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無名の戦士達の死闘

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第一章


第一章

                   無名の戦士達の死闘
「監督・・・・・・」
 藤井寺球場の一塁側ベンチに陣取る西本幸雄に声をかける男がいた。
「どないした」
 西本は声のした方を振り向いた。
 近鉄バファローズを率いる闘将西本幸雄。かって大毎、阪急を率い両チームを優勝に導いた男である。立教大学時代には主将を務め戦争中は高射砲部隊の将校であった。戦争後アマ球界を転々とし選手達の食べ物を必死に調達しながら野球を続けていた。そしてプロ野球界に入り毎日の一塁手となった。
 それからコーチを経て毎日が大映と合併し太毎となると昭和三五年監督となった。そして就任一年目にしてチームを優勝させた。だが日本シリーズでは魔術師三原脩の知略の前に一敗地にまみれ監督を解任された。
「全力で走ったがアンパイアはアウトを宣告しおったわ」
 彼は解任された時そう言った。第二戦でのスクイズ失敗をオーナーである永田雅一に責められたのだ。
 そして阪急のコーチになり監督となった。弱小であった阪急を一から鍛えなおし五度の優勝に導いた。
 だがその時球界に君臨していたのはあの巨人であった。王や長嶋を擁し圧倒的な戦力を誇る巨人の前に常に破れ続けた。
 とりわけ昭和四六年のシリーズは今でも語り草になっている。阪急の若きエース山田久志。彼は第三戦で九回まで好投を続けていた。
「今日は阪急の勝ちやな」
 誰もがそう思った。だがそこに魔物が潜んでいた。
 エラー等でランナーを二人背負った。そしえ左打席に王が入った。
 山田は投げた。王のバットが一閃した。
「あの時の打球はとても忘れられるもんじゃない」
 この試合でライトを守っていた阪急のスラッガー長池徳士は言った。王の打球は後楽園のライトスタンドに突き刺さっていったのである。
 そして勝負は決した。試合だけではなかった。シリーズ全体も決めた一打であった。
 山田は立てなかった。数多くの本塁打を浴びてきた彼だがこの時は流石に立てなかった。
 そんな彼を迎えに来たのが西本であった。彼は鉄拳制裁で知られる厳しい人物であったが同時に温かい心も持っていたのである。
「写真でセーフでも選手達がアウトと言うからアウトなんだよ」
 昭和四四年のシリーズではこういう発言もした。巨人の土井正三のホームを阪急の捕手岡村浩二がブロックした。土井は後ろに吹き飛ばされた。誰が見てもアウトであった。
 だが審判はセーフと判定した。これに球場は騒然となった。
 とりわけ岡村は激昂した。何しろ自分がブロックしたのだから。審判に暴行を働き退場となった。シリーズ唯一の退場である。
 このブロックが決め手となった。巨人は攻勢に出て試合を決めた。そしてシリーズの流れも決まった。
「あの審判を叩き殺せ!」
 阪急ファン達は激怒した。彼等の多くは関西人である。ただでさえ巨人を忌み嫌う土地柄である。しかも当時は今よりも遥かに巨人寄りと言われる審判が多かった。その代表として昭和三六年のシリーズでの円城寺である。彼はその試合で今尚疑惑と言われる判定を行なっている。
 だが翌日の新聞では土井の足は岡村のブロックをかいくぐりホームを陥れていた。土井の見事なかいくぐりであったのだ。
「だがね、選手達はそう言ったんだよ」
 彼はそれを見てもあくまでそう言った。彼は選手達を心から信頼していたのだ。
 阪急はこうして五度のシリーズ全てに敗れた。西本は昭和四八年プレーオフで野村克也率いる南海の奇計の前に敗れると阪急の監督を退いた。そして今度は近鉄の監督になった。 
 近鉄はこの時弱小球団に過ぎなかった。阪急と同じく人気もなく誰も振り向くことはなかった。
「御前等のことはよう知っとる。だから来たんやからな」
 西本は選手達を前にしてそう言った。そして再び拳骨と熱い心をもって選手達を一から鍛えなおした。
 それから五年経った。近鉄は今この試合に勝てば三年振りにプレーオフに進出することが出来る。
 思えば長かった。前回の昭和五〇年は敗れている。今度こそは勝ちたかった。しかし
「鈴木の身体がカチカチです」
 そこにいたのは近鉄のトレーナーであった。彼は西本に対し青い顔をして報告した。
「そうか」
 西本はそれを聞いて一言そう言うと静かに頷いた。
 鈴木啓示。近鉄、いや球界を代表する左腕である。彼はこの試合の先発であった。
 『草魂』これは彼が作った言葉である。彼は自宅のベランダにコンクリートを突き破って生える草を見てその言葉を作ったと言われている。
 
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