ソードアート・オンライン リング・オブ・ハート
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2:帰り道
一人、酒場からの夜の帰り道。街道は他の店からも吐き出された客でごった返し、一日の終わりも関係無いとばかりに話の華が至る所に咲き乱れていたが、今はとても耳を貸す気にはなれない。
あの話の末に、俺はクラインの依頼を受諾した。
エギルは「本当に大丈夫なのか?」と、店を出るまで何度も心配して言ってきたが、俺の答えは変わらなかった。
もともと、クラインが頼み込んできたその時から、首を縦に振るつもりだったのだ。……このデスゲームが始まった最初の日、クラインを置いていった……その時から今も続く後悔の償いが僅かでも出来るのなら、という一心で。
だが、今はそんな償いの気持ちはさらさら無かった。理由は他でもない。今日、酒場で大声で俺の名前を呼ぶ前からずっと……表面こそいつも通りのアホ面でも、内心では友達を傷つけられた怒りや、俺に危険を承知で仕事を依頼した申し訳無さ、そして何より己の非力さを嘆いていたのであろう……不器用で、馬鹿で、どうしようもなく良い奴な、俺の大切な『親友』の為だ。
思わず、手にした羊皮紙のロールに力が込もる。
「……ダメだな。俺も大概、ってことなのかな……」
溜息と同時に独り言も漏らし、熱くなりかけた頭を冷やすがてら、歩を緩めて頭の中を整理する。
――依頼の内容は、幻の仔馬《ミストユニコーン》の討伐と、その素材の調達。それを狙う《死神》と《笑う棺桶》との関係の調査。
報酬は、前金として既にクラインからそこそこの額のコルを受け取った。が、本当の報酬は彼曰く、別にあるのだそうだ。そもそも、ユニコーンを狙う者の殆どが、ドロップする希少な素材よりも《それ》を目的として血眼に探しているのだという。
酒場で、ついさっきまで沈んだ表情をしてハムベーコンを肴に飲んでいたクラインが、突然アッと叫び声を上げるやいなや「一番大事な報酬のことを話していなかった!」と慌てていた顔を思い出す。そのテンションの切り替えの早さには心底感服したが、また心底「アホだ……」とも思わざるを得なかった。心配していた俺達二人の気持ちにもなって欲しいところだが……再びシリアスに洒落込むほど俺達は無粋ではなく、俺とエギルは苦笑しつつ、矢継ぎ早に説明し始めたクラインの話に耳を傾けていたのだ。
思い返しながらまた一つ苦笑を漏らし、頭の整理を続ける。
ユニコーンを狙うプレイヤー達の本当の目的は何なのか。
俺の今回の仕事に見合う本当の報酬とは何なのか。
《死神》と呼ばれる謎のプレイヤーまでもが、他のプレイヤーを害してまでユニコーンに固執する物とは。
そして、その討伐の難しさ以上に、その後得られる希少な素材以上に、知る者誰もが魅了されるメリットとは。
……答えは至ってシンプルだ。
――討伐した際の、獲得経験値量が莫大なのだ。
MMORPGをやり込んだ者なら、モンスターを狩るメリットを突き詰めれば、これに尽きるといっても過言ではないだろう。俺もこの事を聞いてから全て納得したほどだ。
このSAOだけに限らず殆どのRPGにおいて、強くなる為に必要なもの……それは、レアアイテムでもなく、お金でもなければ、ましてや運でもない。本当に必要なものとは、経験値という名の、敵を倒した場合にのみ与えられる数字に帰結する。何故なら、どんなレアなアイテムも、何でも買えるような大金も、それらを手中に収められるリアルラックも、RPGではその意味を突き詰めれば『効率良く敵を倒し、経験値を稼ぎレベルを上げる為の手段の一つ』でしかないからだ。どんなゲームでも、レベルと経験値という概念がある限りこの法則は不変であり、『経験値を稼いでレベルを上げる』という共通した作業でありながら、俺達全てのゲーマーを魅了して止まない、法則は法則でも黄金比の法則なのである。
