星の輝き
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第22局
奈瀬明日美は、伸び悩んでいた自分の棋力が、最近になって、少しずつ向上しているのを実感していた。
院生での対局成績も好調で、順位も少しずつだが、上がりつつある。
これは間違いなく、進藤ヒカル達との出会いのおかげだ。
ヒカルとの対局で、ひとつの殻のようなものを破れた気がする。
肝心のヒカルとの対局こそなかなかできないものの、彼との出会いが、自分の碁を少し前進させたような感じがあった。
そして、ヒカル達がネットを使えるようになってからは、あかりや佐為と毎日のように対局した。
あかりの実力は、院生トップに匹敵する。
そして、佐為の実力は言うまでもない。
二人との対局は、たとえそれがネット碁であっても、間違いなく自分にとって糧となっていた。
そして、今日は久しぶりにヒカル君と会えるはずの、約束の日だった。
数日前から今日のことがずっと楽しみで仕方なかった。
ヒカル君と打てるなら、場所なんかどこでもよかった。
どこにでも行くつもりだったし、実際どこにでも行くよと確かに言った。
…確かに言ったのは間違いない。
…でも、いくらなんでもこれはおかしいんじゃないだろうか?
そりゃ、自分だって一応はプロを目指している院生だ。
当然、プロとの対局経験だってあった。
でも、それにしたって、これって、ありえなくない?
-待ち合わせの場所が、ヒカル君の家でもなく、私の家の近くでもない時点で少し疑問に思うべきだった…。
-何で今、私は、塔矢行洋先生の家で、先生に打ってもらってるの?
先日のアキラとの再会で、ヒカルはアキラと時々対局することを約束させられていた。
あくまでも、”たまになら”という条件で、ヒカルは了承した。
そして、今週末は名人が在宅のため、ぜひ家に来てほしいと誘われたのだった。
最初は、奈瀬との約束があったために、用事があると断ったのだが、その用事の内容を聞いたアキラはさらに踏み込んできた。
うちに集まって打てばいいじゃないか、と。
「…うーん」
-ヒカルっ!せっかくなのですから、お邪魔しましょうよ!あの者とあえるのですよ!
塔矢行洋名人に会いたがっていた佐為はそういってヒカルの後ろで大騒ぎをしていた。
以前の事をヒカルから聞いていたこともあるが、今までにも塔矢行洋の棋譜はいくつも検討してきた。
まさに、今最も実力のあるプロ棋士の一人として、佐為の興味もひとしおなのだ。
-…まったくお気楽な…。いったい誰のせいで苦労していると…。…あ、でも待てよ…。今塔矢先生に会えると…。
ヒカルは、もしかしたら以前から気になっていたあのことが、何とかできるかもしれないと思いついていた。
「…塔矢。もしも可能なら、頼みたいことがあるんだ」
約束の日の早朝、ヒカルは塔矢家の玄関前にたたずんでいた。
-ここに、かの者がいるのですね!
佐為は塔矢の家を目にして、ソワソワソワソワとしていた。
-この家に来るのも久しぶりだなぁ。
-ほら、早く行きましょうよ、ヒカル!
-分かってるって。でも、まずは大事な話があるんだから、おとなしくしてろよ!お前が騒ぐと気が散ってしょうがないんだからな!
-もちろん、分かってますって!
