Myu 日常編
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どうしようもない主人公だな
「っていうことで、俺が大活躍だった。悪は滅びるものだ」
誰も口を開くことができなかった。なぜなら、開口一番にそんなことを口にして爆睡してしまったからだ。一応説明しようという気があったらしいが、どうやら途中でめんどくさくなり、必要最低限の言葉で可能な限り短時間で理解を得ようとしたらしい。残念ながら皆が求めているのは冥星の活躍ではない。
なぜ、冥星の隣に椅子に座らず体育座りをした外国人がいるのか……ただそれのみだった。
まるで陶器のように白くなめらかな肌。マリンブルーの大きな瞳とプラチナブロンドの長い髪。まさに絵本の中のお姫様がそのまま出てきてしまったような美しさを纏った少女がそこにはいた。
残念ながら、少女の青い瞳は虚空を見ている。生気が抜け落ちたようにだらりとした肩、顔までかかる長い髪は手入れが雑でその美貌は薄れてしまっている。
「ど、どうなってんだ……いったい、どうなってんだ、冥星……」
隼人は一体どう使えば五年間でそんなにボロボロになるのかわからないランドセルを机に置いたまま突然の出来事に立ち竦んだままだ。
達也は昨日チラシで見た女の子にまさか今日出会えるとは思わず驚嘆した。いつもサプライズをくれる冥星に賞賛を与えるとともに、やはり少女は人形のように微動だにしないことを哀れに思った。
「アンティークドール……昨日、盗まれたっていってたのに……」
「犯人はあいつってこと?」
「だったら、おじい様の片腕を切ったのは……」
「……姫、私が殺ってもいいんだぜ?」
姫と凛音は以前から彼女のことを知っていた。祖父が二週間前ほど取り寄せた新しいおもちゃを、いち早く家族に披露したからだ。あの時と同じ、生気の籠っていない瞳を見ると境遇自体はあまり変わっていない――下手をすればそれ以上にひどいことなる、可能背もある。
「――いいえ、凛音。見なかったことにしましょう。おじい様から特にお達しがあったわけではないもの」
「……姫がいいなら私はいいけど」
しかし、彼女がこれからどうなるか、それ次第であの少年を見定める必要が出てくる。彼女にかかった暗闇はとてつもなく深い。その傷を癒すには何年も、下手をすれば一生かかっても拭いきれないかもしれない。
少年にその覚悟があるのか。姫は複雑な思いで彼を見つめていた。
「あ」
あ、と冥星はいきなり机から跳ね起きた。机はその衝撃でガタンと揺れ、中身がぼろぼろと床に転げ落ち……ることはなかった。なにせ毎日中身を空っぽにしたまま学校に通っているバカがそんな失態をするはずがない。前の席へ勢いよく倒れた机は無残にもそれらを巻き込みガラガラと鈍い音を立て崩れ落ちた。物には魂が宿る言うが、人物が人物なだけに迷惑この上ない。運のいいことに、冥星の前の席は空席なのだが。
「忘れ物したが……まぁ、いっか」
昨日の晩、騒ぎを起こした冥星だったがその勝利に酔いしれるあまり持ってきた小太刀をそのまま大蔵屋敷に置いてきてしまった。一応、形見としてもらった名のある品なのだが、林檎がなかったことにひどいショックを受け、そんなことを言っている暇はなかった。
「お前のせいだ、このブス!」
「…………」
「おい、返事をしろ、奴隷」
「…………ぃ」
「くそ……とんだ厄介者を拾ってしまったぞ……ブスだし、根暗だし……海星が二人いるみたいだ……」
冥星は頭を抱えて悩んだ。前者に関しては冥星の美人像が他者と異なるためであるが、後者に関しては確かにその通りだ。誰がどう見ても根暗、というか生きているかすら不安になるほど生気を感じられない。
「エリザ・サーベラスさんだ。フランスからの転入生で、秋坂冥星、海星兄妹の家にホームステイすることになっている……のだったな、冥星」
「? そいつは俺が拾ったんだ。林檎を吐き出すまで苛めまくって遊ぶためにな。奴隷だ奴隷」
「よし。じゃあエリザ、空いてる席へ……あの白いバカの前になるな。それと、冥星、後で職員室まで来い。当然反省文だ」
「反省することなど何もない。俺はそいつ救ってやったんだぞ」
