Myu 日常編
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冥星は結構陰湿である
「冥星、言いたいことはそれだけか?」
「…………がつがつがつがつがつがつがつがつ」
「今日、海星が告白されたらしい。その許可を、お前がやったらしいな」
「恋は自由にするべきだ。愛は誰しもが享受されるべきだ。そういったのは母さんだ」
「……海星は、逃げたらしいな」
「恥ずかしがり屋のヘタレか、あいつは」
パァンと丼ごと冥星が吹き飛ぶ。張り手一つでこの威力か。飛んでいく自分の体をぼんやりと思い浮かべながら、今日は本気だなと冥星は強かに予想した。
明子の目は怒りに満ちていた。それは、出会ったとき、冥星たちに向けていたあの目と同じくらい殺気を帯びていた。気にすることはない。生きるために、自分が必要なことはただ、食すことだ。それがわかっていれば大丈夫。例え、妹が部屋から出てこなくても、明子が怖くても、自分の頬っぺたが赤くはれ上がってお嫁にいけないくらいになったしても何ら気にすることはない。
全ては、一つの成すべきことの為に。
「お前……海星が今どんな状況か知っているはずだな?」
「対人恐怖症、男は特に、顔を合わせただけで意識を失う」
妹、海星は特別教室でカウンセリングを受けつつ学校に通っている状態だ。いわば、保健室登校というものか。なぜ、そんな状態になってしまったかといえば、一言で言えば精神的なショック。自分の家が燃やされ、愛する家族は焼け死に、残されたのは鬼畜兄貴のみときたら、殻に閉じこもりたくもなる……と明子や医者が言っていた。不愉快極まりないが。
「なぜ、こんなことをした?」
「いや~勝てると思ったんだけどなぁ……」
「なぜ、こんな真似をしたのかと聞いている」
殺人。殺戮者である。秋坂明子は一体その生涯にどれだけの人間を殺してきたのだろうか。冥星は明子という女に少なからず恩を感じている。それと同時に得体の知れない何かが常にこの女には纏っていることも、知っている。
謎だ、この世界は謎で満ちている。なぜ、自分は怒られていて、弁解を命じられているのか。なぜ、妹はここまで脆弱であり、自分が守護者にならなくてはならないのか。家族とは何のなのか。愛とは、すなわち?
「いつまでだ」
「なに?」
「いつまで、俺がこいつの面倒みなくてはいけない」
「お前は、海星の兄だ。それが兄の義務ではないのか!」
「否である。兄とは妹のおもちゃではない。俺はめんどくさいことが大嫌いだ。加えておもしろいことが大好きなのである。妹は俺の生活範疇の中で一番目障りな対象だ。なぜ、生きている? そう思うことすらある。そんな妹にも利用価値があった」
突然首を絞めつけられた。明子が己の首をへし折らんばかりに絞めつけているのだ。脅しであることを読めてしまえば、なんら気にすることはない。ただ、気道を確保できないため、なかなか喋らせてくれない。困った暴力女である。
「これ以上私を怒らせるなよ、冥星」
「DVは、犯罪だ」
必死で紡いだ言葉は、少年少女を虐待から守る魔法の言葉。子供たちは社会の宝であり、命は尊いものだ。大人はそれを壊すことは決して許されない。厳格な社会に守られた神にも等しい子供という命は、冥星のような屑を守ることもできるのだ。
「冥星、あんたは、やっぱりあいつの弟なんだね」
「おいおい……それは言わない約束でしょお母さん」
下手なジョークにわずかな平穏が戻った。しかし、冥星の心は決して穏やかではない。あんな女と比べられるなど、吐き気を催して、ご飯が三杯しかお代わりできなくなってしまったではないか。
「私は……どうしたら……」
それは、祈りだ。
死者に対する祈りが明子の口から漏れ出してくる。
愚かしく、悲しい言葉の綴りを聞いていると、イライラしてくる。
冥星は黙って食事を再開する。何も響かず、何も感じず、黙々と。
生きるのだ。それこそが、己の成すべきことを成すための唯一の方法である。
冥星は努力をしない。する必要がないからだ。それは呪いであり、約束だ。
絶対に頑張らないという、約束――――。
「ってことで勘弁してくれ」
「冥星……そういうことは早く言ってよ。なんだか、悪いことしちゃったね」
「いや、いいんだ。これはこれで」
