アイドル研究部の一存
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それは、この国の行く末です!
「悲しみは風邪と似ているのよ!」
東京都千代田区某所にある国立音ノ木坂学院。そのアイドル研究部部室で、部長である矢澤にこが小柄な体躯を踏ん反り返らせながらそう言った。
「……そんなことよりも、説明してくれないかしら、にこ」
部室内中央に鎮座する長机の脇で不機嫌そうに自身の赤髪を弄っていた西木野真姫は、制服の上から羽織っているものの裾を見せ付けながら声を荒げる。
「一体何なのよ、これは!」
彼女が示したのは、丈が膝の辺りまである真っ白な上着――要するに、白衣だ。どうやら、理科の実験中でもそれが専門の部活でもないにも拘わらず白衣を着せられていることに、納得がいかないらしい。
「何ってえ〜、白衣だよ白衣。ほら、お医者さんとかが着るやつ。真姫ちゃんったら、そんなことも知らないのお〜?」
「それくらい分かってるわよ! 私が聞きたいのは、何でこんなもの着せられてるのかってことよ!」
苛立ちを隠せない真姫の口調もどこ吹く風で、にこは『アイドルモード』のまま続ける。
「もぅ、さっきも言ったでしょ。『悲しみは風邪と似てる』って。人の話はちゃんと聞かないとダメにこ♪」
「聞いてるからこうして尋ねてるのよ! にこの台詞と私が白衣を着なきゃいけないことの、どこに関係があるって言うの?」
「察しが悪いなあ〜、真姫ちゃんは。風邪を引いたらお医者さんに行くでしょぉ〜、それに、真姫ちゃんの家はお医者さんでしょぉ〜。ほらぁ、もう分かったでしょ?」
「……ひょっとして、私がみんなの悩みを聞くってこと?」
「ピンポンピンポーン! じゃあ、主旨も理解してもらえたところで、早速始めるにこ♪」
「あ、ちょっと待ちなさいよ!」
真姫の制止も虚しく、にこはアイドルスマイルを保ったまま真姫を取り残す形で部室から出て行ってしまった。
「どういうことなのよ、もう……」
誰もいなくなった部室で一人愚痴を零していると、誰かが扉をノックする音が聞こえた。
「……どうぞ」
「お邪魔しま〜す……」
控えめな声と共に現れたのは、星空凜の姿だった。普段は呆れるほど活発な彼女であったが、今に限ってはその面影はどこにも見られない。語尾に「にゃ」を付けることも忘れ、肩をがっくりと落とすその様子は、真姫の知っている凜とは全くの別人であった。
「ど、どうしたのよ、凜。今日はえらく元気がないわね」
「うん……今、ちょっと悩んでることがあって。部室に来ればいいアドバイスを貰える、ってにこちゃんから聞いたから……」
「そう……凜にも色々あるのね。私でよければ聞いてあげるから、話してみなさいよ」
「うん。実はね……」
すっかり変わり果ててしまった凜を前に、真姫は徐に背筋を正す。
何時もは所構わず大騒ぎして他のメンバーから大目玉を食らっている彼女であったが、必要以上に塩らしくされるのは真姫としてもやはり違和感を覚える。医者の娘だとか以前に、彼女の友人の一人としてその胸中に抱える不安を解消してやりたいと思ったのだ。
「今日の晩ご飯、塩ラーメンにするか醤油ラーメンにするか決まらないんだにゃあ!」
「……はい?」
凜の口から発せられた、およそ悩みごととは思えない悩みごとに、真姫は思わず素っ頓狂な声を上げて聞き返した。
「ママがね、『今日の晩ご飯は凜ちゃんの好きなもの作ってあげる』って言ったから、ラーメンがいいなって思ったんだけど、どのラーメンにするかが決まらないんだにゃあ!」
「別にどれだっていいじゃない。ラーメンであることに変わりはないでしょう?」
「どれでもよくなんかないにゃあ! 同じラーメンでも、塩と醤油じゃ味が全然違うにゃあ!」
「分かったわよ……っていうか、そんなに悩むくらいなら、間を取って味噌とかとんこつとか別の味にすれば?」
「う〜ん、それも魅力的だけど……今日は塩か醤油の気分なんだにゃあ!」
「意味分かんない……」
「というわけで、こうなったら真姫ちゃんにどっちがいいか決めてもらうにゃあ!」
「どういうわけよ……じゃあ、もういっそのこと、両方食べればいいじゃない」
「それはダメにゃあ! 一日に違う味のラーメンを食べることは、全国ラーメン協会規則第六十六条で禁止されてるにゃあ」