……と、つい偉そうに語ってしまったが。
実の所、ユニコーンの正確な獲得経験値は分かっていない。
「果たして、一体どれだけの経験値が得られるんだろうな……」
帰り道から自分のねぐらに辿り着き、紙のロールをテーブルに広げて情報をおさらいしていく。
正確な数値が分からない原因には勿論、その個体数の少なさ故の抜きん出た希少性もあるが、最大の要因がまた魅力的だった。
――余りにその数値が膨大過ぎて、なんと狩猟した殆どの者のレベルがまるまる上がってしまうのだそうだ。
今では九体目が討伐されてから随分時間が経ち、当時狩猟に成功したプレイヤー達のレベルと、今回ユニコーンを狙う俺を含めた他のプレイヤー達のレベル平均の差はかなりあるだろうから、俺のレベルにもなると、流石にレベルアップはしないかも知れないが……十二分にそそられる話ではある。
当初では、単独で行動する事が多いソロプレイヤーが、狩りの効率の為に人気の無い森の奥地などへ入り込み偶然発見、討伐したケースが多かったらしい。だが数えて四体目の狩猟で初めて、とある一団が数人のパーティープレイ時に討伐に成功し、その全員が一気にレベルアップを迎えた事から、本格的にユニコーン専用の狩猟法が考案されたそうだ。
基本、ユニコーンの発見情報は狩猟を狙うプレイヤーの過度の集中や混乱、そして横取りを避ける為、最初に発見した者はその情報の公開を極力避ける。そしてユニコーンが逃げない内に集められるだけのフレンドやギルド員などのみで構成された数十人規模にもなる大型パーティーを組み、全員がユニコーンに気取られないように距離を保ちつつ集合した所で、一斉にユニコーンを取り囲んで襲撃。ワープで逃げる為の数秒の猶予も与えず、一瞬で仕留める算段だ。
トドメを刺したプレイヤー以外のパーティーボーナス値もかなりのものらしく、討伐が終わった瞬間、幾重にも重ねられたレベルアップ音が同時に響いたという記録すらある。残りのパーティー員もレベルが上がらなかったにしても、呼ばれた場所に着き、一斉襲撃の一端の任に就くだけの安全かつ簡単な仕事で、大量の経験値を得られてさぞ喜んだことだろう。
ユニコーンの狩猟は八体目まで順調に続き、やや時間をおいて九体目の討伐記録も刻まれ、これを最後にパッタリ記録は止まっている。
そして今、最後の一体が発見されたという訳だ。狩られるのは時間の問題だろうが……奇しくも《死神事件》のおかげで、今はまだなんとか狩猟にまでは至っていないようだ。
「死神事件……死神。それに……大鎌か」
俺は装備を外してシャツとパンツだけになると、紙を枕元の柱にウィンドウから取り出したピックで留め、ベッドに寝転がる。
あれから《大鎌》習得者が全員死んだ原因について、色々三人で考えてみたが、結局何も分からなかった。当時の様子を分かるだけの詳細をエギルに聞くと、更に謎が深まったからである。ここからは、そのエギルが話した事になる。
曰く、貴重かつ強力なエクストラスキルの習得条件の解明や習得人数を確認する為、各地の有力者の名の下に《大鎌》習得者全員が大々的に第一層《はじまりの街》に召集されたという。習得者である合計十人の全てが、このスキルを習得して日が浅いと申し出た事も考慮し、街付近の極めて安全な敵を相手に各々スキル修練に励む予定だった。因みに、その場にエギルの情報提供者である情報屋、アルゴも居合わせていた。
そして、その初日。
――散り散りに出かけていった十人は幾ら待てども、一人として帰ってこなかった。
心配したアルゴがあらかじめ登録しておいたフレンドリストを見てみると、既に全員の名がグレー表示になっていたという。それを知った関係者達が、慌てて全てのプレイヤーの名前が書かれた碑を確認してみると、十人の名前全てに横線が刻まれていた。
死亡時刻はバラバラ、死亡箇所はそれぞれ全員がソロではあったが、揃って《はじまりの街》周辺で、極めて弱いモンスターしか出ない地域だ。
