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土壇場の意地

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第二章


第二章

 見れば西武ナインは皆そういう考えであった。
 こうして試合ははじまった。近鉄の先発は吉井理人である。
「さて、どうなるかな今日は」
「案外あっさりした試合になったりしてな」
 ファンは口々にそう言っていた。
 試合は投手戦となった。渡辺も吉井も好調で互いに一点を許しただけであった。
 しかし九回表に試合が動いた。秋山がホームランを放ったのだ。
「おい、これで決まりやで」
 一塁側はもう諦めた雰囲気になった。
「西武の胴上げなんか見たくもないわ」
 中には帰り支度をはじめる者までいた。
「今日の渡辺は打てへん」
 それが共通した意見であった。誰も殆ど期待していなかった。
 だがあの老ファンだけは違っていた。
「最後まで座って見とかんかい」
 彼は去ろうとする周りの者に対して言った。
「しかしなあおっさん、今日の渡辺見てみいや」
 三色の近鉄の帽子を被った中年の男が言った。
「ああした時のあいつは打てるもんやないで」
 作業服の男も言った。見れば今日の渡辺はストレートがかなり走っていた。
「黙って見とくんや」
 だが彼は頑として引かなかった。
「バファローズのファンやったらな」
「・・・・・・ああ」
 その言葉に負けた。彼等はまた座った。そして試合を観た。
 その時マウンドの渡辺は何処か不安を覚えていた。
「大丈夫かな」
 彼はふとそう思った。
「近鉄が相手だからな」
 近鉄の打線はパワー打線で知られていた。一点リードしているとはいえやはり怖い。
 自軍のベンチを見る。もう優勝を今か、今かと待っている。
「皆は待ち遠しいみたいだな」
 やはり優勝は嬉しい。西武ナインは胴上げの瞬間を待ち望んでいた。
 渡辺はその期待を一身に背負っていた。彼もまた優勝が待ち遠しかった。
 渡辺は慎重に投げることにした。近鉄の四番石井浩郎にツーベースを浴びるものの後続を無難に抑えた。
「よし、あと一人だ」
 西武ベンチは総立ちになった。身を乗り出し、その時に備える。
 バッターボックスには大島公一がいる。小柄で俊足が売りのルーキーだ。
 忽ちツーストライクに追い込んだ。
「これで終わりだ」
 渡辺も優勝を確信した。球威は落ちていない。
 投げた。ストレートだ。大島は手が出せない。外角に見事に決まった。
「やった!」
 渡辺はその瞬間ガッツポーズをした。優勝だ、その場にいるほぼ全ての者がそう思った。
 そう一人以外は。
「ボール!」
 主審の判定は無慈悲なものであった。
「えっ!?」
 渡辺もキャッチャーの伊東勤もその瞬間自分の耳を疑った。
「ボールですか!?」
 伊東が驚いた顔で主審に問うた。
「ボールだ」
 だが判定は覆らない。こうして仕切り直しとなった。
「何てこった」
 西武ベンチはいささか落胆した。これで決まったと思ったから当然であった。
「けれどあと一球だ」
 森は彼等を宥めるようにして言った。
「それで全てが決まる。ここは落ち着くべきだ」
「そうですね」
 ナインもこれで鎮まった。そして渡辺に顔を戻した。
「頼むぞ」
 だが渡辺はボールの判定に完全に調子を崩していた。
「あれがボールになるか」
 彼はまだ納得できないでいた。
 野球においてピッチャーはとりわけ特殊なポジションである。野球はまずピッチャーからだ、と言われる程重要だ。
 繊細なものである。ちょっとした心の動きが投球に影響するものだ。
 この時の渡辺もそうであった。彼はそれまでの勝利を確信した顔ではなかった。
「落ち着け」
 だがそこにキャッチャーの伊東がやって来た。
「あと一球じゃないか」
「はい」
 だが彼はまだ気落ちしていた。伊東はそんな彼を元気付ける為に言った。
「三塁側を見るんだ」
 渡辺は言われるまま三塁側を見た。
「あと一球!」
 所沢から駆けつけた青い半被のファン達が声援を送っていたのだ。
「見たな」
「はい」
 渡辺は頷いた。
「お客さんが待っている。だからここは気を鎮めるんだ」
「わかりました」
 渡辺は伊東のそうした細かい心配りを受け取った。
 
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