤる訳ねェだろうがよォ!」
ビッ、と。濡れた亜麻色の髪をオールバックに撫で付けて、どこに居るかも分からない魔本に向けて中指を立てる。その蜂蜜色の黄金の瞳は、不撓不屈の黄金の意志の体言か。
歯牙にも掛からずに敗北しても、心までは折られていない。決して折れない。そんな己が――――訳も分からない魔導書に頼って勝とうなどと。罷り間違っても、有り得ない。
『――――愚かな小僧め。ならば、そのまま朽ち果てるが良い……奴等にとって、貴様は最高の研究材料だろうよ』
吐き捨てるように、雑音が消えた。漸く帰ってきた清らかな水の音に、安堵すら覚える。
後は、魔術も能力も満足に使えない現状でどうやってこの結界から抜け出るか、だが。
「やれやれ――――」
その刹那、視界の端。丁度、見えるか見えないかの境目に現れた……アルマーニの最高級のスーツに身を包み、ぎこちない右手に銀色の懐中時計を携えた――――
「この程度の魔術で……笑わせてくれる。あの魔術師も、蛆虫も。貴様も」
消火水の豪雨すら歯牙にも掛けずに葉巻を燻らせ、燻し銀の声色で時計を見遣る紳士。濡れているかどうか、視界の端では分からない。
――何だ、コイツ……何時から、居た?
無感動に、無機質に。チク、タク、チク、タク、と。冷厳に、淀みなく、ただただ一秒だけを刻み続ける時計を見詰めるだけ。
だとすれば、燃え盛り縮んでいくその葉巻は導火線か、時限装置か。
「――――時間だ、■■■■■■■■■。汝が崇拝者に灰の光を降らせたまえ。全ての時は逆流し、ド・マリニーの名の元に我が支配に下る……」
刹那、時計の秒針が凍った。凍えついた針は、やがて末期の痙攣の如く揺れて――――その聖句の元、常識は覆る。房室を、灰色の光が満たしていく。
「来たれ、■■■■■■!」
視界の端の紳士は、見下げ果てたように葉巻を灰皿に押さえ付けて。代わりに、その手には一冊の――――
「――――やれやれ……余り、手を煩わせないで欲しいものですな……未だ目覚めぬ■■■■閣下」
歯車が、回っている。大きな、大きな。淀みなく、狂いなく。定められた末路へと向かって――――また一つ、また一つ。
………………
…………
……
報知器の発報によって消防吏員が駆け付ける前に、嚆矢は寒気の抜けきらない体を押して歩いていた。
濡れた身体は隠しようもない。しかし、水を錬金術で揮発させて、生乾きレベルまでは乾かす事に成功している。
「厄日どころか、暗剣殺だな……あンの、野郎ォ……!」
反吐を吐きつつ、変温動物のように夏の日差しで体温を回復させる。底冷えは治まらず、骨身に染み込んだ『消沈』の三大ルーンの残滓が未だに感じられた。
それ以外は、何一つ記憶にはない。時間的にも、たったの数秒。そんな短時間に、一体、どんな『人外化生』が付け入れると言うのか。
近くの家電量販店のウィンドウに設置されたテレビからのニュース速報に『第七学区の取り壊し予定のビルが倒壊。老朽化か、手抜き工事か?!』の文字が踊っていたが、一片も興味は抱かない。抱けない。
さっさと通り過ぎてしまおうと、震えの止まらない脚に無理矢理、力を籠めて。
「あれ、対馬さん?」
「あァ――――」
背後からの呼び掛けに、不承不承振り返れば――そこには、少女が四人。内三人は初めて見るが、一人は……
「ああ……佐天ちゃんか。久し振り、遊び帰りかい?」
「こ、こんにちは……ごめんなさい、忙しい感じですか?」
「いやいや、まさか。ちょうど帰りだよ」
つい苛立ちを乗せて振り向いた時の剣幕に怯えたような四人に、努めて優しく。胸元の兎足の護符を握り、『口伝』のルーンを刻みながら。
只でさえ、『消沈』の三大ルーンのせいで消耗した風前の灯の生命力だ。たった一文字分の魔力に変換しただけでも、気が遠くなる。この際布団などと贅沢は言わない、アスファルトでも良いから頭から倒れ込みたくなる。
「ちょ、ちょっと、ルイコ! アンタ、歳上の男の人の知り合いとか居たの?!」
「ふっふーん、まぁね、アケミ。しかも何を隠そう、この対馬さんは学園都市で唯一の能力『確率使い』……人呼んで『制空権域』なのさ」
「よ、よくわかんないけど……唯一な上に『通り名』ってなんかスゴ! な、マコちん!」
「うん。そーだね、むーちゃん」
『アケミ』と呼ばれた背の高い娘が涙子に問い、答える涙子が何故か偉ぶる。それに『むーちゃん』と呼ばれた小柄でボーイッシュな娘が目を輝かせ、『マコちん』と呼ばれた少々ふくよかな娘に呼び掛けた。
「――――…………」
正直、上の空だ。目の前に並ぶ、うら若い首筋に息を。唾を飲む。
喰らい付いて欲しがっているようにしか見えない。無防備に、童話の如く、夏の太陽によって開けさせられた白い首筋。
――あァ、その奥には深紅に色付く命の源流が。命が陸に上がる際に持ち出した、母なる海の潮が在る。
アレを啜れば、この乾きも癒されるだろう。多少、能力開発の為に薬品臭いが――それでも男なんて知らない、雑じり気無しの…………あの■■を啜れば。
軋むように、笑う。否、口角を吊り上げる。その上顎の第三歯、糸切り歯は――――剣歯虎の如く、鋭く。
「――――ッ!」
それを、己の拳でぶん殴る。ほとんど独立したように、その右手が。
正気に返ったのは、そこで。そこまで、無意識だったと言って良い。少なくとも、『対馬嚆矢』は――――
「……じゃねェだろ、ちょっと頭ァ湯立ち過ぎだ。いや」
ただ、道化に甘んじる。嘲笑われ、唾棄され、誰しもが忘れ去る道化に。幸い、四人できゃっきゃと騒いでいた少女達には、自分で自分を殴る姿は見られていない。
