乱世の確率事象改変
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久遠の理想に軋む歯車
孫権軍が侵攻してきたとの報告が入り、以前にも増して内政と軍備に励んでいた桃香達であったが、彼女達の元には新たな波紋が齎されていた。
朝議の最中に駆け込んで来た、国境の関に駐屯していた兵からの一つの報告。それはその場にいた三人の心を真っ直ぐに穿った。
「公孫賛様が国境付近に軍を引き連れて参りました。話を伺った所、幽州は袁紹の手に落ちたとのこと。確認された生存者は公孫賛様、趙雲様、以下約五千の兵のみ。二万の兵は烏丸への対抗として幽州の守りの為に残さざるを得なかったようです。そして……関靖様は公孫賛様を逃がす為に戦死なされたとの事です」
目を見開いた桃香は玉座から立ち上がりかけるが、なんとか抑え付けて王たる姿のまま、しかしいつもの砕けた口調でその兵士に告げる。
「分かったよ、報告ありがとう。あなたは城で少し休んで行ってね。……朱里ちゃん」
伝令の兵を優しく労った後、桃香は朱里にどうすればいいかの方針を決めようと厳しい瞳を向けた。
ここですぐさま受け入れると発言してしまうのは王たるに相応しくない。心配の渦巻いた心が悲鳴を上げようとも、それでも彼女は既に一人の王なのだ。
見つめられた朱里は白羽扇で口を隠し、ほんの少しだけ目を瞑った。
彼女の頭の中では思考が雷の如く巡り始める。
安易に受け入れてしまえば、この地に袁紹軍が攻め入る理由を小さくとも与えてしまう。袁術軍からの侵攻を跳ね除けた後、もしかしたら曹操との戦を選択せずにこちらに侵攻してくるかもしれない。連続的な戦は民の疲弊に繋がるので出来る限り避けたい所。
だが、ここで受け入れなければ主の友は行く当ても無い。何よりも主の二つ名である仁徳はそれを許されるだろうか。
劉備軍としては有力な騎兵が手に入る事は嬉しい。今も袁術軍に従っている精強な孫策軍に対して幅の効かせた戦術を行えるようになる。孫策軍の現状が把握できない状況では信じるには足りない。もし、自分達を倒してからゆっくりと袁術を追い詰める算段が立っているのならと考えるとぞっとする。
それよりも……袁紹軍に対して軍を動かす素振りが曹操軍にはあった。内密に入った情報では川の入り組んだ場所で不審な兵の動きが多いとのこと。ならば……
ほんの数瞬、自分の中で考え得る利害を計算しつくした朱里は目を開き、
「受け入れるべきでしょう。袁紹軍からの理由付けとなる事は明白。しかし友を受け入れない者を民はどう考えるでしょうか。さらに言えば、曹操軍にも軍を動かす動きがあります。袁家の情報網ならば把握済みでしょうし、危険な相手である曹操さんよりも先に私達の地へと攻め込んでは来ないと思われます」
最後に柔らかく、桃香に微笑みかけた朱里を見て、愛紗は哀しい瞳で二人を見つめる。
――友を助ける事に理由は要らないと考えるのは両者共に同じ……それでもこのように体面的な姿勢も見せなければならないのは辛いモノだ。
昔の桃香ならば跳ねるようにすぐ受け入れの伝令をと慌てた事だろう。今のこの姿は王として相応しい。
誇りに思うと同時に、愛紗は少しのやるせなさを感じた。なりふり構わず人を助けようとする必死な桃香の姿が彼女の中にあった為に。この姿は果たして成長と言えるのだろうか、と。
しかしこれも大陸に平和を齎す為なのだと、愛紗はその全てを呑み込む。ここは城であり朝議の最中。愛紗とて、王としての対応は見せなければならない事も分かっていた。
「では桃香様。受け入れると早馬の伝令を送ります」
「あ! 愛紗ちゃん、伝令さんを送るのと同時に護衛の小隊を編成してくれる? 私も白蓮ちゃんの所に向かうから」
