銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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決戦4
「撃て。撃ち尽くして構わん。砲身が、身体がぶっ壊れるまで撃ち続けろ」
バセットの言葉に砲兵や射撃兵が残弾を余すことなく、ばらまいた。
それは死と血をまき散らす雨となり、帝国兵に降り注ぐ。
それでもなお、帝国は進軍する。
同盟軍の抵抗が、最後の輝きである事を理解している。
五百メートルの距離からでは、塹壕に隠れた同盟の方が有利だ。
だが、二百メートルまで近づけば、数の多さから互角となり、百メートルになれば圧倒的数の暴力が、帝国を有利にする。
決戦である事は前線基地以外にも、左右の陣も理解している。
寄せ付けまいと放たれる音が、山に木霊して、嵐のような轟音を残す。
腕が吹き飛び、身体に穴を穿たれ、倒れ伏す同僚の横を帝国兵は走る。
先頭の赤毛の少年を筆頭にして、帝国軍はただただ雪上を駆け抜けた。
一般的な兵士が全速力で走れば、百メートルは二十秒もかからない。
雪上に足を取られながらの進軍であるが、二百メートルまで到達するに二分を要しなかった。
単発的な帝国の砲火が、塹壕へと集中した。
次に血をまき散らしたのは、塹壕で銃を放つ同盟軍の兵士だ。
塹壕が削れ、倒れ伏す兵士をかきわけて、後方の兵士が最前線へと移動する。
もはや相互に狙いをつける意思もない。
ただ前方にいる敵だけを穿つ。
その先頭――二百メートルの距離から微かに見える人影で、しかし、二人の人物は互いの表情を確認する。
「ジークフリード・キルヒアイス……」
遠くからでもはっきりとわかる赤毛。
それがゆっくりとこちらに銃口を向けた。
同様にアレスも銃を構える。
走馬灯のように記憶に呼び出されるのは、射撃術を教えた教官の声だ。
照準を合わせて真っ直ぐ引き金を引けば、弾がそれる事はない。ましてや、昔と違って反動などほとんどない。外す方が不思議なもんだ。
それであたれば苦労はしない。
そう思いながらも、真面目に授業を受けるべきだったと後悔。
後悔しないと思いながらも、最後に後悔する現状にアレスは笑う。
唇をゆっくりあげて形づくる、微笑。
と、その手が止まった。
+ + +
おそらくは敵の指揮官であろう。
金髪のまだ若い男へと銃口を向けて、キルヒアイスは引き金にかけた指を止めた。
この距離からであれば、外すことはない。
自らの腕を傷つけた仕返しというわけではない。
むしろ指揮官でありながら、先ほども現在も最前線で戦う男にはある種の尊敬を持った。
最初の赴任地ではあるものの、現在まで味方の陣営で、そのような指揮官には巡り合っていないこともあったかもしれないが。
もし同盟ではなく、帝国にいたならば。
わずかに浮かんだ思いをかき消して、再び指に力を込めた。
音がした。
足を止めて、キルヒアイスは戦場の真ん中で空を見上げる。
立ち止まったキルヒアイスを追いぬいて、兵士達がかけていく。
それにも関わらず、ただキルヒアイスは空を見ていた。
音だ。
戦場に鳴り響くは、砲弾の放たれる咆哮と着弾音。
それらの背後に兵士の悲鳴と声が響いていた。
それだけではない。
耳をすませたキルヒアイスには、それにプラスして風を切る甲高い音を聴いた。
それが何であるか。
理解は一瞬――キルヒアイスは突撃する帝国兵とは逆走して走りだした。
「下がれ!」
+ + +
キルヒアイスが手を止めて、アレスも塹壕から顔を隠して、空を見る。
銃声が断続的に響く音しか聞こえない。
帝国兵の足音は大きくなり、ついには防戦ラインの百メートルをきる。
そこで、アレスの耳にもおそらくは赤毛の少年が聞いたであろう音が聞こえた。
甲高く風をきる高音のエンジン音。