クラスに笑いが走る中、エリザは一言も喋らなかった。視線が怖いのだ。自分を見つめる目が、例え、悪意を持っていなかったとして今、この世界にいるすべての人間がエリザの敵なのだという錯覚に陥る。
それは長年の監禁生活で歪んでしまったエリザの精神が大きな原因だ。
それに、彼女は救われたなどとは思っていない。新しい環境になっただけ。いつもの通り黙ったまま注射を打たれて昼夜問わず体を撫でられたあの日々と対して変わらない。
エリザは身も心も壊れてしまった。
「わかっているのか、ブス? おい、ブース!」
「…………ぁい」
声が掠れる。エリザをもらった少年は平気で罵声を浴びせる。自分と同じ外国人のような白髪だが、東洋人特有の漆黒の瞳。背丈は自分よりも少し低く、体はほっそりとしたどこか気品を感じさせる姿。姿だけ。その他はエリザにとって苦手な人種そのものだ。
声が大きい。キツイ性格。胃がギュッとなるほどの悪口。乱暴者。
まるで悪人を絵にかいたような人物。
自分はついでに助けたのだと言っていた。林檎を吐き出すまで生かしているだけだと。
林檎を吐き出す? そんなことは不可能だ。食べてしまった物はもう、どうにもならない。
ならずっと私は彼の奴隷なの? ゾッとした。涙が溢れて止まらない。エリザは大衆の前で訳も分からず涙を流した。
「冥星、職員室、な」
「…………ブス」
エリザの世界はモノクロのままだった。
「ああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「冥星! デッキブラシ投げんなよ! きたねぇだろ!」
「珍しく取り乱しているね。どうしたのかな?」
冥星は納得がいかない。エリザを奴隷と罵った罰として(ついでに泣かせたことも)体育館便所の掃除に駆り出された。自分はエリザを救った英雄として称えられてもいいはずなのに、どうしてなのか。永遠にこびりついた汚れに八つ当たりをして考えるが一向にまとまらない。
そんな冥星を呆れながら男二人は見つめていた。
「ブスのくせに、奴隷のくせに……、あそうだあとで首輪を買ってきてはめよう。ワンと言わせてやる。いや、そのまえに料理だ。料理のできない奴隷など屑にも等しいからな」
「……ったく冥星のやつほんとはエリザが可愛いから意地悪してるんだぜ? しょうがねぇやつだな!」
「そう、なのかな? そうだったら別にいいんだけどね」
「いや、絶対そうだろ? エリザめちゃくちゃ可愛いじゃねぇか」
「うん、クラスで一気に一番になっちゃったね」
エリザは編入して早々、クラスの男子から求愛の眼差しで、女子からは嫉妬と羨望の眼差しで見られるようになった。しかし彼女には常に冥星の奴隷と言う衝撃的な二つ名が課せられている。いい意味でも悪い意味でも他者を寄せ付けない。
「……このままだと、冥星はエリザを捨てるんじゃないかな」
「へ? なんで? あんなに可愛いなのに?」
「……姫ちゃんに怒られても知らないよ? なんとなく、そう思っただけ。冥星が嫌いそうなタイプだから、さ」
「……ああ、あいつ容赦ねぇもんな。吉野のこと、覚えているか?」
「……うん。でもあんなことがあったから、隼人は冥星と友達になれたんだろ?」
「バカ、ちげぇよ。仕方なく付き合ってんだよ。冥星は俺がいねぇと一人ぼっちだからな」
「隼人も素直じゃないなぁ」
「だぁ~! 俺のことはいい! とにかく、冥星はもうちょっと女の子に優しくなるべきだと思うんだ、うん」
「……そうだね」
優しすぎる、と達也はつぶやいた。達也は冥星と友達になってから日が浅い。だが、彼がどういった人物なのかは彼が編入してから幾度となく噂で聞いたことがある。
そのどれもが根も葉もない噂なのだと付き合い始めてから気づいた。
学級崩壊寸前だった五年三組を別の形で崩壊させた男。
どんな男なのかと見ていたが、至って普通の、ちょっと頭のおかしい少年だった。
でも、達也は冥星が好きだ。
なんとなく、だが、冥星といると落ち着くのだ。まるで父親に守られているような安心感を得ることもある。おそらく隼人も同じことを思っているに違いない。でないと自分が変態的な人格の持ち主だと疑われかねない。