「何その胡散臭い協会! っていうか、規則多過ぎでしょ!」
「それに、ラーメンみたいなカロリーの高いものを食べ過ぎると、希ちゃんみたいにブクブク太っていっちゃうにゃあ」
凜がそう言った次の瞬間、部室の出入り口である扉が勢いよく開け放たれた。
「凜ちゃん? なんや今ウチの名前が聞こえた気がしたんやけど……」
扉の向こう側から現れたのは、数秒前に凜が名前を出した東條希だった。
希は何時もと同じように穏やかな笑顔を浮かべているが、そこからは確かな怒気が発せられているのを感じる――これが彼女の言うところの『スピリチュアルパワー』なのだろうか。
「の、希ちゃん!? い、言ってない! 凜は何も言ってないにゃあ! ラーメンを食べ過ぎると希ちゃんみたいに太る、だなんて誰も……」
「そっかあ。凜ちゃんは、ウチのことそんな風に思ってたんやなあ」
「ひいいいぃぃっ!」
希は墓穴を掘った凜の首根っこを掴み、そのまま彼女を部室の外まで引き摺っていく。
「ちょーっと外でウチとお話しよっか、凜ちゃん」
「ごめんなさい! もうあんなこと言わないから、許してにゃあ!」
「さあて、これから楽しいお仕置きターイムや」
「いやあああぁぁっ! 誰か助けてえええぇぇっ!」
しばらく凜は必死の抵抗を見せたものの、結局彼女の断末魔を残して、部室は再び真姫一人となってしまうのであった。
「何と言うか……まあ、自業自得ね」
凜と希による大捕り物から数分後、また誰かが扉をノックする音が聞こえる。
「……どうぞ」
「失礼するわね」
二人目の相談者は、ポニーテールに結わえられた金髪が眩しい我が音ノ木坂学院の生徒会会長、絢瀬絵里だった。
「あら、エリーも悩みごと?」
「ええ。後輩に聞いてもらうのはちょっと恥ずかしいけれど……」
「別に気にすることないわよ。μ'sには、先輩も後輩もないんでしょ?」
「そうね。ありがとう、真姫。何だか随分と楽になったわ。じゃあ、私はこれで……」
「いやいやいや! 解決するの早過ぎでしょ! もっと深刻な悩みがあるから、ここに来たんでしょう!?」
「あ……そ、それもそうだったわね」
絵里は先程の失態を紛らわすようにこほんと一つ咳払いをして話を切り出す。
「実は、私……自分のキャラが分からなくなったのよ」
「キャ、キャラ?」
「ほら。私って、最初は真面目でクールな生徒会長で、μ'sにおける『できる先輩』みたいなポジションだったじゃない?」
「まあ、そう言えなくもないわね。自分で言っちゃうのはどうかと思うけど……」
「それが最近は、ことある毎に『ハラショー』って言って、日本に来たばかりの外国人みたいなリアクション求められて、挙句の果てにはポンコツだなんて言われて……私、もうどうしたらいいか分からないの」
悲痛な面持ちで項垂れる絵里を前に、真姫は言葉を詰まらせた。
確かに、μ'sに入ってから絵里のキャラは随分変わったように思える。アイドルを始める前の彼女は、氷のように鋭くどこか近付きがたい雰囲気すら漂わせていたが、ここ最近は以前よりも表情が柔らかくなって親しみやすくなった。それは、自らのやりたいことを見つけて吹っ切れたおかげだとばかり考えていたが、本人には色々と考えるところがあるらしい。
「ねえ、真姫。教えて! 私はどうすれば以前のようなクールさを取り戻すことができるの?」
「ええっ!? そ、そんなこと言われても……」
懇願する絵里にどんな言葉を投げ掛けるか決めあぐねていると、部室の扉が再び勢いよく開け放たれた。
「甘いっ! 甘すぎるわ、絵里!」「「に、にこ!?」」
二人が視線を向けたその先には、真姫に悩みの相談役を押し付けたにこが世紀末の暴君がごとき迫力のある仁王立ちでこちらを睨んでいた。
「アイドルとは、応援してくれるファンを笑顔にさせる仕事! そのファンが望んでいるのなら、時には自分を殺してキャラを演じることも必要なのよ!」
「いやいや。もっともらしいこと言ってるけど、エリーの悩みはアイドルとしてのキャラがどうとかじゃなくて……」
「分かってる……分かってるわ、にこ! それでも、私はクールな自分を取り戻したいのよ!」
「ああ、もうそういう流れなのね……」
絵里のよく分からないスイッチが入ったことを悟った真姫は、ツッコミを入れることを諦め、黙って成り行きを見守ることにした。
