銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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決戦の後に
「では、ヘルダー大佐は……」
ラインハルトからの報告を受けて、その証拠となる手紙を手にしながら、マーテルは苦悩に顔を歪めた。
本来であれば敗戦からの帰還。
ゆっくりと眠りたいのが本当のところである。
それでも司令官の最後について、一番詳しいであろう部下を呼んで、すでにマーテルは呼んだ事を後悔していた。
司令官が彼の殺害を計画していた。
しかもそれは、上位貴族の命令だという。
正直、一士官であるマーテルの決められる範囲を超えている。
これがただの兵士であるならば、司令官の死について責任を問えば良いだけの話。
だが、それを持ってきたのが皇帝陛下の寵姫の弟だ。
下手をすればマーテルの首も危ない。
いや、下手をしなくても既に手紙を見た時点で危険に足を突っ込んでいる。
危険が棺桶に変わるのも時間の問題。
むしろ、時間が経てば経つほどに危険性は高くなる。
「この事は他のものには」
「さて。少なくとも私が明かしたのはマーテル中佐が初めてですが、大佐がどこまで話しているかは私の預かり知らぬところです」
「誰にも言っていない事を願いたいものだ」
それを聞くべき当の本人は死んでいるのだが。
さらに苦く表情を歪めながら、マーテルは息を吐いた。
少なくともマーテルは知らなかった。
司令官も計画に取り込めるものにしか声をかけなかったはずだ。
そして、最後に実行した時には司令官一人。
ならば、知っている者はもういないと思うべきか。
それは願望ではあったが、辺境の副司令官にそれ以上を望むのは難しいことだ。
「わかった。この件は他言無用とする――いいな」
「その方が互いにとっても良いと思慮いたします」
「互いか」
そうだろうと思いながら、手を払うとラインハルトが一礼をして、立ち去る。
その背が消えるまで、ため息を吐かなかったのは、マーテルの矜持だ。
扉が閉まった事を見届けてから、大きなため息を一回。
もう一度、手紙に視線を向けた。
厄介だ。
もしヘルダーが死んだと報告すれば、果たしてあの女は諦めるだろうか。
否。
あの女にとっては辺境の一司令官の命など、三次元チェスのポーンほども価値がない。
欲望を満たすために、次を求めるだろう。
その次にマーテルが選ばれない保証もない。
「権力争いを戦場に持ち込んで欲しくないものだ」
ただでさえ、ここは地獄。
容赦のない悪環境に、手強い敵までいる。
さらに背中から撃たれることはごめんこうむりたい。
ならばと、マーテルはコンピュータの画面に向き直った。
しばらく迷い。
ミューゼル少尉が敵の攻撃から基地を防御に功があった事を記載し、さらに敵基地の攻撃はヘルダー大佐の独断であった……ミューゼル少尉は反対するも、意見具申に腹を立てたヘルダー大佐によって敵陣後方へ単独任務を命令される。
大まかな筋書きを打ち込んで、マーテルは手を止めた。
多少の誇張はあるものの、上は疑いもしないだろう。
ため息混じりに、窓の外を見た。
先ほどまでの晴天が嘘のように――ずいぶんと荒れていた。
+ + +
戦士たちが戻っていく。
爆撃機が母艦に戻ると同時に、再びカプチェランカは雪に包まれた。
厚い雲に覆われて、風がさらに強くなる前に、最低限の装備を持った兵士達は基地へと逃げ込む。
後片付けを考えるだけで気が重くなる。
勝つには勝った。
しかし、とても喜べそうにない。
自陣の損害が敵よりも少なかったからといって、ゼロだったわけではない。
助かった兵士達が、毛布に包まれた遺体を運んでいる。
それを見送れば、何回見ても慣れぬ光景だと思う。
助けられなかったかと。
息を吐けば、動かぬ人影を同盟軍司令官――クラナフは見送った。
それは今まで幾度となくたどってきた光景。
悔しくて、犠牲を減らしたいと思った。
クラナフは選択した。
