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奇策

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第二章


第二章

 思えば長嶋という男も変わっている。これから戦う二人の将に互いに意識されているのだから。
「まあ今は長嶋は巨人にはいねえから仕方ねえか」
 大沢は本心では長嶋のいる巨人と戦いたかった。
「じゃあまずはこのプレーオフで派手に花火をあげてやるよ」
 そう言ってベンチに戻った。
「思ったより強気だな」
 記者達はそんな彼の後ろ姿を見送りながら囁き合った。
「ああ、あんなことになってるのにな」 
 実は今日本ハムには危機的な問題が起こっていたのだ。
 この時の日本ハムのエースは右のサイドスロー工藤幹夫。最多勝と最多勝率の二冠に輝く男だ。特にプレーオフの相手西武には六勝と抜群に相性が良かった。
 その工藤が負傷したのだ。それも利き腕の右手の中指をだ。
 表向きには自宅で柔軟体操をしていた時に誤って怪我をしてしまったということだった。だが実は喧嘩によるものであった。
 これは迂闊だった。ピッチャーにとって利き腕は命そのものなのだから。
 しかも骨折である。とても投げられる状態ではない。
「起こったことは仕方ねえが」
 大沢は顔を顰めて考えた。
「どっかに魔法の薬でもねえのか。骨がすぐにくっつくような」
 半ば本気でそう思った。それ程までの痛手だった。
「いざという時にトレーニングはしておけよ」
 大沢はあえて怪我をした彼にこう言った。そして工藤はそれに従いランニングや機器トレーニングを続けた。
「だがギプスをはめちまっている。これはそうそう簡単にはいかねえだろうな」
 大沢はピッチングコーチである植村義信と顔を突き付けあって考えた。何とかしてプレーオフを勝つ為に。
「さてどうするか」
 頭を抱える。やはり工藤の穴は大きい。
「工藤か」
 そう、工藤であった。
「待てよ」
 ここで彼にある考えが思い浮かんだ。
「何か妙案でも?」
 植村は大沢のそんな様子を見て顔を上げた。大沢は奇計も好きだ。それも周りをアット驚かせるような。
「いや、何も」
 大沢は慌てて顔を深刻なものに戻した。
「やっぱりどうしようもねえなあ。何かいい解決方法ねえかなあ」
「そうですね」
 植村は顔をまた元に戻した。そして二人はまた深刻な顔で話し合った。
(いけねえいけねえ)
 大沢は内心笑っていた。
(今は誰にも気付かれちゃあいけねえ)
 その時彼に思いもよらぬ考えが浮かんでいた。
(いけるかどうかわからねえが試してみる価値はあるな)
 すると彼は一つの伏線を張った。
 遠征に工藤を帯同させた。私服でありあやはり球場にいてもギプスをしている。
「やっぱり工藤はプレーオフは無理だな」
 ファンもマスコミもそう思った。
「西武有利」
 皆彼のその姿を見てそう結論付けた。西武の方もこれで一勝、と喜んでいた。
「いいか、気付かれるなよ、絶対にな」
 大沢はその声をよそにトレーナーに対して言った。
「わかっています」
 トレーナーは険しい顔で頷いた。
「かみさんにも言うな、子供にもだ。辛いだろうがな」
「はい」
 大沢の言葉に頷いた。大沢はそれを同じく険しい顔で受けた。
「よし、頼むぜ。とにかく今は大事な時だからな」
 彼は何かを考えていた。
「おい」
 そして工藤にも声をかけた。
「わかってるな」
「はい」
 工藤は頷いた。そして二人はニヤリと笑った。
 大沢は球場での練習中には審判の一人に意味ありげに言った。
「賭けって面白いよな」
「え、ええ」
 大沢は人生の真ん中ばかり歩く男ではない。酒も女もやってきた。博打もだ。そうしてそこで人生とは何かを学んできた。
「やり過ぎちゃいけねえがそもそも往来の真ん中だけが人生じゃないだろ」
 ここでも独特の人生論、野球感が出て来た。
「端っこや裏側も見なくちゃいけねえ。そうでないと人間ってやつはわからねえし深みにでねえ。人間ってやつは綺麗なだけじゃ駄目なんだ。時にはそうしたこともよく学ばなくちゃいけないんだよ」
 やはり彼はそうした意味でも大物であった。器が大きかった。だからこそ将たりえたのだ。
「時には喧嘩も必要だ」
 ビーンボールを投げた相手チームのピッチャーを殴り飛ばしたこともある。
「人生は色々ある。それがわからねえと野球もわからねえんだ」
 深みのある言葉であった。一見豪放磊落だが、その中身は鋭く、そして細かかった。
 その彼がいわくありげにそう言ったのだ。その審判は何かある、とすぐに思った。
「俺は近いうちにでっかい賭けをしようと思ってるんだ。皆がアット驚くようなな」
「驚くような、ですか」
 審判は誰にもそんなことは言えない。公平でなければならないからだ。
「そうだ。もしかしたらな。まあ楽しみにしておいてくれよ」
「わかりました」
 大沢はそこでベンチに戻った。そして電話をかけた。
「どうだ、調子は」
 電話に出た男に声をかけた。
「思ったより遥かにいいです。いけます」
「そうか」
 大沢はそれを聞くとまた笑った。
「どうやらいけそうだな、見てろよ」
 向かいのベンチにいる広岡に顔を向けた。
「今にその澄ました顔が仰天して顎まで外れちまうぜ」
 彼はこれから自分がやろうとしていることに胸が躍っていた。
 西武も負けてはいない。広岡は知将を自認している。その知略はやはり秀でていた。
 采配ミスや選手の失敗にも驚かない。あくまで冷静である。これはこちら側の好プレイや殊勲打に対してもである。常に表情を変えない。ただ口の端を一瞬歪めるだけである。
 
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