唖然。愛紗も朱里も、その場の誰もが桃香の発言に思考が止まった。先に自分を取り戻した朱里は疑問を投げる。
「と、桃香様? その間の仕事はどうするのですか?」
「道中とか向こうで出来そうな書簡を纏めて持って行くよ。ごめんね朱里ちゃん。これだけは譲れないの。ここで白蓮ちゃんが来るのをゆっくりと待つなんて……今の私には出来そうにないみたい」
儚げな笑顔の先にある想いは強い。彼女はただ友の身を案じている。王では無く、彼女は一人の人間である『桃香』として、それを為したいと言っていた。
逃げ出してきたという事、それと彼女の臣下の一人が戦死した事で白蓮の心は見たことも無い程に傷つき荒んでいる事だろうと考えて。旧知の友であり、治める地やそこに住まう者達へ白蓮が向ける想いを知っているから……一人でも多くの人が支えなければ彼女は壊れてしまうのではないか、と桃香は不安に思っていた。
王としての責務も大切ではあるが、彼女はどこまで行っても桃香で、傷ついた人を放ってはおけない性分。そんな彼女だからこそ民も臣下も慕い、付いてきている。同時に、この時代の大陸ではその心は最も尊きモノ。
その場にいる文官達の皆がその心を理解して優しく微笑んだ。自分達徐州の全ての人民にも同じようにそれが向いているのだと理解している為に。
儒教が浸透しているこの時代、徳高き心は何よりも称賛されて当たり前のモノでありそれが王道の真髄。漢王朝の血筋である桃香が見せれば尚更輝くモノ。
愛紗はふっと微笑み、先程のやるせなさは露と消えた。
――桃香様は変わりなく私の掲げる主のまま。ならば彼女の望みを叶えるのが臣下の務めではないか。
朱里も同じような事を考えていたようで、瞳を輝かせて桃香の事を見つめていた。
「では桃香様。代わりの仕事を行っておきます」
「こちらは私達に任せてください。皆さん、差し当たって大きな問題は上がらなかったので朝議はここで終わりとしますがよろしいですか?」
朱里の一声に文官たちも一様に首を縦に振って頷いた。朝議はこれにて終了とするの声を桃香が上げ、
「ありがとう。無理言ってごめん。じゃあ、準備して来るね」
居並ぶ者達に感謝と謝罪を口にし、柔らかく微笑んだ桃香は少し速足でぱたぱたと駆けて行く。
それを見送った二人は、文官たちが会議場から出て行ってから、少しだけ厳しい面持ちとなり相談を始めた。
「私の隊が動けるだけの糧食ももうすぐ集まる。彼と入れ替わり、休息として公孫賛様の元へ向かわせるというのはどうだろうか?」
「それがよいかと。先に伝令でこの情報を伝えます。ただ、桃香様は関わりが無かったのでそこまでですが……秋斗さんはさすがに……」
この情報を聞いた時の秋斗の様子を想像して朱里と愛紗は悲しみに瞳を染めた。
牡丹自身が避けていたので秋斗以外の劉備軍の面々は大きく関わってはおらず、心に走る痛みは小さなモノ。しかし秋斗は近すぎた。口げんかばかりしているのに実は真名を許し合っている仲であった事を二人は知っている。星や白蓮と同じ痛みを感じても不思議で無いのは予想に難くなかった。
悲哀にくれる状態で戦場に立ち続けるのは難しく、徐公明という主要人物にもしもの事があったならこの軍の士気はどん底まで下がる。それなら、生き残った友の無事を目にして少しでも精神状態を落ち着けてから戦って貰えればと考えての事。
朱里は彼の事を心配して気分が沈んで行く。何も出来ない自分が口惜しくて、悲しくて。
「公孫賛様や星が無事な様子を見て、互いに痛みを共有して少しでも心が癒されてくれればいいが……」
そこで朱里は少しだけ心にもやが掛かり、卑怯な考えが頭に浮かぶ。
傷ついた彼を癒せるのならこちらを向いてくれるのではないか、と。
瞬時に、直ぐにふるふると頭を振り、正々堂々親友と戦わなければと朱里は黒い感情を心の隅に追いやり、