「絵里の分からず屋!」
部室に乾いた音が響く。
ついさっきまで入り口の辺りにいたにこが一瞬の内に絵里に詰め寄り、その頬に平手打ちを食らわせたのだ。
絵里はまだ自分が何をされたのかよく分かっていないらしく、反論も抗議もせず唖然とした表情で僅かに赤くなった頬を押さえるだけだった。
「どうして気付いてくれないの!? ファンの気持ちに……私達の気持ちに!」
「に、にこ……」
「確かに、今の絵里は昔みたいにクールじゃないかもしれない。格好よくないのかもしれない。でも、私達はそんな絵里が大好きなのよ! そんな絵里だから、応援したくなるのよ!」
「ごめん……私、間違ってた。クールな私でいなきゃ、皆から頼られる私でいなきゃって考えるばっかりで、皆の気持ちに気付けなかったわ。こんなんじゃ、生徒会長失格ね……」
自嘲気味に微笑みながらそう呟く絵里を、にこの小柄な体が包み込んだ。
「そんなことないわ。絵里が私達のこと一生懸命考えてくれてるの、私知ってるから。ただ、もう少しありのままの自分を好きになってもいいんじゃないかな」
「そうね。ありがとう、にこ」
絵里の憑き物が落ちたような笑顔を確認したにこは、体を離して自らの無邪気な笑顔でその表情に応える。
「いいってことよ。またキャラに悩んだ時は、私に相談しなさい。何たって、私はスーパーアイドルのにこにーなんだから!」
「ええ。頼りにしてるわ、にこにー」
絵里の言葉を受けると、にこはツインテールを優雅に靡かせて颯爽と部室を去って行った。
「じゃあ、そういうことだから、また明日ね、真姫」
「え、ええ。また明日……」
まるで青春ドラマのようなやり取りを見せられて呆然とする真姫を余所に、絵里は実に満足そうな表情で部室をあとにした。
「この悩み相談って、別に私じゃなくてもよかったんじゃないの……?」
また一人になってしまった部室で企画立案者への恨み節を零していた時、規則正しいリズムで扉が丁寧に三回ノックされる。
「はいはい、どうぞ。今度は誰よ……」
「失礼致します」
妙に仰々しい挨拶と共に入ってきたのは、二年生の園田海未だった。
海未はきびきびした動作で椅子の後ろ側まで足を進めたが、何故か座ろうとせず向かい合う真姫の顔をじっと見つめている。
「……どうしたの? ずっと立ったままで」
「いえ。こういう場では、相手に促されてから座るのがマナーだと聞きましたので」
「別にそこまで気を遣わなくてもいいわよ。面接でもあるまいし」
「そうですか。それでは、失礼致します」
椅子に深く腰掛けて背筋をピンと伸ばす海未に少したじろぎながら、真姫は話を切り出した。
「それで、海未の悩み事って何?」
「はい。私の悩み……それは、この国の行く末です」
「く、国!?」
「バブルが崩壊して以後、景気は悪化の一途を辿っています。最近は少し落ち着いたようですが、今年から消費税が上がることもあって不安が途絶えません。更に、安全保障の観点から見ても、米軍の基地や集団的自衛権の問題が――」
「ストップストップ! 一体誰の悩みよ、それは!」
「……強いて言うなら、アベ首相の悩みでしょうか?」
「海未の悩みじゃないじゃない! そういうのは、『朝まで生テレビ』とかでやりなさいよ!もっと個人的な悩みはないの?」
「個人的な悩み、ですか……あ、ありました」
「なんだ、あるんじゃない。じゃあ、それを話してみなさいよ」
「STAP細胞の不正論文についてです!」
「よく分からないけど、それも絶対海未個人の悩みじゃないわよね」
「いいえ、個人的な悩みですよ。新たな万能細胞の発見が偽りのものだったとすれば、私と穂乃果の間に子をもうけるという壮大な計画が……」
「その不穏な計画は聞かなかったことにするから、もっと身近な悩みにしてくれないかしら?」
「穂乃果は身近な存在だと思うのですが……」
「同性の幼馴染みと子供をどうするとかいう発想が身近じゃないのよ!」
「そうですか……では、ベイスターズがどうすればAクラスに行けるかは……」
「投手の補強。以上よ」
「アンダーソンが抑えられません」
「ボールゾーンで勝負することね。四球はもうしょうがないわ」
「穂乃果のURがなかなか出ないんです……」
「二年生かプランタンの限定勧誘やり続ければ、その内出るわよ」
