皇太子殿下はご機嫌ななめ
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第54話 「ラインハルトもご機嫌ななめ」
前書き
かわいそうな、やさぐれラインハルト。
第54話 「なんてこったい」
オットー・フォン・ブラウンシュヴァイクだ。
皇太子殿下のご命令によって我々は、自由惑星同盟の首都星であるハイネセンへ向かう事になっている。
それにともないラインハルトに久しぶりに実家へ帰って、親に顔を見せてやれと言ったところ、複雑な表情を浮かべよった。
父親と蟠りがあるらしい。とはいえ暗殺の危険がないとはいえぬ。
これが今生の別れとならぬとも限らぬのだ。
死んでから後悔しても遅い、と説き伏せて家に帰らせた。
帰ってきたラインハルトが、何をどう話し合ったのかまでは分からぬが、帰る前以上に複雑な表情であったのが不思議だ。
ただ一言。
「姉と母はそっくりだったのか」
と、ぼそり言ったのが印象的であった。
■オーディン ブラウンシュヴァイク邸 オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク■
「アンスバッハ。アンスバッハはおらぬか!」
ラインハルトを連れてわしは家に帰ってきた。
自由惑星同盟に向かうための準備が必要だ。いかにラインハルトが皇太子殿下に目を掛けられているとはいえ、実家は貧しい貴族とは名ばかりの家柄だ。
当然、金はない。
帝国を代表して敵国に向かう。その為の支度などできようもない。
着るもの一つにしても、金に飽かせて贅沢すれば良いというものではないが、それでも代表として恥ずかしくないものでなければならぬ。
見てくれ一つにしても決して疎かにしてよいものではないのだ。ましてやラインハルトは貴族の上に君臨するにせよ、敵対するにせよ、貴族というものを動かす身。
貴族の在り様や公的なマナーを身につけねばならん。それはラインハルトにとって武器になろう。
ラインハルトはこの辺りを知らぬ。
解っていない。
いや、頭では解っているのだろう。
しかし実感として感じ取っていない。
それではいかぬ。
いかぬのだ。
わしが教えてやらねばならん。
「公爵様」
足早にアンスバッハがやってくる。
我が家のメイド達が何事かと顔を覗かせている。中にはラインハルトに目を奪われている者もおる。まあラインハルトは見た目が良いからな。それもわからぬ話ではない。
「アンスバッハ。こやつが私と共に自由惑星同盟に向かう、ラインハルト・フォン・ミューゼルだ。支度を手伝ってやってくれ」
「はっ」
恭しくアンスバッハが頭を下げる。
うむ。ラインハルトに対しても礼をとっておるな。
一目でラインハルトの立場を理解したようだ。よく気のつく男だ。
「ラインハルト。そなたもアンスバッハに支度を手伝ってもらうようにな」
「は、はい」
うむ。目を丸くしておるようだが、ラインハルトもそれなりに自由惑星同盟に向かうという事が、どれほどの大事なのか理解しておるようだ。結構結構。
「あなた、どうなさったの」
「あっ、ラインハルト」
騒ぎを聞きつけたのか、アマーリエがエリザベートの手を引いて、姿を見せた。エリザベートがラインハルトに気づいて嬉しそうに顔を綻ばせる。
「アマーリエ。ラインハルトは私と共に、自由惑星同盟首都星ハイネセンに向かう事になった。その為の支度が必要なのだ。手伝ってやってくれ」
「まあまあ、そうでしたの」
アマーリエは目を丸くして驚いていたが、ラインハルトに向き直ると、優雅に一礼して見せる。
「アマーリエ・フォン・ブラウンシュヴァイクですわ。初めましてラインハルト・フォン・ミューゼル」
こうして見るとやはりさすが宮廷育ちだ。
身のこなし方が洗練されている。思えば皇太子殿下もそうであった。士官学校時代の皇太子殿下は誰よりも貴族らしくあられた。洗練された優雅さを持ち、マナーも完璧だったのだ。
だからこそ皇太子殿下が貴族の在り様を否定されても、誰もが口を噤まねばならなかった。
貴族というものを説ける者がいないのだ。
「卿が私に貴族というものを説くのか、ずいぶん偉くなったものだな」
そう言い返されるのが目に見えている。
そしていったい誰が、誰よりも貴族らしくあられた皇太子殿下に、貴族の在り様を教える事ができよう。ラインハルトも同じようにならねばならぬ。
貴族を知り、完璧にこなす。それは武器になる。そうなれば誰も逆らえぬ。
その上で、貴族を踏み潰す。
あのお方の悪いところを学ぶ必要はないが、武器は手に入れるのだ。
それを私が教えてやろう。
■ブラウンシュヴァイク邸 ラインハルト・フォン・ミューゼル■