「なら雛里ちゃんも呼び戻して私と交代して貰いましょう。孫権軍を追い返した後、現在駐屯している袁術軍の数はそう多く無いらしいので追加の兵を送るにしても、孫策さんが加勢に来るにしてもしばらくの時間が出来ます。雛里ちゃんも戦場と内政の両立は初めてで疲れていると思いますし。まだ内部の安定は私と雛里ちゃんの予定水準に達していませんので本城を開ける事は出来ませんが、秋斗さんと雛里ちゃんが帰って来てくれるのなら南側の民達の慰撫に桃香様が出向くのも一つの手です。鈴々ちゃんはこちらに帰すよりもあちらに残りたがるでしょうからそのまま居て貰うのが最善かと」
昏い感情を向けてしまう自分への戒めの意味も込めて朱里は愛紗に提案した。
「分かった。桃香様が帰還してすぐに行動出来るよう、私達も仕事に励むとしようか」
「はい。桃香様にもその件は伝えておきましょう。では私も仕事に向かいますね」
愛紗は朱里の隠された心に気付かず、二人はそれぞれに与えられた仕事に向かっていく。
皆の為に自分の出来る事をと……心を強く燃やしながら。
†
関所の兵から野営の道具を貸して貰いそのまま待つ事一日超。受け入れて貰えると返答があり、野営の道具を片付けるのを手伝い、ゆっくりと行軍して付近の城に着いた白蓮は久方ぶりに屋根のある所での休息にほっと息をついていた。
風呂を借りて身綺麗に整え、客間の寝台に腰を下ろしながらこれからの事を考えようと思考に潜ること幾刻……そこに一つ、ばたばたと忙しない足音が近づいて来た。
何事かと思って確認する為に扉を開けて部屋を出ると、
「白蓮ちゃん!」
「おわっ! と、桃香!? どうしてここに!?」
自分を見つけて勢いよく抱きついてきた桃香を受け止める事になった。
受け止めた彼女は息荒く、どれだけ夢中で駆けて来たのかが白蓮には理解出来た。
「とりあえずさ……部屋に入ろうか」
すぐに促して二人は部屋へと入っていく。寝台に腰かけると再度抱きしめられ、白蓮は友の暖かい気持ちを感じて優しく微笑み、桃香の頭を撫で始める。
ゆっくりと顔を上げた桃香は白蓮を見つめる。その目には涙を溜めていて、心配と安堵、そして罪悪感の色が濃く浮かんでいた。
――どうせ桃香の事だから私を助けに来れなかった事を申し訳なく思っているんだろう。気にしなくていいのに。守れなかったのは私だけの責任なんだから。
友から信愛の感情を真っ直ぐに向けられて白蓮の心は安らいで行く。逃走している間、彼女の心はずっと張りつめていた。野営の天幕である程度の休息もとってはいたが精神的な負担は大きく、星から無理やり兵の管理仕事を奪われていた程であった。
「良かった……白蓮ちゃんが無事で」
甘く耳に響く震える声、同時に涙が零れ始め、さらに力強く抱きしめられた。
ふっと息を付いて彼女の頭を抱き寄せて撫でる事幾分、白蓮は優しく声を掛けた。
「心配してくれてありがとう。それに、お前達も厳しい状況なのに受け入れてくれてありがとう」
凛と鈴が鳴るように綴られた言葉に桃香は違和感を覚えた。見知っている白蓮であるのならば、このような声は出す事が無かったのだ。
前までのその声は、芯が通っていながらもどこか甘さを残していたはずであった。思いやりに溢れる声は変わらない。されどもどこか違う、そう……桃香に感じさせた。
その原因がなんであるか、直ぐに思い至る。
当たり前の事なのだ。自身が大切にしてきた場所を踏みにじられ、追い遣られ、遂には片腕たる臣下さえも失った。
どれほど大事なモノを失ってここに辿り着いたのか……共感する事など彼女には出来ない。彼女がどれだけ心を高く持っているのかも、桃香には一つとして分かってやる事など出来やしない。
そこで桃香は考える。いつものように、ただ誰かの為に出来る事は無いのかと。
――白蓮ちゃん、私に何か出来る事ってあるかな?