ヘラヘラ笑い、少女達の関心を誘う。よくいる、取るに足らない男として。この少し後には、もう忘れられているだろう、そんな。
「で、何かな? ひょっとして、遊び帰り?」
「あ、えっと……は、はい! そうなんです、久し振りに会ったから! もう帰るところです、はい!」
と、つい今まで笑顔だった涙子が、なにか大事な事を思い出したように慌て始めた。
わたわたと、『何か』をポケットに押し込んだ。それだけしか見えなかったし、疲労困憊の身としては早めに解放してくれるのならばそれに越した事はない。だから、突っ込まなかった。
「対馬さんも、風紀委員のお仕事頑張ってくださいね! それじゃ!」
慌ただしく、他の三人を引っ張るように涙子は走っていった。何か不審な気はしたが、今は、兎に角。
「早く……帰って寝てェ」
酷く怠い身体を引き摺るように、遥か遠い自室を目指して歩きを再開した……。
………………
…………
……
身体を引き摺って、漸く辿り着いた其処に、彼は腰を下ろした。荒い息を吐きつつ壁に背中を預け、スリップダウンしながら。
「……遅かったですね、ステイル」
「ああ、待たせたな……神裂 火織」
日の暮れた学園都市の一角、第七学区の喫煙所に――――頬を腫らした、巨漢の魔術師ステイル・マグヌスは。
「酷い有り様ですね。『禁書目録』の確保にも失敗したようですし」
その隣に立ったのは、黒髪を一つに纏めた、Tシャツにジーンズの女性。ステイルから、親しげに『神裂火織』と呼ばれた女である。
「訳の分からない妨害にあってね……全くもって、理不尽な」
憔悴しきった様子で、ステイルは懐をまさぐり……取り出した煙草が湿気っている事に気付き、忌々しそうに投げ棄てた。
「日に二度もしくじるとは、貴方らしくもない。ここに閉じ込めていると言っていた『少年』も、取り逃がしていましたよ。周囲には、影も形も」
「はは……返す言葉もない。こう言う時、日本では何と言うんだったっけ」
「『二兎追うものは一兎をも得ず』、『虻蜂取らず』」
「そう、それだ。欲をかいた結果が、このザマだよ」
頬に触れ、痛みに顔をしかめる。それは、まるで――――『全力で、右の拳で殴られた』ような打撲痕。
「しかし、流石と言うべきかな。彼等の『生命力』は。まさか、廃人にするつもりで刻んだ消沈の三大ルーンを凌がれるとは……」
「……正直、私には信じられない。アレはあくまで、『伝承の類い』だとばかり」
女は、少しだけ瞳に疑念を映す。まさかこの男が見間違いなどはしないと信頼してはいるが、それでも。長年の認識を改めるのは、簡単な事ではない。
「まぁ、僕も実際に目にするまでは半信半疑だったさ。だが、あの少年の――――呪撃を受けるまでは、ね」
「呪撃……欧州の、呪いの一種ですか」
所謂、『指差し』にて行われる呪い。指差した相手を病にするという、手軽な呪い。西洋人が指差しを嫌う由縁である。
「ああ、しかも『殺傷力持ち』クラスだ。加えて、ケルト魔術と融合している……毒矢だった」
「成る程、それで貴方ほどの使い手が遅れを取ったと」
「そう……だったら良かったんだがね。純粋に、物理的に押し負けただけさ。この木偶の棒の、見掛け倒しがね」
苦笑いした、図体ばかり立派な自身を恨めしそうに。
「厄介な呪撃だったよ。ただの呪いならば解呪も出来たんだが――――ドルイドの技が使われていた。まるで、寄生植物のように……撃ち込まれた者の魔力を糧に増殖する呪い。まるで……宿り木のように」
「確かに厄介な呪いですね……今は?」
『ソレ』を撃ち込まれた肩口を擦り、男は苦笑いを消す。
「消えたよ。あの少年の右腕に、殴られた時に」
「……また、『少年』ですか。しかし、妙な魔術ですね」
「言われてみれば、紛らわしいな……しかし、魔術を打ち消す魔術とは恐れ入る。どうしてこう、厄介な事は重なるのか」
「『泣きっ面に蜂』」
「そう、それだ」
また、苦笑いするステイル。その隣で、火織は冷厳な表情のまま。
「分かりました……その『対魔術』の少年の相手は私が。もう一人の少年は……今は、放っておいても問題はないでしょう」
「そうだな……では、あの少年は」
火織から差し出された新しい煙草のフィルムを剥ぎ捨て、魔術により火を点したステイルが紫煙を燻らせる。
「『宿木の弑神』の吸血魔術師は……その次だ」
数時間前にこうして煙草を吸った、北欧神話において『何物にも殺せぬ光の神を殺した矢』を思わせた少年の顔を、思い出していた……
………………
…………
……
――暗い、昏い……まるで、海の底のようだ。
辟易するように、その夢を見る。窮極の宇宙の神苑、踊り狂う異形の神々。その吹き鳴らすか細いフルートと、くぐもった太鼓の単調な旋律と韻律。
背後には、想像する事すらも赦されない深奥。己を抱くように混沌の玉座に微睡むそれは、盲目にして白痴なる神王。聞くに耐えない冒涜の言辞を喚き散らす、邪神の■■――――
――何を、莫迦な。こんなものは、夢だ。夢以外であるものか――――
視界の端に映る『それ』を、見えはしても考えない。理解すれば、恐らく正気では居られない。
そう……灰色の世界だ。代わり映えのせぬ、ただ徒労の世界。死ぬ為に生きる、何の意味も無く摩耗する。最早、幻想のヴェールが剥がされ尽くした、なんの面白味もない無味乾燥にして無色透明、ただただそんな世界で――――
――やめろ。やめろ、やめろやめろやめろ! 理解するな、理解するな理解するな理解するな……俺には分からない。分からない、分からない分からない分からない!
