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女房の徳

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第一章


第一章

                   女房の徳
 戦前の話だ。京都の金持ちに前川菊五郎という男がいた。
 この男は呉服問屋をやっていた。商売は繁盛していて何不自由なく暮らしていた。おかげで遊びの方に精を出すようになって彼はいつも有頂天だった。
「やっぱりあれでんなあ」
 料亭でいつも舞妓や常連の馴染み客を前にして言うのだった。
「おなごは芯の強いのがええですわ」
「芯がですか」
「そうですわ」
 上等の酒を手に上機嫌で述べる。いつもお座敷で楽しくやっての言葉だ。
「やっぱり。女房はそうですわ」
「奥方は」
「ええ」
 彼の妻は同じように旧家から迎え入れた女だ。名前をサトという。いつもそっと夫の側に座って静かに微笑んでいる。何かとやりくり上手で彼女なくしては菊五郎の店の繁盛もないのではとさえ思えるようなできた女房であった。
 だがこのサトは容姿は普通であった。悪くはないがよくもない。つまり華がないのだ。着ている服もそうである。実に地味なものばかりだ。
「せめて呉服屋の女房やで」
 菊五郎はよくそれに不満を述べた。
「派手な服を着てやな。やっぱり」
「そうしたら動きにくいですよって」
 それに対するサトの反論はいつもこうであった。それで」
「それでか」
「そうですわ」
 いつも夫にこう言うのだった。穏やかだがしっかりとした声である。
「やっぱり店の切り盛りには動きやすいのが一番ですさかい」
「そやかてなあ」
 だが菊五郎はいつもこう返すのだった。
「そんなのは番頭とか手代に任せてやな」
「女房は最初の番頭でっせ」
 菊五郎がこう言うといつもこう返すのだった。これも常である。
「そやさかい」
「やれやれ。何かわての出る幕あらへんな」
 それを聞くといつも苦笑いになるのであった。いつものことである。
「残念な話や」
「旦那さんは奥でどっしりと構えてるもんでっせ」
 サトは最後はいつも締めの言葉も決まっていた。
「そやさかいあんたは」
「となってるんですわ」
 この日は四条の料亭でお得意様二人と飲みながらの話であった。豆腐料理を肴い宇治の上等の酒を楽しく飲んでいるところであった。
「おかげでわてはここでもいつもこうして遊べて」
「ええ身分でんな」
「ほんまに」
 笑って客の一人に返す。
「おかげで助かりますわ。それででんな」
「何でっか?」
「女の方にも苦労はしてまへん」
「おお」
「それは何よりでんな」
 客達はそれを聞いてまた笑う。この当時は大きな家の旦那ともなれば女遊びの一つや二つといったところだった。彼はそっちの方も存分に楽しんでいたのだ。
「ただ、言われることは言われてますわ」
「それは何でっか?」
「まずは病気ですわ」
 まずはそれについて言ってきた。
「病気ですか」
「ええ、それをまず」
 女遊びでいつも問題になるのはそれであった。梅毒、この時は瘡病と言った。身体のあちこちに赤い斑点ができてあげくには鼻が落ちて身体そのものが腐って死んでいく。これが一番恐れられていた。これに気をつけろとは当然のことであった。
「気にせいと」
「当然でんな」
「あれにかかったらほんま終わりでっせ」
「ええ、女房もそれを言うんですわ」
 盃を右手にそう述べる。漆塗りの盃の赤いところに澄んだ酒が奇麗にたたえられている。
「それをまず気にしてくれ。そやから女は選んでくれと」
「成程」
「それはそうですな」
「それとですわ」
 菊五郎はさらに言ってきた。
「それと?」
「子供ができた時ですわ」
 これもまた付き物である。ましてやこの時代はそれなりの地位にある人間は妾を持つことも普通のことだった。政治家にしろ菊五郎のような金持ちにしろだ。だからサトもこれに関してもとやかくは言わなかったのである。普通のことでしかなかったからだ。
「その時は責任持って面倒見ろと。金はあるさかい」
「つまりはあれですな」
 客の一人がそれに応えて言ってきた。
「責任持って子供として面倒見ろと」
「そういうことですな」
「その通りですわ」
 笑って客達に答える。
「間違っても知らんとか言わんようにと。女の人と子供の一生潰すさかい」
「ううん、立派な奥さんですな」
「そこまで考えてはるとは」
「しかもこれだけやおまへん」
 何とまだあるのだった。菊五郎は側にいる芸者に酒を入れてもらってさらに言う。
「そのおなご自体にも気をつけよと」
「あれっ」
「それって」
 客達は豆腐にやる手を止めて問うてきた。話が戻ったと思ったからだ。
 
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