「大和レシピで資材を使い果たしてしまいました」
「そもそも十八歳未満の人間が『艦これ』をしないの」
「カードゲームをしましょう」
「デッキに入ってる『コーデリアのお花畑』を抜いたら、考えてあげるわ」
最早悩み相談とすら言えないやり取りをしばらく続けた後、海未はふうと一つ大きく溜息をついた。
「色々話したら、何だかすっきりしました。では、私はこれにて失礼致します」
ぺこりと綺麗なお辞儀を見せると、海未は入ってきた時と同じようにきびきびした動作で部室から出て行った。
「何なのよ、もう……」
真姫はそう小さくぼやいて机に突っ伏した。
しかし、相談者は真姫の感じている疲労など知る由もなく、部室の扉をノックする。
「……今度は誰よ」
真姫の声でおずおずと扉を開けたのは、同級生の小泉花陽だった。今日は練習がないこともあってか、コンタクトレンズではなく眼鏡を着けている。
「ああ、花陽。取り敢えず、こっちに来て座りなさいよ」
μ'sの中でも一二を争う常識人である彼女の来訪に、真姫の声色も自然と穏やかになる。
「う、うん……」
花陽は顔を俯けたまま真姫の向かい側にある椅子に座る。僅かに見える表情は今にも泣き出してしまいそうなほどであり、余程深刻な悩みがあると窺い知れた。
「どうしたの? 悩みがあるなら、話してみなさい」
真姫の問い掛けに少し目線を泳がせた後、花陽は意を決したように顔を上げた。
「ごめん、真姫ちゃん!」
「えっ……? ごめんって、一体何が?」
唐突な謝罪の言葉に、真姫は目をぱちくりさせて頭の中で心当たりを探る。
「ねえ、花陽……私、謝ってもらうことなんて思い当たらないんだけど」
「真姫ちゃんは何も悪くないよ。悪いのは、全部私なんだから」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「ごめんね、真姫ちゃん。私……私……悩みごとが思いつかないの!」
「えっと……どういうこと?」
「私、真姫ちゃんに話すような悩みごとなんかなくて……でも、にこちゃんは悩みごと聞いてもらうまで帰っちゃダメって言うし……うう、誰か助けてぇ」
「つまり、悩みがないのが悩みってこと?」
「うん……どうしよう、真姫ちゃん」
「悩みなんて何でもいいのよ。例えば……今日の夕食とか」
「今日はお好み焼き丼にするって……」
「炭水化物に炭水化物乗せてどうするのよ。じゃあ、自分のキャラとかは?」
「お米好きで確立してるし……」
「アイドル好きとかはもういいのね……ニュースとか時事問題でもいいのよ?」
「集団的自衛権は認めるべきだと思うし、憲法も改正でいいと思う」
「荒れる! そういうこと言うと変ないざこざ引き起こすから! そうね……趣味の話にしましょう。野球は観る?」
「今年はホークス絶好調だよね」
「スクフェスはどう?」
「初日に凛ちゃんのUR手に入れたし……」
「艦これは……」
「昨日、初風ドロップしたよ」
「カードゲームとか……」
「この前、髪がツンツンして首から変なペンダントぶら下げてる人と『闇のゲーム』やって勝っちゃった」
話題を消化し尽くして部室内に沈黙が訪れると、真姫はすうと大きく息を吸った。
「帰ってよし!」
「何だかよく分からないけど、ありがとうございます!」
慌てて椅子から立ち上がりぺこぺこと頭を下げると、花陽はそそくさと部室をあとにした。
「……あそこまで悩みがないのも考えものね」
立ち去った相談者にそう感想を漏らした真姫は、残るメンバーに思いを馳せる。
発起人であるにこを除けば、残っているのは穂乃果とことりだ。普段から何かしらのトラブルを引き寄せる穂乃果はもちろんだが、ことりの方にも注意を払わねばならない。一見常識人に思える彼女だが、時折想定の斜め上を行く行動を見せる――鍋にチーズケーキをぶち込んだ前科もあるし。絵里も海未も暴走気味だっただけに、気を付けなければならないだろう。
頭の中であれこれシミュレーションをしながら平常心を整えていると、扉がノックされる音が聞こえてくる。
「はい、どうぞ」
真姫の声に促されて入ってきたのは、頭に思い描いていた残る相談者二人、穂乃果とことりだった――どうやら、二人一緒に相談を受けてもらうつもりらしい。