遥か上空――雲を切り裂く、爆撃機の音。
「全員、頭を下げて塹壕にもぐれ」
指示を出して、アレスは一人塹壕に背をかけて、ゆっくりと腰を下ろす。
厚い曇天が空を隠している。
遮るもののないアレスの右目に、曇天を切り裂く爆撃機が見えた。
「……遅い」
静かに呟きながら、アレス・マクワイルドは小さく息を吐いた。
+ + +
曇天を切り裂いて、巡航艦ラフロフ編成の爆撃機が飛び出した。
操縦席から眼下を見て、副操縦席のロイツ中尉は驚きに目を開いた。
それは隣席の同僚――ミシェル・コーネリアの操縦技術が一つ。
飛べると言っても惑星カプチェランカの気候は厳しい。
ロイツも腕が悪いと思ったことはないが、この暴風では目的地まで真っ直ぐ進むことは出来ないだろう。しかし、コーネリアは最短距離で接敵している。
そして、もう一つ。
曇天を切り裂いて敵陣が広がっても、予想された敵の砲撃はなかった。
単発的こそ対空砲が向かうが、部隊展開がされていなければ、避けることは容易い。
ましてや、コーネリアの腕である。
こちらに向かうミサイルを避けて、爆撃機は疾走した。
敵が間抜けすぎて、対空部隊を編成しなかったのか。
あるいは、兵数からこちらを見くびっていたのか。
そんな考えが浮かぶが、ロイツは隣席のコーネリアを思い出し、苦笑した。
マクワイルド少尉。
彼の名前が出て、コーネリアは敵の対空部隊を問題ないと言いきった。
ならば、彼がどうにかしたのだろうか。
劣勢でありながら、とても信じられないことだ。
もっとも、そのような真実はロイツにとってはどうでもいいことだ。
ただ爆撃機が飛び、敵の対空砲火を気にせずに撃ちこめる。
思えば、ロイツにとっても、そしてこの爆撃機にとっても苦渋の日々だった。
爆撃機は敵陣に攻撃を仕掛ける事が仕事。
だが、カプチェランカの劣悪な環境がそれを許さず、下手をすれば一回も爆撃しないで、この爆撃機はお役御免を迎えたかもしれない。
ロイツも同様に。
無駄死には御免だ。
だが、そのために今まで幾人もの兵の死を見てきた。
もっと早く来てくれればと、味方から罵声を浴びることもある。
自分だって戦いたかった。
そんな叫びは心にしまわれ、諦めすらもロイツは感じていた。
このまま爆撃機と共に朽ちていくのだろうと。
しかし。
近づく大地を見れば、倒れ伏す同僚の姿が見える。
そして、顔をあげて希望を浮かべる味方の姿もだ。
「みんないったよな。もっと早くきてくれって。後ろで楽してただろうって。でもな、でもな」
呟いた言葉は次第に大きくなる。
自らの押し籠めてた気持ちを吐露するように。
「俺だって悔しくないわけがないだろう。同期が、友達が戦場にいるのに、何も出来ず後ろでずっと指をくわえて……ふざけんな」
投下ボタンに手をかけて、ロイツは前方――雲霞のごとく群がる帝国兵を見た。
唇を噛んで、ボタンを押しこんだ。
+ + +
雲を抜けて、目に入ったのは帝国兵から基地を守る同盟軍の姿だ。
白い大地が赤く染まり、倒れる兵が幾人も見えた。
アレスは無事だろうか。
間に合ったと思うのも一瞬、倒れる兵士の髪を見る。
視線が彷徨えば、すぐに首を振った。
あのアレス・マクワイルドが死ぬわけがない。
きっと今も、あの敵対するものを恐怖させる笑みをどこかで浮かべているはずだ。
だから、コーネリアは視線を前に戻して、敵を睨んだ。
予想通り対空砲の数は少ない。
これならば。
「いける」
呟いた瞬間、爆撃機から二筋の煙が飛び出した。
隣席の副操縦士が投下ボタンを押したのだろう。
それは踵を返した帝国兵に追いついて、赤が視界を染めた。
千度を超えるナパームの炎だ。
敵陣に広がり、全てを焼き尽くす。
前線に殺到していた兵士達は一撃で過半数が炎に包まれた。
逃げ惑う。
悶える兵士の姿を目に焼き付けて、コーネリアは思う。
逃がすものかと。
