六歌仙容姿彩
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第一章
第一章
六歌仙容姿彩
第一章 小野小町の章
それは遠い果てに見えていた。近付こうにも近付けない。前に進んでそこに辿り着くことは出来ないのだ。
それは何故かと思っていても。どうしても辿り着けない。それに歯痒さを感じていた。どうしても辿り着くことが出来ない。そうこうしている間にその人は見えなくなっていく。まるで蜃気楼の様に。姿を消していくのであった。
ふと目が覚めた。そこは襖に囲まれた部屋であり机が端に置かれている。一人の美しい女性がその机に臥していた。どうやら寝入ってしまっていたようであった。
「何時の間に」
彼女は顔を起き上がらせて呟いた。切れ長の黒い目に細い雪の様な顔をして長い髪は絹の様になっている。赤い十二単がその整い、際立った美貌を引き立てている。
彼女の名を小野小町という。世間では美貌の持ち主として知られ歌の名人としても有名である。神に何物も与えられた存在であると言えた。だが。今彼女は物憂いに沈んでいたのである。
その元はわかっている。恋だ。彼女は恋をしていたのだ。
しかしそれは誰も知らない。彼女だけが知っている。誰を好きなのか。彼女以外には誰も知らない。知っているとすれば想っている人だけだが。
その人が夢に出て来た。しかし掻き消えてしまった。これが一つのことを語っていた。
「終わるのね」
小町は沈んだ声で呟いた。夢の中から消えていく。これは恋が自分から離れていくことなのだ。それを嫌でも感じずにはいられなかったのだ。
深い溜息をついた。そして机の上に一枚の紙を取り出した。赤い、紅の紙であった。滅多にない、染められた紙である。普通の紙ですら高価だというのに。しかし今彼女はそれをあえて出してきた。
そこに歌を書いていく。筆でさらさらと。頭の中に思い浮かぶ言葉を書いていく。
思ひつつぬればや人の見えつらむ夢としりせばさめざらましを
そう書いた。書き終えたところで小町は感じた。この恋が終わるのを。
また溜息をついた。だがどうにもなりはしない。小町は憂いに満ちた顔で立ち上がった。
そして部屋を出る。開けられた障子から一枚の桜の花びらが。部屋の中に入り込んできた。
花びらはひらひらと舞い紙の上までやって来た。そのまま文字の上に舞い降りる。
夢の場所に舞い降りた。そのまま動きはしない。
小町はそれに気付くことなく部屋を出た。花びらも歌ももう目には入らなかった。
恋の終わりを悲しみながら。小町はそれを歌に残したのであった。それを自身の胸に収めて部屋を後にしたのであった。
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