部室に入った二人は何故か椅子に座ろうとせず、真姫の向かい側に立つと、両手の拳を旨の前で握ってボクシングのファイティングポーズのように構える。
「えっと、穂乃果……?」
真姫が声を掛けるのとほぼ同時に、穂乃果が口を開く。
「悲しいときー!」
突然大声をあげた穂乃果に、真姫は言葉を失う――どういうわけか、隣にいることりも唖然としているが。
「ほら、ことりちゃんも。さっき打ち合わせしたでしょ?」
「ええ? 本当にやるの?」
「やるったらやるの。じゃあ、もう一回いくよ?」
ファイティングポーズをとったまま穂乃果とことりが小声でそうやり取りをした後、二人はもう一度拳を構え直す。
「悲しいときー!」
「か、悲しいときー!」
「廃校が決まったときー!」
「悲しいときー。廃校が決まったときー」
「悲しいときー!」
「か、悲しいときー!」
「曲とか衣装とか振り付けとか、何とか自分達で作り上げたμ'sの初めてのライブに全く人が来なかったときー!」
「ええっ!? な、長いよ、穂乃果ちゃん!」
「悲しいときー!」
「無視!? 無視なの!? じゃあ、もうことりいらないよね!」
「大雨の中走り込んだせいで、ライブ本番で倒れたときー!」
「まさかの自虐!? 実は、穂乃果ちゃんまだ気にしてる?」
「悲しいときー! 幼馴染が黙って留学に行こうとしたときー!」
「それ、もしかしなくてもことりのことだよね!? 何か物凄い悪者みたいになってるけど、言い出せなかったのは穂乃果ちゃんが倒れたせいだからね!」
「悲しいときー! 十一連で勧誘して全部Rだったときー!」
「もう本編関係なくなっちゃった! せめてSRが保証されてる時期にやろうよ!」
「悲しいときー! 会場が埼玉スーパーアリーナだから大丈夫だと高を括っていたら、チケットが全く取れなかったときー!」
「え、それ誰の話!? 少なくともことり達の話じゃないよね!?」
「悲しいときー! これだけメチャクチャやっておいてオチが全く決まってないときー!」
「考えようよ! 始まりと終わりくらいはちゃんと決めとこうよ!」
「悲しいときー! 夕日が沈んだときー!」
「「どうも、ありがとうございました!」」
「えええっ!? ここまで全部ネタだったの!?」
穂乃果とことりが同時にお辞儀して部屋を去る光景に、真姫は思わず声を荒げてツッコミを入れた。
この日何度目かも分からない静寂が訪れた部室の真ん中で、真姫は大きく溜息をついた。
「まったく……にこのせいで酷い目に遭ったわ」
いきなりメンバーの悩みを聞く役目を押し付けられ、凛からは夕飯のメニュー、絵里からは自身のキャラ、海未からは自身の趣味、そして、花陽からは悩みがないことについて相談を持ち掛けられた――最後の漫才は相談にカウントしないことにする。柄にもないことを延々とやり続けたせいか、真姫は普段の練習以上の疲労を感じていた。
「でも……まあ、皆の意外な一面が見れたし、それはそれでよかったかもね」
しかし、何も悪いことばかりでもなかった。何時ものように一緒にいるだけでは絶対に気付けなかったメンバーの顔を、垣間見ることができたように思える。お世辞にも人当たりのいい方ではない真姫にとって、それは実に新鮮な感覚だった。
「さ、そろそろ帰りましょう。もうすぐ下校時間だし」
白衣を適当なハンガーラックに掛け、鞄を持って部室を出る。
廊下に射し込む西日が、今までよりもずっと優しく、そして、可愛らしく綻んだ真姫の顔を明るく照らし出していた。
穂乃果とことりが部室を出てから数分後、今度はにこが入口の横に立っていた。
静かに一つ大きく呼吸をして、自身の中にある『スイッチ』を切り替える。音ノ木坂学院の矢澤にこではなく、ステージ上に輝く一人のアイドルとしての矢澤にこへと。
準備が調うと、にこはノックもせず勢いよく部室の扉を開ける。
「にっこにっこに〜♪ 次はにこの番にこ♪ えっとぉ、にこの悩みはぁ、可愛すぎること! なぁ〜んてねっ♪」
用意していた台詞を言い切った時、にこは自分の中で何かが冷めていくのを感じた。
それもそのはずだ。なぜなら――
「って、何で誰もいないのよおおおぉぉっ!」
にこの叫びが空しく部室に木霊した。
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