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渦巻く滄海 紅き空 【上】

作者:日月
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二十八 帰還

月が、出ていた。



夜空を絶え間なく流れる雲。時折その身を隠されても、仄かな光を惜しみなく里に降り注ぐ月。
あれだけ賑わっていた里は深い眠りについていた。街灯は乏しく、昼間の雰囲気とは対照的にどこかもの寂しい。暗闇に、ある屋根の棟飾りだけが鮮やかに浮かび上がる。
冴え冴えとした月に照らされ、闇夜に映える金の鯱。つつ闇の海を泳ぐことなく、どっしりと屋根に鎮座する二匹の鯱の尾には夥しい数の鈴が取り付けられている。それらは夜風に指揮され、美妙な音色を奏でていた。

自身が泊まる宿の屋根にて、少年――我愛羅は里を俯瞰していた。生温かい夜気が彼の赤い髪を静かに靡かせる。風の演奏会に耳を傾けていた我愛羅はふと目線を下げた。

屋根の隅でこちらの様子をじっと窺っていた人物。一向に眠る素振りを見せない我愛羅に痺れを切らしたのか、彼は暗がりからその身を月明かりにさらした。カラリと瓦が音を立てる。



「てめえは不眠症かよ…」
不満げな様子を隠しもせず、ザクはチッと舌打ちする。「寝込みを襲おうと思ったのに意味ねえじゃねえか」とぼやく彼を、冷徹な眼差しで我愛羅は見下ろした。その瞳には何も映っていない。
「なんの用だ…」
「てめえに成り済まそうかと思ってな」
我愛羅の無関心な態度が気に触る。だがその苛立ちを抑え、ザクは言葉を続けた。
「本試験でうちはサスケにあたるんだろ?てめえに変化すれば、奴と闘える…。だからてめえをここで消して、代わりに俺が試合を受けてやるよ」


試験前に対戦者が相手を襲うなど言語道断である。ましてやザクのように本試験資格すら持ち合わせていない者が出場者に成り済ますなど、里同士の外交問題にも成り兼ねない。
しかしながらそのような事、ザクにとってはどうでもよかった。彼はただ、己の職務を全うしようとしただけであった。『うちはサスケを殺す』。大蛇丸にそう命じられたのが全ての始まりだったのだから。
だからサスケを殺せば全ては上手くいくのではないか。そしてドスやキンの二人も己の許に帰ってくるのではないか。もしかしたら戻れるのではないか、あの頃に…。



何の確証もない希望を胸に抱いて、ザクは我愛羅を睨みつけた。生身である左腕を眼前に掲げる。
相手の承諾も得ず、さっさと戦闘体勢をとるザク。闘う気満々の彼を、我愛羅は冷やかに見下した。
風が二人の間を吹き抜ける。激しく鳴く鈴。

それが合図だった。







「【斬空極破】!!」
眼には視えぬ衝撃が我愛羅を襲う。同時に瓢箪から砂がドバリと飛び出した。我愛羅の身を自動的に守り、尚且つ攻撃する。
とっさにザクはその場に伏せた。砂の奔流が頭上を掠める。あっという間に通り過ぎ、空中で方向転換。速い。
空気を裂くような音に反応し、砂の攻撃を必死にかわす。避けても避けても再び迫る砂にザクは歯軋りした。速攻で勝負をつけるつもりだったのに、一撃で仕留められなかったとは予想外だ。
闇を切り裂く。縦横無尽に闇夜を駆け抜ける砂。その応対に追われるザク。避け切れぬ攻撃は左手から放出する衝撃波で相殺する。
ふと顔を上げると、視界の端に我愛羅の姿が映った。悠然と鯱の頭の上でザクを見下ろしている。その態度がどことなく金髪少年と被って見え、彼の心が一瞬乱れた。
足を掬われる。砂の手に足首を掴まれ、勢いよく転倒。屋根上から投げ出される。
「くッ!」


左腕は砂の攻撃を相殺するのに使っている。左手で屋根の廂を掴み、落下を防ぐか。だがそうすれば砂の攻撃から身を守る術を失ってしまう。ならば落ちるか。




―――――右手を使えばいいだけだ。


ザクは生身ではない右腕を掲げた。人工物のそれは大蛇丸から直々に頂いた義手。実際に用意したのはカブトだが、彼はそのことを知らなかった。予選で右腕を失った自分を気遣ってくださったのだと、より一層大蛇丸に感謝の念を募らせる。その義手自体が自分の首を絞める武器そのものだとも知らずに。

アタッチメント式の義手。その手首を外すと、空洞が顔を覗かせる。
我愛羅のいる鯱と対になっているもう一つの鯱。それに照準を合わせる。砂の波に押し寄せられる直前、空洞から縄が飛び出した。蛇の如く鯱に飛び掛かる。先についた鉤が鯱の尾を捕らえた。己の身がぐいっと屋根上に引き戻される。


