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Meet again my…

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Ⅰ シグナル・アロー (2)

 ――あの女に気づかれた。

 目の前には彼女。巻き込むわけにはいかない。

「それはこっちの科白です。とにかく、もう帰ったらどうですか」

 平静を装えたと思う。彼なら、彼女が呼んだ名の本当の持ち主ならそうするだろうと想像しながら態度をとったから。

 歩き出した。なるべく人のいない道を選んで、路地裏の奥へと進んだ。
 彼女はついて来た。

「ねえ待って! お願い、話だけでも聞いて!」

 立ち止まりたい。そんな感傷じみた気持ちになる自分に驚きながらも、止まれない。あの女は僕に何かしかけてくる気でいる。僕には分かるのだ。直感や予感といったあいまいな探知を人は笑うかもしれない。でも、僕には絶対の自信がある。長年かけて培われた僕だけの特異能力なんだから。

 ことあの女の殺意を、この僕が間違うはずがない。

 なおも僕を追って来る彼女を撒くために角を一つ曲がってから駆け出した。これで彼女との間に距離を置けるはずだ。





 光が届かない湿った袋小路で立ち止まった。

 ジャケットの下のウエストポーチから、たったさっき私書箱から回収してきたばかりの仏具を出した。素材は水晶。プルパというチベット仏教の護法短剣だ。

 呼吸を整え、精神を研ぎ澄ます。
 どこからでも来い。

 徒手空拳のまま待っていると、どこからかカサカサと不吉な摩擦音が聴こえてきた。
 ビルの影から這いずり出てきた――蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛の群れ。正面のあらゆる影からタランチュラほどの蜘蛛が湧いて出てきている。

 土蜘蛛か。
 うかつには触れない。あれに噛まれて足に障害が残った人を知っている。

 足元に一匹寄って来た。息を吸って吐くまでの時間で踏みつぶしたら、土蜘蛛は複雑な形に折られた和紙に変じた。御幣(ごへい)だ。紙に式王子を依り憑かせていたのか。

 一匹潰した僕を敵と認識してか、蜘蛛が一斉に向かってきた。できればプルパは温存しておきたかったけど――

「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前!」

 背後から九字が聞こえて、土蜘蛛が十単位で御幣に還った。

 ふり返ればそこにはさっき撒いたはずの彼女がいた。彼女の手は刀印を結んでいる。拝み屋なのか?

「何故ここにっ……早くここから離れろ、こいつらは毒蜘蛛だぞ!」
「それはこっちの科白よ! あんたは退魔法使えないでしょーが! いいからどいて! ――臨兵闘者皆陣列在前!!」

 彼女は僕を押しのけて前に出て、九字を切っては土蜘蛛を吹き飛ばしていく。
 強い。退魔法が複雑化したこのご時勢で、九字なんて単純な術だけで式王子を押し負かせるなんて。

「ナウマクサンマンダバザラダンカン、ナウマクサンマンダバザラダンカン、ナウマ……きゃあ!」

 こいつら! 彼女の足を這い上がろうとしている!

「もういいっ、下がれ」

 僕は彼女の肩を掴んで安全圏に引き入れた。彼女はしりもちをついたが、今は構っていられない。コンクリートの割れ目を見定めて、プルパを突き立てるように投擲した。
 蒼白いスパークがあって、土蜘蛛は一匹残らず掻き消えた。
 ――さすがは滝川さん折り紙付きの仏具。試作品でこの威力か。

「何、今の」
「チベット仏教で魔を退ける法具。本来は儀式用だが、知り合いに実戦用に改造してもらった」

 言って、彼女を睨んだ。口にはしないが僕は怒っているんだぞ。元来気の長いほうじゃないんだ。今回は土蜘蛛だったからよかったけれど、もしこれが本物の毒蜘蛛だったらどうなっていたか。
 彼女はたじろいでいる。それはそうだろう。

「君は一体何者だ? 何故僕を知っている? 退魔法を使えるなら霊能者だろうが、何故わざわざ自分から、見ず知らずの人間のために危険に飛び込んだんだ」
「だーかーらー! 見ず知らずじゃないんだってば。あたしはアンタをよく知ってるし、むしろメチャクチャ親しい部類に入るんだよ!」
「生憎来日したばかりで他人と知り合う余裕はなかったんですがね」
「来日したばかり?」

 なんだ、その不思議そうな顔は。確かに僕はクオーターを通り越して八分の一しか欧州の血は入ってないが、国籍はれっきとしたイギリス人だぞ――と懇切丁寧に説明すべきか?
 悩んでいると、彼女まで何やら悩み始めた。いや、そこで君まで悩まれたら話が進まないだろうが。

 しかし、土蜘蛛相手にプルパをすぐ使ったことといい、彼女を巻き込んだことといい。

「まずい状況になったな」
「何が?」

 ――これ以上は彼女を巻き込めない。

「君には関係ない」

 彼女はむっとしたようだった。ほんと、よくころころと表情が変わる人だ。

「あのね。あたしだって一応拝み屋見習いだから、さっきのを説明してくんないと収まりつかないの。それにナルがピンチになってあたしが見捨てられるわけないじゃない。だからこれから何か危ないことがあるなら、あたし、ナルにもっと付きまとうよ」

 それは困るんだが。何だって彼女は僕を親しい友人のように呼んで気に懸けるんだ。
 彼女は一見して愛嬌のある怒り方をしているが、まんまるな目は真剣な光を宿している。説明しなければ引かないぞ、とその目は言っている。ため息が出た。

「先手を打たれた。向こうに僕の位置を知られる前に叩く手筈だったのに」
「それって、誰がやったかナルは分かってるってこと?」
「いちおう。――それより君、今のことはどう責任をとってくれるのかな」

 非難すれば、彼女は今日出会ってから何度目か、たじろぐ様子を見せた。よし、このまま押そう。

「土蜘蛛は僕を狙っている。術者をどうにかしない限り襲われ続ける。何もしなければ逃げられたのに、攻撃を与えたせいで僕の居場所を向こうに探知された」

「うっ。で、でもっ、またさっきの道具使えば」
「今のは試作品。完成品は三日後まで届かない。これで僕は当面、確実に自分の身を守る術を失った」
「ううっ。そうだっ、リンさんは」
「リンのことまで知っているのか。――イギリスだ。今回の来日は僕一人」
「うあ~っ!!」

 彼女は頭を抱えて奇声を上げた。これ、本当にさっきまで土蜘蛛なんて凶悪な妖怪の群れに単身突っ込んだ人と同じ人か?
 それに気になる。彼女は僕のニックネームのみならず、リンのことまで知っている。日本支部の協力者に彼女に該当する人はいないはずなのに。

「だが、助けられたのは事実だ」
「……え?」
 彼女はぽかんと僕を見上げてきた。
 式王子と応戦した彼女に、あの女が目をつけないとも限らない。あの女は、僕以外を、排除はしても標的にはしないと分かってはいるものの、だからといって放置するのは安心できない。

「うちに来てくれないか。君がなぜ僕の素性を知っているのか知りたい」

 うち、と言っても僕も入居したばかりで住居としての体裁は整っていないけれど、外にいるよりはましだろう。

「う、うん! 行く、行きます!」

 彼女の笑顔はひどくまぶしかった。

 
 

 
後書き
 お読みいただいてありがとうございます。
 読みやすいようにと心がけて、一章分をかなり細かく分割しております。もし長いほうがよろしい方はおっしゃってください。
 
 麻衣が自ら危険に飛び込むのは相変わらずです。 
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