「結局、達也の願いは叶わず、か」
三人はあの日からいつも一緒である。なんとなく惹かれあうものがあるのか、それとも冥星という少年のカリスマ性によるものか。いずれにせよ、少年たちは小さな王国を築いた。一人の王様……として認識しているかはともかく。実質的なリーダーは冥星という風になっている。なぜなら、面倒事は冥星に『押し付けて』しまえば大抵なんとかなるからだ。主に、冥星の罰という労働力を犠牲にして。
「あんなやつのどこがいいんだか……」
「冥星はさ、お兄さんだからわからないんだよ。なぁ隼人」
「あ? ああ……まぁ男子に人気があるのは確かだな」
「まじかよ……世の中、間違っているぜ」
なぜ、兄である自分と妹に天地の差があるのか。永遠の謎ではあるが、決してあんな妹のような性格になることだけは御免こうむる。
弱すぎて……生きていけない。それは、屑よりもひどい生き物だ。
「まぁでも、隼人は、ほら」
「お、おい!指差すなよ、ばれんだろ!?」
「いいじゃん。許嫁なんでしょ?」
「よくねぇよ! くっそなんでバラすんだよ! よりにもよって冥星に!」
「……ほ~へ~……あの、篠崎隼人君に、許嫁、とな? どれどれ……ってマジで?」
冥星が驚愕したのには訳がある。達也が指差した方をまっすぐに見定めると、そこには黒髪の少女が仲間と共に歩いてくるではないか。
人形のような白い肌、凛とした気の強そうな瞳。典型的な日本女性とでもいえばいいのか。大和撫子という言葉は、彼女のためにあるのだろう。
「横の、不細工じゃなくて?」
「冥星、そういうこと口にしちゃダメだよ、本当さ、な隼人」
「ん……まぁな」
そんなことが認められていいのだろうか? 世界が許しても俺が許さん。即座に冥星は手に持っていた給食のパンを食らいつくし、少女の前に立ちふさがるように仁王立ちした。
「ああ~……だから嫌だったんだよ……やらかすぞ~あいつ絶対やらかすぞ~」
「あはは、我らが王様は今日も絶好調だね」
いきなり現れた白髪の少年に、少女たちは嫌悪感を隠せない。曲者以外の何物でもない男は、真ん中の少女を睨むように見つめた。
「……何?」
「なるほど、なにかに似ていると思ったら、家にあった雛人形だ」
「それは、褒めてるの?」
「いや、がっつり貶してる」
そう言い終わる前に、冥星は横から何かの衝撃で壁際へ叩きつけられた。めり込んだ壁を見るとあり得ない怪力の持ち主であることは確かである。それについてはさほど驚くことでもないが、どうやらこの学校にもゴリラがいることがわかった。
「さいってい……っぺ」
「ま、まて、こら……」
黒髪の少女は、対象から興味を失ったかのように冥星の呼び止めにも反応を見せず、去っていく。まるで機械だ。精密にできた、機械人形。
そして、冥星にダメージを与えたであろう真っ赤な髪をした凶暴な女。冷たい目線と共に、冥星に、『唾を吐きかけた』あの憎たらしき女はいつまでも冥星を睨みつけている。それを見届けると、冥星はゆっくりと意識を闇に沈めていくのだった。
「冥星よ。お前は誰にケンカを売ったのかわかっているのか?」
「……しらねぇよ。くそ、まだガンガンする」
「大蔵 姫。まさか、この名前を聞いてもわからないの?」
「……しらね、いや、まて、確かこの前行ったラーメン屋にそんな名前があったような……ま、まさか、かなり有名なラーメン屋の娘なのか!? だとしたら俺はなんて失礼を!」
「ちげーよ! 大蔵家っていえば、この辺一帯を占める大元締めのようなもんだよ! お前なんつーことを……」
「ラーメン屋に名前があったのは、多分スポンサーか何かだね。冥星、今からでもいい、謝った方がいいよ」
ラーメン屋の娘ではないところから既に興味を失っていた冥星。隼人は頭を抱えて落ち込んでいる。バカがいくら頭を悩ませても意味はないのだが、それを言う雰囲気ではないことは、さすがの冥星でもわかる。
そして、冥星の頭にはもう、なんの躊躇もなく、あの女に対する復讐心でいっぱいだった。
「冥星! 頼むからもうやめてくれ! な!? これ以上やると、俺、家からなんて言われるか……」
「俺からも頼むよ、冥星。ただでさえ、あの姫を怒らせちゃったんだ……大問題だよ」
「怒って……たのか?」
「横の子が怒ってたでしょ? それが姫の怒りになるの」