そしてなにより、碑に書かれた死亡原因を見た者達その全員が、その頭を悩ませた。
死因は二種類に分かれた。
一つは、該当者が三人と少ないが、街周辺に現れるレベル1程度のモンスター相手に《戦闘の敗北によるHP全損》したケース。
そして大多数の習得者が該当する、もう一つの死因は……何が原因か詳細が一切書かれていない《HP全損》とだけあるケースである。
この二つの死因には奇妙な謎が残る。
前者のケースは、習得者達は最低でもレベル40を超えるSAOの戦闘を充分に理解し、熟練した戦士達だったにも関わらず、雑魚中の雑魚……たとえ、その場で突っ立っていてもHPがゼロになるまで何十分もかかるようなモンスター相手に殺されたということになる。
二つ目のケースは更に不可解だ……というか、謎しか残らない。詳細な原因が記されていないのであれば何も分からない……となるのだが。
実はこれには前例があり、『原因が残らない原因』も既に解明されていた。死亡原因を《HP全損》としか記さずに死を遂げる方法、それは……
――己の武器での自殺である。
このデスゲームが始まってから最初に碑に横線が刻まれた男の死因もまた自殺であったが、それには《高所落下》という詳細が記されていた。だが、その後にもこの事態を信じようとせず、自殺に走る者が散発的に出始めた。そして、名前に上書きされた横線と共に様々な死因が記されていったのだ。
その中に、街の安全エリアから出てすぐさま自分の胸に剣を突き立て、ポリゴンの欠片となって飛散し消滅した者も少なからず居た。それらの名前の傍らには《HP全損》とだけ書かれていたという。
……ちなみに、この仕様には何らかの人権的観点もしくは倫理的観点の元、こういった配慮が取られているのではないか、という意見が有力だが、残念ながらSAOにはそこまで法律に詳しい人が皆無らしく、真相は謎のままである。
つまり《大鎌》を習得した者は全て、ある者は普通ならば決して負け得ない敵に殺され、またある者は己の恐ろしく長大なその鎌で、自分の命を刈り取った――ということになるのだ。
この考えに達した瞬間、関係者らは戦慄し、震え上がったという。その後、緊急会議が実施され『呪われている』などの怯えた声も出しながら、紆余曲折した議論の末……一つの結論を弾き出したそうだ。
――エクストラスキル《大鎌》には、内容不明の致命的なバグがある。
この一文を含めた今回の惨事は、その場に居合わせたアルゴを始めとした情報屋達によって広く公表された。それ以降、誰一人としてこのエクストラスキルを話題に上らせる者は現れなくなったそうだ。
エクストラスキルを習得すれば、本来ならば羨望の的になること必然であるが、この《大鎌》に限っては唯一、禁忌の如く忌み嫌われた存在となる異常事態となったのである――
「習得すればバグで怪死を遂げるスキル、か……。バカな……」
俺はそう吐き捨てつつも、考えても答えが出ないもどかしさに苛まれる。
この情報は、新聞もロクに読まず攻略に出て行く俺みたいな無精者以外は、多くの者が知っている事だったらしい。しかし《大鎌》の習得条件の情報はこれ以上被害者を出さないように公表はされず、その場に居合わせた一部の人物のみが秘匿したのだという。エギルと、恐らくはクラインも当時その場に居たアルゴをツテにこの情報を得たのだろう。
万が一、仮に誰かが偶然習得してしまったとしても、惨事の情報は広く浸透しているので、その者はスロットにセットすることなく永久に封印しているであろう。というのはエギルの言葉だったが……ここに来て、イレギュラーが頭角を現した訳だ。
知ってか知らずか、この怪奇なタブーをものともせず《大鎌》を振るう謎のプレイヤー《死神》。
《大鎌》のバグの真相は何なのか。
何故ヤツはその怪死を免れているのか。
