| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

チャイナタウンの狐

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
< 前ページ 目次
 

第一章


第一章

                   チャイナタウンの狐
 アメリカニューヨーク。言わずと知れた世界一の大都市である。
 この街は移民の国であるアメリカの中でもとりわけ様々な人間がいる。それこそ星の数だけいる人間がそれぞれの世界を育んでいる。チャイナタウンもその中の一つである。
 このチャイナタウンは世界のあちこちにあるがその中でもこのニューヨークのそれはかなり大きい。ニューヨークの名物の一つでもあり観光客の往来もある。中華料理や中国の服も売られておりそれを商いして生きている者も多い。ここにいるチャンという青年もその一人だ。
 十九世紀のゴールドラッシュの時にアメリカに移住したのが祖先らしい。カルフォルニアから流れ着いてニューヨークに来てこの街にそれこそ先祖代々住んでいる。家は広東料理をやっていてかなり大きな店になっている。裕福な家の所謂ぼんぼんであり跡取りでもある。
 そんな彼は大学を出てすぐに家業を継いだ。毎朝早くに市場に食材を買いに行くのが日課になっている。買いに行く場所は様々で今日は中華街の中だ。そこで乾物の買出しに出ているのだ。お供に数人連れている。
 黒い髪を奇麗に整えて背が高い。一見するとレストランの社長ではなく何処かの俳優にも見える。切れ長の目に鋭利な顔立ちだ。身体も引き締まっていて実に端整である。
「旦那様」
 その彼に一緒に来ている者の一人である初老のコックが声をかけてきた。
「何だい?」
 そのコックに言葉を返す。チャンはスーツだが他の者は作業服だ。社長なので身なりにも気を使っているのである。
「昨日大旦那様と奥様に言われたのですが」
 つまりチャンの両親である。今は隠居だ。
「そろそろ御結婚などは」
「相手がね」
 そのコックの方を見て苦笑いを浮かべる。その整ったマスクにだ。
「いないんだよ。これがね」
「何処からか迎えられては」
「お見合いかい」
「それもいいと思いますが」
「そうだな。考えておくか」
 苦笑いを消して考える顔になった。顔は正面に向き直った。丁度周りは朝で市場は同じチャイナタウンの料理店の者達が買出しに来ている。それがチャン達も同じであり市場はそうした者達の活気で満ちていた。彼は連れている店の者達を連れながらその活気の中を歩いているのであった。
「よお、社長さん」
「暫く振りだね」
 店の方からも客の方からもチャンに声がかかる。英語だったり広東語だったりする。それがまた実にチャイナタウンらしかった。中にはアジア系だけでなく白人や黒人もいる。彼等もまた買出しやただ買いに来たといった理由でここに来ているのである。
「今日も何処も繁盛しているな」
「そうですね」
 嫁の話をさりげなく消してコックに言う。コックもそれに応える。
「今日は鮑を買いたいんだがね」
「鮑ですか。それなら」
「そうだね。あそこがいいな」
 昔から馴染みの店である。いつも干し鮑はそこで買っているのだ。
「あそこで買うとするか」
「はい、それで他には」
「他には海鼠か」
 中華料理の高級食材の一つである。
「それも買っておこう。それで後は」
「何を買われますか?」
「後は行ってから考えよう」
 こう答えるのであった。
「いい食材があれば集めておく」
「左様で」
「とりあえず今日買うのは乾物だけだしね」
 その予定であった。他の食材は今のところは昨日のうちに買い揃えている。だから今日はそれだけでよかったのである。
「そういうことだ。それじゃあ」
「わかりました。それでは」
「買い終わったらすぐに店に戻ろう」
 こうも言った。
「それで仕度をして」
「開店と」
「今日も忙しくなるぞ」
 今度は楽しげな顔になった。経営者として店が忙しくなることは結構なことだ。だからその顔を楽しげなものにさせているのである。そういうことなのだ。
「何かとな。それじゃあ」
「はい、買ってすぐに戻って」
「仕込みだ」
 そんな話をしつつ買出しをして帰路につく。その帰路でのことであった。
 不意に一行は一人の女と擦れ違った。若く黒い髪を腰まで伸ばした背の高い黒い目の女だ。すぐにアジア系の女だとわかった。
「!?今のは」
「どうされました」
「いや、奇麗な女の人だと思ってね」
 こうコックに答える。帰路もやはり市場で様々な人が行き交っている。その中でのことだった。
「あんな人がここにいたのか」
「何だかんだでここも大勢いますからね」
 コックがこう答えた。
「けれど。どうされました?」
「いや、別に」
 まずは言葉を打ち消した。
「何でもない。では行くか」
「はい、それでは」
 とりあえずその場は何もなかった。チャンはレストランに戻ると早速社長室に入って仕事に取り掛かった。商売は繁盛しているので仕事は忙しい。気付いた時にはもうかなりの時間になっていた。外が暗くなっている。その暗くなった窓の外ではチャイナタウンのネオンが様々な光を放って輝いている。彼はその光を見ながらこれからどうするか考えていた。
「飲みにでも行くか」
 とりあえずはこう思った。
「飲むとしたら。そうだな」
 チャイナタウンの中に馴染みの店が結構ある。その中の何処かに行こうと思っていたのだ。何処に行くかまでは考えていなかったがそれでも飲みに行くことにした。そうしてその中で外に出てそのまま足が向かうままに街を歩く。夜でもこの街は活気がある。しかし警戒もしていた。
「この道は。やばいな」
 暗い道はあえて通らない。ニューヨークは治安がよくなったと言われているがそれでもそれ程いいとは言えないのだ。特にこのチャイナタウンは道が入り組んでいるうえに悪名高きチャイニーズマフィアの拠点でもある。実際のところ彼も彼等のことは知っている。しかし彼は別に危ない商売をしているわけではないので彼等との付き合いはない。だがそれでも存在は知っているので警戒はしているのだ。
 行くのは明るい店だった。そこはごく普通の飲み屋であった。チャイナタウンにはよくある中華料理の飲み屋である。少し時間があるとそこに行くことも多いのだ。
「ここにするか」
 そう思って店に入った。店に入ると中国風の店特有の赤い世界が広がっていた。チャイナドレスに身を包んだウェイトレスが店の中を左右に動き回っている。その両手と頭の上にお盆を乗せている。そこには豚の足や八宝菜、それに酒がある。それを黒い木製のテーブルにいる客達に渡していた。
「おや、社長」
 その店のカウンターにいる中年の血色のいい顔の男が彼に声をかけてきた。
「いらっしゃい」
「ああ、暫くだね」
 チャンはにこりと笑ってその男に顔を向けて挨拶をした。
「老酒はあるかな」
「いいのがありますよ」
 こう答えが返ってきた。
「年代もののがね」
「じゃあそれをもらおうか」
「食べ物は」
「そうだね」
 彼に応えながらカウンターに座る。丁度男の前で彼が料理をしている場面も見える。中華鍋とおたまを上手く使って何かを炒めている。
 
< 前ページ 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