寸前で口を突いてでそうになった言葉を呑み込んだ。
聞いてはいけない。そう思わせる何かを彼女は感じ取った。今は自分から問いかけてはいけないのだと。
ゆっくりと、白蓮は頭を撫でる手を降ろして桃香を見やった。友を見る目では無く、一人の人間を推し量る王の瞳で。
それを受けて桃香は白蓮から身体を離し、部屋の真ん中にある机の前の椅子に座って向き直った。
視線が交差すること幾分。じっと見つめられて、桃香の背筋に冷や汗が伝る。緊迫した空気は彼女の苦手とする所であるが、それでも自分から言葉を放つ事は出来なかった。
静寂の時間、後にふっと微笑んだ白蓮は優しい瞳に変わった。
――桃香も王として成長してるんだな。これなら、私は素直に従おう。
根っこの所は相変わらずでありながらも成長している友の姿を内心で喜びながら、白蓮はこれからの事を同時に考えていた。
最初は不忠を覚悟の上で客将として身を置くだけに留めるつもりであった。しかし今の姿を見て、従ってもいいと素直に感じられた。
これから彼女は桃香を利用する。桃香の元で従いながら幽州を取り戻す為に動く。自分の望みの為に友を利用するのは心が痛む、それでも取り戻したい大切な家だった。
死んでいった兵、心に刃を秘めたまま耐えている部下、自分が帰ってくると信じてくれている全ての者、自分の為にと屈辱に塗れた敗走を共に行った仲間、そして……自分の為に果てさせてしまった大切な牡丹の為にと。
そこまで考えてギシリと心が軋みを上げ、白蓮は震えそうになる拳を気力で無理やり抑え付けた。
自身への憤りは今も尚、彼女を蝕んでいる。首輪を付けた憎しみの心は今もずっと彼女の内から溢れ出たいと喚いていた。
ふいに、人の気配を外に感じて白蓮は扉に目を向ける。
「白蓮殿、入ってもよろしいですかな?」
涼やかな星の声が外から聞こえて、白蓮は桃香に目をやった。コクリと頷いたのを見てから声を返す。
「いいぞ」
「失礼します。……お久しぶりですな、劉備殿」
「うん。久しぶりだね趙雲さん。黄巾以来かな」
挨拶を返し合って、星は白蓮の隣に立った。その美しい立ち姿に相変わらず綺麗だなぁと考えながら桃香はほうと息を付く。
「星、私もお前も負けた身だ。今を以って私の臣たる任を解く」
耳にした二人はそれがどういう意味を為すかをしっかりと理解している。桃香は表情を引き締め、星は一つ目を瞑ってその言葉を噛みしめた。
星は白蓮の心を間違えない。何時かは離れて行く事を約束していて、それが今になったというだけなのだと。力強い瞳を向けられて、目を開いた星は小さく頷きながら見つめ返して自身の想いを視線に乗せて返した。
それでも、形式上は臣では無くとも、自分はあなたの心に忠誠を誓っているのだと。
信頼の絆で結ばれた二人はお互いに言い表せずとも内にある想いを分かり合えた。
ふいと目線を切った白蓮は桃香に向き直って、
「桃香、お前が目指しているモノはなんだ?」
研ぎ澄まされた刃のように鋭く桃香に問いかけた。白蓮は友としてでは無く、公孫賛としてそれを聞いておかなければならない。桃香が表情を引き締めると同時に、星と白蓮は空気が変わったと感じた。
「私は……誰もが笑って暮らせる争いの無い優しい世界を作りたい。私はその世界に生きる事は出来ないけれど、想いを繋ぐ事は出来るからその世界の礎になる、その世界の土台を作るためにこの乱世を終わらせたい」
強い意志を宿した瞳で目指すモノを示されて、白蓮と星は小さく笑う。
