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マウンドの将

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第一章


第一章

                     マウンドの将
 野球において最も重要なポジションとは何処か。
 多くの人はこう尋ねられたらピッチャーと答えるであろう。それ程までに投手とは野球において重要である。
 近代野球においては総合力が求められる。守備、走塁、打線、采配・・・・・・。パワーヒッターばかり集めても勝てるものではない。それがわからないで野球をしていると負ける。
 中でも近年注目されているのがキャッチャーである。俗にいいキャッチャーがいるチームは負けないと言われる。それの代表がかっての西武でありヤクルトであった。伊東や古田のそれぞれのチームにおける重要性は最早言うまでもないだろう。とりわけ古田は日本の野球の在り方を変えたと言ってよい。 
 その二人を育てた二人の監督もまた捕手出身であった。森祗晶と野村克也。共に長い間巨人と南海において正捕手を勤めチームを優勝に導いた。そして監督としても何度も日本一の栄冠に輝いた。
 この二人はよく言われるように似ている。知将であり感情に走らない。采配はオーソドックスであるが時として思いもよらぬ奇計を用いる。俗に『知将』と呼ばれる。
 野村と長嶋茂雄の関係は有名であるが実は森は長嶋とは仲がいい。長嶋が監督に復帰した時は雑誌で対談を行いエールを送り合っている。シリーズにおいても互いを称え合っている。だが森と野村はそれ以上の同志的絆で結ばれている。それも彼等が捕手出身であるからだ。
 その二人が口を揃えて言う言葉は守備の強化である。まずはキャッチャーを中心とした野手の守備力。彼等の特徴はまずこれを確固たるものにしようとすることである。
 それから投手である。彼等は投手の重要性を認識はしている。だがまずはあくまで野手を求める。これは今までの野球からは考えられないことであった。まずはピッチャーであったのだから。
「ピッチャーちゅうんは我が儘な奴等や」
 野村がこう言えば森も言う。
「投手というのは身勝手なものだ」
 彼等はキャッチャーとして長い間投手と対峙してきた。それからくる考えであろうか。そして口を揃えてこう言う。
「プライドが高くて自己顕示欲も強い。要するにお山の大将だ」
 彼等はとかくピッチャーを批判する。ましてやそれが監督であった場合には特にだ。
 野村は97年のシリーズにおいてまずこう言った。
「あいつは野球を知らん」
 あいつとは相手の西武ライオンズを率いる東尾修である。長い間西鉄、太平洋、クラウン、そして西武においてエースを勤め名球界にも入っている。そして西武をリーグ優勝に導いている。高校時代は四番エースとして甲子園にも出場した。そうした経歴が強烈なプライドとなっている男である。
「あの爺そんなこと言ったんか!」
 これを聞いて東尾は激怒した。元々短気で有名な人物である。
 彼は怒りを爆発させたままシリーズに向かった。それこそ野村の思う壺であった。
「何も心配することあらへんわ」
 野村はこう言った。世間はヤクルト有利と見ていた。確かにこの時の西武とヤクルトの戦力差はかなりのものであった。しかしそれ以上の差があると世間は見ていた。
 それは勝負の結末ではっきるした。ヤクルトは危なげなく勝利を収めていき西武を四勝一敗であっさりと退けた。結果を見て驚く者はいなかった。皆当然だと思った。
「完敗だな」
 東尾は宙に舞う野村を唇を噛み締めながら見てそう呟いた。全てにおいて負けた勝負であった。
 この年ヤクルトは勝利の美酒を快くまで味わった。野村ID野球の面目躍如であった。
 だが翌年もそうなるとは限らないのが野球である。翌年横浜ベイスターズの監督に権藤博が就任した。
 かっては中日のエースであった。『権藤、権藤、雨、権藤』という程投げ続けた。そして二年連続三十勝という記録を打ち立てた。しかしそれにより野球生命を縮めてしまった。
 以後は投手コーチに就任した。中日、近鉄、ダイエーにおいてその手腕は多いに発揮された。
「投手の肩は消耗品である」
 彼の持論はこれであった。酷使され潰れた自らの現役時代からくる経験であろうか。練習においても投げるよりはランニング等に重点を置いていた。
 そして彼は投手の側に立った采配をした。四球を怖がらさせず心地良く投げさせた。そして流れを重視しバントや盗塁を少なくした。切れ目なく打っていく打線、『マシンガン打線』はここにもあらわれていた。
 『権藤イズム』と呼ばれる。その自由放任主義で選手の自主性に任せた指導はミーティングの少なさにも出ていた。それを見て真っ先に口を尖らせたのが野村であった。
「あんなんで勝てるわけあらへんやろが」
 彼は事あるごとに権藤を批判した。森も同じであった。口にはそれ程出さないが露骨に嫌った。彼等から見れば権藤のやり方は将にピッチャーそのものであった。
 だが権藤はそれに対しては反論は一切しなかった。
「言わせたい人には言わせておけ」
 そういった態度であった。権藤はそれでペナントに入った。
「監督になってまだ一年だしな。打線のことは殆どコーチや選手に任せているよ」
 彼は素っ気なくそう言った。これもまたチームの全てを統括し指示を出す野村や森のやり方とは全く違っていた。
「ほんまに野球を知らんのお」
 野村はまた言った。とかく権藤を何かにつけ批判した。長嶋に関しても批判も相変わらずであったがそれと同じ位権藤へも口撃を集中させた。
「打線は水物だ。まずはバッテリーを軸とした守りだ」
 これも野村や森の思想とは微妙に異なる。そして自分を監督と呼んだ場合罰金を取ったり夜間練習をしなかったりといったことも彼等の考えとは異なっていた。何処までも彼等と権藤の野球に関する思想は異なっていたのである。
「ミスを恐れるな。ただ全力でプレイしろ」
 権藤はこうも言った。敵のミスにここぞとばかり付け込むのが野村、そして森の采配の特徴である。ミスをしなければするように仕向ける。そしてそこから突破口を築く。これで長嶋はどれだけ負けたかわからない。
 それだけにミスの恐ろしさもよく知っている。野村、森はミスを嫌った。
 そうした野村や森の批判を権藤はものともしなかった。そしてそうした姿勢に深く共鳴する者もいた。
「流石は権藤さんだよ」
 東尾であった。彼もまた投手出身だけあり彼の考えをよく理解できたのだ。
 
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