視界の端の破滅そのものが、僅かに身動ぎする。漸く気付いたのだ、己に捧げられた『生け贄』に。
息を殺して身を潜め、必死にこの永劫の刹那をやり過ごそうとしていた……哀れな、小さきものを。
――夢だ。夢だ、夢だ夢だ夢だ! 見えない。見えない、見えない見えない見えない! そんな筈はない。そんな筈はないそんな筈はないそんな筈はない、あんな――――
狂気を帯びた異形の神々の舞が、更に悋気を帯びる。知性など無いままに生け贄を妬み、嫉み、怨み、憎み。
『何故、貴様が』と。『何故、貴様だけが』と。『お前も』、『お前も狂え』と。フルートを、太鼓を掻き鳴らしながら――――
――ああ……月が。手を差し伸べるように、狂ったように嘲笑う、黄金の望月が見える――――
………………
…………
……
目を開く。軋むような頭痛が、意識を無理矢理に覚醒させる。着替える事もなく、倒れ込んだ姿のまま。忌々しく、胸元の『輝く捻れ双角錐』を睨む。紅い線の走る、禍々しい黒の扁平多面体を。
まだ体に残る、二日酔いの後のような『消沈』のルーンの残滓を振り払うように頭を振って。気を取り直して時計を見れば、時刻は午後七時丁度。這いずるように部屋に辿り着いたのが午後四時だ、約三時間の間、玄関先で泥のように寝ていた事になる。
「クソッタレ……覚えてやがれ、十字教徒……!」
携帯が、鳴り響いている。だがそれは、アラームではなく着信音。しかも――――電源を落とした私物ではなく、仕事用の支給品。
これに掛けてくるのは、説明ではただ一人。
「……はい、もしもし」
切れてしまう前に、応答する。寝起きの頭は未だ、霞がかったよう。
そんな耳に、届いたのは――――
『予定時刻、午後七時三十分。第七学区、駅前広場』
まだ若いが、どこか機械的な抑揚の少ない少女の声で。
『スリーピースのスーツにロングコート姿で、超目立つ事をして待って下さい』
一方的に告げて、切れた。まるで、誘拐犯の身代金の受け渡しの指定のようだ。
格好の指定は、確かに目立つ。真夏にスリーピースのスーツでロングコートなど、狂気の沙汰である。
「――まぁ、三十分で用意するのは……普通なら無理だ。要するに、何処まで甲斐性があるかを計る為、か」
そう言う事だろうと結論付け、懐から取り出した……くしゃくしゃの煙草を銜える。
「第一関門って訳か。上等だ、男子の本気を見せてやるよ」
これを乾かしたものと同じ――――錬金術で、何とかしようと。紫煙を燻らせつつ。全身の血管を巡るニコチンとタールの、燃え立つような刺激に頭を震わせて。
近くに古着屋はあったかな、と思考を働かせた……。
………………
…………
……
噴水の縁に腰を下ろす。懐中時計――――錬金術で『輝く捻れ双角錐』を中心に嵌め込んだ鈍い金色の懐中時計で確認したところ、現在時刻は午後七時二十分。予定よりも少し早い、理想的な時間に到着した。
黒で統一した、シックなスーツとコート。経費で落とすべく領収証を切ったものを、体に合うように錬金術で調整したものだ。因みに、髪は予め用意していたヘアカラーで黒に染め、ワックスで逆立てるように固めてある。瞳も、予め用意していたカラーコンタクトで黒に。『暗部潜入の為に用意した別人』への変装、である。
持ち物も、先に述べたように銀箱は懐中時計に仕込み、兎足はネクタイピンに変えてある。
――しかし、やっぱり暑いわ、コレは……。
錬金術で『熱量』を発散している事で耐えられてはいるが、やはり暑いものは暑い。ちょっとだけ、原理を利用した飾利の『定温保存』が羨ましくなったのは内緒だ。
周りを見れば、こちらを見る通行人もしばしば。まぁ、どう見ても一昔前の英国紳士の格好だ。加えて、暗部との接触という久々の仕事に緊張しているので、尚更に。
落ち着こうと、煙草を銜える。買い直した、少し高めの缶ケース入り舶来品。いつもよりも強い香気に、僅かに緊張が和らぎ……何と無しに、夜空を見上げた。
視線の先には、黄金の月。僅かに欠けた、猫の瞳のようにも見える楕円の月。
吐き出した煙が、虚空に消えていく。まるで、初めから存在していなかったかのように。
――やっぱり、日輪の下よりはこっちの方が俺好みだな。この月の光が、この暗闇が。俺に力をくれる気がする……。
気を取り直して再度確認した懐中時計は、午後七時二十五分。そろそろ、時間だ。
「――『目立つ事をして待ってなさい』、か。それじゃあ精々、目立とうかねぇ?」
煙草を吸い終えて携帯灰皿に躙り、懐に仕舞って――――代わりに、『それ』を取り出した…………。
………………
…………
……
まだ明るい駅前を歩く二人は、駅前広場の時計で時刻を確認する。午後七時二十五分、行動を開始するにはいい頃合いだ。
「――――結局、私らに新入りなんていらない訳よ」
「…………」
と。唐突に、その二人の内一人……不満そうに唇を尖らせた金髪碧眼の少女がブー垂れる。
だが、その隣を歩くオレンジ色のフードの少女……右手で携帯を保持して耳に当てている少女は、むっつりと黙りこくっているだけだ。