どうしようも無く馬鹿げた理想。民の一人一人が願ってやまない理想。久遠の彼方に顕現させる事しか出来ない遥か遠き理想の世界。誰もが願った平穏な世界。
才能も経験も白蓮には負ける。武力も星の方が比べるまでも無く高い。血筋上、漢王朝の姫君である彼女が驕りもせずにそれを目指す姿は、誰もが希望を馳せるモノ。
「そうか……桃香の理想は変わらず、でもしっかりとしたモノになったんだな」
白蓮は前から桃香の理想を理解していたが、彼女が言う事に不安を感じていた。長い付き合いだがどこか信じきれなかった。その理由がなんであったのかに漸く気付いた。
現実的なモノに目を向けて、自身の身を捨ててでもそれを叶えようとする心意気。漸く本物の芯が入ったのだと。
星は目指すモノを聞く前に、前々から桃香に惹かれてもいた。か弱い少女が民の平穏を願って乱世に立とうとするなど並大抵の精神では出来るモノでは無く、それが心の底から生まれ出ずる純粋な思いやりからだと義勇軍時代に見てきたから。
同時に、彼が世界を変えたいと願った意味を彼女なりに理解した。自身が大罪を背負って後の世代に平穏を託す事だったのだと。
「ずっとなんとかなるって考えて進んできた。大将として一番やっちゃいけない事をしてきた。でも後悔しても、自分を責めても誰も帰って来ないし時間は戻らない。だからその命と想いを無駄にしない為に、私が出来る事を精一杯する事に決めたの。バカだって言われてもいい。笑われてもいい。憎まれてもいい。蔑まれてもいい。それでも……バカをやり通してこの世界を変えたい。それが私の決めた事。無駄な争いを望む人を全部止めちゃって、侵略を行う人を全部追い返しちゃって、平和な世界を望む人と協力して、哀しい事をもう二度と起こさせないようにする」
じわりと、桃香の想いが二人に浸透していく。もはやこれ以上語るまでも無かった。
「争いを望まない人と協力して、か。そんな世界になれば……私の家も戻ってくるかな?」
ぽつりと呟いた白蓮。声は震え、瞳は少しだけ潤んでいた。自分が求めて止まない世界はそれであるのだ。白蓮が一番欲しいのは、忙しいながらも笑い合えた楽しい平穏の時間。
「欲の張った人が居なくなったら、絶対に戻ってくるよ。ううん、私に白蓮ちゃんの宝物を取り戻す手伝いをさせて?」
そっと手を重ねられて紡がれた言葉に白蓮は泣きそうになった。利用しようと考えていた自分が愚かしく思えて。それでも泣かず、ぐっと腹に力を込めて桃香を見据える。
「桃香、私はお前に臣下の礼を――」
「そ、そんなのいいよ。平和な世界を目指す仲間として、これから力を貸して欲しいんだ」
慌てて手をわたわたと振って、後に満面の笑顔で言われて、一瞬呆気に取られた白蓮であったが、どこまでいってもこいつは桃香なんだと思い知ってクスリと笑った。
「相変わらずお前は……まあ桃香らしいか。ありがとうな、これからよろしく頼むよ」
ギュッと重ねられた手を握り返して、白蓮は桃香に満面の笑みを返した。
「クク、秋斗殿は大概に変な方ですが……あなたも相当ですな」
喉を鳴らして苦笑した星はそのまま、礼は要らないと言われたので自然体のままで言葉を続ける。彼女の心の主は白蓮ただ一人であり、それを曲げるつもりはもはや無いというのも一つ。
「姓は趙、名は雲、字は子龍……真名を星と言います。この槍、あなたの描く未来の為に振るわせて頂きたいが……如何に?」
「ありがとう。私の真名は桃香。これからよろしくね、白蓮ちゃん、星ちゃん」
星とも握手を交わして、そのまま白蓮達と話をしようと思った桃香であったが、仕事がある事とここに来る前に朱里から言われた事を思い出してそれを諦めた。
