闘ひとは
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第一章
第一章
闘ひとは
終戦直後の銀座のあるバーでだった。彼は今日もいた。
その店は奥に深く幅は狭い。カウンターだけがある店だ。そしてカウンターの後ろには様々なボトルが何列も並べて置かれている。
そしてカウンターの席は回転椅子だ。それが西洋風の洒落た趣きとなっている。
彼はその店で粋に見えるスラックスと白いワイシャツ、それにスラックスと合わせた色のベストにネクタイという格好だ。そこで長めの顔と高い鼻を見せていた。
「先生はいつものあれですか?」
その彼にこれまた洒落たタキシード姿のバーテンが声をかけてきた。
「ウイスキーですか?」
「うん、それを頼むよ」
かなり強い訛りであった。東北の、それも相当北の方の言葉らしい。その言葉を出しながらバーテンの言葉に対して応えたのである。
「それをね」
「はい、じゃあそれで」
これで頼むものは決まった。それでウイスキーがボトルとグラスで出された。だがグラスの中には氷はない。終戦直後で物資不足なのだ。氷にすらそれが及んでいたのだ。ウイスキーにしろ今こうして店にあるのがかなり不思議な程である。そんな時代だった。
彼はそのウイスキーを貰うとだった。すぐに自分で入れて飲みはじめた。
そうしてそのうえで。こんなことを言った。
「まずいね」
「まずいですか」
「うん、まずいよ」
そのウイスキーを飲みなながらの言葉である。
「この店はね」
「そうですか。まずいんですか」
「この店が悪いんじゃないよ」
彼はこうも言った。
「ウイスキーそのものがね」
「まずいですか」
「ウイスキーは美味しくない酒だよ」
彼にしてはそうなのである。それで実際にそのウイスキーをまずそうに飲んでいる。
「いや、お酒自体がそうだね。まずいよ」
「それじゃあ飲まない方がいいんじゃないですか?」
バーテンは彼のその言葉を聞いて怪訝な顔を向けた。とはいってもその表情は決して悪いものではない。むしろ彼を心配する顔になっていた。
そうしてその顔で。彼に言うのである。
「かえって身体に悪いですよ」
「身体に悪いのは百も承知さ」
こう応えながらだった。懐から煙草を出す。ゴールデンバットだ。
そのゴールデンバットを吸いながら。彼はまた言った。
「この煙草にしろね」
「煙草もわかっていてなんですか?」
「そうだよ。酒も煙草も身体に悪いよ」
それは彼でなくても誰でもわかっていることだった。どれも非常に身体に悪い。
「けれどね。それでもね」
「飲んで吸うんですか」
「そうさ、それでもだよ」
煙草を右手に持ち笑う。笑いながらまた言う。
「僕は飲んで吸うよ。このウイスキーもね」
「ウイスキーをですか」
「息を止めてそれで一気に飲むんだ」
彼は言った。
「そうやって一気にね」
「それが飲み方ですか」
「そういうことだよ。僕は酒は楽しんで飲まないんだ」
言いながら吸い終えた煙草を黒い灰皿の上に置いてだ。そのうえで再びグラスを手に取ってその中に半分程度残っていたグラスを見るのだった。
グラスの中のウイスキーはブラウンの光を放っていた。店の証明に照らされそれでその褐色の独特の光を彼とバーテンに見せていた。
「あえて苦しんで。それで飲んでいるんだよ」
「それはまた変わった飲み方ですね」
バーテンはその言葉を聞いて首を傾げさせた。
「またどうして。そんな風に飲んでるんですか?」
「闘いだよ」
彼はそのグラスの中のウイスキーを見続けたまま言った。
「これはね。闘いなんだよ」
「闘いなんですか」
「そうだよ。闘いだよ」
それだというのだ。
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