ブラウンシュヴァイク邸に来てからというもの、やる事は自由惑星同盟に向かうための準備だけではなかったのだ。
いやこれも準備の一環なのだろう。
挨拶の仕方。礼の言い方。動作など覚える事は多々あった。
ブラウンシュヴァイク公爵は二言目には武器を手に入れろと言う。何の事だと思ったが、貴族を相手にしていくために必要な事なのだとすぐに気づいた。
思えば公式な席であの皇太子が同じように行動していた。
誰よりも貴族らしく振舞える。貴族にとってはやりにくい相手なのだろう。
貴族の常識を持って逆らえない。
貴族は、貴族というものは、などと皇太子の前では口が裂けても口にできない。
それを誰しもが理解している。
そのような者になれとブラウンシュヴァイク公は言っている。
「貴族というものを知らずして、動かすのではない。知った上で踏み潰すのだ」
そうでなければ、気づかぬうちに強かな貴族の思惑に嵌ってしまうぞ。
そうブラウンシュヴァイク公が言う。
帝国改革とは、貴族の思惑をいかに自らの望む方向に動かすのか、だ。単純に潰して終わりにはできない。
「それを皇太子殿下も解っておられる」
少なくとも平民の教育問題が解決せねば、代わりがおらぬとさえ言っていた。
代わりか……貴族並みに教育水準の高い者。
フェザーンか、もしくは同盟の者か、どちらにしても帝国を好き勝手にされてしまうだろう。
それならまだ貴族の方がマシというものだ。迂遠な話だが、必要な事なのだろう。
そうしてお茶会などというものを屋敷の片隅で行っている。
俺の前にはブラウンシュヴァイク公。左隣にはアマーリエ侯爵夫人、右隣にエリザベートが座っている。
皆、上品に振舞っていた。俺より年下のエリザベートすら上品に見える。
こうして見ると幼年学校で、貴族の子弟に貴族とは名ばかりの貧乏貴族と馬鹿にされていた理由が解る。動きや食べ方など下品に見えていたのだろう。品性はともかく、食べ方などは目立つ部分だ。
なるほどこういった形式が重要視されるのだな。
そしていつしか形式が完璧にこなせる事が貴族の嗜みになっていった。
個人の能力ではなく、形式をうまくこなせる者が上に行く。
貴族の弊害というものだ。形式もうまくできないくせになどという貴族たちの反感を買うな。人間の感情というものは中々複雑なものだ。どんな良い事でもあいつが提案するなら、反対する。その結果、今より悪くなってもかまわない。笛吹けど誰も踊らずか。
そういう感情を人は持つ。持っているものだ。
その点をあの皇太子はうまくやっている。完璧にこなせる、誰よりも、その上で否定するか……。
なんでもかんでも壊せば良いというものではない。壊した後のことも考えろ。
そうブラウンシュヴァイク公は教えてくれているのだろう。
お茶会の後、俺はブラウンシュヴァイク公の書斎に連れてこられた。広い部屋の壁に沿って設置された書棚。それを歩きながら見ていく。
書棚には代々集めてきた書籍が収められていた。
中には禁書とされたものさえある。
「良いか、ここには政治経済に関するものが多くある。かつて統一された地球時代のものさえ、な」
よく読んで学べと言われた。
五百年前と同じようにこれから銀河は統一される。その時に必要になるのは、かつてと同じ統一された国を運営していくための知識。
誰も体験した事のない未来。統一国家の在り様を過去に遡って見つけなければならぬ。
手がかりを見出せ、と言ってくる。
「ここからですか?」
「ここからだ。おそらく皇太子殿下もノイエ・サンスーシの図書から学ばれたはず。学ぶのだ」
「はい」
天井まで届く書棚を見上げながら返事を返す。
知識を身につける。身につけなければならない。統一された国の運営など、誰にも分からない。知らないのだ。生まれたときから、いや生まれる前から戦争は続いている。
平和というものさえ知らない。
統一国家。
それが現実のものとなろうとしている。
どうすればいい。どうやればいい。
答えは誰も知らない。分からない。
それでもやる。やっていく。そうでなければあの皇太子には勝てない。
ようやくあの皇太子が見ているものの一端が見えたような気がした。
■ブラウンシュヴァイク邸 オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク■
私室で一人ブランデーを傾ける。
ラインハルトはまだ、書斎で本を読んでいるらしい。結構な事だ。後で夜食を届けるように言っておかぬとな。年若く脳も柔らかい。物覚えも良かろう。
こうして物思いに耽っていると、様々な思いが揺らめく様に琥珀色の中に浮かんでくる。
ラインハルトに貴族の在り様を教える。
いや帝王学というものを、だ。
なぜ、皇太子殿下がラインハルトを傍に置いているのか?