「今はまだ戦の最中だから長い時間はここにいれないんだ。秋斗さんと鈴々ちゃんと雛里ちゃんが頑張ってくれてるし、その交代で私と愛紗ちゃん、朱里ちゃんがこれから戦場に向かう事になってるの」
そんな忙しい状態の時に自分達の為にここに来てくれたのかと白蓮と星は心が温かくなった。そして星の頭に一つの考えが過ぎる。
「桃香殿、私も共に戦場へと赴いてもよろしいか?」
「ええ!? ここまでずっと戦ってきたんだから無理しないで本城で休んだほうが……」
驚愕に目を見開いた桃香と白蓮であったが、白蓮だけは星の想いを理解した。
どれだけ彼に会いたいかは知っている。どれだけ寄り掛かりたいかも知っている。でもそれは、星が星として立っている為には、今はいらないモノなのだと。
「私からも頼む。星の力は役に立つからさ。連れて行ってやってくれ」
「そりゃあ助かるけど……でも星ちゃんは秋斗さんと話さなくていいの?」
「いいのですよ。白蓮殿は政務等をしっかりと出来ますが私は武人。戦場こそ仕事場であり、早くこの軍にも馴染まなければなりませんから」
本当の気持ちを隠す辺りが星らしい、と白蓮は少し呆れたが何も言わずに桃香を見つめた。
「……うん、分かった。じゃあ明後日の昼にはここを出るからね。兵の割り当ては行軍中に愛紗ちゃんや朱里ちゃんと話し合って決めようか。白蓮ちゃんは本城でゆっくり休んでて。一刻も早く戦を終わらせて帰ってくるから。じゃあ持ってきた仕事の書簡、終わらせてくるね」
これで話は纏まったと桃香は立ち上がって、持ってきた政務の書簡を終わらせる為に置いてある部屋に向かおうと出て行く途中で、
「あ、そうだ。夕食は一緒に食べようよ! 栄養のあるモノ、準備して貰うからさ」
振り返って言葉と共にウインクを残して去って行った。ほんわりした桃香が去った事によって静かな、それでいて居辛くない沈黙が部屋を包む。
「ふふ、こういうのも悪くないな」
「そうですな。桃香殿の想いが大陸を包み込めば、平和な世界を作れましょう」
「秋斗もずっとそれを目指して戦ってきたんだなぁ」
星と白蓮は穏やかな表情で目を合わせて一人の友の事を考えながら、戦で疲れ果てて張りつめた心を落ち着かせていった。
ただ、彼女達は知らない。彼の望みが今の桃香の望みとは決して相容れない事を。
彼が彼女達の一番嫌うモノを進んで行う男だと言う事を。
静かに、少しずつ、彼の周りの歯車は軋み始めた。
後書き
読んで頂きありがとうございます。
今回の話では桃香さんの理想の姿をよりしっかりと明らかに。
明確な答え、とまでは言えませんがほぼ確固たるモノになっています。
お気づきの方もおられると思いますが、この理想は原作蜀ルートで御使いがいて最後に完成した理想の姿のようなモノです。
三国前のこの時点でそこまで到達できたのは一重に現実と直面させられてきたから、と言えるでしょう。
温い蜀ルートを現実主義に叩き込んでいるわけですが、これから物語が大きく動きます。
桃香さんは特に原作のままであるようにを意識して描いておりますので違和感が薄ければ幸いです。
補足ですが、この物語での現在の桃香さんはサボったりもせず勤勉で仕事をしっかりとこなす人物に成長しております。
星さんは原作での呼び方では無く『桃香殿』にしました。
臣下では無く仲間らしいので。公的な場では変わります。
ではまた
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