「なんだよそれ……」
なんだか納得のいかないことだらけだが、悪友二人からストップをかけられてしまえば、いくら冥星といえどもおとなしくなる。何せ、多勢に無勢。そしてあの――。
「ゴリラ、女……」
「ああ、凛音だろ。六道 凛音。姫の小間使いだな」
「小間使いって……まるで偉い人みたいじゃないか!!」
「「だからそういってるだろ」」
あのゴリラは小間使いだったのか。顔はあまり覚えていないが、如何にも自分の嫌いそうな性格だと確信した。だいたい、小間使い如きに舐められてしまっては城島家(滅亡した)の嫡男としての名が廃る。
どうにかして、あの女に男の恐ろしさを教えてやらねばならん。悪友二人の引き止めも既に忘れ、冥星はまたしても最低な策謀に頭を働かせるのだった……。
※※※※※※
打つべし! 打つべし! 打つべし! 確かこんな声だったか。屋敷にいた頃、既に他界した母親に変わり入ってきた女が、こんな言葉を冥星と冥星の姉に向かって繰り返し叫んでいた。
姉は既に鬱気味だったので仕方なく自分が変わりに聞いていたのだが、慣れてくると、なるほど、子守唄に聞こえないでもない。狂気的な叫び声も、甘く甘美な囁きに聞こえてくるのだ。だからなんだというわけだが、結局のところ人間は仲良くなれない者とは相容れることは不可能だ。それを我慢してまで戦っているのが、今日に我々を支える企業戦士たちである。冥星は彼らを尊敬していると共に、一種の侮蔑を感じている
故に、彼はカリスマニートとして世間に君臨することを誓っている。社会に馴染むことのできない哀れな者たちの救済のために。
「よし、これで完璧。俺、最強。マジで最強」
悪友二人の手前、大きく出ることを控えた冥星が思いついたのは、いやがらせだ。
今日は待ちに待った給食当番だ。つまり、自分の飯を大量に持っても何の文句も言われないスペシャルデー(そんなわけない)なわけだ。
そして……他人の飯を、どれだけ減らしても気づかれない悪魔の日! その分を己の器に加算し、証拠隠滅を図ろうという冥星にしか思いつかない屑の発想に、誰しもが感服することだろう。
さっそく割烹着に身を包んだ冥星は、悪友二人の呆れた表情を横目に、やってくる空腹の民たちの器に容赦なく微量の食料を与える。こいつが君主なら間違いなく国は亡びるだろうと誰しもが予期せざるを得ない悪者っぷりだ。
「……! おい、冥星、来たぞ!」
「……冥星、頑張れ!」
標的の登場に、冥星の心は歓喜した。震えるお玉にはカレーのルー。冥星は今日の献立の主役であるカレー担当である。
さぁ、こい。お前の器に大量のご飯と少量のルーで、味気のない食卓を披露してやるぞ。やることなすことがすべて小者であることに、彼は気が付いているだろうか。
そして、この作戦には致命的な欠陥があることに、彼は気が付いているだろうか!?
「あ、私ダイエット中だから、少なめで」
「あ、はい」
オーダー!!
黙って器に盛られるはずの給食に、いちいちオーダーをする輩がいるのだ! ここはレストランじゃねぇ! 黙って盛られていろと叫びたい心を必死で押えながら冥星は標的である六道 凛音をまんまと見逃してしまった……。
「お、おい、冥星がすげぇ顔しているぞ」
「そんなに悔しかったのかな……でも女の子って給食少な目の方が喜ばれるんじゃない?」
外野がうるさい。俺の作戦は完璧なのだと疑わない冥星は、実はどうでもよかった大蔵 姫を、腹いせに毒牙にかけようとしていた。
「冥星って、ほんと、女の子に興味ないんだね。普通、姫ちゃんみたいな子にこんなことする奴いないよ」
「あいつは飯が食えて寝ることができれば満足なのさ。姫、ごめんな」
達也の感心した声とは裏腹に、隼人の心は罪悪感でいっぱいだ。お腹を空かせて姫を想像すると、胸が苦しくなる。俺のを分けてやろうか、と既に冥星を裏切る算段までしているのだから困ったものだ。
「大盛り」
「…………なに?」
「大盛り、特盛で」
「ほ、他の人の分もあるから、それはちょっと」
「特盛」
「あ、はい……」
大蔵 姫は、冥星以上に食い意地を張った少女だという情報を、誰もが持ち合わせていなかったことが、この作戦の一番の敗因だった……。
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