アンネローゼの弟だからか?
違う。違うはずだ。
皇太子殿下はラインハルトの事をなんと言われた。
ラインハルトには軍事の才能がある、天才と言っても良い。そう言われた。
才能があるのだ。
帝国を動かすほどの。帝国を一変してしまえるほどの才能がある。
だが今のままではダメだ。
今のままではただ壊すしかできない。
新しい帝国を作り出すことができない。新しい帝国の在り様が想像できていない。
これでは皇太子殿下の跡継ぎにはなれぬ。
新しい帝国など私にも分からぬが、それでも未来の帝国。それを動かす陣営ぐらいは想像できる。
おそらく皇帝にはエルウィン・ヨーゼフ殿下がなられるだろう。
帝国宰相はマクシミリアン殿下。
となれば国務尚書はラインハルトだ。
キルヒアイスではラインハルトに遠慮するであろう。いや軍務尚書にラインハルトでも良いな。
それなら国務尚書にキルヒアイスを持ってこれる。キルヒアイスは内務尚書でも良いが。そうなればやはり国務尚書にラインハルトか……。
マクシミリアン殿下、ラインハルト、キルヒアイス。この三人は仲が良い。
うまくやっていけるだろう。
三人がエルウィン・ヨーゼフ殿下を支える事ができれば、言う事はない。
なによりエリザベートにふさわしい男になって貰わねばな。
ブランデーの表面に顔が映る。笑みを浮かべていた。
■ブラウンシュヴァイク邸 ラインハルト・フォン・ミューゼル■
「公爵様、ここにおられたのですか?」
「うん? おおラインハルトか。どうしたのだ?」
俺が部屋に顔を出すと公爵は、ソファーに座り込んでブランデーを飲んでいた。父も酒を飲んでいたが、そんなにおいしいものなのだろうか?
「少しお聞きしたい事があります」
「言ってみるが良い」
公爵の前に座った。
宮廷闘争というものを公爵はどう考えていたのだろうか?
門閥貴族の雄としか知らなかったが、昨今のブラウンシュヴァイク家やリッテンハイム家は、帝国改革の旗手として活き活きと活躍している。今となってはそれが妙に気に掛かる。
「それはな、今までは宮廷での位置が、そのまま帝国内での立場であったのだ」
「そうなのですか?」
宮廷での位置か、そのような事考えた事も無かった。
「私は帝国軍上級大将だ。戦場に出た事はない。しかし上級大将だ。宮廷序列がそのまま軍の位にすら当てはまった。とすれば貴族ならば誰しもが、序列を上げる事を目指すであろう。ブラウンシュヴァイク家も同じであった」
確かに宮廷序列が軍のみならず、全ての地位に直結するなら、まずは宮廷序列を上げる事を目指す。不思議ではないな。
「そして今までの帝国には確固たる中心がなかった。忠誠心の対象となるべきお方が不在であったのだ」
「それは……」
「なにを驚いておる。現皇帝陛下は灰色の皇帝と呼ばれていた。特に何をしたという訳はない。そういうお方だ」
「それは不敬と取られるかもしれませんが」
「ふむ。確かにそうであろう。しかし誰しもが内心ではそう思っておる。そんなお方に忠誠を誓えるか? 帝国自体に忠誠を誓えても、皇帝陛下には忠誠を誓えぬのだ。行き場のない思いが自家の繁栄を求めた」
ブラウンシュヴァイク公はブランデーグラスを見つめている。
不思議だ。俺がこんな話を公爵と話す事になるとは思ってもいなかった。
「言うなれば、行き場のない思いが自分の家に向かったのだな。自家の繁栄こそが自らの忠誠心の証。家に対する忠誠心の現れだと。だがそこに……」
「皇太子殿下が登場した」
「そうだ。ルードヴィヒ皇太子殿下が立たれた。帝国貴族の約半数は歓喜したぞ。自分たちが長年望んだ忠誠心の対象が現れたのだ。ラインハルトは知らぬであろうが、帝国改革がこれほどまでに進んでいるのは、皇太子殿下が主導しておるからだ。望み続けていた君主のお言葉だからだ」
中心の不在。そして登場。自家の繁栄を望む思いがそのまま改革へと向かっている。