-…ほんとだろうな、おい。
そうしてヒカルは、塔矢家のインターホンを鳴らした。
「進藤おはよう。お父さんが待っているよ」
「ああ、悪いな、塔矢。こんな朝早くから」
「いや、うちはいつも朝早いから大丈夫さ。お父さんも君との対面を楽しみにしてるみたいだし。ただ…、進藤ごめん!どうしても進藤に一緒に会いたいって人がいて、断れなかったんだ…」
「えっ!?」
「進藤のことを話したときにちょうどそばにいてね。自分も一緒に立ち会いたいと。進藤は知っているかな?お父さんの弟子の、緒方さんって言うプロの方なんだけど」
-あー、緒方さんかぁ…。あの人、前も絡んできたんだよなあ…。相変わらずというか、なんというか…。でもまあ、塔矢先生にかかわる以上は、仕方ないかぁ…。緒方さんだけ避けるわけにもいかないか…。
「まぁ、かまわないよ。塔矢も、兄弟子相手に断ったりできるわけないもんな。じゃ、先生に紹介してくれよ」
「…すまないな。こっちだ」
「お父さん、緒方さん、進藤が来たよ。進藤、うちのお父さんと、緒方プロだ」
客間に案内されたヒカルは、そこで塔矢行洋たちに紹介された。
「どうもはじめまして。進藤ヒカルです。あ、塔矢先生、十段獲得おめでとうございます!」
「はじめまして。そして、ありがとう。君が進藤君か。話に聞いてからずっと会いたかったよ。それに、アキラが世話になったようだね」
挨拶とともに、ヒカルは行洋と握手を交わした。
塔矢行洋は、以前と変わりない、厳しく、威厳のある人物だった。
「こちらは緒方精次君。アキラの兄弟子だ。彼も君にぜひ会いたいとのことでね」
「はじめまして、緒方だ。まぁ、塔矢名人ほどの知名度はないから、中学生じゃあ知られていないと思うがね」
続けて紹介された緒方とも握手を交わしながら、ヒカルは答えた。
緒方も、相変わらずの、パリッとしたスーツ姿だった。
「そんなことないさ、あ、ないです!リーグ入りしている緒方先生の棋譜、いくつも勉強させてもらっています」
その言葉を聞いて、緒方の表情が緩む。
囲碁のプロ棋士とは言えど、世間一般に対する認知度はかなり低い。
若手でトップクラスの座にいる緒方といえども、まだ世間一般に名が売れているとは言えなかった。
それゆえの、ちょっとした驚きと喜びだった。
「ほう、それはそれは、うれしいことだ。俺の棋譜も見てくれているとはな。まあ、堅い席じゃないし、言葉遣いはそこまで無理しなくてもいい。気楽にナ」
「あー…、すみません…。どうも敬語って苦手なもんで…」
そういって頭を掻くヒカルの様子を、緒方は興味深げに眺めた。
-こうしてみると、一見普通の子供に見える。アキラ君と比べても幼い感じがする。…が、眼に力がある…。それに、囲碁のプロのこともそれなりには知っているようだ。アキラ君を倒しただけのことはあるということか…。
「それで、何か私に話があるということだったね。かけたまえ。話とやらを伺おうか」
「あ、はい。それじゃ失礼します。えっとですね。まず、朝早く時間を作っていただいてありがとうございます。それで、率直に言うと、オレ達の後ろ盾のようなものになって欲しいんです。あ、もちろん、俺の腕を認めてもらえたらってことなんですけど」
「…後ろ盾というと?」
「オレは、今すぐではないんですが、プロになるつもりです。ただ、うちは爺ちゃんこそ囲碁好きですが、父さんも母さんも、囲碁のことはまったく知らないんです。そもそも、囲碁にプロがあるってことも知ってるのかな?だから、いきなり囲碁のプロになるって言っても、下手したら本気にされないかもって心配があるんです。オレは院生じゃないから、そのままプロ試験ってわけにも行かないですし」
「…なるほど。院生にはなる気はないのだね?」
「はい。ずうずうしいかもしれませんが、オレは、今すぐにプロになれるだけの力は持っているつもりです。だから、オレは院生になる気はないです。ただ、俺が囲碁を教えている幼馴染がいて、そいつは、院生になったほうがいいかなって思ってます。今日、後で来る、藤崎あかりって子です。あかりの院生への推薦も、あわせてお願いできたらなって、思ってます」
「…ふむ。聞いてると思うが、藤崎君とは先日打つ機会があった。だから、彼女が院生に入りたいというのであれば、推薦はしよう。力は十分にあった。…だが、君の碁はまだアキラに見せてもらったものだけだ。そうだな、返事は一局打ってからにしようか。…だが、いずれ?今すぐプロにならないのには何か理由があるのかね?」
「そ、それは…。それは、打ち終わった後でいいですか?っていうか。あかりと会ったことがあるんですか!?」
「聞いてないのかね?碁会所の市河君が偶然街で会ったようでね、連れて来てくれたことがあったのだよ」
「オレも居合わせたよ。なかなかの碁だったな。プロには物足りないにしても、院生としてはいいところにいくんじゃないか?」
そう口を挟む緒方を横目に、ヒカルは頭を抱えていた。
-アンニャロー、黙ってやがったな…。
-ヒカル!そんなのどうでもいいではないですかっ!ほら、打ちましょうよっ!早くっ!
「…よかろう。まずは打とうか。それだけの自信があるんだ。互先でいいね?」
「はい。握りますね」
「私が黒だね。では、コミは5目半で。おねがいします」
「おねがいします」
こうして、アキラと緒方と佐為が見つめる中、ヒカルと行洋の対局は始まった。
後書き
誤字修正 10段 →十段 硬い席 → 堅い席
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