さらに……これらを話し込み過ぎて、酒場では話題に上らなかったが……《死神事件》話の中にあった、ヤツがやってのけた『見た事も無いほどの激しいステータス上昇エフェクトを迸らせ、HPバーまでもが見る見るうちに右端まで全回復した』という、一見チートにも程がある芸当も、俺はずっと喉に引っかかっていた。
他にも問題が山積みだ。……まさに謎が謎を呼ぶ展開である。
「……ハァ、俺は探偵かよ。……もう今日はヤメだ、ヤメ」
俺は天井を眺めていた目を瞑り、眉間に指を当て、疲れ果てて頭痛がしてきた頭を軽く左右に転がした。
《ミストユニコーン》。 《大鎌》。 《死神》。
何度も出てきたこれらのキーワードには謎が多すぎた。それらから派生する数多の問題と怪奇もまた同様だ。
きっとこのまま進めば、モンスターや迷宮よりも困難で手強いかもしれない、コトの大きさすら知れぬ謎が俺を待っているのだろう。
「……ま、全ては明日から……だな」
俺は目を開け、窓から零れる月光が指す洋紙の地図を覗く。そこには赤のインクで記された×印がある。他でもない、ユニコーンが発見されたという場所だ。
そこは……
――アインクラッド第五十二層。 通称《薄光の森》。
後書き
以下、解説です。
●ミストユニコーン
アインクラッドに十体のみ存在するとされている幻のレアモンスター。霧が立ち込める不思議な鬣を生やし、一本の角を持つ純白の神秘的な仔馬。
レアモンスターと称される割には戦闘力も体力も低めで、敵を察知し次第逃げ出す非アクティブモンスターだが、討伐した際の獲得経験値は莫大で、ドロップした素材もオーダーメイド等の強力な武具の素材に重宝される為、当然高額で取引される。ただ、特殊技能として一日に一度、霧を纏って『他のエリアや階層にワープして逃走する』能力を持っている為、討伐以前に発見が困難で、二年かけて九体までは討伐報告があったものの、最後の一体は見つかっていなかった。現在の最前線以上の未到達層階にワープしたのではないかと思われていた頃、ようやく五十二層の過疎地域にて発見されたという噂が発生して物語に突入する。
●死神事件
ミストユニコーン発見の噂からほぼ同時期に噂されている事件。ユニコーン、死神共に第一発見者はクラインと縁のあるギルドパーティー。ユニコーンを発見した直後に、黒いマントに恐ろしい程に長大な鎌を手にした……まるで死神のようなプレイヤーからいきなり強襲された。また、見た事も無いほどの激しいステータス上昇エフェクトを迸らせながら、HPバーまでもが見る見るうちに右端まで全回復するという普通では考えられない謎のスキルを使う。不可解な点が多いが、話を聞いたプレイヤー達は『ミストユニコーンの莫大な恩恵を独占しようと企む、もう習得者が居ない筈だったエクストラスキル《大鎌》を使うオレンジプレイヤー(犯罪者)』と断定。その大鎌使いはその風貌から、そのまま《死神》と呼称され、行動の危険性から《笑う棺桶》との関連性も考えられ、早急に対処が望まれている。
●エクストラスキル「大鎌」
サイズとも呼ばれる巨大な鎌のエクストラスキル。
ユニークスキル《二刀流》《神聖剣》を除き、その他のエクストラスキルは習得者が各十人以上は居るとされているが、中でもこの大鎌は最も習得者が少なく、今では絶滅種とさえ言われている。原因は幾つかあり、
1・習得条件として、「槍」「斧」「両手棍」など、複数の棒系両手武器スキルをある程度マスターしていること。
2・防御力に特化したタンク(壁役)ステータスでなく、盾を装備していないこと。
3・スキルの検証をしていた全ての習得者は修練中、謎の死を遂げた。
以上のことから「スキルに致命的なバグがあるのではないか」「呪われている」と一時騒ぎになり、それから習得しようとする者が出てくることは無くなった。普通ならば羨望の的であるエクストラスキルだが、唯一忌み嫌われた存在となる異常事態になっている。
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