「やっぱりさっさとうっぱらうしかないか」
「――――それはちょっと早いんじゃないかい?」
「なんだ達也? お前もあのブスを庇うのか?」
「いや……冥星、エリザはきっと怯えているだけだよ」
「そうだな、俺を見るとガタガタ震えて立ち上がれないからな」
「だったら」
「だからこそだ、達也」
「え?」
やはり、と達也はある予感が的中していることに心の中で舌打ちをした。
冥星は、賢い。特に人の心を根本的に理解している。どれほどの経験をすればここまで他人を見抜く力が得られるのか本人に問いただしたいが、今はそれどころではない。
このままだと、エリザは確実に捨てられる。
冥星ならやる、と達也は確信した。
「ブスは、ブスのくせに性格までブスだ。世の中のブス共はあいつをブスっとしていて気に入らないだろう。俺もブスは嫌いだからあいつが気に入らない」
「嫌いだから、売り払うの?」
「逆だ。あのブスは俺にかつてないほどの嫌悪感を与えてくれた。手元に置いておけば毎日いじめてやることができる。いいストレスの発散だ。実用性がある」
「……意味がわからないよ、冥星」
「俺の予想だがな。あのブスは間違いなくこのあと、俺のことが好きになる」
「…………はぁ??」
真面目な顔でデッキブラシを掲げながら冥星は言った。エリザはこのまま冥星の言うことを聞いていればいつか冥星のことが好きになってしまうらしい。なぜ? 今までの会話でなぜそうなってしまったのか達也は考える。わからない。
冥星という男をまたもや見失ってしまった。
「……いい、ことなんじゃない、かな? それは?」
「何がいいものか、達也、バカかお前は。それじゃあ何の意味もない。嫌がっているからこそいじめがいがあるんだぞ。嬉しそうにしていたら何の意味もないじゃないか」
「つまり、真面目に話す気はないってこと、冥星?」
やっと達也は自分がからかわれていることに気が付いた。それと同時に怒りが込み上げてくる。なんて無責任な男なのか。拾ってきただの、捨てるだの。まるで人を物みたいに扱うのだ。何様のつもりだ。
「冥星、君は確かに賢い奴なのかもしれない。自分の思い通りに物事を動かす力が君にはあるのも確かだ。でもね、あまり舐めない方がいい、君はあまりにも見下している。世の中を、俺たちを」
「何を怒っているのか知らないが、俺は真面目に話したつもりだ。理解できないのは仕方がない。お前と俺では考えた方も物の見方も違う。だが、あのブスは俺が拾ったものだ。お前にとやかく言われる筋合いはない」
「そう、かい。ごめん、冥星、俺には理解できないよ。でも信じているよ、冥星がそんなやつじゃないって。信じさせてほしい」
達也はそう言うと自分のランドセルを拾ってそのまま帰ってしまった。その背中をじっと見つめたまま冥星は一言だけ、
「手伝えよ」
と声をかけたが残念ながらシカトされてしまった。言いたいことを言うだけ言って帰ってしまった。なんて薄情な奴なのか。友情など所詮は儚いものだ。
「さっさと終わらせて帰ろうぜ」
こんな時、隼人はいつもどおりだった。のんきにデッキブラシを振り回し、綺麗にしているはずなのになぜか汚くなってしまう困ったちゃんの隼人は冥星がやりかけた仕事を黙々と手伝う。
「難しく考えすぎなんだよなぁあいつは」
「そうだな」
「でもエリザが冥星を好きになるってのは、ぶふっ! ないない」
「なお、雛人形に先ほどの会話を」
「とにかく! 大人になれってことだな、冥星!」
都合のいいことしか耳に入れない男はバシバシと冥星の二の腕を叩きながら笑った。
もちろんこのあとボイスレコーダーを姫に渡して帰ったが、それよりも気になることがあった。
非常に、不本意だが、冥星は真っ直ぐにとある場所へと足を運ぶのだった。
「このままだと、エリザさんは確実の兄貴に捨てられます」
「…………イイ、ワタシ、ステラレタ、ドウゼン」
「生きるのが、苦しいですか?」
エリザは保健室で嗚咽を漏らしていた。背中を支えているのは海星だ。昨日いきなり兄が拾ってきた大きすぎる収穫物を見たときは驚いた。
帰ってくるなりエリザを放り投げ眠ってしまったくそ兄貴は後のことは任せるといわんばかりに明子と海星を振り回してくれた。
