カウンターテナー
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第一章
第一章
カウンターテナー
ジャッキー=マクドネルは身長二メートル近い筋骨隆々の黒人である。顔も引き締まり褐色のその肌と短く刈った髪が彼を余計に逞しく見せている。
「おいおい、またがたいがいいな」
「フットボーラーだなあれは」
彼を見た者達は誰もがこう思うのだった。
「如何にも強そうだな」
「ああ、銃でもないと勝てそうじゃないな」
確かに彼は筋肉に相応しい力と持久力があった。しかしであった。
彼はスポーツよりも歌を愛していた。彼はバンドを組みそこでもヴォーカルだった。歌は上手かった。
しかしであった。その歌声を聴いて誰もが。我が耳を疑わずにはいられなかった。
「えっ、この声って」
「何!?」
唖然として言うのだった。
「今の歌声って」
「あいつが歌ってるんだよな」
「そうだよな」
観客席において誰もがマクドネルを見て言い合う。
「ジャッキー=マクドネルがな」
「歌ってるんだよな」
ステージを見れば間違いない。ヴォーカルは彼でありマイクを手にして歌っている。ステージを見ればそれははっきりとわかった。
しかしその声は女のものなのだ。それが違うのだ。
「これって何だ?」
「何て女の声が聴こえるんだ?」
「口パクじゃないよな」
何人かはそれを疑った。実際によくある話だからだ。どの国でも後ろで曲をかけてそれに合わせて口を動かすといったことはよく行われることである。
「あれは」
「口パクで女の声流すか?」
しかしそれはほんの少し考えれば出て来る答えであった。
「しかもこんな見事な女声な」
「それはないか」
「ああ、ない」
「絶対にない」
こう言って否定されるのだった。
「それなら自分の声でやるさ」
「それもそうだな」
「だとしたら」
そしてであった。その話から一つの答えを認めざるを得ないのだった。それは誰もが有り得ないと断定するものであった。
「じゃあマクドネルの歌か」
「この声はあいつが」
「そうよね」
その二メートルにもならんとしアメリカンフットボーラーでも通用する彼を見ながらの言葉である。
「あいつの歌か」
「あの声で」
歌うその声は間違いなく女のものであるのだ。これは否定できなかった。
彼は歌い続ける。それと共に女の声が続く。皆それを聴くのだった。
ステージが終わるとだった。仲間達が彼に言う。それはいつものことだった。
「おい、ジャッキー」
「今日もだったな」
「ああ、そうだな」
マクドネルはタオルで顔の汗を拭きながら仲間達の言葉に応えた。慣れた様子で。
「また僕の歌に困惑していたな」
「慣れたみたいだな、それは」
「もう」
「慣れたよ」
苦笑いと共に仲間達に応える彼だった。今の声は男の声である。バリトン、いやヘルデン=テノールの域だろうか。普通の声はそのワーグナーのテノールとして有名な極めて低くそれでいて輝かしさもある領域の声なのだった。
「もうね。子供の頃なんか」
「皆驚いただろうな」
「やっぱりな」
「驚いたなんてものじゃないよ」
自分でその顔を振り返りながら言うのだった。
「もうね。先生まで思わずピアノを止めてね」
「普段はその声なのにな」
「何で歌う時にはそうなるんだろうな」
「完全に女の声じゃないか」
「誰がどう聴いてもな」
仲間達は皆言う。それは彼等もよくわかっていることだった。
「男なのに女の声が出る」
「どういうことなんだろうな」
「僕にもわからないよ」
首を横に振って応えるマクドネルだった。その首も実に筋肉が目立つ。何処までもしっかりとしている筋肉である。しなやかでそれと共に鋼の様である。
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