無欠の刃
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幼い日の思い出
弱音は吐かない
迂闊に出歩くんじゃなかったな。
イタチ兄さんが任務に呼び出されているから、気をつけていたつもりだったけれども、交換の暗部の人がナルトに危害加えそうだったからって、こんなところにきちゃったのは、失敗だったな……。
そう思いながらも、カトナは、近くの木をちらりと見た。
先程まで、そこには確かに代わりの暗部が居たのに、今ではもう影もかたちもない。
逃亡したというよりは、大義名分を作るべく、この場を離れたのだろう。
カトナは冷静に思考しつつ、地面をゴロゴロと転がって、男の暴力から逃れようとする。
本当は走って逃げたかったのだが、左足の骨が折れたらしくうまく動かないのだ。
「…っ……」
蹴られつづけた腹から、喉に向かって何かがせり上がる。鉄の臭気が鼻を通った。あふれそうになる寸前、それを飲み下す。
何かが腹の奥底で重くたまっていく。
気持ち悪いと彼女は口を押えた。男が勢いよく彼女の頭を蹴る。
がんっと蹴り上げられた頭が衝撃で一瞬跳ねて、視界がぶれた。
ぐらぐらと傾く世界の中、道端に転がっているものをとらえる。
なんだろうと目を向けた彼女は、それが百足の死体であることに気が付く。
私とおんなじだと、彼女は軽く自嘲した。
里を出歩くのは殆どナルトやイタチと一緒だから、カトナに向かう悪意は、表だって向かうことは少なかった。
けれども、誰もいなくなってカトナが一人きりになるようなことがあれば、悪意は簡単に露呈して、大人たちは普通ならば考えつかないようなことをしだす。
今みたいに。
男はいい加減蹴りつかれたらしく、先ほどまで振り上げ続けていた足を止める。と、下卑た笑みを一転させた。ぎらぎらと、瞳の奥で愉悦がゆがむ。
男の視線の先を追った彼女は、小さく息をのんだ。
男の目に映っているのは道端に転がっている石だ。いや、石という言葉で例えるのすら躊躇われる大きさだ。カトナの顔よりも一回りほど小さいそれは、当たれば間違いなく致命傷となるだろう。
それを嬉々とした顔で男は持ち上げ、カトナの方に振り返る。
あっ、死ぬかもしれない。
カトナは地べたを這いずって足掻こうとするが、男につま先を踏まれ、動くことさえもままならなくなる。
痛みで小さな悲鳴を上げたカトナのを見下ろしながら、男が更に力を籠めようとした時。
「おまえ、何してるんだよ!!」
激しい痛みの中で響いた怒鳴り声に、うっすらと、カトナは目を開けた。
痛みで眩んだ視界ではすべてのピントがずれていて、うすぼけていたけれど、それでも、見覚えのある彼の姿で。
怒鳴られたことで正気に戻ったらしい男がひぃっと声を上げた。カトナを執拗に蹴っていたことが嘘のように身を翻す。
「待て!!」
自分が今何をしようとしたのかを隠すかのように、しっぽを巻いて逃げだした男の背に向けて、サスケは手を伸ばす。
しかし、子供の短い腕では、わき目もふらずに走り出した男をとらえることはできなかった。
すぐさま後を追おうとして、しかしそこで躊躇する。
捕まえるのは簡単だ。けれども。
サスケは男の背と丸まったまま動かないカトナを見比べる。
あの男を捕まえて自分の鬱憤を晴らすか。それともカトナから痛みを取り除くか。
二つに一つの選択を迫られて、サスケは瞬時に後者を選ぶ。
どちらを優先すべきかなんて、考える前から分かっている。
サスケは男が消えた方向を忌々し気に一瞥すると、すぐさまカトナのそばに駆け寄った。
「カトナ!!」
そんなに、泣きそうな顔をしてどうしたの。
そう言うつもりで口を開けたけれど、カトナの口から零れたのは、声なんてものではなく。真っ赤な、汚れることを知らない綺麗な赤で。
サスケがさっと顔を青ざめさせて周りを見まわす。
けれど、誰の影も見当たらない。カトナが殴られていたのは、人気の少ない路地裏であったのでさもありなん。
最も、もしいたとしても、誰も助けようとはしなかっただろう。
