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母の怪我

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第三章


第三章

「今日のおかず何だ?」
「いい加減イタリアものばかりやるなよ」
「わかってるわよ」
 少し怒った声で二人に言い返す。見れば鍋にジャガイモや肉、それに人参や玉ねぎといったものを入れて醤油とみりんで煮込んでいる。肉じゃがであった。
「もうすぐできるからね」
「肉じゃがか?」
「ええ、そうよ」
 父に対して答える。
「それとお味噌汁よ」
「何だ、作れるんだな」
 兄は彼女が和食を作っているのを見て言った。
「御前も和食を」
「作りたくないわよ。面倒臭い」
 何故和食を作りたがらないかというとこれが理由だった。彼女にとっては色々と面倒なのだ。イタリア料理は好きだからこそ苦にならないが和食の面倒さは我慢できないのである。この辺りは実に勝手ではあるが。
「こんなの。お母さんも毎日作ってたのね」
「当たり前だろ?」
 その長い顎で言う父だった。
「他には中華料理もあったぞ」
「中華はまだいけるわ」
 とりあえず前からりょうりだけはしていたのである。これだけは助かっていた。
「それでも。和食って本当に面倒ね」
「後皿洗いもな」
「わかってるわよ。全く」
 うんざりとした声で兄に言葉を返す。言葉を返しながら色々と考えていた。
「後は猫に餌をあげて砂も入れて」
 猫の世話もあるのだった。
「朝起きたら洗濯してその間にお掃除軽くして洗濯物畳んで会社に行って」
 当然会社にも行かなくてはいけないのである。
「ああ、食器洗ったらお風呂も洗わないと。何でこんなに忙しいのよ」
 急に忙しくなってしまったのだった。今や彼女は働きながら家事もこなしていた。とりあえず目立ったミスはなかったが大変なのは変わりがない。それで四苦八苦しているのだった。
 朝起きても疲れは充分に取れず電車の中で頑張って寝る。そうして会社の仕事に入る。スタミナドリンクも飲むようになった。あくせくと会社でも家でも働いていた。疲れは何とか最低限にするようにしていたがそれでも溜まる。休日は家事を済ませたらそのままスーパー銭湯に行ったりもした。こうして生きていた。
 するとやがて。会社でも家でもこう言われるようになった。
「あれ百瀬君」
「変わった?」
 三日会わざれば、といった感じの言葉であった。
「何か生き生きしてるね」
「顔に張りがあるって感じ?」
「そうですか?」
 まずは会社の中で男の人達に言われだした。彼等の言葉はとりあえずお世辞だと思っていた。こうした言葉は何かあるとすぐに言われることだからだ。
 しかしであった。今度は外に仕事に出てまた言われた。今度はもっとはっきりした言葉だった。
「若返りましたね」
「若返ったって」
「目に活力もありますし」
 今度はこう言われたのだ。しかも言った相手が初老だが結構ダンディな雰囲気の人だったから余計に気になった。やはり格好いい相手に言われた方が心に残る。
 続いて社内の同僚のOL達にもだ。
「あんたメイクとか変えたの?」
「奇麗になったわよ」
「全然変えてないわよ」
 これは自分のことだからよくわかっている。そんなものは全く変えてはいない。
「そんなの。全然よ」
「そうなの?」
「本当にちょっと前よりずっと奇麗になったわよ」
 彼女の顔を見ながら言うのである。これでいい加減妙だと思いだした。流石にお世辞やそういった類のものではないとわかってきたのだ。
「何か御前最近な」
 彼氏のその靖久とのデート中にも言われた。彼は鰻屋の息子なので彼のオフに彼女は有給休暇と取ってそれでデートをしているのだ。そのデートをしている遊園地で休憩でベンチで並んで自動販売機のお茶を飲んでいる時に言われた。二人晴れ晴れとした青空の下でお茶を飲んでいる。
「変わったな」
「靖久君も言うのね」
「俺だけじゃないのかよ」
 彼はその赤茶色の長めの髪のいささか童顔の顔を少し驚かせてきた。少しばかり鋭い目が見開かれた。
 
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