逃げるのではなく、戦うと言う事を。
その成果は、敵基地の攻撃地点から徒歩で帰還途中に発見された兵がいた。
凍死寸前だったものもいた。
そんな彼らは、当初のアレス・マクワイルドの意見を取り入れれば決して助からなかった兵士。
だが。
それと同時に基地に残った多くの兵が倒れ、傷ついた。
どちらの策が多くの兵を助けられたのだろうか。
効率か非効率か。
そう言ってアレスを非難した言葉。
彼にとっては逃げた方が犠牲は少ないと考えたのだろう。
そうかもしれない。
白く息を吐きながら、クラナフは周囲を見渡した。
犠牲は大きい。
「だが、まだ若い」
もし見捨てる事を選択していれば、この基地に帰還して来る兵士達は例え生き残ったところで、上への――国への反感を持ったことだろう。
そして、この基地から逃げのびた兵士達も、逃げる事を覚えてしまう。
彼らは戦った。
帰還する兵士達は、上は彼らを見捨てないと信用し、そして、基地の兵士達は数を減らしたとしても、一人一人が戦争を経験し、そして。
見渡した視線の先には、疲れているだろうに、撤収を手伝う一人の英雄を見る。
敵の攻撃を一手に引き受けながら耐えきり、さらには返す刀で敵の司令官を補殺した英雄を。
――軍には英雄が必要だ。
そう言ったのは誰であったか。
クラナフ自身も、ここまでを求めていたわけではない。
ただ効率か非効率か。それ以上の数字も見ていただけだ。
犠牲すらも数字とする。
「上になればなるほど、糞食らえな仕事だ」
アレスにそう語りながらも、結局は自分自身も効率か非効率で話を進めている。
苦いものを吐きだすように、クラナフは顔をしかめる。
自らの命を、部下の命だけを考えるだけならば、どれだけ楽な仕事であろう。
そんなクラナフの視線に、アレスが気付いたようにこちらを見た。
まだ若い。
だが、これから先に彼が通る道は自分などよりもきっと茨の道が待っている。
だから、そう思い、クラナフは足を一歩進めた。
+ + +
「休まないのか」
「ええ。まだ残っている仕事がありますから」
「収容か」
クラナフの言葉に、アレスは首を縦に振った。
人から物へと変化した者たちの扱いは酷い。
吹雪に晒された武器は壊れるが、死体へと変化した人は壊れようがないからだ。
順次、物資を基地へと運びいれて、最後は死体となる。
暖かくするわけにもいかず、寒風の吹き荒れる外へ積まれ、帰還すべき船を待つ。
「……今は私達二人しかいない」
そのまま死体の搬送へと移ろうとしたアレスに、クラナフの言葉がかかった。
一瞬動きを止めて、しかし、小さく苦笑して動き出す。
その動きを、クラナフは理解した。
彼が吐きだそうとしたのは、まったく意味のない無駄な愚痴だ。
それを言ったところで、どうすることも出来ない。
ただただ自己満足だけの言葉。
だが、それをクラナフは聞きたかった。
「たいしたことではありません」
「それを聞きたい」
呟かれたクラナフの言葉に、アレスは一瞬眉をあげる。
そして、前を見る。
「大佐は――効率、非効率で、そこにいる人を見ていないとおっしゃいました」
「ああ。そう言った」
「そのために、カッセルは死にました」
それは小さな言葉で、そして、クラナフの心を突き刺す刃となる。
「効率か非効率か――確かにそう思いましたが、それで死ぬのは私の部下です」
「だが。それで生き延びた者もいる」
「ええ――ですが、だからと言って、カッセルが死んで良かったわけでもない」
愚痴ですねと呟いた言葉に、クラナフは心を締め付けられる。
本人自身も、それを理解している。
いや、それ以上に――おそらくは、クラナフが考えたことまでも。
そのためにカッセルが死んで良かったわけでもない。
かといって、クラナフを攻めるわけでもない。
ただの愚痴だと呟いた言葉に、クラナフは唇を噛んだ。
「これはスレイヤー少将から聞いた言葉だ」
アレスが顔をあげる。
「……君ら兵士がこうだった、ああすればと考える必要はない。それに悩むのは、我々指揮官の仕事だと。ただ、君たちは――君たち兵士は過去を考えるよりも、未来を考えろと」