爆撃機が敵の上空を一周して、機首を変える。
続いて投下されたナパームが、敵の後方――わずかばかりに抵抗をしていた対空砲を焼き尽くした。
もはや爆撃機を止めるものはいない。
高度を下げたコーネリアの目に、見えた。
左目に包帯を巻きつけて、小さく笑う同僚の姿を。
はっきりと。
遅いと愚痴っているのだろうか。
「ごめんなさいね」
コーネリアは初めて、小さく微笑を浮かべた。
それは安堵――だが、敵にとっては戦乙女の慈悲の笑みであったかもしれない。
一瞬で死を告げる死の笑みに。
+ + +
高度を下げた爆撃機が、敵陣を蹂躙していく。
もはや敵に戦意はない。
早くも幾台かが撤退をしようとして、爆撃機のナパームに焼かれていた。
頼みの対空部隊すらも初撃で撃ちとられれば、敵にとっては爆撃機を防ぐ手立てはない。
ただ逃げる。
逃げ惑う兵士に向けて、追撃を指示しながら、アレス・マクワイルドは立ち上がった。
「少尉。休んでいてください――あとは我々が片付けます」
「いや。そうもいかない。行く場所がある」
「どこに?」
そう問われて、アレスはどこだろうなと苦笑して、視線を後方の山道へと向けた。
おそらくはあそこしかない。
赤毛の少年が近くにいないいま、おそらく彼は。
これから敵が再度進行をかけることは考えづらい。
指令部への通信は、労いの言葉と感謝と共に任務解除の命令が与えられた。
敵の再攻撃は考えられず、あったとしても残留部隊で何とかするつもりなのだろう。
実際に攻撃と共に左右の塹壕から、中央を守るように命令を受けた兵が集結していた。
後方に下がって、酒を飲んでもいいとは大奮発だろう。
もっともそれに見合う働きを、アレス達中央部隊は行ったのだが。
「通信機は持っていく。何かあれば連絡を」
「これ以上手柄を取られたくはないな。風呂にでも入って、ゆっくりしてくれ」
引き継ぎに来た小隊長と冗談を交わして、アレスは部隊の方へ戻る。
そこには短時間ながらも命を預けた精鋭の姿がある。
就任した当初のような掃溜めと呼ばれる事もない。
おそらくはカプチェランカで――同盟軍でも有数の陸上部隊だ。
それが静かにアレスの言葉を待っている。
任務は終了した。
だが。
「もう一働きを頼んで良いか」
呟かれた言葉に、部隊が眉をあげた。
しかし、誰も否定の言葉をあげない。
代表するように、バセットが一歩前に出た。
「少尉」
「ああ。これは俺の我儘だ。別に戻ってくれても」
「違います。我々はマクワイルド少尉の部下なのです。頼みなどという言葉は要りません。少尉はただ命令をくれれば良いのです」
「いや。正式な任務ではないから……」
「命じてください」
表情を輝かせて、バセットがアレスを見る。
到着時の挑戦的な瞳から変わって、どことなく御主人に構ってもらえる事が嬉しいような犬を思い出させた。
もっとも子犬などという可愛いものではなく、敵に対しては牙をむく恐さがあるが。
「わかった。確証はないが、敵の動きからこちらの逃走ルートに先回りした部隊がありそうだ。これから我々はその確認に向かう」
その意味をバセットはすぐに理解した。
教科書に出てきそうな敬礼を行うと、力強く了承を伝える。
風が巻き起こった。
積もった雪をまき散らして、上空を一機の爆撃機が横切った。
敵陣に対して苛烈なまでの攻撃を仕掛けていたそれは、アレスの上空を慈しむように優しげに飛んでいく。
まるで存在に気づいてもらいたいかかのごとく。
痛む腕を小さくあげて、手をあげる。
助かった。
届く事はないが伝えた気持ちは果たして気付いたのか。
爆撃機が器用にアレスの上空で旋回すれば、再び敵陣へと向かう。
敵後方から火炎があがった。
それを見届ける事なく、アレスはゆっくりと戦場を後にした。
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