この里の人間の大半はカトナを九尾の人柱力とみなしていて、カトナのことを病院に送り届けようともしないのだから。
カトナはぼうっとした目でサスケを眺めた。
「サ、ス」
「カトナ、喋んな!!」
サスケは必死に、まだまだ小さな体でカトナを抱える。
忍びである以上、それなりに身体を鍛えているとはいえ、背格好は変わらない。それでも背負えたという事は、それだけ、カトナの体重が軽いという事で。
ほかの子供と比べれば、肉もなく、筋肉量も軽く、骨さえも細いのだろう。がりがりという言葉さえ、彼女の体にはふさわしくない。
細く、脆く、崩れやすい。
その体重に、自分よりはるかに軽く細すぎる彼女の体に、サスケは眉をひそめた。
とりあえず、安全な場所に連れて行かなければ。
自分の家はだめだ。カトナと遊ぶたびに、周囲があまりいい顔をしていないことをサスケは知っている。
となれば、残るはカトナとナルトが住んでいる家だけだ。
あそこならば大丈夫のはずだ
そう考えて走り出そうとしたサスケの足を、
「…だ、め」
弱弱しくもしっかりと服を引っ張る力が止める。
体が未だに痛みに蝕まれているというのに、縋る様に袖を握り続けるカトナは、小さく首を振った。
「ナルっ、ト、にはっ、ね。だっ、め。い、わなっ」
とぎれとぎれに紡がれたその言葉に、サスケは顔を歪めた。
こんな時でさえ自分のことを考えない、弟のことしか顧みない彼女に、サスケは顔を歪める。
そうして、傷に触れぬように手を伸ばして、彼女を己の体で包むようにして抱きしめる。力強く、抱きしめる。
「さっ、すけ?」
「お願いだから、痛いって、ないて、くれよ」
懇願の声に、カトナは困ったようにサスケの顔を見た。
幼い子供が浮かべる涙だらけのくしゃくしゃの顔は、綺麗とは言えないけれど。それでも、心を穿つようなそんな表情に、カトナはうろたえた。
何回目かは、もう、忘れていた。
カトナはいつだってイタチに守られていた。
だがそれは、イタチが傍に居る間でしかない。
イタチが忍びの任務で出ているときや、イタチがうちはの家に帰っている時には、結構な頻度でこんなことが行われていた。
イタチの代わりにつけられた暗部の忍びに殺されかけたこともあった。火影によって任命された料理係が作った料理に毒が仕込まれていて、死にかけた時だってあった。ただ道を歩くだけで、投げられる石はあとをたたなかった。
傷つくことは、最早、当たり前だった。
なのに、泣くのだ。
サスケはぼろぼろと涙を流すのだ。カトナが傷ついたことを自分が傷ついたようにとらえて、カトナの痛みを自分の痛みのように考えて、涙を。
カトナはうろたえるしかなかった。
こんな風に心配されるなんて思っていなかったから、カトナは何も言えず、ただ、自分の頬に降り注ぐ雫に首をかしげた。
泥で汚れた赤い髪の毛が、ゆらりと揺れる。
何を言えばいいのだろうと少し悩んで、どうすれば泣き止むのだろうかと頭をひねる。
どうしたらサスケが泣かなくて済むのだろう。どうすれば、サスケが悲しまずに済むのだろう。
悩んで悩んで、けれども何も思いつかず、結局本音を零すことにする。
「ほんとは、いたい、よ」
はっとしたようにサスケが目を瞠る。
カトナはそんな彼を見つめて目を細めた。唇の端から赤い血がつぅと流れていく。
「…なら、ないてくれよ」
「なかっ、ないよ。ないても、なんの、いみも、ない」
泣いて騒いでわめいても、誰も助けてくれない。
声をあげても、あがいても、助けてと叫んでも、届かない手はどうやったって届かないし、聞こえない声はどうしたって聞こえない。
だから泣くのはやめようと幼いころに決めた。
泣くのはやめて、その代わりの行動をとれるようにと決意した。
カトナはサスケの服をもう一度握りしめる。
「だからね」
泥だらけの顔で、カトナはそれでも微笑んだ。
「なくくらいなら、わらいたいよ」
サスケはその言葉に息を呑み、固まった。
そんな彼の耳朶を、兄の声が打った。
「カトナ!? サスケ!!」
「兄さん!!」