「大体、おかしいのよ。いくら命令だからってさ、あたしら四人のコンビネーションは結局、完璧と言っていいレベルな訳だし」
「…………」
「どう考えても蛇足って奴なのよ。あんたもそう思うでしょ、絹旗?」
それにも構わず、金髪の少女は滔々と文句を述べ続ける。だがやはり、『絹旗』と呼ばれたホットパンツにフードの少女はそれを――――
「……超いい加減にしてもらえますか、フレンダ。コンビネーションがどうとかもっともらしい事言って、どうせ文句があるのはギャラの配分が超減る事でしょう?」
「ギクッ……い、いや、そんな訳ない訳よ! だってさぁ、結局、見ず知らずの、しかも男なんて――――」
フレンダと呼ばれた帽子にミニスカートの金髪少女は、自分より年下の絹旗の、ジト目での突っ込みに図星を突かれたらしく動揺しつつ話を逸らす。
丁度そこで、携帯の方に動きがあった。繋がったのだ。
「あ、もしもし、滝壺ですか? はい、絹旗です。今から、対象を超探します」
絹旗はそれに視線を逸らし、フレンダは九死に一生を得たように嘆息する。
「はい、麦野の指示通り『超目立つ事をして待て』と超伝えてあります。まぁ、格好からしてもう目立つと思うんですが……」
「『超目立つ事』ねぇ……結局、どんな事してるんだか。面白そうだからさ、見付けたら暫く放っといてみたりしない?」
通話口の絹旗にまたもフレンダは話し掛けて、『にひっ』とばかりに笑う。
そんな風に駄弁り、通話しながら歩いていると言うのに、二人は他の通行人にぶつかるどころか掠りもしない。何かの催し物の為か、やたらと集まっている人混みの中ですら。
「……フレンダ、これは遊びじゃなくて仕事です。そう言うのは超慎んで――――」
と、そんな彼女に苦言を呈そうとした絹旗の、身長差からの上目遣いが固まった。ある一点を見詰めて。
「えっ、えっ? な、何よ、絹旗?」
そのまま、彼女は放物線状に何度か視線を彷徨わせた。不可解なその仕草に、フレンダは漸く、絹旗が自分の後ろの方を見ている事に気付いて振り返り――――
「ちょ――――何、あれ?」
人混みの中心、衆人環視の中。駅前広場の噴水をバックに、革手袋の手を振るスリーピースのスーツ。
『――――ハァイ、良い子の皆も悪い子の皆もこんばんはウサ!』
まるでタップダンスのように、三メートル程も跳び上がって軽快に革靴を鳴らして着地。そして合成音声丸出しの、やたらにハイなイントネーションで喋る――――
『ボクの名前はウォッキーラビット。よっろしっくピョン~!』
恭しくお辞儀をする、兎のぬいぐるみ頭の大男であった。
「……もしもし、麦野ですか。はい、今、超見付けました。はい、超目立つ事をしてます……こっちの予想の、超上をいくレベルで。画像ですか、分かりました」
「あれは、あの……結局、頼まれても関わり合いになりたくない訳よ」
完璧に異常者を見る目付きで後退るフレンダ。対し、絹旗は驚きから立ち直ったらしく、淡々と言われた事を熟す。
画像付き通話で、『ウォッキーラビット』と名乗った男がジャグリングや軽業を披露するさまを……通話先の相手に届けていた。
『――――アッハハハハッ! 良いねぇ、良いじゃないさ。良い感じに頭のネジがブッ飛んでるじゃない』
と、通話相手が喝采した。まだ若い、しかし此処に居る二人には無い、『貫禄』のようなモノがある、女性の声だ。
「それじゃあ、麦野?」
『そうねぇ――――適当な理由を付けてブッチするつもりだったけど。気が変わったわ』
「えぇ~……麦野、本気ぃ?」
興味のなさそうな絹旗と、興味津々の『麦野』と呼ばれた女性。そして、心底嫌そうなフレンダの三人。
その視線を一身に受ける対馬嚆矢……恥ずかしさを勢いと『何も考えない事』で誤魔化している、兎頭の『空っぽ頭』。
『第一試験は合格、二次面接開始だにゃ~』
月が見下ろす道化は、只只渦中に自ら歩み入る。どうやら、まだまだ彼の夜は長そうだった。
………………
…………
……
無心である。ただ無心に、嚆矢は――――昔、『とある園地の象徴偶像《マスコットキャラ》』の某鼠っぽくオーバーアクションに振る舞う。八つの球のジャグリングを成功するだけではなく、わざとトチって頭に八連発で当てたり、バク転の着地でわざとトチって、股間を強打したり。笑いを取る、道化を演じる。
何となく『今回の相手』は、これくらいしないといけない気がしたのだ。そしてそれは、知る由もないが、正しい判断であった。
『それじゃあ、そろそろ本番ニャア。ウォッキーの世にも不思議ニャ、マジックショーの開幕ナ~ゴ』
等と、パチンと指を鳴らしながら。普段なら口が裂けても言わない、身を切られても取らないようなポーズを取りながら……黒猫は戯けた様子で。
『じゃあ――――そこニャお嬢さん、此方にどうぞニャア』
「えっ――――わ、わたくしですか!?」
指名したのは、人混みの中央。普通ならば、目にも留まらない位置。だが――――その少女達は、非常に目立っていた。
「どっ、どどっ、どうしましょう……わたくし、指名を受けてしまいましたわ!」
