格好いい人
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第一章
第一章
格好いい人
「僕はね」
鈴木裕さんは私に静かに話しはじめた。
今私達は海が見える喫茶店にいた。そこのテラスの席から海を見ながら話している。テラスはテーブルも椅子もそしてテラス自体も白くまるで雲のようだ。私達はそこから話をしていた。
「駄目な人間だったんですよ」
「まさか」
私は鈴木さんのその話をまずは否定した。
「鈴木さんは立派な人ですよ」
少なくとも私の知る限りはそうであった。この人は船乗りで身体は細いが力仕事もしかりとできるしデスクワークも的確だ。職場でもそれでかなり有名な人である。できる人として。
「それがどうして」
「そうじゃないんですよ」
けれど鈴木さんはそれを自分で否定するのだった。
「最初はね。酷いものでしたよ」
「そうなんですか?」
それを聞いてもとても信じられなかった。
「まさかとは思いますけれど」
「全然できなくて」
また私に話してきた。眼鏡の奥の目がとても優しい。小柄で七三分けにしているのでとても船乗りには見えない。まるで銀行員のようだ。
「しょっちゅう怒られていましたよ」
「船でですか」
「その時のこと御聞きしたいですか?」
「ええ、是非」
私は一もニもなく鈴木さんに答えた。
「御願いします。どうか」
「わかりました。それでは」
鈴木さんは私の言葉を受けて話しはじめてくれた。それは今の鈴木さんからはとても想像もできないことだった。
鈴木さんは海が好きだった。港町で育ち子供の頃から海を見て育っていた。だから大人になったら船乗りになろうと決めていた。
そしてその願いのまま高校を卒業したらすぐに船乗りに志願した。入社試験に合格してそれですぐに船に乗った。ところが船の世界はとても厳しいものだった。
鈴木さんは大柄でごつい身体の船乗り達に囲まれ力仕事に雑用をした。しかしこれが小柄な鈴木さんには極めて辛いものだった。
「ほら、これを持て」
「あれ運んでおけ」
次から次にその重い荷物を運ばさせられる。しかも休む間もなく雑用を命じられる。鈴木さんは次第に消耗していき船の中でへばってきていた。
「あいつどうなんだ?」
「駄目だろ」
先輩達はそんな鈴木さんを見て言うのだった。
「ひ弱だしな」
「体力ないからな」
口々にこう言って鈴木さんに駄目出しをした。そうして鈴木さんにさらに仕事を押し付ける。押し付けるという言葉は極端かも知れないがそれでも仕事が続いたのは事実だ。
消耗していく鈴木さんはやがて誰の目からも明らかなまでにやつれ細っていった。それで多少なりとも優しい心を持つ人達は鈴木さんに忠告をした。
「おい、鈴木御前」
「もう辞めたらどうだ?」
鈴木さんを気遣っての言葉だった。
「これ以上働いたらそれこそだ」
「身体壊すどころじゃないぞ」
「いえ、大丈夫ですよ」
けれど鈴木さんはそれでも船に乗り続けた。幾ら消耗しても船が、そして海が好きだった。だからあくまで船に乗りたかったのだ。
「やれますから」
「いや、もう無理だろ」
「御前は船乗りには向いてない」
そして遂にはこう言われたのだった。
「もうな。辞めろ」
「船から降りろ」
そう言われた。しかし鈴木さんはそれを聞こうとせず船に乗り続け遂には。本当に身体を壊し倒れてしまった。ベッドから起き上がれなくなってしまったのだった。
こうして鈴木さんは船から降ろされた。そのまま会社のデスクワークに任された。そんな鈴木さんに対して会社の人達は口々に言った。
「もう御前は船には乗れない」
「だからここで仕事しろ、いいな」
「船には乗れないんですか?」
「そうだ」
こう言うのだった。
「二度とな。御前には向いてなかったんだ」
「だからここで仕事しろ」
「絶対にな」
「いえ、僕は」
しかしであった。鈴木さんは言ったのだった。
「船が好きです。また船に乗りたいです」
「船にってだからそれはもう無理なんだよ」
「不可能なんだよ」
誰もが口々に言うのだった。
「もう御前はな。身体も壊したしな」
「それで何で船に乗れるんだよ」
「いえ、乗ります」
鈴木さんの決意は強かった。その都度はっきりと言うのだった。
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