「未来ですか?」
「ああ。助けられたかもしれない人間を考えるよりも、君の活躍によって助けられた人間を考えろ。マクワイルド少尉――君の部隊によって、私も、そして多くの兵士達が助けられた。それは紛れもない事実だ」
ゆっくりとあげられた最敬礼。
腕の角度など士官学校で叩きこまれた以来の敬礼だ。
だが、いまは、この若い戦士に向けてクラナフは用いる限りの動作を行った。
「君の活躍でカプチェランカ基地は救われた――全将兵を代表して、礼を言う」
アレスは驚きを見せた後で、丁寧な敬礼で、それを返した。
「任務を果たしただけです」
「良くやってくれた」
先に下ろしたのは、クラナフの方だ。
素早く腕を下ろすと、それ以上の言葉はなく、踵を返す。
彼に言った言葉の通りだ。
もしかすれば、彼の部下も、そして雪原に取り残された部下たちも助かる道があったかもしれない。
それを考えるのは、クラナフの――指揮官の悩みであるのだから。
+ + +
シャワーを浴びれば、凍えた身体が熱せられていく。
同時に疲れが汗と共に溶けていくように感じた。
考える事は、ラインハルトを守るために死んだ上官のことだ。
彼がいなければラインハルトは死に――あるいは、虜囚となっていた事だろう。
彼は狂っていた。
いや、帝国に狂わされた一人だ。
自らと同様に。
そんな考えは、今までは不快に思っていた事だろう。
命を救われたとはいえ、随分と安っぽい思いだと、ラインハルトは苦く思った。
だが、それを否定する事は出来ない。
彼と同じように家族を奪われた者がいる。
理不尽を被った者がいる。
全て帝国に――そして、あの皇帝にだ。
それでも自分は生きている。
ならばと思う。
「死は無駄にはしない」
静かに呟いて、ラインハルトはシャワーを止めた。
熱はすぐに冷えていく。
備え付けられた鏡を見れば、酷い顔をしている。
眼の下は黒々と変色し、疲れがいまだに滲み出ているようだった。
負けたな。
言葉には出さず、小さく舌の中で転がした。
敵の装甲車が使えなければ、敵基地の襲撃は楽にできると考えていた。
しかし、それは過小評価であった。
敵は動かせる装甲車を効果的に使い、援軍までの時間を耐えた。
もし援軍がこなかったら勝てていたなどと、楽観主義になれるわけもない。
敵は援軍が来るまで耐えて見せ、帝国を――ラインハルトを破った。
不思議な事に――彼にとっては、不思議な事に怒りは感じなかった。
彼にとっては負けることなど考えられず、常勝を常としていたにも関わらずだ。
これが初戦であったからだろうか。
ラインハルトは自問する。
幼年学校ではなく、本当の戦場の厳しさというものを知ることができたことに、悔しさや怒りよりも嬉しさを感じている。
考えれば、装甲車が動かない為勝てるなど机上の空論で、あまりに稚拙な考え。
それを是正してくれたことには、ありがたいと感じる。
このまま勝ち続けていれば、いずれラインハルトは勝ちを当然と思っていた事だろう。
行動すれば勝つのだと、あまりにも馬鹿馬鹿しい考えだ。
勝つためには策が必要で、最大限に準備を行う必要がある。
そして。
静かに扉を開き、かかっていたタオルで頭を拭いた。
勝つ事が目的ではない。
目的は。
誰にも聞こえぬほどに静かに口を開き、ラインハルトは乱雑に頭を拭く。
「戦争と言うものを教えてくれた事はありがたいが……。それでも負けっぱなしというのはあまり嬉しいものではない」
身体にタオルをかけながら、シャワールームを出れば、そこにずっと立っていたのだろう、彼の幼馴染であり、忠実な赤毛の少年がいた。
心配げにこちらを窺うキルヒアイスに、ラインハルトはゆっくりと唇をあげた。
「次は勝つぞ」
「はい、ラインハルト様」
不敵な笑みを浮かべるラインハルトに、キルヒアイスは同意するように頷いた。
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