その一方で、兄が何を考えているのか悔しいが手に取るようにわかった。
だから、思い通りになどさせるわけにはいかない。
無責任なことはさせない。拾ってきたペットは最後まで面倒見る。当然のことだ。
「エリザさん。どんな理由があれ、生きることをあきらめてはいけません。私と兄も家族を失いました。だけどなんとか生きています。生きていれば必ずいいことがあります。せっかくのチャンスじゃないですか。ここであきらめてしまってはそれこそ両親が悲しみます」
「デモ、メイセイサマーコワイ、デス」
「あんな屑、怖がることありません。大丈夫です、まずは私の言うとおりに日本語を覚えてください。毎日一時間放課後に保健室で勉強しましょう」
エリザは初めて少し笑った。悔しいが超絶的に可愛い。自分には決して真似できない純真無垢な笑顔だ。
皮肉なことを考えている自分が下等生物のように見えて、海星は僅かに鼻白む。
どうせ、兄はこの人を捨てる。なら、兄が後悔するように仕向けるのだ。
兄は永遠に孤独の中に彷徨う亡者なのだから。
「いいですか。まずはですね――――」
「…………ハイ」
海星の思惑とは裏腹に日本語のレッスンが始まる。不思議とエリザはその講義を真面目に受けている。
結局、生きる希望を見失っていないのだ。口ではなんだかんだと言いながらこの女も生きたいのだ。
そうだろう。兄が死にたがりの者を拾うほど優しくはないのだから。
「ブーーーーーーーーーース! さっさと帰るぞ! 今度から俺が笛を鳴らしたら五秒で駆けつけろよ。いいな? わかったら返事をしろ!」
「は……はい」
「ん? なんか……まぁいいやおらぁいくぞぼけぇ」
「め、冥星さま!」
「はぁ?」
エリザは全ての勇気を振り絞って少年の前に立ちふさがった。
己の前に立つブスに対して容赦しない冥星はエリザを睨み付ける。途端に萎縮したエリザだが、不思議なことにスラスラと覚えたての日本語を冥星に伝えることができた。
「わ、私は悪口を言われることが嫌です。ブ、ブスっていわないでください」
「いやだ。ブーーーーーーーース!!」
「ううう…………い、言わないで、ください!」
「なっ! ちっ……」
海星を一睨みしたが当人は我関せずといったふうにさっさと保健室を出て行ってしまった。その顔はざまぁみろと言いたげだったことを冥星は絶対に忘れない。
ぶっ殺してやる、がその前に立ちふさがる障害を破壊せねばならない。
「わ、私にはエリザという名前が、あります。わ、私はミュータントです。こ、孤児なので奴隷です」
そこからの吐露は必要のないことばかりだった。しかし、エリザはやめない。理由は一つ、意味がわかっていないからだ。
「わ、私は男の人にたくさん触られました。でも処女です。め、冥星さま、どうか私を捨てないでください。私はあなたのためならこの身を――あぅ!」
認めたくないが、認めよう。冥星はこの女が苦手だ。バカも極めれば匹敵するほどの力を持つということだ。
握りしめた拳はあの日、誓った一つの成すべきこと成すために。
振り下ろした拳は、黙れと言わんばかりの勢いで女を殴りつけた。
「ご、ごめんなさい……ご、ごめんなさい……め、冥星さま」
「……立て、自分の足で立ち、俺を見ろ」
エリザは涙をいっぱいに溜めながら立ち上がり冥星を見た。するとどうだろう、さきほどまで恐れていた冥星という少年が、今ではただの年下の男の子だ。
「いくぞブス……今日はカレーの日だから早く帰るんだ」
「ぶ、ブスって言わないでください……」
「…………エリザ」
「…………はい! 冥星さま!」
「…………おらぁ!」
「あぅ! ど、どうして蹴るんですかぁ冥星さまぁ……」
「ブスなんだから笑うなよ、ったく」
「ひ、ひどいです……わ、私ってそんなにブスですかぁ?」
「俺が会った女の中でダントツだな」
「…………しくしくしくしくしく」
冥星は手が震えた。己のしたことは大罪だ。いつの日か必ず後悔する日がくることを知っている。
だが、それでも。
「泣くな、ブスなんだから」
「……あ」
握りしめた手だけは決して離さない。
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