「落ちついてください、婚后さん」
「そうですよ、平常心です」
「ひ、他人事だと思ってますわね~!」
扇子のストレート黒髪、ソバージュの栗毛色、黒髪ロング。何故なら、彼女達三人は……『人混みの中でも自然と目を引く』と真しやかに囁かれる制服を身に纏う、『常盤台の生徒』なのだから。
暫し揉めるも、周囲の期待には逆らえない。その点でも、嚆矢の読みは当たっていた。観念したように前に出た扇子の少女を、まるで。
『ようこそいらっしゃいませナ~ゴ、お嬢さん。こんニャ夜遅くまで出歩くニャンて、ウォッキーは感心しニャいニャア』
「あ、あう……べ、別に夜遊びをしていたわけではありませんわ。ちゃんと寮監殿の許しを得て、ちょっと買い物を……」
開いた扇子で真っ赤に湯だった顔を隠す……『婚后』と呼ばれた少女を、弄くって遊ぶ性悪猫。とは言え、下品にならないよう紳士的に。泣かしたり怒らせたりするのは、本意ではない。
まぁ実際、夜遊びではないだろう。まだ、十七時半過ぎ。まだ、辛うじて。
『ところで、お連れ様のお二人は何時までそんニャ所に居るのニャア? 早く来てくれニャいと、マジックが出来ニャいナ~ゴ』
「「――――えっ!?」」
声を合わせて、残りの二人が慌て始める。まさか自分達までとは思わなかったのだろう。
「あら、湾内さん、泡浮さん? 『平常心』なのでしょう?」
「「ううっ」」
反撃を受けてしまい、同じく常盤台の制服の二人が環視の舞台に連れられた。群衆の中から、鋭い口笛が鳴る。
いくら目立つ常盤台生とは言え、これだけの人目には慣れないのか、恥ずかしげに頬を染めているのが可愛らしい。
『さぁ、それじゃあ三人に手伝って貰うのは、透視と転写のマジックですニャア。勿論、能力じゃ『二重能力者』でも無い限りは無理ですナ~ゴ』
『その通りだ』と笑いが起きる中、右手でメモ帳とボールペン、三通の封筒を取り出した嚆矢はそれらを少女らに渡す。
因みに、『二重能力者』とは――――この学園都市にある噂のようなもの。『一人につき一つの能力を複数持っている能力者』というものだ。そしてそれは、公式に『存在し得ない』と否定されたものでもある。
『それじゃあ、先ずはそのメモ帳に君達のお名前とメアドを書いて欲しいニャアゴ』
「「「えっ?!」」」
『――じゃねーニャ、好きなトランプのマークと数字を書いて欲しいニャア。その後、何も書いてないページをちぎって封筒に入れて左手に持つナ~ゴ』
と、あわよくば名前とメアドをゲットしようとナンパトークのような事を口にするも、反応が悪かった為に戯けて茶を濁し、さっさと本題に入る。
常盤台の常として美少女揃いだったので、少し惜しい気はしたが。
『ちゃんと描けたニャア? では、それを四つ折りにして右手に持って欲しいニャア。そして、早速……ナ~ゴ!』
そして、四つ折りにされたメモを載せた少女達の掌に、猫の手を模した肉球付の黒い革手袋に包まれた手を翳す。『火』と『賭博』の神刻文字が刻まれた、『探索』を助けるその手袋を。
これにより手元の紙ではなく、『少女達の機敏』により読み取った。まぁ、多分にギャンブルだが。そこは、『制空権内』でカバーする。
『フムフム、読めたニャア。じゃあ次は、転写だナ~ゴ』
と、彼女らが左手に持つ封筒に手を翳す。その時の一瞬の煌めきは、錬金術によるもの。これで、読み取ったマークと数字を白紙に転写するのだ。紙の表面を炭化させ、文字にする方式で。
「もう宜しいのですか?」
『どうぞ、開けてくださいニャア』
おずおずと、封筒に納めていた紙を彼女達は取り出し――――一様に驚いた。
「あ、当たりです」
「私もです……」
「すごいですわ……」
『ニャはは、以上ニャア。ウォッキーキャットのマジックでしたナ~ゴ』
――魔術と科学の融合……言うなれば、魔術式と科学式による事象改竄とでも言ったところか。
詰まり、『魔術である神刻文字と錬金術を、科学で得た能力である制空権内で強化・反動を中和する』という高度な組み合わせ技を、こんなにも詰まらない事に使用している訳である。
『さぁ、お捻りはこちらの鞄にお願いするニャア。実はウォッキー、こう見えて体が弱いから、軽い紙のお金の方が嬉しいナ~ゴ』
やはり戯けて小さめのジュラルミンケースを左手で抱えれば、周囲から笑いと共に小銭が投げ込まれる。
有り難く、それを受け取る。一つも逃さぬよう、外れたものは足や右手で跳ね上げながら。
「一体、どんなトリックを? まさか貴男、本当に――――」
「――――はいは~い! それじゃあ結局、今日はこれまでな訳よ。皆、ウォッキーの次のステージでまた会おうね~!」
『ニャ?』
と、色めき立って詰め寄った扇子の少女と嚆矢の間に、いきなり割り込んだ少女が一人。
妙に襟の切れ込んだ紺の服に白いミニスカート、パンストを穿いた――金髪碧眼の、帽子の少女は。
「ではまた来週~!」
と、決めポーズのようなものを取った彼女のスカートの裾から『何か』が落ちる。それは――――軍隊で用いられる『M18 発煙手榴弾』に似た物。
既にピンは、頬に寄せた少女の指先に踊っていた。