いつもは冷静沈着な兄の、珍しく慌てた声に、サスケは涙を止めて大声を上げた。
イタチは一瞬顔をしかめると、すぐさま、カトナの傷の状態を確認する。
頭部の外傷。歪に曲がった左足、踏まれて変形した右のつま先。何回も蹴られた腹部には無数の青あざ。気管が損傷しているのか、唇には血の痕。背中にもいくつかの足跡。
計、六か所。
これはまずいとイタチは即座に判断し、彼女の掌を握る。
イタチの手を青いチャクラが覆ったかと思うと、それがカトナの肌から内側にしみ込んでいく。
カトナは慣れた手つきで、自分に与えられたイタチのチャクラを傷に流しこんだ。
それを見とがめたサスケは、泣きだしそうになったのを必死にこらえると、イタチの代わりに辺りを見回す。
幼いながらも忍びであるサスケが気を張り詰め、周囲を警戒しているのは、それなりの理由があった。
今現在、彼女は自分の体の内側と外側から同時に、医療忍術をかけている。また、体に負った六か所の傷を、同時進行で癒しているのである。
チャクラコントロールはイタチも長けているが、しかし、カトナのコントロール能力はそれに輪をかけていた。
自分の中に流れたチャクラを他人に与えたり、他人から与えれたチャクラを他の人物に流したりなどは、彼女の十八番技術と言えるほどだ。
それの応用で、彼女は今、己体に渡されたチャクラを、破壊された自らの体の部分に当て、外側からではなく内側から傷を癒すという、ある意味無茶ぶりがすぎる行為を、平然と行っていた。
もともと、医療忍術というのは、チャクラを使うことで患部の傷の回復を早める術だ。
だが、その術の多くは外側から行う。
正確には、並の人間では外側からしか行えないのだ。
医療忍術の基本術が、掌にチャクラを集中させ、傷ついた部位に当てて治りを早くする”掌仙術”であるように、基本的に医療忍者は負傷者を回復するの役目であって、自らの傷をいやすのは専門外だからだ。
また、内側から傷をいやすためには、針穴に糸を通すような繊細なチャクラのコントロールが必要とされる。
このふたつの点から、医療忍術の多くは、外側から治療する術になっている。
ただそれがゆえに、掌仙術では体内に残ったダメージを治すのには効率が悪い。
日向家の柔拳が猛威を振るう理由の一つだ。
うずまきカトナはその欠点に着目し、彼女は彼女なりにどうすれば治癒が円滑になるかを考えた。
外側からでは内側の傷を治すことは難しい。かといって内側から治せば、外側を癒すのに時間がかかる。
ばらばらに行って、患部に無駄な負荷をかけるのは避けたい。
ならば同時に治癒すればいい。
うずまきカトナはそう考え、それを実行して見せた。
彼女の考えはなるほど、真理なのだろう。
しかし、自らの体が痛みを訴え、激痛で集中力がかき乱される中でもコントロールを乱すことなく、チャクラを与えるべきところに与えるのは、高度の度合いを超える。
そもそも、掌仙術すら忍医の中で使えるものがわずかなほどにチャクラコントールが難しいのだ。
それなのに、外側の傷も癒す一方で、自分の体内の経絡系に与えられた他人のチャクラが循環しないようにしながら、内側からも体治療する行為は、至難の業などという表現ではすまされない。
最早その技は、三忍の一人である綱手でしか―いや、彼女さえも使うことが難しいだろう。
彼女もそれを行うことはできるが、”忍法、創造再生”――体全体にチャクラをいきわたらせ、傷をおった患部だけではなく、それ以外の部分も活性化する術――であるため、部分部分で癒すことはない。
比べれば、どちらの方がより微細なチャクラコントロールを行えるかは一目瞭然である。
それをまだ、八歳の身で行っているという事実に、無意識の内にイタチの肌が粟立った。
彼も天才だと賞賛されてきたからこそわかる。
目の前の少女のチャクラコントロールは異常だ。
いや、彼女の場合はチャクラコントロールが異常なのではなく、集中力が異常なのだが。
本来の人間は、自分の周囲に危険がないかを確かめるべく、常に意識の何割かを注意に払う生き物なのだが、うずまきカトナの場合はそれがない。