義手に仕込んだ鉤付き縄で砂波を脱するザク。だが窮地は脱してやいなかった。我愛羅の瓢箪から砂が再度溢れ出す。荒れ狂う砂海が鯱ごとザクを襲った。鯱も砂の海は泳げない。
「ぐあ……ッ!?」
纏わりつく。視界を砂に覆われる刹那、我愛羅が右手をゆっくりと握り込んだ。突風が吹き抜ける。
「【砂縛柩】……――――【砂瀑送葬】!!」








空中で音も無く弾ける。風の演奏会を邪魔した不届き者は、血の一滴すら残さず消えた。ぱらぱらと落ちる砂を仰ぐ。発動した術の名残を何の感慨もなく見遣った後、我愛羅は再び鯱の頭に腰を掛けた。夜風を頬に感じながら瞳を閉じる。
鈴は変わらず、美しい音を奏で続けていた。












俺は死んだのか――――。

朦朧とする意識の中、ザクは瞼を抉じ開けた。まず目についたのは中空に煌々と坐している月。そして月よりも強烈な光芒を放って見える、黄金の髪。
「仕込み武器か…。考えたね」
おそらく先ほどの砂の攻撃で肩から外れたのだろう。見覚えのある顔が、ザクの義手をまじまじと眺めていた。
「着眼点は悪くない。でももっと君に合った装備の仕方があるはずだよ」
ザクを我愛羅の術の餌食から助け出す。それも風のように気づかれず。
そんな事が出来るただ一人の少年から、ザクは義手を引っ手繰った。
「またお前か…ッ!!」
月明かりに照らされた彼の顔を、ザクは忌々しげに見上げる。彼とは対照的に、ナルトは静かに微笑んでみせた。




「なぜ俺を助けた?」
「偶然だよ」
我愛羅がいる屋根とは遠く離れた地点。安全地帯であるそこから、ナルトは空を仰いだ。
月はまだ、完全に満ちてはいない。
「君は運が良い。今夜が満月だったら、」
「てめえは一体、何がしてえ!?」
ナルトの言葉を断ち切って、ザクは声を荒げた。
「邪魔すんじゃねえ!お前さえいなけりゃ…」
「死んでただろうね」
あっさりと結論を下す。ぐっと言葉を詰まらせるザクをナルトは静かに見遣った。


事実、偶然だった。約束の十日目。ナルトは君麻呂と香燐を伴い、時空間移動を行った。
目的地の座標は中忍第二試験時に香燐を助けた木。大ムカデを幹に縫い付けた、あのクナイである。
術式を施しておいたそのクナイに飛ぶ。ジャングルの奥地から木ノ葉の里『死の森』へ。
行きは二日かかったが、帰りは一瞬。もっとも飛んだ先は干乾びたムカデの死体があるので快適とは言えなかったが。
だが里に着いて早々、なにやら不穏な空気を感じる。その空気がする方向へ向かったナルトの目に、今正に我愛羅の術に捕まっているザクの姿が映った。瞬時に判断する。
そしてナルトは、我愛羅の様子を窺っている男達より、ザクの命を優先した。



「いくら我愛羅に変化したとしてもチャクラがもつはずがない。それぐらい理解しているはずだろう」
「うるせえ!大体お前がドス達を誑かすなんて真似しなけりゃ…」
「心外だな。俺は選択を与えただけ。選んだのは彼らの意思だ」
「てめ……ッ!!」
カッとしたザクが胸倉を掴む。その涼しげな顔に一発お見舞いしてやらねば気が済まなかった。


だが突然、後頭部に襲いかかる激痛。


遠くなる意識の中、生身の左手と義手の右手でナルトの服にしがみつく。くそ、と悪態を吐こうとしたが、もはや声は出なかった。容赦なく降りてくる暗幕。
気を失う寸前、心配そうに覗き込む青い瞳がザクの脳裏にしっかり焼きついた。









昏睡し、倒れ伏したザクを気遣わしげに見遣る。皺が寄るほど握り締めてくる彼の指をそっと外し、ナルトは困ったように瞳を瞬かせた。
「なにもそんな殴らなくても…」
「ナルト様に手を上げる者は全て敵です」
気絶したザクを忌々しげに見下ろす。冷たい視線をザクに向ける君麻呂を見ながら、ナルトは内心嘆息した。
不治の病を治してから君麻呂は益々ナルトに傾倒している。欽慕の念を一層燃やす彼に、どこで間違えたかな、とナルトはぽりぽり頬を掻いた。
「そもそも助けられた恩を仇で返すような、こんな奴……」
「そう言うな」
苦笑しながら指先で掴んでいる物をくるりと回す。キラリと鈍い光を放つソレは、ザクの義手に仕込まれていたもの。麻酔針である。


どうも予め埋められていたらしいその針の先端には、象をも痺れさす毒が塗られている。おそらく禁術の生贄にする直前に、麻酔で身体の自由を奪うつもりだったのだろう。そうとも知らずに大蛇丸様から頂いたのだと感謝するザク。自身の義手にそのような物が細工されているなどと考えもしない彼は、ある意味哀れである。
その針を抜き取り、別のモノを繋ぎ目として埋め込んでおく。その一連の作業をナルトはザクが気絶している際に手早く終わらせた。ザクがナルトから引っ手繰った義手は、既に針を抜いた状態だったのだ。知らぬは本人ばかりである。



