偽りの涙
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第三章
第三章
「やはりな。この杯も」
次に銀の豪奢な皿を手に取る。それもであった。全てが彼の睨んだ通りであったのだ。
「間違いないのう、これではな」
彼には全てがわかった。それでまずはユリニウスに言った通りに美酒に御馳走を楽しんだ。暫くするとまたユリニウスが彼のところにやって来たのであった。
「それでは先生」
彼は笑顔で師のところにまたやって来て声をかけてきた。
「今度こそ宜しいでしょうか」
「うむ。それにして」
「何でしょうか」
「御前は最初の頃からせっかちじゃったが」
ここでは純粋に苦笑いになっていた。
「今も全然変わっておらんな。困った奴じゃ」
「すいません」
「謝ることはない。しかしじゃ」
「はい」
ユリニウスに対して話を続ける。
「少し借りたいものがあるのじゃ」
「何でしょうか、それは」
「まずはこれじゃ」
自分の持っている銀の杯をユリニウスに見せてきた。
「杯をですか」
「そしてこれじゃ」
今度は側にあった銀の皿を。どちらも出してきたのであった。
「両方少し借りたい。よいか」
「別にいいですが」
ユリニウスは師に応えながらも少しいぶかしむ顔になっていた。
「また。そんなものをどうして」
「御前に見せたいものがある」
真剣な顔で述べてきた。
「そしてここにいるお客人達にもな」
「お客様にもですか」
「それでよいか」
ここまで話してあらためてユリニウスに問うのであった。
「別に悪いことではないからのう」
「はあ。別に構いませんが」
師のその行動の意味について考えながら、それと共にどうしてそんなことを言うのかわかりかねながら彼に対して答えるのであった。
「先生がそう仰るのなら」
「有り難い。では御前の奥方のところじゃな」
「はい」
ユリニウスの顔からいぶかしむものが消えて明るくはっきりしたものになった。
「それでは御願いします。こちらです」
「それ程素晴らしい方じゃな」
「まるで王族の様に気品があり」
「そうじゃろう」
何故かアポロニウスはそれを察しているのだった。
「女神の様に美しいです」
「そうであろうな。ではその御婦人を」
「ええ、是非共」
弟子に案内されて宴の場の中心に向かった。見ればそこには白い晴れの服に身を包んだ妙齢の美女が気品のある笑みを浮かべて立っていた。
黒く直線的な長い髪を垂らし黒く切れ長の強い光を放つ目を持つ美女であった。そしてその鼻は高く肌はギリシア人のそれと比べるとやや褐色を帯びている。背は高く彫刻を思わせる容姿をしており自信に満ちたような姿を見せていた。そうした明らかに異国風の鮮やかな美女であった。
その美女がユリニウスの紹介でアポロニウスに紹介された。まずは彼女からその気品のある笑みで彼に挨拶をしてきたのであった。
「はじめまして」
「はい」
アポロニウスは彼女を見据えながら挨拶を返した。それが終わるとすぐにユリニウスがアポロニウスに対して言ってきたのであった。
「何度もお話していますが私の妻です」
「になる方じゃな」
「そうです。如何でしょうか」
言葉を訂正しながら師にまた問うのであった。
「この方は」
「美しいな」
それは素直に認めた。
「そうでしょう。これ程美しい方は私は見たことがありません」
それがユリニウスの自慢のようであった。しかしアポロニウスは今は笑ってはいなかった。警戒する顔でじっと美女を見ているだけであった。
「ですからこうして」
「人のものとは思えぬ」
ここでアポロニウスは言うのだった。
「全く以ってな」
「そこまで褒めて頂けるとは」
「違う」
だが今度は否定する言葉を出した。
「それはな」
「!?一体どうされたのですか?」
ユリニウスはここでも師の言葉の意味がわかりかねた。今度は目をしばたかせる。
「また。先生らしくもない」
「ユリニウス。そして皆様方」
だがアポロニウスは弟子のその言葉には答えずに彼と客人達に対して声をかけてきた。そうしてここでその両手にそれぞれ持っていた銀の杯と皿を上に掲げてみせるのであった。
「これは銀ですな」
「はい」
「確かに」
ユリニウスも客人達も彼の言葉に答える。
「それが何か」
「あるのでしょうか」
「とくと御覧あれ」
それがアポロニウスの彼等の言葉であった。そう言うと杯と皿を上に向けて放り投げて見せたのである。
「先生、何を」
「そんなことをすれば折角の銀に」
傷がつく、と皆言いたかった。しかしここで誰もが、アポロニウス以外は思いもしなかったことが彼等の目に映ったのであった。
何と銀の杯と皿が落ちて来ないのだ。そのままふわふわと羽根の様に左右に揺れる。そうしてゆっくりと地上に舞い降りようとしているのであった。
「これは一体・・・・・・」
「どういうことなのだ」
「これには事情があるのです」
アポロニウスは宙にふわふわと揺れる杯と皿を指差して周りの者に告げた。
「事情とは」
「これが人の仕業ではありませぬ」
次に美女を見た。人々の視線がそこに集まるのをわかったうえで。
「人の仕業ではないとすれば」
「異形の者。そう」
そして言う。
「ラミアの仕業です」
「ラミア!?まさか」
「そう、そのまさかです」
また周りの者に答える。そうしてラミアの説明をはじめるのだった。
「かつてエジプトの王女でありゼウスと結ばれ多くの子をもうけた絶世の美女。しかしそれに嫉妬したヘラにより子を、これから産む子も全て殺され眠りさえ奪われ半人半神の異形の魔物となり人を貪り食う魔物と化した女」
それがラミアなのであった。
「それこそがこの女なのです」
「馬鹿な」
ユリニウスが思わずそれを否定にかかった。
「ラミアなぞ。彼女が」
「では聞こう」
必死に否定しようとする弟子に対して問う。
「今の様に。舞う銀の食器はあるか?」
「それは」
「ないな。そういうことだ」
言葉はユリニウスにとってあまりに厳しいものであった。しかしアポロニウスが嘘を言うような人間でないことは弟子である他ならぬ彼が最も知っていることであった。
「そうですな」
アポロニウスは今度は婦人、つまりラミアを見た。そのうえで彼女にも問うたのである。
「貴女は人ではなく。ラミアですな」
「それは」
「誤魔化すことは出来ませんぞ。何故なら」
ここでもう一つ指差すものがあった。それは。
「貴女の影。それは」
「影!?一体今度は」
「何事なのか」
人々はアポロニウスの言葉にいぶかしむ。アポロニウスが指差したのはラミアの影であった。見ればその影というものは。
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