『――――ッ!?』
カンッと石畳に落ちた瞬間、手榴弾は凄まじい速さで回転して周囲に毳々しい紫色の煙幕を撒き散らす。
吸い込むのを防ごうと顔を庇い――――今は、被り物をしていた事を思い出した。
『焦ったナ――――ゴふっ!?!』
思い出した瞬間――――襟首を引っ掴まれて、転びそうな位に低い中腰のまま、後ろ向きに物凄い速度で引き摺られていった。
「――――このっ!」
次の瞬間、立ち昇った煙幕の柱。否、突風が石畳から『噴き出した』のだ。
「……くっ、逃がしましたわ。この婚后 光子、一生の不覚……群衆の中にサクラを仕込んでいただけだなんて」
煙幕が上昇気流に巻き込まれて噴き上げられれば、後に残ったのは扇子の少女のみ。
後の二人が駆け寄る中、忌々しそうに呟いて遠くを見詰めた彼女は。
「本当に『魔法』かと、わたくし、期待しましたのに……」
『純粋培養の御嬢様』は、はぁ、と。憂鬱そうに溜め息を漏らしたのだった…………
………………
…………
……
振り向く事も出来ぬまま、路地裏を引き摺られ続けていた。既に、数分も。
辛うじて転倒こそ免れているものの、中腰でのバック走などは元来人間が想定している運動ではない。太股と脹ら脛は、乳酸で発酵寸前である。
『――――ンニ゛ャッ!??』
と、突然の浮遊感と共に天地が逆転する。何の事はない、引き摺られる勢いのままに放り投げられたのだ。
僅かな滞空時間の後、これでもかとポリ袋の積まれたごみ置き場に突っ込んで事なきを得る。人としては、何か大事なものを失った気分だが。
『ひ、酷い目に遭ったナ~ゴ……』
ごみ置き場から這い出し、本物の猫がするように身繕いをする。その目の前に……小柄な人影は立った。
「覆面は超取らなくても良いです。アナタに超与えられた選択肢は二つ――何もかも忘れて今まで通り普通に超生きるか。或いは――――」
『ニャ?』
オレンジ色の上着のフードを目深に被り、ポケットに手を突っ込んだ――――ホットパンツの少女。
「学園都市の闇の中で足掻きながら死ぬか、その二つね」
そして、いつの間に追い付いたのか。先程の金髪碧眼の少女が、すぐ隣の壁に背を預けて立っていた。
その二人の、姿に似合わぬ炯々たる瞳。まるで本物の猫科の猛獣のような、その瞳に。
『お気遣い有り難うニャア、可愛らしいお嬢さん方。でも、心配には及ばないナ~ゴ』
相も変わらぬ、人を小馬鹿にしたような表情の黒猫のままで嚆矢は、否――――暗闇に溶ける漆黒のチェシャ猫は、赤く畜光するニヤけ顔のみを空中に浮かべたように。
「――――この大能力者『正体不明』の宿木 嚆矢、どちらかと言えば暗部にいた時間の方が長いからな」
変声機を切り、低い地声で宣言する。その名は、『確率使い』として科学者が匙を投げた識別名を付けられる前の、暗部時代の名。
正体不明の、非在の能力に付けられた畏怖の呼び名にして忌み名。
「――――ふぅん。じゃあ、次は実地試験、と」
最後に、ブーツの足音を響かせながら路地の奥から歩み出てきた女性。すぐ脇におかっぱ頭の黒髪、ピンクのジャージの少女を連れた、気の強そうな茶髪のロングの女性は。
「始めまして、宿木。あたしが『アイテム』の頭――――超能力者『原子崩し』の麦野 沈利よ」
「――――へぇ、アンタが、あの」
紫色のワンピースに白いブーツの、嚆矢より年上と思しき。
「因みにぃ、わざわざ名乗った意味くらいは理解してるわよねぇ?」
「勿論。裏切りは許さないって事だろ、第四位?」
230万人の学園都市の頂点に君臨する、七人の超能力者の第四位『原子崩し』が。
「賢い黒猫ちゃんだこと。嫌いじゃないわよ?」
まるで値踏みするかのように笑った――――
………………
…………
……
路地裏の一角。黒塗りの車輌が一台、宵闇に紛れるように静かに停車している。こんな無人の路地に、一体、何の用があると言うのか。
「……取引相手はまだか?」
その車に乗る、黒いスーツ姿の男。キーを回していない車内には冷房も効いていないと言うのに、だ。
その男が呼び掛けたのは、無線機。その先から――――
『此方からも、何も確認できていない。取引相手も、それ以外も』
響いた男の声は、仲間のもの。少し離れたビルの屋上で、狙撃用にスコープを搭載したライフルを構えた、同じくスーツの眼鏡の男の声である。
『すっぽかされたか、はたまた……何にしろ、ここに長居は無用だな。この取引がリークされて、始末屋が雇われたって噂もある』
そしてまたも聞こえてきた男の声は、別の仲間のもの。回されたキーにより、車のヘッドライトが輝いた先に立つ、ジェラルミンケースを持つ……やはりスーツの男だ。
「くわばらくわばら。しかし、影も形もない相手にそんなに警戒しなくても――――」
車のハンドルに左手を掛けた男はバックミラーやドアミラーを確認しながら、ギアをニュートラルからローへ。恐れをなしたのだろう取引相手を嘲笑いながら、クラッチを緩やかに離しながら加速しようとして――――
『――――あら、いるじゃない。貴男の直ぐト・ナ・リ』