「人間というものは不思議なものでな。自己中心だけでは生きていけぬのだ。心の拠り所というか、自己投影できる対象を欲する部分もある。それは理想であったり、誰かであったりと様々だが、やはり一人では生きていけぬという事か」
そうかもしれない。俺だってキルヒアイスやあんな風になっても姉がいなければ、おかしくなってしまうだろう。
「宮廷闘争も同じよ。敵がいる。相手も同じような思いを持っておる。敵同士であると共に戦友でもあるのだ。なによりも心強いであろう」
「貴族の中でも好き勝手に振舞っている者もいるようですが?」
ふいにある女性の顔が浮かんだ。女傑と呼ばれる女性だ。黒い髪と黒い瞳、象牙色の肌の歴然たる美人とのもっぱらの噂だった。
「ヴェストパーレ男爵の娘か」
「え、ええ。そうです」
そう言うと公爵は皮肉げに笑った。
「あれはな、見世物よ。珍獣の一種だ」
「見世物? 珍獣?」
「そうだ。あれが本当に噂の如き女傑であったなら、ヴェストパーレ男爵家は宮廷で確固たる地位を占めておるはずだ。地位もなく権威もない。そんな相手を持ち上げておるのは相手が無害だからだ。あれのサロンに足を運ぶ者の中で、本気であれに惚れている貴族などおるまい」
「そうなのですか?」
「そういうものだ。あれを見本にするより、ヨハン・フォン・クロプシュトックを手本とした方が良い。あやつは帝国における教育改革を主導しておる。そして大勢を巻き込む力がある」
なぜだろう。ブラウンシュヴァイク公の言葉に傲慢さは感じられない。
それどころか切実さすら篭っているようにも思える。
「しかしな」
公爵が顔を上げ、俺を見つめてくる。
酔っているとは思えないほど、真剣な眼差しだ。
思わず姿勢を正したくなるほどだった。
「そなたはヨハン・フォン・クロプシュトックになってはいかん。教育問題のみを主導すれば良いというものではないぞ。帝国すべてを見通さねばならぬのだ。全てをだ。そなたの両肩に帝国が圧し掛かると思うのだ」
「そ、それは……」
そう言うのが精一杯だった。
帝国を背負う。その重みがいきなり両肩に圧し掛かってきたような気がした。あまりの重みに呻きたくなる。それでも毅然と顔を上げ、公爵と相対する。
「そうだ。それでいい。そなたにはそれができる。できると思うからこそ言うのだ」
冗談事ではなく、帝国宰相になるつもりで精進せよと言いきられてしまった。
いずれは皇帝にエルウィン・ヨーゼフ殿下。帝国宰相はマクシミリアン殿下。国務尚書に俺、そして内務にはキルヒアイス。この四人で帝国を動かす事になる。
帝国を動かしていかねばならぬと公爵が言う。
そうか、そうだったのか。俺をブラウンシュヴァイク家に連れてきたのは、自由惑星同盟に向かうための準備だけでなくて、この為でもあったのかっ!!
これにはおそらく皇太子の意向もあるのだろう。
それに以前、皇帝陛下に言われた事も思い出してしまった。
ルードヴィヒの後を継げ、か……。
いつの間にか、帝国の中心に据えられてしまったのだな。
できるのか俺に? いやそうじゃない。やる。そうだ。やるしかない。
愚痴など言っている暇はない。何のかんの言ってもあの皇太子は、問題から逃げずに立ち向かっているじゃないか、やつにできる事が俺にできないはずはないっ!!
そう思わないとやってられない。いいだろう。やってやろうじゃないか。
あー皇太子がやさぐれるのも分かるような気がしてきた。
なんてこったい。
後書き
友人Aの家を襲撃。
嫌がるAに襲い掛かり、そして無理矢理……。
「よいではないか、よいではないかー」
「いやぁ~」
「口では嫌がっても、体は正直」
「この体には悪魔が棲んでるのね……」
それはもう少し色っぽいシチュエーションで使う決まり文句と言いつつ、
豚まんを差し出す私。
さー夏に向けて、今からダイエットだー。
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