大阪の妖怪
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第五章
「ほんま」
「全く、不愉快な話じゃ」
このことについてはだった、老人は憮然として述べた。
「わしは間違っても犬ではない」
「狆ではですね」
「そのことを言っておく、しかし街で騒ぎになっておるなら」
この大阪でだ、そうなっているのならというのだ。
「修行の場を変えるか」
「夜でも大阪には人がいますさかい」
「そうじゃな、止めておくか」
「それで何処で修行を」
「山か森にでも行ってな」
そうしてだというのだ。
「そこで毎夜修行するわ」
「そうされますか」
「隠すつもりはないが目立つつもりもない」
そうした気持ちもない、それでだというのだ。
「だからじゃ」
「それではこれからは」
「大阪で修行するのは最後じゃ」
この夜でだというのだ。
「別の場処に移る」
「じゃあもうお会いすることはないですね」
「そうなるやもな。しかし縁があればな」
その時はというのだ。
「御主達ともまた会おう」
「そうなればいいですね」
「そうじゃな。ではじゃ」
ここまで話してだ、そしてだった。
老人は二人に別れを告げた、そのうえで。
姿を消した、そして今度はそのまま何処かに駆け去ってしまった様である。二人は彼をミルキことはなかった。
それで二人になったのを確かめてからだ、織田は妻に言った。
「忍者やったなんてな」
「思わへんかったな」
「ああ、ほんまや」
こう妻に言うのだった。
「これはな」
「そやな、うちもや」
一枝もだとだ、彼女は夫に言葉を返した。
「まさかそうなるとはな」
「思わん話や。けどな」
「けど?」
「おもろい話やな」
思わぬことだったが面白いというのだ。
「ほんまな」
「確かにおもろい話やな」
「そやろ、これはええわ」
織田は風呂ことから煙草を出しながら言った。
「ネタになるわ」
「これで何か書けるんやな」
「いけそうや、ただ忍者だけやったらおもろないかも知れんから」
「それに加えてかいな」
「何か加えよか。そやな」
ここでだ、織田は自分が出した煙草を見た、まだ火を点ける前のそれを見てそのうえでこう妻に言ったのだった。
「これでも使おか」
「煙草をかいな」
「そう思うな。まあ話は終わったし」
「それやったらな」
「家に帰ろか、帰るまでがデートや」
「夜のデートやな」
「ええもんやな、これも」
久し振りに夫婦二人で歩いた、しかも夜の街をだ。それもまたいいものだったというのだ。
「また一緒に歩こか」
「そやな、時間があればな」
「そうしよな」
「そやな、また今度は」
一枝も自分の夫の言葉に笑顔で応える、そのうえでだった。
夫の煙草にマッチを出して火を点ける、夫はその火が点いた煙草を美味そうに吸い。
そのうえで帰路についた、家に着くまでデートを楽しんだのだった。
織田はこの日のことからニコ狆先生を書いたと言われている、とはいってもこの話は公には伝わっておらず織田の逸話としても本当かどうかわからない、しかしニコ狆先生という彼の傑作がこのことから生まれたというのなら面白い話である。そう思い今ここに書き残しておくものとする。織田作之助と彼の愛妻であった一枝のことも知ってもらえるのならば幸いである。
大阪の妖怪 完
2013・12・27
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