「――――ッ?! だ、誰だお前!」
携帯電話から漏れた、嘲るような女の声。何処からかジャックされたと思しき、想定外の声に、思わずエンストさせてしまう。
『おい、なんだ今の声は!』
『くそッ! 何処に!』
気付いた外の二人が、殺気立つ。その合間にも。
『ほぉら、よぉく見てごらんなさいな。ああ、窓に! 窓に! アハハハハハ……!』
「窓――――?」
声の言うまま、男達は直ぐ近くの窓を見る。ジュラルミンケースの男は背後のビル、狙撃手の男は対面のビル、車の男は運転席のドアガラスを見遣る。そこで――――
『――――ニャ~ゴ』
「な――――」
見た。見てしまった。車の男は漆黒の虚空に浮かぶ埋め火のような紅の縁取を、人を小馬鹿にしたチェシャ猫の笑顔を。『猫の無い笑顔』を浮かべた、黒豹を。
そしてもう一つ……ガラスに、暗闇に紛れて見えない黒豹の手の肉球の跡が、ぺたりと付く様を。
………………
…………
……
「い――――ギャァァァァァァァァッ!!!!!!!」
刹那、男達の耳のインカムに響いた絶叫。いや、それはもう断末魔か。常人ならば狂気や恐慌を来しても余りあるような、仲間の断末魔。
見れば、車の男が――――車ごと、球形に圧されている。手足だけが外に晒された状態で藻掻く、実にナンセンスでグロテスクな、ユーモラスな姿の……鼠のような、悪夢めいた機械の獣に。
その周りには、他に二つ。同じくらいのサイズの、鉛色の卵。ヒビの入った二つの卵が、孵ろうとしている。
「チッ――――おい、彼処だ! あの、イカれた猫野郎を撃て!」
『猫――――』
しかして、彼等とてプロである。仲間の死くらいならば、今までにも無かった訳ではない。
瞬時に頭を『交戦』に切り替え、闇に融けるように立つ黒豹を捉えた。
………………
…………
……
そんなやり取りを、黒豹は車の男から奪ったインカムで聞いていた。残るは二人、約二十メートル先のジュラルミンケースの男と、何処かに潜む狙撃手。
『おお、憐れな憐れな卵男爵ニャア。眠り鼠は夢の中、転んだら一人じゃ起き上がれないナ~ゴ』
その内――――黒豹はジッパーの口許を僅かに拡げて煙草を銜えつつ、ジュラルミンケースの男に向き直った。
『位置についてニャア……よ~い――――』
片足を狙撃手の側に置いた鉛の卵に乗せて、空いた左手を『銃』のよう指を伸ばして――――。
……学園都市の技術は、この都市を囲む塀の外の数世代もの先を行く。そしてそれは学園都市の財産であり、外に出る事はまず有り得ない。もし出たとしても、それは大分型落ちした、学園都市内では旧世代の遺物と成り果てたような技術。それでも外の最先端よりも先をいくと言うのだから、驚きである。
だからこそ、それを外に持ち出す事で一攫千金を目論む企業や個人は跡を立たない。
彼等も、そんな一部。一度でも成功させれば、その先数年は遊んで暮らせる密貿易を目論んでいるのである。
『捉えた――――巫山戯た格好をしやがって、残飯漁りが!』
狙撃手もまた、直ぐさま黒豹をスコープに捉えた。その額に向けて照準を合わせ、引鉄を絞る――――!
『ドン、ナ~ゴ!』
よりも早く、黒豹が号令を掛けたその刹那――――黒豹の足下の卵が弾け跳んだ。その応酬、狙撃手が見た光景は、ほんのコンマ数秒以下の世界。
明らかに遅れて射ち出されたライフル弾、それを軽々と弾いて疾駆するのは――――。
『兎――――』
その一言を最後に、男の認識は闇に閉ざされる――――。
………………
…………
……
弾け跳んだ、狙撃手が居る筈のビルの屋上を呆然と眺め、ジュラルミンケースの男は一歩後ずさる。もう、距離は五メートル以下。
『まぁったく、三月躁兎にも困ったもんだニャア、狂い帽子屋。完璧にフライングだニャア、やり直しを要求するナ~ゴ』
「なっ……何なんだ、お前はァァァッ!!」
目前まで迫った、紫煙を燻らせる黒豹の姿に――――その頭上に浮かんでいた、半透明の硝子の帽子のような形状の複眼型センサー群を持った怪物を、テンガロンハットのように被る黒豹に完全に気圧されて。
懐からサバイバルナイフを抜き放ち、突き付ける。
「ああ、煩い……なんて煩わしい。黙れ、永久に口を閉ざせ」
それに、黒豹は今までの薄気味悪い合成音声を切って、地声を向ける。倦怠と失望、怒りと嘲りの入り交じる、芭李呑の声色を。
「もう、俺は興味がない。死に逝くお前らになんぞ、僅かにも。憐憫の情すらも湧かない。何故だか解るか――――?」
「知るか、狂人め――――学園都市の改造人間め! 人外の怪物共め!」
「如何にも。俺は『正体不明の怪物』だとも」
冷めきった氷点以下の問いにも、恐慌を来した彼には届かない。この期に及んでジュラルミンケースを後生大事に抱え、ナイフを振りかざし――――悪態を吐きながら、突進してきた。
「ハッ、思考すら放棄したか……莫迦め。あぁ、莫迦め! 救い難い莫迦めが!」
それを、最早、目で見る事もなく。帽子の鍔で顔の見えなくなった黒豹は、左手で黒いネクタイと紅いワイシャツの首元を寛げて。
「――――ヒギッ!?」