「たくっ。里に着くなり、一人で行っちまうんだからな」
自身の感知能力でナルトの居場所を突き止めた香燐が恨めしげに言う。彼女に謝罪した後、ナルトは君麻呂の背後を窺った。
「……やけに大きい荷物だな」
「ナルト様を追い駆けるついでですよ。屋根の上で倒れていたんです」
今の今まで背負っていた男を君麻呂はようやく降ろした。香燐の先導でナルトを追う最中、拾った人間である。気を失っているらしいその人物をちらりと見て、ナルトは思わず息を呑んだ。
「どうしました?」
「いや…」
木ノ葉の額当てをしている男の顔は見知ったものだった。「確か、予選の試験官でしたね」と言う君麻呂の言葉を聞き流し、ナルトは香燐に「木ノ葉病院の場所、知ってるか?」と訊ねる。
「悪いけど彼を病院前に置いてきてくれ。それが済んだら、俺の居場所を感知して戻ってきてくれるか」
ナルトの言葉に承諾し、君麻呂から男を引き受ける。重そうに引き摺っていく香燐を見送った後、ナルトは君麻呂に向き合った。
「君麻呂はザクを連れて音に戻ってくれ」
「こいつを、ですか…」
いつもなら嬉々としてナルトに従う君麻呂が、この時ばかりは苦虫を噛み潰したような顔をした。渋々ザクを背負い、「いくら情けを掛けたところで、一文の得にもなりませんよ」と一言残して走り去る。


去り際の君麻呂の忠告に、ナルトは軽く肩を竦めた。いつものように読めない微笑を浮かべ、暫しその場で待つ。月が厚い雲の一群に覆われた。訪れる、完全な闇。
やがて彼は口を開いた。





「それでどうだった?」
「………――――ああ、」

暗がりからゆっくりと姿を現す。十日ぶりの声に、ナルトは薄く笑った。


「音と砂の密会だぜ。『木ノ葉崩し』決行計画書の引き渡しだ。あと、砂はギリギリまで表に出ないんだとよ。その負い目があるのか、目撃者は消していたがな」
「……お前は、気づかれなかっただろうな?」
「俺を誰だと思ってるんだ」
不敵な笑みを浮かべる。無音殺人術(サイレントキリング)の使い手である再不斬に、「失言だったか」とナルトも笑みを返した。


里に戻るなり、【念華微笑の術】でナルトは再不斬に連絡をとっていた。不穏な動きは我愛羅ではなく、彼とザクの戦闘を観戦する者達にあったからだ。「まったく、人使いが荒い奴だぜ」と愚痴るものの、再不斬の表情は心なしか楽しそうである。


「目をつけられたのは木ノ葉の奴さ。砂の奴にズタボロにされてたぜ………かわいそうにな」
ちっともかわいそうになどと思ってもいない口振り。しっかり密会を盗み見た再不斬がそう告げる隣で、ナルトはじっと物思いに耽っていた。ふと目を細める。
「そいつは死んだのか?」
「運が良ければ、生きてるんじゃないか?もっともあの怪我で生きてたら奇跡だろうが」


雲が途切れ、月が再び顔を覗かせた。月明かりが影をつくる。はたと足下を見下ろしたナルトが怪訝そうに眉を顰めた。二つの濃い影と、薄い影。




「…後をつけられるとは、珍しいな」
「違いねえ」

どこからか自分達を密かに窺っている気配がする。なかなか上手い気配の絶ち方だ。どちらかと言うと再不斬の気配の絶ち方によく似ている。
自らの失態に臍を噛む再不斬。だがそれはナルトとて同じ事だった。気掛かりな点に心を奪われすぎて注意が散漫になっていた。表情を曇らせる。
もっともかなり遠い場所から感じるので、会話の内容までは聞こえないだろう。


「どっちの客だ?」
「さあな。どちらの客にせよ、迎え撃てばいい話だ」
先ほどとは一転し、顔を歪める再不斬。口角を僅かに上げる。
「――――殺(や)っといたほうがいいんじゃないか」
「今すぐにでも」と言う再不斬に、ナルトは静かにかぶりを振った。

「殺気は感じない。それに、再不斬の敵ではないだろう?」
ナルトの言葉に再不斬は一瞬目を瞬かせた。次第に顔を綻ばせ、にんまりと笑う。

「…当然だ」










宿まで突き止められぬよう【霧隠れの術】で身を隠す。夜に加え、深い霧まで出てきたら追跡は不可能だ。現に気配は感じない。濃密な霧に視界を覆われ、少年はすぐさま後を追うのを諦めた。思わず一言、言葉が零れる。
「さっすが……」
高い煙突の上から俯瞰していた彼は、にいっと口元を歪ませた。僅かに覗く犬歯が月光に照らされ、白く光る。
「再不斬先輩だ」
心底嬉しそうに少年は笑った。濃霧の中、彼の楽しげな笑い声が反響する。




その一部始終を知っているのは、相変わらず煌々と輝く月だけだった。
 
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