奇跡が起こる時
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第一章
第一章
奇跡が起こる時
二〇〇一年九月二六日、大阪は熱い熱気に包まれていた。
「今日で決まるか」
「いや、わからんぞ。相手も必死やろ」
大阪ドームに向かう者は皆口々にそう言っていた。
この時大阪近鉄バファローズはマジック一、あと一勝で優勝である。
近鉄は長い間沈滞していた。かって知将仰木彬に率いられ一世を風靡したのは今は昔、投手陣の崩壊を主な原因としてパリーグの底に沈んでいた。とりわけこの二年は連続して最下位という有り様であった。
あの投手陣では駄目だ、評論家達は口々にこう言った。そしてその殆どが最下位を予想していた。
だがこのシーズンは違っていた。ペナント開幕から打ちまくり弱体な投手陣をカバーした。打たれたら打ち返せ、いてまえ打線はそれを合い言葉にするように派手に打ちまくり絶体絶命の危機を幾度も乗り越えてきた。
その中心だったのが主砲中村紀洋と助っ人タフィ=ローズ。そしてその脇を礒部公一、吉岡雄二、大村直之、川口憲史等が固める強力な打線であった。
その打線で勝利を奪ってきた。そして遂にここまで来たのだ。
前の試合で西武の誇る若きエース松坂大輔を打ち崩した。ローズが日本タイ記録となる五五号を放つと中村がサヨナラツーランを放った。これで松坂を撃沈した。
この試合で決まるかも知れない、ファン達は喜び勇んでドームに入っていった。
「そうか、今日で決まるかも知れないのか」
その時かって近鉄を優勝に導いた仰木は対戦相手オリックスブルーウェーブの監督になっていた。ここでもその知将ぶりを発揮し天才打者イチローを見出しチームを二度のリーグ優勝、そして日本一に導いていた。
だがイチローがメジャーに行ったこのシーズンオリックスは苦戦が予想された。イチローの存在はバッティングだけではなかった。その脚も守備もチームにとっては欠かせないものだったのだ。
しかし仰木はそれを智略で補おうとした。途中までは首位を争った。しかし戦力のなさが響きこのシーズンはAクラスになれるかどうかという微妙なところであった。
そうした状況で実は彼はある決意を胸に秘めていた。今シーズン限りでユニフォームを脱ぐことである。
「もう歳だしな」
本心は違っていた。やはり監督をやりたい。だが様々な事情がそれを許さなかった。
「最後に近鉄の優勝を見るかも知れないな」
彼は向かいのベンチにいる近鉄ナインを見てそう呟いた。
「だがそう簡単に負けたくはない」
勢いは近鉄にあるのはわかっている。しかし彼にも意地があった。
意地をなくしてはプロは務まらない。彼は最後まで戦うつもりであった。
それは近鉄も同じである。彼等は互いに火花を散らしつつプレイボールを待った。近鉄とオリックス、阪急時代から続く長年のライバルである。その日このカードであったことも天の配剤であったのだろうか。
近鉄の先発はバーグマン、シーズン途中からやって来た助っ人である。長身から繰り出す速球とチェンジアップが武器だ。
だが四回のファーストを守る吉岡のエラーがもとで失点を許す。そこからは継投策に入っていった。
対するオリックスの先発北川智規は好投を続ける。試合はオリックス有利に進んでいった。
「あのエラーが痛いなあ」
観客達は試合を見ながら言った。今日は無理だろう、という声もちらほらしてきた。
しかし今シーズンそうした試合が幾度もあった。諦めていない近鉄ファン達の熱気は回が進むにつれて高まっていくばかりであった。
だがオリックスは順調に得点を重ねていく。このシーズン近鉄等に隠れて地味だったがオリックスの打線もよく打ったのである。
九回表、この回にも相川良太のソロアーチで一点入れたオリックスはなおもランナーを出して攻め立てていた。そこで近鉄の監督梨田昌崇が動いた。
「ピッチャー、大塚」
彼はそう告げた。近鉄のストッパー大塚晶文、一五〇を超える速球と落ちるスライダーが武器である。
「えっ、ここで大塚!?」
これには客席にいた殆どの者が驚いた。時折梨田はそうした継投をする。それで敗れたことも多いが試合の流れを変えたことも多い。
その時は流れを変えることを狙っていた。そして大塚はそれに応えた。
あえなくオリックスの攻撃は終わる。そして九回裏近鉄の攻撃が始まろうとしていた。
「おい」
ここで梨田はベンチに座っていたある男に声をかけた。
「はい」
その少し太めの男は顔を上げた。北川博敏、今シーズン阪神から移籍してきた男である。
阪神に入団当初は強打の捕手として期待されていた。だが中々芽が出ず近鉄にトレードに出された。当初は二年連続最下位のチームなので何の期待もしていなかった。
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