彼女は一つのことをとらえたその瞬間、五感のすべてがその目的以外の情報を遮断してしまう。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、痛覚。それから勘。
ありとあらゆる機能が、彼女の求める情報以外に反応しなくなる特殊体質なのだ。
それがゆえに、こうと決めたらそれ以外が目に入らない。
ありとあらゆる状況下において、設定した目的を果たすためだけに最大のパフォーマンスを発揮できてしまう。
弟のナルトとは違った形の、猪突猛進型であり一点特化型。
カトナの傷口が瞬く間に閉じて、折れた骨は治り、破れた血管は繋がれて、癒えていく。
それは回復という領域を超え、再生という領域にすら達している。まるで映像を巻き戻ししているかのように、傷ついた体が癒えていき、治っていく。
そうして数分もすれば、すべての傷が消える。
イタチはカトナの治療が終わったのを確認すると、すぐさま周囲に視線を配った。
誰もいない。その事実にほっと息をついて、うつらうつらと舟をこぎ出したカトナの体を背負う。
もしも、こんなところを見つけられてしまえば、カトナの処刑を騒ぐ輩は、八歳の子供がこんな風に使えるのは可笑しい。こんなことが出来るのは九尾が居るからだと騒いで、カトナの処刑を現実のものにさせてしまうかもしれない。
いや、里の人間に発表して、火影を弾圧して、カトナを暗殺すべきという論をさらに強めるのかもしれない。
それだけは避けなければいけない。でも、もし、ばれてしまったのなら、その時は。
自分はカトナとナルトを連れて里抜けすることも辞すまいと、ひそかに決意する。
神妙な顔をしたイタチはそこで、自分を心配そうに見上げているサスケに気が付いた。小さな肩が震えている。
イタチはそっと丸い頭を撫でて、幼い弟の不安をぬぐうように柔らかく語り掛ける。
「サスケ、行くぞ」
「……カトナは、大丈夫なの?」
「ああ、もう大丈夫だ。どこも痛くないよ」
その言葉に安堵したらしいサスケは、大きく息を吐き出した。
イタチの横に並ぶと、微細なチャクラコントロールに疲れて寝てしまったカトナの、小さな掌を握りしめた。
「にいさん」
弟の震えた声に、イタチは歩き出そうとした足を止めて、振り返る。
俯いたサスケの顔は、こちらから窺うことはできなかった。
「サスケ? どうした」
「強くなりたい」
泣きべそばかりかいていたサスケの言葉に、イタチは一瞬意表を突かれ、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
いつも無表情のイタチの顔としては、珍しいどころの話ではないが、弟であるサスケは全くそれに反応せず、ただ、イタチにおんぶされているカトナの横顔を見つめる。
笑いたいと、彼女はそう言った。
泣くのは嫌だと。泣いたら、ナルトが心配するからいやだと。あんな奴らの所為で泣くのは嫌だと。
それなら、どんな時でも、ナルトを守れているのだから、笑っていたいと、ナルトに向けられる悪意を防げているから、幸せだと思っていたいのだと。
彼女がそう言うのならば、彼女がそれを願うのならば、サスケは彼女を守りたくなった。
「強くなって、彼奴を笑わせ続けてやりたい。それで、彼奴が泣ける様になればいい」
守って守って、傷ついてまで笑う理由を無くして、痛みを抑えてまで泣く理由を無くして、ナルトと共に入れて幸せだと笑う彼女を、本当の意味で泣かせたくなったのだ。
その弟の言葉に、イタチは笑った。
「じゃあ、強くなるために修行、もっと頑張るか」
「うん」
すぐさま、金色の光がこちらに飛んできた。
「あっ、サスケ、イタチ兄! カトナ!! どこ行ってたんだってばよ!?」
ぱっと、明るい顔で満面の笑みを浮かべたナルトに、サスケは先程までかいていた泣きべそを慌てて取り払って、勢いよくに飛びついた。
「ちょっと遠くにいってた!」
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