男の四肢を『見えない掌』で拘束する――――いや、ヘシ折った。それは、遠隔操作で飛翔する……防弾硝子の、幾つもの『刃』で構成された擬似的な掌。
抵抗する事など、もう出来ない。後は、黒豹の為すがままだ。
「さぁ――――仲間が待ってるぞ」
「まっ……待て、分かった! 儲けは山分け……いや、お前に七割やる、だから助け――――!」
もう数センチの距離にある、今まさに顔を上げた――――
「救えぬ莫迦め――――――――死ね!」
嘲り笑う、燃え盛るような三つの眼を滾らせた漆黒の獣の――――沸き立つ禍々しい奇怪にも機械に似る、確固たる密集した鎧にも群を為した剣にも、唯一生まれ持った拳にも見える追加された複合装甲を纏う、右腕の鉤爪の拳にて鳩尾を撃ち抜いた――――…………
………………
…………
……
倒れ伏した三人の男を見下ろし、女は満足そうに笑う。
「へぇ、中々使える能力じゃないか。『正体不明』……だっけ? 見たところ、『物質の再構築』ってところか」
実地試験の成功に、麦野沈利は満足そうに。そして、微かな不満に、嚆矢へと笑い掛けた。
『惜しいけど、違うニャア。我が能力は『正体不明』。理解しようとした時点でもう、理解できないナ~ゴ』
「あっははは……いやぁ、面白い。いいにゃあ、アンタ。本気で気に入ったよ、や~ど~き~ぃ!」
戯けて、くるくる喋る性悪猫。普通ならば、馬鹿にしているのかと憤慨されるだろう一言。だが、沈利はけらけらと、満足そうに笑う。だが、不満そうに彼を見詰める。
つい、と。額から汗が流れる感触。噂には聞いている、『第四位・原子崩しは、戦闘能力だけならば第三位・超電磁砲を凌駕している』と。
嘘か誠かは兎も角、嚆矢程度では逆立ちしたところで雲の上の実力者。その機嫌を損ねれば、どうなるか等……想像に難くない。
「ところでぇ……宿木ぃ。あんた、なんで――――標的を三匹とも、生かしておいたのかにゃあ?」
見下ろした先、まだ痙攣するスーツ姿の男達。それを見ながらの問いに、嚆矢だけでなく回りの三人までもが凍りついたように。
「……だ、大丈夫だよ、やどき。そんなやどきを、わたしは応援してる」
『あ、ありがとニャア……滝壺ちゃん』
ピンクのジャージのおかっぱ少女滝壺 理后の絞り出すような声に、辛うじて返答した。
当たり前だ、その女は五人の中で最強の能力者。他の四人を、『軍隊で戦術的価値を見いだす事が出来る』大能力者四人を、たった一人で圧倒して余りある――――『たった一人で軍隊を相手取る事が出来る』超能力者なのだから。
『そりゃあ、生かしとかニャいと情報が手に入らないニャア。こいつらはどう考えても末端、蜥蜴の尻尾ナ~ゴ』
それにすら、ニヤケ顔。元々、そんな覆面なのだから。
……本当に? 先程からずっと、此方を見詰める小躯――――オレンジのフードの小学生(?)絹旗 最愛の視線を受けながら。
『最初はリーダーだけのつもりだったニャア、けど、こいつら没個性の集合体ナ~ゴ。どれがリーダーだか、在り来たりすぎて分からなかったニャア。つまり――――』
へらへらと、ころころと。最近流行りの物語に喧嘩を売るように。
「――――全部、闇の底がお似合いだ。この世の中が金や名声、持ちうる技能の強弱程度で、へらへらと。決定事項のように語れる程度の事しかないと思っている、甘ったれには……な」
『黒豹』の声で、転がる三匹を見下す。何の感情を籠める事もなく。この世界に、倦みきった視線で。
「……はぁい、合格。いやね、漸く見所がある新人が来たわねぇ」
それに、沈利は流し目を送る。漸く、興味を引かれたように。
果たして、猛獣どころか。その威圧たるや、遥かな古代に慈悲深くも死に絶えた、恐竜が今も健在ならばと思しき瞳。
「フレンダぁ、アンタ、宿木の教育やりなさい」
「りょ、了解――――って、えぇ~~~っ! 何で私……が…………はい、やります。やらせていただきます」
「まぁ、あれね。アンタも、こいつから『暗部的な考え方』を学びなさいな」
と、フレンダ……金髪碧眼の少女フレンダ=セイヴェルンが無条件で頷き――――瞬時に慌てる。
言い返しはしたが、ほぼ同時に見詰め返された時点で反論は消えた。滝汗と共に。
「さぁってぇ……それじゃあ、後は他のに任せて撤収ね。あ、因みに宿木……アンタ、今回はあくまで試験採用だからギャラは無しね」
『ニャ、ニャんですとォォォォォ!? た、タダ働き? 一番嫌いな、タダ働きィィィィィ?!』
頭を抱えた構成員を二人に増やして、『アイテム』の頭
麦野沈利は。
「夜更かしは美容の大敵だからねぇ……あんまり夜更かししてると、取って食っちゃうわよ?」
ウィンクと共に消え逝く、彼女の笑顔。滅多に見れぬ、それこそ、『アイテム』の面々ですらが『珍しい』と口を揃えかねない状況で。
「「「「――――――――恐ぁ……」」」」
出逢って僅かに数時間だと言うのに、もう、嚆矢とフレンダ、理后、最愛の四人は心を重ねたのだった。
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